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漁捕品 

○鰒 (長鮑制 附真珠 或云あはひは石決明を本字とす 鰒はトコフシなり)
伊勢国 和具浦 御座浦 大野浦の三所に鰒を取り 二見の浦北塔世と云所にて鮑を制すなり 鰒を取には必女海人を以てす(是女は能く久しく呼吸を止めてたもてるが故なり)船にて沖ふかく出るに かならず親属を具して船を★らせ縄を引せなどす 海に入には腰に小き蒲簀を附て鰒三四つを納れ 又大なるを得ては二つばかりにしても★めり 浅き所にては竿を入るゝに附て★む 是を友竿といふ 深き所にては腰に縄を附て★んとする時 是を動し示せば 船より引あぐるなり 若き者は五尋三十以上は十尋十五尋を際限とす 皆逆に入て立游ぎし 海底の岩に着たるをおこし 箆をもつて 不意
(3) [ 進行中 ]
に乗じてはなち取り 蒲簀に納む その間息をとゞむること暫時 尤朝な夕なに馴たるわざなりとはいへども 出て息を吹くに其声遠くも響き聞えて実に悲し 

附記
○海底に入て鰒をとること 日本記允恭天皇十四年 天皇淡路の島に猟し給ふに獣類甚多しといへとも 終日一つの獣を得ることなし 是に因て是を卜はしめ給ふに 忽神霊の告あり 曰此赤石の海底に真珠あり 其珠をもつて我を祠らば 悉く獣を獲さすべしときゝて 
更に所々の白水郎を集めて 海底を探らしむ 其そこに至ることあたわず 時に阿波の国長邑の海人 .男挟礒〈おさし〉といふ者 腰に縄を附て踊入り 差項ありて出て曰く 海底に大鰒ありて其所に光を放つ 殆ど神の請所 其鰒の腹中にあるべしと 人の議定によりて 再び探き入て かの大鰒を抱き浪上に★み頓にして息絶たり 案のごとく真珠 桃の子の如き物を腹中に得たり 人々 男挟礒が死を悲れみ 葬りて墓を築き 尚今も存せりとぞ 此時海の深さは六十尋にして 殊に男海人の業なれば 其労おもひやられ侍る 後世是を模擬して箱崎の玉とりとて 謡曲に著作せしは此故事なるべし (○鰒は凡介中の長なり 古へより是を美賞す 大なる物径り尺余になるもの二三寸水中にあれは 貝の外に半出て 転運して以て跋歩)
○五畿内の俗 是をアマ貝といふは 海人の取ものなればなるべし
 アハビといふは偏に着て合ざる貝なれば合ぬ実といふ儀なるべし 万葉十一に 伊勢の海士の あさなゆふなにかづくてふ あはびのかひの かたおもひにして 同七に 伊勢の海の あまの島津に鰒玉 とりて後もか恋のしけゝん 又十七に 着石玉ともかけり○雄貝は狭く長し  雌貝は円く短く肉多し 但し九孔七孔のもの甚稀也 
○制長鮑(俗に熨斗の字をかくは誤なり 熨斗は女工の具 衣裳を熨し伸すの器にて火のしのことなり) 
先貝の大小に隨ひ剥べき数葉を量り 横より数/\に剥うけ置て 
(5) [ 進行中 ]
薄き刃にて薄/\と 剥口より廻し切る事図のごとし 豊後豊島 薦に敷き並らべて乾が故に 各筵目を帯たり 本末あるは束ぬるか為なり さて是をノシといふは 昔打鰒とて打栗のごとく打延し 裁截などせし故にノシといひ 又干あはひとも云へり 
○又干鮑 打あはびともに往昔の食類なり 又薄鮑とも云へり 江次第 忌火御飯の御菜四種 薄鮑 干鯛 鰯 鯵とも見へたり 今寿賀の席に手掛 或はかざりのしなどゝして用ゆることは 足利将軍義満の下知として 今川左京太夫氏頼 小笠原兵庫助長秀 伊勢武蔵守満忠等に一天下の武家を十一位に分ち 御一族大名守護外様評定等の諸礼に附て行はせらるより起る事 三義一統に見えたり 往昔は天智帝の大掌会に干鮑の御饌あり 延喜式諸祭の神供にも悉く加へらる 第一伊勢国は本朝の神都として鎮座尤多し故に 伊勢に制する所謂又は飾物にはあらずして 食類たることもしるべし 尚鎌倉の代前後までも常に用て専食類とせし 其證は平治物語 頼朝遠流の条に ○佐殿はあふみの国建部明神の御前に通夜して 行路の祈をも申さんと留り給ひける 夜人しづまりて御供の盛安申けるは 都にて御出家の事然るべからさるよし申候ひしは 不思議の霊夢を蒙りたりし故なり 君御浄衣にて八幡へ御参候て大床に座す 盛安御供にてあまたの石畳の上に伺公したりしに 十二三ばかりの童子の弓箭を抱きて大床に立せ給ひ 義朝が弓箙召て参り候と申されしかば 御宝殿の内よりけたかき御声にて ふかく納めおけ 終には頼朝に給はんずるぞ 是頼朝に喰はせよと仰らるれば 天童物を持て御前におかせ給ふに 何やらんと見奉れば打鮑といふ物なり(中略)それたべよと仰らる かぞへて御覧ぜしかば六十六本あり かののし鮑を両方の手におしにぎりて ふとき処を三口まいり ちいさき処を盛安にな 
(6) [ 進行中 ]
けさせ給ひしを 懐中すると存じ候ひしはと云々(下略)
此文義味ふべし 又今西国の方より烏賊のし 海老のし 或は生海鼠のしなど出せり 至て薄く剥て其様浄潔にして且興あり 
○毎年六月朔日志州国崎村より両大神宮へ長鰒を献ず故に 其地をノシサキ共云へり 又サゝエサキ共云へり 今栄螺にて作る事なし 是延喜式に御厨鰒と見へたり 又毎年正月東武へ献上の料は長三尺余 巾一寸余 其余数品あり 
○真珠 漢名 李蔵珍
是はアコヤ貝の珠なり 即伊勢にて取りて伊勢真珠と云て上品とし 尾州を下品とす 肥前大村より出すは上品とはすれども 薬肆の交易にはあづからず アコヤ貝は一名袖貝といひて 形袖に似たり 和歌浦にて胡蝶貝と云大きさ一寸五分 二寸ばかり灰色にて微黒を帯たるもあるなり 内白色にして青み有 光ありて厚し 然れども貝毎にあるにあらず 珠は伊勢の物形円く 微し青みを帯ぶ 又圓からず長うして緑色を帯ぶるもの石決明の珠なり 薬肆に是を貝の珠と云 尾張は形正円からず 色鈍みて光耀なく尤小なり 是は蛤 蜆 淡菜等の珠なり 形かくのごとし 

附記
或云 あこやといへるは所の名にして 尾張の国知多郡にあり 又奥州にも同名あり 又新猿楽記には阿久夜玉と見ゆ 万葉集の鰒玉を六帖にあこや玉と点せり 又近頃波間かしはと云貝より多く取得るともいへり 貽貝の珠は前に云尾張真珠なり 又西行山家集の歌に 
  あこやとる いかひのからを積置て 宝の跡を見する也けり 
右の条々を見るにあこやを尾張の所名とせば 真の真珠は尾張なるべきを 今伊勢にて此貝をとりて名はあこやと称するものは
(7) [ 進行中 ]
昔尾張に多き貝の 今伊勢にのみ有るとは見へたり しかのみならず 六帖 鰒玉 西行歌の貽貝もともにあこやといひしは むかしあこやにいろ/\の貝より多くの珠をとりし故に混じて 惣称をあこやとはいひしなるべし 
○海鰕 (漢名 蝦魁 釈名 紅鰕 エビは惣名なり 種類凡三十余種 其中に漢名龍鰕といふは海鰕なり)
俗称伊勢海鰕と云 是伊勢より京師へ送る故に云なり 又鎌倉より江戸に送る故に 江戸にては鎌倉鰕と云 又志摩より尾張へ送る故に尾張にては志摩鰕と云 又伊勢鰕の中に五色なる物有 甚奇品なり 髭白く 背は碧 重のところの幅輪緑色 其他黄 赤 黒 相雑 
○漁網は大抵七十尋 深さ二間ばかり 但し礒の広さ 岩間の広狭にも隨ひて大小あり 向と左右と三方の目はあらし 向ふの深さ十五尋ばかりの目は細くして是を袋といふ アバ(★子也 桶を用ゆ) 重石(陶瓶を用ゆ) 大抵鯛網に似たり 日暮にこれを張りて翌朝曳くに 鰕悉く網の目をさしてかゝる 是は後に逃る物なれは 尾の方よりさせり 又網の外よりもかゝる也 
○鰕の腸 脳に属して 其子腹の外に在り 眼紫黒にして前に黄なる所あり 突出て疣子のごとし 口に鬚四つあり 二つの鬚は長さ一二尺 手足は節ありて 蘆の筍のごとし 殻は悉く硬き甲のごとし 好飛で踊る 是海中の蚤なり 蚤また惣身鰕におなじ 
○エビの訓義は柄鬚なり 柄は枝なり 胞といひ 江と云も 人の枝 海の枝なり 蝦夷をエヒシといふは 是毛人島なるになそらへ 正月辛盤に用ゆるは 海老の文字を祝したるなるべし 

○鰤
(9) [ 進行中 ]
丹後与謝の海に捕るもの上品とす 是は此海門にいねと云所ありて 椎の木甚多 其実海に入て 魚の飼とす 故に美味なりといへり○北に天の橋立 南に宮津 西は喜瀬戸 是与謝の入海なり 魚常に此に遊長するに及んで 出んとする時を窺ひ 追網を以これを捕る 
○追網は目大抵一尺五六寸なるを縄にて作り 入海の口に張るなり 尚数十艘の船を並らべ ★を扣き 魚を追入れ 又目八寸ばかりの縄網を二重におろして 魚の洩るゝを防ぎ 又目三四寸ばかりの苧の網を三重におろし さて初めの網を左右より轆轤にて引あげ 三重の苧網は手操にひきて 袋礒近くよれば 魚踊群るゝを 大なる打鎰にかけて 礒の砂上へ投あぐるなり 泛子は皆桶を用ひ 重石は縄の方焼物 苧の方は鉄にて作り 土樋のことく連綿す 
○先腸を抜きて塩を施こし 六石ばかりの大桶に漬て 其上に塩俵をおほひ 石を置きておすなり ○又一法 塩を腹中に満しめ 土中に埋み 筵を伏せて水気を去り 取出して再び塩を施し 薦に裏みても出せり 市場は宮津にありて 是より網場の海上に迎へて積
帰るなり
○他国の鰤網 凡手段かはることなし いずれも沖網にて 竪網は細物にて 深さ七尋より十四五尋ばかり 尚海の浅深にも任す 網の目は冬より正月下旬までを七寸ばかりとし 二三月よりは五六寸を用ゆ 漁船一艘に乗人五人也 四人は網を操あげ 一人は艪を取る 泛子は桶にて重石は砥石のごとし 網を置くには湖中の魚★のことくに引廻し 魚の後へと退くを防也 かくて海近き山に遠眼鏡を構へ 魚の集るを伺ひ 集るときは海浪光耀ありて 水一段高く見へ 魚一尾踊る時はかならず千尾なりと察し 麾を振て船に示す 是を辻見 又村ぎんみ 又魚見とも云 海上に待かけし二艘の船ありて其麾の進退左右に隨ひ 二方に別れて網をおろしつゝ漕廻はる
(11) [ 進行中 ]
事二里ばかりにも及べり ひきあぐるには轆轤手操なと 国/゛\の方術大同小異にして.略〈ほぼ〉相似たり
○或云鰤は連行て東北の大浪を経て 西南の海を繞り 丹後の海上に至る頃に 魚肥 脂多く味甚甘美なり 故に名産とすと云 
○鰤は日本の俗字なり 本草綱目に魚師といへるは老魚又大魚の惣称なれば其形を.不釋〈とかず〉 或は云海魚の事に於て中華に釈く所 皆甚粗なり 是は大国にして海に遠きが故に 其物得て見る事難ければ 唯伝聞の端をのみ記せしこと多し されども日本にて鰤の字を制しは即魚師を二合して大に老たるの義に充たるに似たり 又ブリといふ訓も老魚の意を以て年経りたるのフリによりて フリの魚といふを濁音に云習はせたるなるべし ○小なるを ワカナコ ツバス イナダ メジロ フクラキ ハマチ 九州にては大魚とも称するがゆへに 年始の祝詞に★へる物ならし 

○鮪 (大なるを王鮪 中なるを叔鮪(俗にメクロと云)小なるを★子といへり 東国にてはまくろと云)
筑前宗像 讃州平戸 五島に網する事夥し 中にも平戸石清水の物を上品とす 凡八月彼岸より取はじめて十月までのものをひれながといふ 十月より冬の土用までに取るを黒といひて是大也
冬の土用より春の土用までに取るをはたらといひて 纔一尺ニ三寸ばかりなる小魚にて是黒鮪の去年子なり 皆肉は鰹に似て 色は甚赤し 味は鰹に不逮 凡一網に獲る物多き時は 五七万にも及べり○是をハツノミと云は市中に家として一尾を買者なけれは 肉を割て秤にかけて 大小其需に応ず 故に他国にも大魚の身切と呼はる 又是をハツと名付る事は昔此肉を賞して纔に取そめしを まづ馳て募るに 人其先鋒を争ひて求むる事 今東武に初鰹の遅速を論ずるかごとし 此を以て初網の先駆をハツといひけり  
(14) [ 進行中 ]
後世此味の.美癖〈ムマスキ〉を悪んて終にふるされ 賤物に陥りて饗膳の庖厨に加ふることなし されども今も賤夫の為に八珍の一つに擬てさらに珎賞す(○此魚の小るるを干て干鰹のにせものともするなり)
(万葉集)鮪つくとあまのともせるいさり火のほには出なん我下思ひを ○礼記月令に季春天子鮪を寝廟に薦むとあれども 鮪の字に論ありて 今のハツとは定めがたく 尚下に弁ず 
○網は目八寸ばかりにして大抵二十町ばかり 細き縄にて制す 底ありて其形箕のごとし 尻に袋あり 縄は大指よりふとくして常に海底に沈め置き 網の両端に船二艘宛付て 魚の群輻を待なり 若集る事の遅き時は 二月乃至三月とても網を守りて徒に過せり 是亦山頂に魚見の櫓ありて其内より伺候ひ 魚の群集何万何千の数をも見さだめ 麾を打振りてかまいろ/\と呼はる(カマイロとは構へよとの転也)其時ダンベイといふ小船三艘出 一艘に三人宛 腰簑 襷 鉢巻にて飛がごとくに漕よせ 網の底に手を掛て引事 過半に及べば又山頂より麾を振るにつひて 数多のダンベイ打よせて 惣かゝりにひきあげ 網舟近くせまれば 魚浮騰して涌がごとし 漁子 熊手 鳶口のごとき物にて魚の頭に打付れば 弥驂ぎておのづから船中に踊り入れり 入尽きぬれば 網は又元のごとくに沈め置て 船のみ漕退也 尻に付たる袋には鰯二艘ばかりも満ぬれども 他魚には目をかくることなし 是は久しく沈没せる網なれば 苔むしたるを我巣のごとくになして居れりとぞ尚図に照らして見る
べし 
○又一法に釣りても捕るなり 是若州の術にて其針三寸ばかり 苧縄長百間 針口より一間程は又苧にて巻く也 是を鼠尾といふ 飼は鰹の腸を用ゆ 糸は桶へたぐりて竿に付ることなし 
○此魚頭大にして嘴尖り 鼻長く 口頤の下にあり 頬腮鉄兜のこ
(16) [ 進行中 ]
とく 頬の下に青斑あり 死後眼に血を出す 背に刺鬣あり 鱗なし 蒼黒にして肚白く雲母の如し 尾に岐有 硬して上大に下小なり 大なるもの一二丈 小なる者七八尺 肉肥て厚く 此魚頭に力あり 頭陸に向ひ 尾海に向ふ時は懸てこれを採り易し 是尾に力らなき故なり 煖に乗じて浮び 日を見て★来ける時は群をなせり 漁人これを捕て脂油を采り或は★に作る 
○鮪の字はシビに充ること 其義本草綱目 又字書の釈義に適はず されども和名抄は★書によりて魚の大小の名をも異にすること其故なきにしもあらざるべし 又日本記武烈記真鳥大臣の男の名 鮪と云に
自注 慈★とも訓せり 元より中華に海物を釈く事 甚粗成
ること 既に云がごとし 故に姑く鮪に隨て可なりともいはん シビの訓義未詳

○鰆
讃州に流し網にて捕 五月以後十月以前に多し 大なるもの長六七尺にも及ふ 漁子魚の集りたるを見て 数十艘を連ねて魚の後より漕まはり追ふことの甚しければ 魚漸労れ 馮虚として酔がごとし 其時崎に進みたる船より石を投けて いよ/\驚かし引かへして逃んとするの期を見さだめ 網をおろして一尾も洩すことなし 是を大網又しぼるとも云なり さて網をたくり★網にてすくひ取るなり ○鰆の字亦国俗の制なり 尤字書に春魚とあれども 纔に二三歩ばかりの微魚にてさらに充べからず 大和本草 馬鮫魚に充たり 曰魚大なれども腹小に狭し故に 狭腹と号く さは狭少なり ★書曰 青斑色 無鱗 有歯 其小者謂青箭云々 ○此子甚大なり 是を乾したるをカラスミといへり 即乾し子と云 但し鰡の子の乾子は是に勝る

○若狭鰈
(18) [ 進行中 ]
海岸より三十里ばかり沖にて捕るなり 其所を鰈場といひて 若狭 越前 敦賀三国の漁人ども手操網を用ゆ 海の深さ大抵五十尋 鰈は其底に住みて水上に浮む事稀なり 漁人三十石ばかりの船に 十二三人舟の左右にわかれ 帆を横にかけ其力を借りて網を引けり アバは水上に浮き イハは底に落て網を広めるなり 外に子細なし 網中に混り獲る物蟹多くして尤大也 
○塩蔵風乾 是をむし鰈と云は塩蒸なり 火気に触れし物にはあらず 先取得し鮮物を一夜塩水に浸し 半熟し又砂上に置き 藁薦を覆ひ温湿の気にて蒸して後 二枚づゝ尾を糸に繋ぎ 少し乾かし一日の止宿も忌みて即日京師に出す 其時節に於ては 日毎隔日の往還とはなれり 淡乾の品多しとはいへども 是天下の出類 雲上の珍美と云べし 
○同小鯛
是延縄を以て釣るなり 又せ縄とも云 縄の大さ一据ばかり 長さ一里ばかり 是に一尺ばかりの苧糸に針を附け 一尋/\を隔てゝ 縄に列ね附て 両端に樽の泛子を括り 差頃ありてかの泛子を目当に引あぐるに 百糸百尾を得て一も空しき物なし 飼は鯵 鯖 鰕等なり 同しく淡乾とするに其味亦鰈に勝る ○鱈を取にも此法を用ゆ也 ところにてはまころ小鯛と云
○他州鯛網
畿内以て佳品とする物明石鯛淡路鯛なり されとも讃州榎股に捕る事夥し 是等皆手操網を用ゆ 海中巌石多き所にては ブリといふものにて追て 便所に湊むブリとは薄板に糸をつけ 長き縄に多く列らね付け網を置くが如し ひき廻すれば ブリは水中に運転して 木の葉の散乱するが如きなれば 魚是に襲はれ 瞿々として中流に湛浮ひ ブリの中真に集るなり 此
(21) [ 進行中 ]
縄の一方に三艘の船を両端に繋く 初二艘は乗人三人にて 二人は縄を引き 一人は樫の棒或い槌を以て皷て魚の分散を防ぐ 此三艘の一ツをかつら船といひ 二を中船と云ひ 先に進むを網船といふ 網舟は乗人八人にて 一人は麾を打振り 七人は艪を採る 又一艘ブリ縄の真中の外に在て縄の沈まざるが為 又縄を付副て是をひかへ 乗人三人の内一人は縄を採り 一人は艪を採り 一人は麾を振りて 能程を示せば 先に進みし二艘の網船 ブリ縄の左の方より麾を振りて艪を押切り ひかへ舟の方へ漕よすれば ひかへ舟はブリ縄の中をさして漕ぎ入る 網舟は縄の左右へ分れて向ひ合せ ひかへ縄のあたりよりブリ縄にもたせかけて 網をブリの外面へすべらせおろし 弥双方より曳けば 是を見て初両端の二艘 縄を解放せば ひかえ舟の中へ是を手ぐりあげる 跡は網のみ漕よせ/\ 終に網舟二艘の港板を遺ちがへて打よせ引しぼるに 魚亦涌がごとく踊りあがり 網を潜きて頭を出し かしこに尾を震ひ 閃々として電光に異ならず 漁子是を儻網をもつて小取船へ★ひうつす 小取船は乗人三人皆艪を採て 礒の方へ漕でよするなり かくして捕るをごち網と云 
  右フリ縄の長凡三百二十尋 大網は十五尋 深さ中にて八尋 其次四尋 其次三尋なり 上品の苧の至て細きを以て 目は指七
さしなり アバあり泛子なし 重石は竹の輪を作り其中へ石を加へ 糸にて結ひ付て鼓のしらべのごとし 尤網を一畳二畳といひて 何畳も継合せて広くす 其結繋ぐの早業一瞬をも待たず 一畳とは幅四間に下垂十間ばかりなり 
○蛇骨と号る物同国白浜に多し故にまゝ此ごち網に混じ入りて得ること多し
(25) [ 進行中 ]
○比目魚と云は鰈の惣名なり 本草釈名 鞋底魚と云は ウシノシタ又クツゾコと云て種類なり 鰈の字これに適へり 若狭蒸鰈のことは大和本草に悉しくいへり 東国にてはヒラメと云 
○鯛は本草に載せず 是亦大和本草に悉し 故に略す 鯛の字此魚に充てつたへしこと久しけれとも是刺鬣魚を正字とす 神代巻に赤目と云 又延喜式に平魚と書しはタヒラの意なり 中にも若狭鯛はハナヲレ又レンコといひて身小にして薄し 色淡黄にして是一種なり ハナヲレの義未詳 他国の方言にヘイケ又ヒウダヒといふも ともに平魚の転なるべし 万葉九長歌 水の江の 浦島が子が 堅魚つり 鯛つりかねて 七日まて 下略 虫丸 

○.鯖〈さば〉
丹波 但馬 紀州熊野より出す 其ほか能登を名品とす 釣捕る法 何国も異なることなし 春夏秋の夜の空曇り 湖水立上り 海上霞たるを鯖日和と称して漁船数百艘打並ぶこと一里ばかり 又一里ばかりを隔て並ぶこと前のごとし 船ごとに二つの篝を照らし 万火☆々として天を焦す 漁子十尋ばかりの糸を苧にて巻き 琴の緒のごとき物に五文目位の鉛の重玉を付 鰯 鰕などを飼とし 竿に付ることなし 又但馬の国にては釣針もなく 只松明を振立 其影波浪を穿がごときに 魚隨て踊りておのれと船中に入れり 是又一奇術なり 船は常の漁船に少し大にして縁低し 越前尚大也 
○鯖の字 和名抄にアヲサバと訓ず 本草に青魚又鯖とあるは カドといひてニシンのことなり 其子をカズノコ ヌカトノコと云 サハの正字未詳 ○サハといふ義は大和本草に此魚牙小也 故に狭歯と云 狭は小也云々 東雅に云 古語に物の多く聚りたるをサバと云へば 若其儀にもやと云々 いづれか是なりとも知ず
(26) [ 確認中 ]
○牡蠣(一名 石花)
畿内に食する物皆芸州広島の産なり 尤名品とす播州 紀州 泉州等に出すものは大にして自然生なり 味佳ならず 又武州 参州 尾州にも出せり 広島に畜養て大坂に售る物 皆三年物なり 故其味過不及の論なし 畜ふ所は草津 爾保浦 たんな ゑは ひうな おふこ等の五六ヶ所なり 積みて大坂浜々に繋ぐ 数艘の中に草津爾浦より出る者十か七八にして其畜養する事至て多し 大坂に泊ること例歳十月より正月の末に至りて帰帆す
○畜養 畜所各城下より一里或は三里にも沖に及べり 干潮の時潟の砂上に大竹を以て垣を結ひ列ぬること凡一里ばかり 号てひびと云 高一丈余 長一丁ばかりを一口と定め 分限に任せて其数幾口も畜へり 垣の形はへの字の如く作り 三尺余の隙を所々に明て 
魚を其間に聚を捕也 ひゞは潮の来る毎に小き牡蠣又海苔の付て残るを二月より十月までの間は時々是を備中鍬にて掻落し 又五間或は十間四方ばかり 高さ一丈ばありの同しく竹垣にて結廻したる★の如き物の内の砂中一尺ばかり堀り埋み 畜ふこと三年にして成熟とす 海苔は広島海苔とて賞し 色/\の貝もとりて 中にもあさり貝多し 
○蚌蛤の類 皆胎生卵生なり 此物にして惟化生の自然物なり 石に付て動くことなければ 雌雄の道なし 皆牡なりとするが故に .牡蠣〈ぼれい〉と云 蠣とは其貝の粗大なるを云 石に付て磈★★つらなりて 房のごときを呼んで蠣房といふ 初め生ずるときは 唯一挙石のごときが四面漸く長じて一二丈に至る物も有なり 一房毎に内に肉一塊あり 大房の肉は馬蹄のごとし 小さきは人の指面のごとし 潮来れば諸房皆口を開き 小蟲の入るあれば 合せて腹に充ると云へり 
(28) [ 進行中 ]
又曰礒にありて 石に付て 多く重り山のごとくなるを★山と云 離れて小なるを梅花蠣と云 広島の物是なり 筑前にて是をウ
チ貝といふは内海の礒に在るによりてなり 又オキ貝 コロビ貝と云は
石に付かず 離れて大なるを云へり○又ナミマカシハと云あり 海浜に多し 形円にして薄く小なり 外は赤ふして.小刺〈はり〉あり 尤美
なり 好事の者は多く貯へて玩覧に備ふ 是韓保昇が説く所
★蠣是なり 歌書にスマカシハといふは蠣売の事なり 又仙人と
云あり 其殻に付く刺幅広きを云 又刺の長く一寸ばかりに多く
附く物を海菊と云 又むら雲のごとく刺なきものもあり その
色数種なり(右本草並諸房の説を採る)
○カキといふ訓はカケの転じたるなるべし 古歌に
みよしのゝ 岩のかけ道ふみならし とよめるはいま
俗に岳と云に同して云初めしにや 物の闕たると云も
其意にてともに方円の全からざる義なり 
○此殻をやきて灰となし壁をぬること本草に見へたり
○大和本草に高山の大石に蠣殻の付たるを論して挙たり これ又本草に云所にして 午山老人の討論あり いずれを是なりと
も知らざれば此に略す されども天地一元の寿数改変の時に付
たる殻なりと云も あまり迂遠なる説也

日本山海名産図会巻之三 終





 
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