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○造醸〈さけつくり〉

酒はこれ必ず聖作なるべし。その濫膓は宋★革が酒譜に論じてさだかならず。日本にては酒の古訓をキといふ。是則食饌と云儀なり。ケは
気なり(字音をもって和訓とすること例あり。器をケといふがごとし)。神に供し、君に献まつるをぱ尊みて
御酒といふ。又黒酒白酒といふは清酒濁酒の事といへり○サケといふ
訓儀は、マサケの略にて、サは助字ケは則キの通音なり。又一名ミワとも云。是は酒を造るを醸すといへば、力を略して味の字に冠らせ、古歌に、味酒の三輪、又三室といふ枕言なりと冠辞考にはいへり。されども、味酒の三輪、味酒の三室、味酒の神南備山、とのみよみて外に用ひてよみたる例なし。神南備、三室ともこれ三輪山の別名にて他にはあらず。是によりておもふに、万葉の味酒神奈備とよみしを本歌として、三輪三室ともに、神の在山なれば、神といふこゝろを通じて詠みたるなるべし。(ちはやふる神と云ふをちはやぶる加茂ちはやふる人とよみたる例のごとし)これによりて三輪の神松の尾の神をもつて酒の始祖神とするもその故なきにしもあらず、又日本紀崇神天皇八年、高橋邑人活日をもつて大神の掌酒とし、同十二月天王大田田根子をもつて、倭大国魂の神を祭らしむ、云く大国魂は大物主と謂て、三輪の神なり。
されば爰に掌酒をさだめて神を祭りはじめ給ひしと見えたり、
(今酒造家に★にかえて杉をぱ招牌とするはかた/゙\其縁なるへし)。又此後、大★鷯の御代に、韓国より参来し、
兄曽保利、弟曽保利は酒を造の才ありとて、麻呂を賜ひて酒看
良子と号し、山鹿ひめを給ひて酒看郎女とす。酒看酒部の姓是より
始まる 是より造酒の法精細と成て今天下日本の酒に及ぶ物なし。是穀気最上の御国なればなり。それが中に、摂州伊丹に醸するもの尤醇雄なりとて、普く舟車に載て台命にも応ぜり。依て御免の焼印
を許さる。今も遠国にては諸白をさして伊丹とのみ称し呼へり。
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伊丹酒造
米あらひの図
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されば伊丹は日本上酒の始めとも云ふへし。これまた古来久しきことにあらず。
元は文禄、慶長の頃より起こって、江府に売始しは伊丹隣郷鴻池村山
中氏の人なり。その起こる時は、纔五斗一石を醸して担ひ売りとし、あるいは二十
石三十石にも及びし時は、近国にだに売りあまりけるによりて、馬に負ふ
せてはるばる江府に鬻き、不図も多くの利を得て、その価を又馬に
乗せて帰りしに、江府ます/\繁盛に隨ひ、石高も限りなくなり、
富巨万をなせり継起る者猪名寺屋 升屋と云ひて是は伊丹に居住す。船
積運送のことは池田満願寺屋を始めとす。うち継いで醸家多くなりて、
今は伊丹、池田その外同国、西宮、兵庫、灘、今津などに造り出だせる物また
佳品なり。その余他国において所々その名を獲たるもの多しといへども、
各水士の一癖、家法の手練にて、百味人面のごとく、またつくし述べからず。又
酒を絞りて清酒とせしは、纔百三十年以来にて、その前はただ飯★を以
て漉たるのみなり。抑当世醸する酒は、新酒、

(秋彼岸ころよりつくり初める)間酒(新酒・寒前酒の間に作る)寒前酒○寒酒、(すへて日数も後程多く あたひも次第に高し)等なり。能中新酒は別して伊丹を名物として、その香芥いよいよ妙なり。これは秋八月彼岸の頃、吉日を撰み定めてその四日前に麹米を洗ひ初る(但し近年は九月節寒露前後よりはじむ)

酒母(むかしは麦にて造りたる物ゆへ 文字麹につくる中華の製は甚だむつかしけれども日本の法は便なり)
彼岸頃、☆入定日四日前の朝に 米を洗ひて水に潰すこと一日、翌日蒸して飯となして筵にあげ、柄械にて拌均し、人肌となるを候ひて不残槽に移し(とことは飯いれの箱なり)、筵をもって覆 土室のうちにおくことおよそ半日、午の刻ばかりに塊を摧 その時糵を加ふ事凡一石に二合ばかりなり。其夜八つ時分に槽より取出し、麹盆の真中へつんぼりと盛りて、十枚宛かさね置、明る日のうちに一度翻して、晩景を待て盆一ぱいに拌均し、又盆を角とりにかさねおけば、その夜七つ時には黄色白色の麹と成る。

.麹糵〈もやし〉
かならず古米を用ゆ、蒸して飯とし、一升に欅灰二合許を合せ、
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其二 麹醸 (11) [ 確認待 ]
筵幾重にも包て、室の棚へあげをく事 十日許にして、毛★を生するをみて、是を麹盆の真中へつんほりと盛りて後盆一はいに掻ならすこと二度許にして成るなり

醸酒★ (米五斗を一★といふ 一つ仕廻といふは一日一元づゝ片付行をいふなり 其余倚々は酒造家の分限に応ず)
定日三日前に米を出し、翌朝洗らひて漬し置き、翌朝飯に蒸て筵へあげてよく冷やし、半切八枚に配ち入るゝ (寒酒なれば六枚なり)米五斗に麹一斗七升 水四斗八升を加ふ(増減家々の法なり)半日ばかりに水の引を期として、手をもつてかきまはす、是を手元に云、よるに入て械にて摧く、是をやまおろしといふ、それより昼夜一時に一度宛拌まはす(是を仕ことゝといふ)三日をは往て
二石入の桶へ不残集め収め、三日を経れば泡を盛上る、是をあがりとも吹切とも云なり(此機を候ふこと丹練の妙ありてこゝを大事とす)これを又★をろしの半切二枚にわけて、二石入の桶ともに三つとなし、二時にありて筵につゝみ、凡六時許には其内自然の温気を生ずる(寒酒はあたゝめ桶に湯を入てもろみの中へきし入るゝ)を候ひて 械をもつて拌冷こと二三日の間是又一時拌なり是までと★と云


.酘〈そへ〉(右★の上/\米麹水をそへかけるをいふなり、是をかけ米又味ともいふ)
右の★を不残三尺桶へ集収め、其上て白米八斗六升五合の蒸飯、白米二斗六升五合の麹に、水七斗二升を加ふ、是を一★といふなり、同く昼夜一時拌にして三日目を中といふ、此時是を三尺桶二品にわけて 其上へ白米一石七斗二升五合の蒸飯、白米五斗ニ升五合の麹
に水一石二斗八升を加へて一時拌にして、翌日此半をわけて桶二本とす、是を大頒と云なり、同く一時拌にして、翌日又白米三石四斗四升の蒸飯、白米一石六斗の麹に水一石九斗ニ升を加ふ(八升はほんぶりといふ桶にて二十五杯なり)是を仕廻といふ、都合
米麹とも八石五斗水四石四斗となる、是より二三日四日を経て、★気を生ずるを待て、又拌そむる程を候伺に、其機發の時あるを以て大事とす、又一時拌として次第に冷し、冷め終るに至ては一日二度拌ともなる時を酒の成熟とはするなり、是を三尺桶
(12)
其三 酛おろし (13)
四本となして、およそ八、九日を経てあげ桶にてあげて、袋へ入れ★に満たしむる事、三百余より五百までを度とし、男柱に数々の石をかさねて次第に絞り、出づる所清酒なり。これを七寸といふ澄しの大桶に入て、四、五日を経て、その名をあらおり、又あらぱしりと云。是を四斗樽につめて出だすに、七斗五升を一駄として樽二つなり、凡十一、二駄となれり○右の法は、伊丹郷中一家の法をあらはすのみなり。この余は家々の秘事ありて 石数 分量等各大同小異あり、もっとも百年以前は八石位より八石四、五斗の仕込
にて、四、五十年前は精米八石八斗を極上とす、今極上と云ふは、九石余十石にも及へり。古今変遷、これまた云つくしがたし○すまし灰を加ふることは、下米酒、薄酒或は★酒の時にて、上酒に用ゆることはなし○間酒は、米の増方、むかしは新酒同前に三斗増なれども、いつの頃よりか一酛の酘、五升増、中の味一斗増、仕廻の増一斗五升増とするを佳方とす。寒前、寒酒、共にこれに准ずべし、間酒はもと入より四十余日、寒前は七十余日、寒酒八九十日にして酒をあくるなり、もつとも年の寒暖によりて、増減駆引日数の考へあること専用なりとぞ○ただし昔は新酒の前にボタイといふ製ありて、これを新酒とも云けり。今に山家はこの製のみなり。大坂などとても むかしは上酒は賤民の飲物にあらず、たま/\嗜むものは、其家にかのボタイ酒を醸せしことにありしを、今治世二百年に及んで、纔その日限りに暮らす者とても、飽くまで飲楽して陋巷に手を撃ち、万歳を唱、今其時にあひぬる有難さを、おもはずんぱあるべからず。


酛米は地廻りの古米、加賀、姫路、淡路、等を用ゆ、酘米は北国古米第一にて、秋田、加賀等をよしとす、寒前よりの元は、高槻、納米、淀、山方の新穀を用ゆ。
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其四 酘中大頒 (15) [ 確認待 ]
春杵

酛米は一人一日に四臼(一臼 一斗三升五合位) 酘米は一日五臼、上酒は四臼、極て精細ならしむ、もつとも古杵を忌みてこれを継くに尾張の五葉の木を用ゆ。木口窪くなれば、米大きに損ず故に、臼廻りの者時々にこれを候伺也。尾張
の木質和らかなるをよしとす。


洗浄米
初めに井の経水を汲涸し新水となし、一毫の滓穢も去りて、極々潔くす。半切一つに三人がかりにて水を更ること四十遍、寒酒は五十遍に及ぶ。

家言

○杜氏(○酒工の長なり。またおやちとも云。周の時に杜氏の人ありて、その後葉杜康といふ者、よく酒を醸するをもつて名を得たり。故に擬えて号く)

○衣紋(○麹工の長なり。花を作るの意をとるといへり。一説には、中華に麹をつくるは架下に起臥して、暫くも安眠なさざること七日、室の口に衛るの意にて衛門と云ふか)

醸具
半切二百枚余(各一つ仕廻に充てる)○酛おろし桶二十本余○三尺桶三本余○から臼十七、八棹○麹盆四百枚余○甑はかならず薩摩杉のまさ目を用ゆ 木理より息の洩るゝをよしとす、その余の桶は板目を用ゆ。○袋は十二石の★に三百八十位○薪入用
は一酛にて百三十貫目余なり。

製灰
豊後灰一斗に、本石灰四升五合入れ、よくもみぬき、壷へ入れ、さてはじめふるひたる灰粕にて、たれ水をこしらへ、すまし灰のしめりにもちゆ、もつとも口伝あり。

なをし灰
本石灰一斗に豊後灰四升、鍋にていりてしめりを加へ用ゆ 
○囲酒に火をいるゝは入梅の前をよしとす。

味醂酎
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其五 もろみを袋にいれて★に積 酒あげすましの図 (17) [ 確認待 ]
焼酎十石に糯白米九石二斗、米麹二石八斗を桶一本に醸す。翌日械を加へ、四日目五日目と七度ばかり拌きて、春なれば二十五日程を期とすなり。昔は七日目に拌きたるなり○本直しは焼酎十石に糯白米二斗八升、米麹一石二斗にて、醸法味醂のごとし 

醸酢
黒米二斗、一夜水に漬して、蒸飯を和熱のまま甑より造り桶へ移し、麹六斗水一石を投じ、蓋して息の洩れざるやうに筵菰にて桶をつつみ纒ひ、七日を経て蓋をひらき拌きて、また元のごとく蓋して、七日目ごとに七、八度づつ拌きて、六、七十日の成熟を候ひて、後酒を絞るに同じ(酢は食用の費用はすくなし、紅粉、昆布、染色などに用ゆること至って夥し) これまた水土家法の品多し、中にも和州小川、紀の国の粉川、兵庫北風、豊後船井、相州、駿州の物など名産すくなからず。

袋洗○新酒成就の後、猪名川の流れに袋を濯ふ。その頃を待て、近郷の賤民この洗瀝を乞えり。その味うすき醴のごとし、これまた佗に異なり。俳人鬼貫、
賤の女や袋あらひの水の汁

愛宕祭○七月二十四日、愛宕火とて伊丹本町通りに燈を照らし、好事の作り物など営みて、天満天神の川祓にもをさをさおとることなし。この日酒家の蔵立等の大なるを見んとて、四方より群集す、是を題して宗因、
天も燈に酔りいたみの大燈篭
酒家の雇人、此日より百日の期を定めて抱へさだむるの日にして、丹波、丹後の困人多く輻湊すなり。
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石品
石は山の骨なり。物理論云 土精石となる 石は気の核なり 気の石を生ずるは人の筋絡爪牙のごとし云々 されどもその石質においては、万国万山の物悉く等しからず。是風土の変更なれば すなはち気をもって生ずることしかり。又 草木魚介 皆よく化して石となれり 本草に松化石 宋書に柏化石、稗史に竹化石あり 代酔編に 陽泉夫余山の北にある清流数十歩 草木を涵て皆化して石となる またイタリヤの内の一国に一異泉あり 何の物といふことなく、その中に墜れば半月にして便ち石皮を生じ その物を.裏〈ツツ〉む また欧耀巴の西国に一湖有り 木を内に挿さんで土に入る 一段化して鉄となる 水中は一段化して石となるといへり 本朝またかかる所多し 凡寒国の海浜湖涯いづれもしかり すべて器物等の化石もその所になると知るべし また石に鞭うちて雨を降し 雨をやむる陰陽石ありて 日本にて宝
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宝亀七年、仁和元年、及び『東鑑』等にもその例
亀七年 仁和元年及東鑑等にもその例見えたり 江州石山は本草にいへる陽起石にて天下の奇巌たり また日本紀 雄略の皇女 伊勢斎宮にたたせ給ひしに 邪陰の御うたがひによりて 皇女の腹中を開かせたまひしに 物ありて水のごとし 水中に石ありといふことみゆ。これ医書に云ふ石疵なるべし。然ば物の凝なること 理においては一なり 品類においては、鍾乳石 磁石 ★石 滑石 ★石・消石 方解石 寒水石 浮石 其余の奇石 怪石 動物などは、曩に近江の人の輯作せる雲根志に尽きぬれば 悉く弁ずるに及ばず。
○イシといふ和訓はシといふが本語にてシマリシツム 俗にシツカリなどのごとく物の凝り定りたるの意なり○イハとは石歯なり 盤の字を書きならへり かならず大石にて歯牙のごとく健利の意なり○イハホとは巌の字を充てゝ詩経誰石巌々といひておなじく尖利立たる意なり 万葉には石穂とかきて秀出るの議なり 又いはほろともいへり かたがた転して 惣てをいしともいはともいはほとも通じていへり○日本にして器用に造る物すくなからず 能中 五畿内 西国に産るがうちに御影石 立山石 豊島石等は材用に施し 人用に益して翫物にあらず故に其三四箇条を下に挙て其余を略す○和泉石は色必ず青く 石理精にして碑文等を刻す 又阿州より近年出だすものこれに類す その石 ねぶ川に似て 色緑に石の形片たるがごとし。石質は硬からず また城州にては 鞍馬石 加茂川石 清閑寺石等これを庭中の飛石 捨石に置きて 水を保たせ 濡色を賞し 凡て貴人茶客の翫物に備ふ 
○豊島石
大坂より五十里 讃州小豆島の辺にて 廻環三里の島山なり 家の浦 かろうと村 こう村の三村あり 家の浦は家数三百軒ばかり かろうと村 こう村は各百七八十軒ばかり 中にもかろうとより出る物は少し硬くして 鳥井 土居の類これを以て造製す さてこの山は他山にことかはりて 山の表より打切掘取るにはあらず ただ山に穴して金山の坑場に似たり 洞口を開きて奥深く掘入り 敷口を縦横に
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讃州豊島石 (5) [ 確認待 ]
切り抜き 十町二十町の道をなす 採工松明を照らしぬれば 穴中真黒にして 石共土とも分かちがたく 採工も常の人色とは異なり。かく掘り入ることを如何となれば。 
元此石には皮ありて至って硬し。是今ねぶ川と号て出だす物にて(本ねぶ川は伊予なり)矢を入れ破り取るにまかせず。ただ幾重にも片ぎわるのみなり。流布の豊島石はその石の実なり。故に皮を除けて掘入る事しかり。中にも家の浦には敷穴七つ有。されども一山を越えて帰る所なれば 器物の大抵を山中に製して担ひ出だせり 水筒。水走。火炉。一つ竈などの類にて。格別大なる物はなし。こう村は漁村なれども 石もかろうとの南より掘出す。石工は山下
に群居す。ただし讃州の山は悉くこの石のみにて。弥谷善通寺大師の岩窟もこの石にて造れり。

○石理は 磊落のあつまり凝たるがごとし。浮石に似て石理★なり。故 水盥などに製しては。水漏りて保つことなし。されども火に触れては損壊せず。下野宇都宮に出だせるもの この石に似て。少しは美なり。浮石は海中の沫の化したる物にて 伊予 薩摩。 紀州。相模に産す。されば此山も海中の島山なれば 開關以後 汐
の凝りたる物ともうたがはれ侍る 塩飽の名も 若は塩泡の転じたるにか○塩飽石は御留山となりて 今夫と号くる物は多く貝附を賞す これその辺の磯石にて石理粋米のごとくにて質は硬し 飛石 水鉢 捨石等に用て早く苔の生ふるを詮とす 磯石は波に穿たれ★★異形を珍重す 
○御影石
摂州武庫 菟原の二郡の山谷より出だせり。山下の海浜 御影村に石工ありて。これを器物にも製して積出だす故に御影石とはいへり。御影山の名は、城州加茂 あふひを採る山にして。この国に山名あるにあらず。ただ村中に御影の松有りて 続古今集に基俊卿の古詠あり 元この山は海浜にて 往昔は牛車などに負ふすることはなかりしに。今は海渚次第に侵埋て山に遠ざかり。石も山口の物は取り尽ぬれば。今は奥深く採りて 二十丁も上の住よし村より牛車を以て継いで御影村へ出せり。有馬街道生瀬川原などの石も この奥山とはなれり。この上品の
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石といふは至って色白く黒文なし これは昔に出でて 今は鮮し。されどもその費用をだに厭はずして。高嶽深谷に入ては。得ざるべきにあらずといへども。運送車力の便なき所のみ多し 
○石質 文理は京白川石に似て至て硬し 故に器物に制するに。微細の稜尖も手練に応ず。白川は酒落して工に任せず。石工大なる物に至つては 難波天王寺の鳥井などをはじめ 城廓 石榔 仏像 墓碑 築垣に造り 琢磨しては皮膚のごとし。これ万代不易の器材。天下の至宝なり
○品数 直塊は。大鉢。中鉢。小鉢。(鉢とは手水鉢に用ゆるにより本語とはすれども、柱礎 溝石などをはじめその用多し)頭無は大さ大抵一尺五六寸にして その上の物を一つ石と号く。また六人といふは、一荷に六づつ担ふの名なり。栗石は小石にして。大雨の時には山谷に転び落つる物ゆえ石に稜なし これは鉢前 蒔石等に用ゆ(石をくりといふこと 応神記の歌に見えたり また万葉集に興津いくりともよみて山陰道の俗語なりともいへり。大小にかかはらずいふとぞ)
割石は大割 中割 小割 延条(長く切りたる石なり) 蓋石(大抵長二尺ばかり 幅一尺一、二寸、厚三、四寸) いづれも築垣 
橋台 石橋 庭砌 土居などその用多 また石橋に架る物別に 河州より出だす石も有るなり○切り取るには矢穴を掘りて 矢を入れ なげ石をもつてひゞきの入りたるを 手鉾を以て離し取を打附割といふ また横一文字に割るをすくい割とはいふなり 

○龍山石
播州に産して 一山一塊の石なる故に樹木すくなし 往々この石山多けれども。運送の便よき所を切出して。今は掘採るやうになれども。運送不便の山はいたづらに存して切り入る事なし。石の宝殿は すなはち立山石にして。その辺を便所として専ら切出し 採法すべてかはることなし。故に図も略せり。色は五彩を混ず 切りて形を成す事。皆方条にのみあり。溝渠。河水の涯岸 あるいは界壁の敷石。敷居の土居 庭砌等の用に抵てて。他の器物に製することなし。大きさは三、四尺より七、八尺にも及び 方五寸に六寸の物を。五六といひ。五寸に七寸を。五七といひて。尚大なる品数あり(麓の塩市村に石工あり 南の尾崎に竜が端といひて竜頭に似た
る石あり。ゆゑに竜山といふ)
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○砥礪(精かなるものを砥といひ 粗きものを礪といふ)
諺に砥は王城五里を離れず。帝都に随ひて。産すと云も。空ことにもあらすかし。昔和州春日山の奥より。出せし白色の物は刀劔の磨石なりしが。今は掘ことなく其跡のみ残れり。今は城州嵯峨辺 鳴滝 高尾に出す物。天下の上品尤他に類鮮し。是山城丹波の境原山に産して。内曇又浅黄ともいふ、又丹波の白谷にも出り 是等ともに刀劔の磨石或は剃刀其余大工小工皆是を用ゆ。又上州戸澤砥は。水を用ひずして磨べき上品にて、三河名倉砥は淡白色に斑あり。越前砥は俗に。常慶寺と唱ふるもの。内曇には劣れり 以上磨石の品にして本草是を越砥と云(いつれも。石に皮あり。山より出す時は。四方に長く切りて馬に四品宛負ふすを規矩とす)
○青砥は 平尾 杣田 南村 門前 中村 井手黒 湯船等なり 中にも南村 門前は京より七里ばかり東北にありて周廻七里の山なり 丹波に猪倉 佐伯 芦野山 扇谷 長谷 大渕 岩谷 宮川 其外品数多 肥前に天草 予州に白赤等 すべてを中砥とも云 尤各美悪の品級盡く弁ずるに遑あらず 右 磨石 中砥ともに皆山の土石に接る物なれば山口に坑場を穿 深く堀入て所々に窓をひらき 栄螺の燈を携へて 石苗を逐ひ 全く金山の礦を採るに等し 石尽きぬれば かの楮架木を取捨て 其山を崩せり 故に常も穴中崩るべきやうに見へて恐ろしく 其職工にあらざる者は窺ふて身の毛を立てり○石質によりて其工用に充るものは下に別記す 中にも鏡磨 又塗物の節磨くには対馬の虫喰砥なり 是水に入りては 破割物なれば 刀磨には用いざれども 銀細工の鋳方には適用とす ただし網の鎮金などを鋳る★には伊予の白砥を用ゆ 此白砥は又一奇品にして谷中に散集りし石屑久敷すれば ともに和合し 再たび一顆塊の全石となるなり 故に 偶木の葉を挿て和合し 奇石の木の葉石となるもの多くは此山に得る所なり
○礪石 肥前の唐津紋口 紀州茅が中 神子が浜 或は豫州に
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出だすものは石理やや精し これ等皆掘取るにはあらず、一塊を山下へ切り落とし、それを幾千挺の数にも頒ちて出だす 

○工用は 刀剣鍛冶に台口磨工に青茅 白馬 茶神子 天草 伊予また浄慶寺等 次第に精を経て 猪倉 内曇に合はせて後 上引をもつて青雲の光艶を出す(上引とは内曇りの石屑なり ただし鳴滝の地地艶ともいひて 猪倉の前に用ゆることあり 是をカキともいふ)

○剃刀は 荒磨を 唐津 白馬 青神子 茶神子 天草に抵てて 鳴滝 高尾等に合はせ用ゆ ○庖丁は たばこ庖丁は台口 中砥 平尾 杣田等に磨て 磨石には及ばず また薄刃 菜刀の類は 荒磨は台口 白馬 青神子 茶神子 白伊予 上は引にて色付とす 

○銭は 唐津 神子浜に磨ぎて 予州の赤にて瑳けり 

○大工並びに箱細工 指物等は 門前 平尾 杣田の青砥にかけて 鳴滝 高尾等に磨す○料理庖丁は山城の青 ○小刀は南村 ○竹細工は天草
○針 毛抜は 荒磨を土佐にて予州白赤に瑳く○形彫は予州の白○紙裁は杣田 大抵かくのごとし 凡工用とする所 硬き物は柔和なるに抵て 柔軟かなるは硬きに磨とはいへども たゞ金質 石質相和する自然ありて一概には定めがたし 

芝菌品
地に生ふるを菌また★といふ。木に生ふるを★と云ふ。菌は和名★タケ ★をキノミミと訓り 菌に数種あり 木菌(キクラゲの類)士菌(つちより生ずる類)石菌(イハタケの類)等にして品数甚だ多し 是宋人 陳仁玉 菌譜を著して甚だ詳かなり。 本草に云くおよそ菌六、七月の間、湿熱蒸して山中に生ずる者 甘く滑らかにして食ふへし云々 しかれども 菌譜 本草に載するもの 本朝に在所多くは同しからずして悉くは弁じがたし○これを俗にクサビラとはいへども 和名抄にては菜蔬をクサビラといへり 中国及び九州の方言には なはといふ 尾張辺にはみゝと云。
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○さい鋤たけ(俗に霊芝ぁxtといふ.一名、科名草・不死草・福
○.芝〈サイイハイタケ〉(俗に霊芝といふ一名 科名草 不死草 福草 ○和訓ヌカトデタケ○サキクサ)
本草に五色芝といふ仙薬なり 商山の四皓芝を採茄てより、群仙の服食とす。また五色の外に紫芝あり 以上六芝に分かつ 中にも紫芝は多し 地上に生じて沙石中 あるいは松樹下などに一度生ずれば幾年も同所に生ず 初生黄色にて 日を経て赤色を帯び 長じて紫褐色 茎黒して光沢あり 笠の裏きれず滑らかなり 味ひ五色に五味を備ふ これ一歳に三度花さくの瑞草にて 日本延喜式にも祥
瑞の部に見たり 瑞命礼に 王者仁慈なれば芝草生ずといふはこれなり○その形一本離れて生ふるあり また叢り生ずるもあり また一茎に重なり生してマヒタケのごとき物あり また茎枝を生じて傘あるもあり またかさなく 茎のみ生じて 長三尺ばかりに枝を生じ 鹿の角のごときもあり これ鹿角芝といふ奇品にして 先年伊勢の山中に出す 凡て芝の品類六百種ばかり 尚奇品の物 本草綱
目に委し○丹波にては首途を祝ひてこれを贈る 伊勢にて万年たけといひて、正月の辛盤に飾り 江戸にはネコジャクシといひ 仙台にてはマゴジャクシといひて痘瘡を掻くなり。
.胡孫眼〈サルノコシカケ〉是芝の種類也 木に生じて茎なし 大なるもの四五尺にも及ぶ也

 ○香茸 ○一名 香菰 香菌 処茸
日向の産を上品とす 多くは熊野辺にも出せり 椎の木に生ずるを本条とす ただし自然生のものは少し 故にこれを造るに椎の木を伐りて 雨に朽たし 米★を沃ぎて薦を覆ひ日を経て生ず 又儲の木を伐りて作るもあり 採りて日に乾かさず 炙り乾かす故に 香気全し 又生乾しとは 木に生ひながら乾かしたるものにて 香味甚だ佳美なり これを漢名家茸といふ 形松茸のごとく 茎正中に着くものを真とす また漢に雷
(13)
菌といふ物あり。疑ふらくは作り蕈の類なるべし 通雅云 椿 楡 構杯を斧をもつてうち釿り その皮を久しく雨に燗かし 米潘を沃ぎ 雷の音を聞けは蕈を生ず 若 雷鳴らざる時は大斧をもってこれを撃てば たちまち蕈を生ずと云り これ香蕈を作る法のごとし 今 和州吉野 又伊勢山などに作り出だせるもの 日向には勝れり 其法は 扶移の樹を多伐りて一所にあつめ 少し士に埋め 垣を結まはして風を厭ひ そのまま晴雨に暴すこと 凡一年ばかり 程よく腐燗したるを候ひて かの斧をもち撃ちて 目を入れ置くのみにて米★を沃ぐこともなし されども其始て生ふるのは すくなく大抵三年の後を十分の盛りとし それより毎年に生ふるはすく
なければ 又斧を入れつゝ年を重ぬなり 春夏秋と出て冬はなし 其内 春の物を上品として春香と称す 夏は傘薄く味も劣れり 又別に雪香と云て絶品の物は縁も厚く 形勢も全備へり 是は春香の内より撰出せるものにて裏なども潔白なるを称せり

○石茸(一名 石芝)
熊野天狗峯の絶頂に大巌あり その上に多く生ず 皆山石上の嶮にあり 夏月火熱の時は甚小にして 松の★のごとし 面黒色 裏青色 形木茸に似て茎なし 黒き所岩につきて生ず これを採るには梯をかけ 縄にすがり 或は畚に乗りて 木の枝より釣下りなどの所為は図のごとし よそめのおそろしさには似ず 猿の木づたふよりもやすし 鶯の子もかくのごとくして採るといへり 今又吉野より出づるものを上品とす 

附記
この余 蕈の品甚多し○松蕈は山州の産をよしとす 大凡 牝松にあらざれぱ生ぜず。故に西国には牡松多き故 松蕈少なくして茯
(14) [ 確認待 ]
苓多し 京畿は牝松多きがゆへに 蕈多くして茯苓少なし○金菌は冬春の間に生じて、松蕈に似て小なり○玉箪○布引箪○初蕈裏は緑青のごとし 尾張辺にてはあをはちといふ○滑蕈 西国にては水たたきといふて冬生ず○天花蕈高野 より多く出し 諸木ともに生ず
○舞蕈 ひらたけに似て一茎に多く重なり生ず 針のごとし 小にして尖は紫なり○木茸は樹の皮に附きて生じ 初生は淡黄色に赤色を帯たり 採りて乾かせば黒色に変ず 日本にて接骨木に生ずるを上品とす○桑蕈は二種ありて かたきは桑の樹の胡孫眼なり 軟かなるは食用の木茸なり この余、槐 楡 柳 楊櫨などに皆蕈を生ず○杉蕈は杉の切株に生じ ひらたけに似て深山に多し○葛花菜 葛の精花にして紅菌もこの種類なり これに一種春生ずるものを
鶯菌 又ささたけといひ 丹波にて赤蕈 南都にて仕丁たけ等の名あり○★菌は蘆萩の中にせうずる玉蕈なり 九月頃にあり ○蜀格はハリタケとも云へり。常の針蕈には異なり 本条は傘を張りて生じ かさの裏に針有 色白味苦し ○地茸は陰地丘陵の樹の根に多く生ず 脚短く多重生ず 面黒く 茶褐色の毛あり。裏白くして刻なし 皮蕈は色黒くして此同種なり。黒皮たけも是に同し○蕈類大抵右のごとし この余毒有りて食用にせざるもの多し あるひは竹
★竹林中に生し 土菌はキツネノカラカサともいひて 是にも鬼蓋地岑鬼筆の種類あり 

○蜂蜜(一名百花精 百花★)
○凡蜜を醸する所諸国皆有 中にも紀州熊野を第一とす 芸州是に亜ぐ 其外勢州 尾州 土州 石州 筑前 伊豫 丹波 丹後 出雲などに昔より出せり 又舶来の蜜あり下品なり 是は砂糖又白砂糖にて製す 是を試るに 和産の物は煎ずれば蜂おのづから聚り 舶来
(16) [ 進行中 ]
の物は聚まることなく これをもって知る○蜜は 夏月 蜂脾の中に貯へて 己が冬籠りの食物とせんがためなり 一種人家に自然に脾を結び その中に貯はふ物を山蜜といふ 又大樹の洞中に脾を結び貯はふを木蜜といふ 以上 熊野にては山蜜といひて上品とす 又 巌石間中に貯はふ物を石蜜と云ふ また家に養て採る蜜は 毎年脾を采り去る故に気味薄く これを家蜜といふ 脾を炎天に乾かし 下に器を承けて解け流るる物を たれ蜜といひて上品なり 漢名石蜜(一法槽に入れて火を以て焚きて取なり ただし火気の文武毫厘の問を候ふこと大事あり) 又 脾を取り潰し蜂の子ともに研水を入れ 煎じて絞り採るを絞りといふ(漢名、熟蜜) 凡蜜に定まる色なし 皆方角の花の性によりて数色に変ず

○畜家蜂(漢名 花賊 蜜宦 王腰奴 花媒)
家に畜はんと欲すれば 先づ桶にても箱にても作り その中に酒 砂糖 水などを沃ぎ 蓋に孔を多くあけて 大樹の洞中に結びし巣の傍に置けば 蜂おのづからその中へ移るを 持帰りて蓋を更ためて ★端或は★下に懸置くなり この箱桶の大きさに規矩あり されども諸州等しからず 先 九州辺一家の法を聞くに 箱なれば九寸四方 竪二尺九寸にして これを竪に掛くるなり あるいは斜横と、畜ふ家の考へあり その箱の材は香のある物を忌みて かならず松の古木を用ひ これまた鋸のみにて鉋に削ることを忌む 板の厚さ四歩ばかり 両方の耳を随分かたく造り つよく縄をかけざれば 後には甚だ重くなりて おのづから落ち損ずることあり 戸は
上下二枚にして 下の戸の上に一歩八厘 横四寸ばかりの隙穴を開きて 蜂の出入りの口とす 若 一、二厘も広く開くれば 山蜂など隙より窺ひて 大きに蜜蜂を擾乱す 又大王の出にも 此穴よりして 凡小き物なり 箱の数は家毎に三、四を限りて其余は隣家の軒を往々借りて畜ふ。

○造脾 尋常の房の鐘の如き物にあらず 穴も下に向ふことなく只箱一はゐに造り 穴は横に向ふて人家の鳩の家の如し 先
(18) [ 進行中 ]
箱の内の上より半月のごとき物を造りはじめ 継で下一はひ両脇共に盈しむ 其厚凡一寸八歩或二寸ばかり 両面より六角の孔数多を開き 柘榴の膜に似て孔深 八九歩是のごとき物を幾重も製りて 其脾と脾との間 纔 人の指の通る程宛の隙あり 蜂其隙に入には下より潜なり 全体脾を下迄は盈さずあればなり 脾の形或は正面或は横斜などにて大抵同じ其孔には子を生み 又蜜を貯へ 又子の食物の花を貯はふ 又子成育して飛んで出入するに及べば 其跡の孔へも亦蜜を貯はふ 凡蜜 はじめは甚だ淡しき露なり 吐積んで日を経れば 甘芳日毎に進むこと 実に人の酒を醸するに等し 既に露孔に盈る時 其表を閉て 一滴一気を漏らすことなく蜂の数多ければ気味も厚し 
○蜂は小なり 大きさ五歩ばかり マルハチに似て黄に黒色を帯 多群て花をとる 物は巣を造ず 巣を造ものは花を採らず 時々入替りて其焼くをあらたむ 夫が中に蜂王といひて 大きなる蜂一つあり 其王の居所は黒蜂の巣の下に一台をかまふ 是を台といふ その王の子は世々継て王となりて元より花を採ることなく毎日群蜂輪値に花を採りて王に供す 是一桶に一★のみなるに子を産むこと
雌雄ある物に同じ道理においては希異なり 群蜂是に従侍すること実に玉体に向がごとし 又黒蜂十ばかりありて是を細工人と呼ぶ 孔口を守りて衆蜂の出入を検め 若花を持たずして孔に入らんとするものあれば 其懈怠を責て敢て入ることを許さず 若再三に怠る者 遂に★殺して軍令を行ふに異ならず 凡家にあるも野にあるも 儀においては同じ
○頒脾 大王の子成育に至れば 飛んで孔を出るに 群蜂半従がふて 恰も天子の行幸のごとく擁衛甚厳重なり 其飛行と大抵五間より十間の程にして木の枝に取附は其背 其腹に重なり留りて枝より垂たるごとく一団に凝集り 大王其中に 楯のごとく裏まる 畜人是を逐て 
(19) [ 進行中 ]
袋を群蜂の下に承けて 羽箒を以て枝の下を掃がごとくに切落せば一団のまゝにて其袋中へおつる 其音至って重きがごとし(今世 此袋を籠にて作りて衆蜂の気を洩さしむ さなくては蜂死ること多し)是を用意の箱に移し畜なふを脾わかれといふて人の分家するに等し 若其の一団の袋へ落るに早く飛放る者ありて大王の従行に洩れて其至る所を知らず 又原の巣へ飛帰る時は衆蜂敢て孔に入ることを不許 争ひ起て是を★殺し其不忠を正すに似たり 見る人慙愧して歎涙を流せり 又八つさはぎとて 昼八つ時には衆蜂不残桶之外に現はれて悄羽根を鳴すことあり 三月頃 蜂の分散する時 彼王一群ごとの中に必一つあり 巣中に王三つある時は 群飛も三つにわたる 其時畜なふ人水沃ぎて其翅を湿せば 蜂外へ分散せず 皆元の器中へ還る故に年々畜なふといへり

○割★取蜜 是を採るには蕎麦の花の凋む時を十分甘芳の成熟とす 採らんと欲する時は先蓋をホト/\叩けば 蜂皆脾の後に移其時巣の三分のニを切採 三分が一を残せば 再其巣を補 原のごとし かく採ること幾度といふことなし 冬に至ば脾ともに煎じて熟蜜とす○一種土蜂と云て大さ五分ばかり土を深く穿 其中に脾を結ぶ 是にも蜜あり 南部是をデツチスガリといふ 但しスガリは蜜の古訓なり 古今集離別に すがるなく 秋の萩原あさたちて たび行人をいつとかまたん 又深山崖石上に自然のもの数歳を経て已熟する者あれば土人長き竿をもつて刺て蜜を流し 採る或は年を経ざるものも板縁取れり 凡箱に畜なふもの絞り 蜜ともに二十斤(百六十目一斤)蜜蝋二斤を得るなり 此ニ斤のあたひを以て桶箱修造の費用に抵足れりとす
○蜜蝋 (一名 黄★)
是黄蝋といふ物にて即ち蜂の脾なり 其脾を絞りたる滓なり 蜜より蝋を取るには 生蜜を采たるに後の巣を鍋に入れ水にて煎じ 
(20) [ 進行中 ]
沸たる時 別の器に冷水を盛りて 其上に籃を置きかの煎じたるを移せば 滓は籃に留りて 蝋は下の器の水面に浮かふ 夫を又陶器に入れて 重湯とすれば自然に結びてろうとなるなり 又熟蜜をとる時 鍋にて沸せば蜜は上に浮び蝋は中に在 脚は底にあり 是を采り冷しても自然に黄蝋に結ぶ

○会津蝋
本草蟲白蝋といひて奥州会津に採る蝋なり 是はイボクラヒといふ虫を畜なふて水蝋樹といふ木の上に放せば自然に枝の間に蝋を生して 至て色白く其虫は奥州にのみありて他国になく故に形を詳らかにせず 今他国に白蝋といふものは漆の樹などの蝋を暴したる白色なり また薬店にて外療に用いる白蝋といふも 蜜蝋の暴したるにて是又真にあらず 水蝋樹といふ木は処々に多し 葉は忍冬に似て小なり 夏は枝の末ことに小白花を開らき 花の後実を生ず 熟して色黒く鼠の屎のことく冬は葉おつる 又此蝋を刀剣に塗れは 久しくして錆を生ぜず 又疣に貼れば自から落故にイホオトシの名あり 今蝋屋に售る会津蝋といふ物 真偽おぼつかなし 

〇鯢
渓澗水に生ず 牛尾魚に似て口大なり 茶褐色にして甲に斑文あり 能く水を離れて陸地を行く 大なるものは三尺ばかり 甚山椒の気あり 又椒樹に上り樹の皮を採り食 此魚畜おけは夜啼て小児の声のごとく性至て強き物にて常に小池に畜ひ用ゆべき 時其半身を裁断 其半を復小池へ放ちおけば 自づから肉を生じ元の全身となる故に 作州の方言にハンサキといふ 又其去たる川も久しく 
 
(21) [ 確認待 ]
して尚動なりといへり 〇別に一種箱根の山椒魚といふものあり 小魚なり 越後にてセングハンウヲといふ 其形水蜥蜴に似て腹も赤し故にアカハラともいふ 乾物として出し小児の疳虫を治す 物理小識に、閩高の源に黒魚ありとは是なり 今相州 信州軽井沢和田の辺より出る物もかのいもりのごとき物にて 夜る滝の左右の岩を攀上なり 土人是を採るに木綿袋にて玉網のごときものゝ底を巾着の口のごとくにて松明を照らして魚を上るを候ひ 袋をさし附けて自から入るを取りて袋の尻を解き壺へ納む 又丹波 但馬 土佐よりも出せり〇本草に一種★魚といふもの おなじく山椒魚ともいへども是は人魚なり 河中及び湖水に生す 形★魚に似て翅長く手足のごとし 又時珎の★神録に載する所の物は 華考の海人魚なり 紅毛人此海人魚の骨持来りて蛮名へイシムルト云 甚偽もの多し 
○ 葛 葛穀 一名鹿豆
蔓草なり 根を食 是を葛根といふ 粉とするを葛粉といふ 吉野より出すもの上品とす 今は紀州に六郎太夫といふを賞す もつとも佳味なり 是全く他物と加わへざるゆへなるべし 草は山野とも自然生多く 中華には家園に種えて家葛と云 野生のものを野葛といふ 日本にては家園に栽ゆることなし 葉は遍豆に似て三葉一所に着て三尖小豆の葉のごときもあり 茎葉とも毛茸ありて七月ころ紫赤の花を開きて紫藤花のごとし 穂を成して下に垂れる長三寸ばかり莢を結て 是又毛あり 冬月根を堀りて石盤にて打★き汁を去り 金杵にてよく★細屑末となして水飛数度に飽かしめ 盆を盛りて日に暴し桶に納めて出す(和方書是を水粉といふ)○葛根は薬肆に生乾暴乾の二品あり○蔓は水に浸し皮を去り編連 
(23) [ 進行中 ]
ねて器とし是を葛簏といひて水口に製するもの是なり 葛篭は蔓をつらねたるの名なり○葛布は蔓を似て苧のごとく裂 紡績て織なり 詩経に★★と云は ★は細糸 ★は太き糸にて 古中華に織もの今の越後縮のごときもありと見たへり○クスと云は細屑の儀にて水粉につきての名にして草の本名は.葛〈フヂ〉なり フヂは即鞭なり 古製是をもつて鞭とす 故に号て喪服を.葛〈フヂ〉衣といふは葛布なればなり これ蔓葉根花皮ともに民用に益あり 故に遠村の民は親属手を携え山居して堀食ひ 高く生ひて粉なき時は山下に出てこれを紡績す 皆人に益し救ふ事五穀に亞げり○蕨根も亦是に亞きて 同しく水粉とす 其品は賤しけれども人の飢を救ふにおゐてはその功用変ることなし 伯夷 叔斎が首陽の山居も此によりて生を保てり(偽物は生麩をくわへて制し味甚だ佳ならす)

○此余葛粉の功用甚多し 或は餅又は水麺に制し 白粉に和し 糊に適し 料理の調味なとさまざま人に益す ○或書云 葛よく毒を除くといへども其根土に入ること五六寸以上を葛胆といひてこれ頸なり これを服すれば人に吐せしむ 

○.山蛤〈アカカヘル〉
山城嵯峨又は丹波 播州小夜の山より多く出す 又摂津神崎の辺にも出せども其性宜しからず 凡笹原茅野原のくまにありて 是をとるには小き網にて伏 又唐網のごとくなる物の竜頭を両手に挟みこまを廻すことくひねりて打は 網きりゝとまはりて三尺四寸ばかりに広がるなり かくし得て腸を抜き 乾物として出す 其色桃色繻子のごとし 手足甚長く目は扇の要に似たり 但し今市中に售るもの偽物多し○本草綱目に山蛤は蝦蟇より大きく色黄なりとありて 日本の物には符合せず 国を異にするのゆへもあるか 大和本草
(25) [ 進行中 ]
に長明無名抄を引て 井堤の蛙是なり 晩に鳴きて常のかわづに変れり 色黒き様にて大きにもあらずといふて山蛤に充てたるはおぼつかなし 
○嬰萸虫(木の一名 野葡萄)
山城国鷹が峯に出る物上品とす 蔓葉花実ともに葡萄に異なることなし 詩経六月薁を食とは是なり 春月萌芽を出して三月黄白の小花穂をなす 七八月実を結ぶ 小にして円く色薄紫 其茎吹て気出づ汁は通草のごとし 蔓に往々盈れたる所ありて 真菰の根に似たり 其中に白き蟲あり 是小児の疳を治する薬なりとて 枝とも切りて市に售る 然るに此茎中に薬とはすれども尚勝れりとは云へり 南都の真の葡萄なし 此実を採て核を去り 煎★して膏のごとし 食用とす又葉の背に毛あり 乾してよく揉ば艾綿のごとし 是にて附贅を治す故にイホおとしの名あり 中華には酒に醸し 葡萄の美酒 欝金香と唐詩に見へたるは是なり(和名エヒツルとは久しく誤り来れり エヒツルは葡萄のことにて★★ イヌエヒ又ブトウといへり されとも古しへより混していひしなるへし)

.田猟品〈カリノシナ〉

○鷹
甲斐山中 日向 丹後 伊豫等に捕るもの皆小鷹にして 大鷹は 奥州黒川 上黒川 大澤 冨澤 油田 年遣 大爪 矢俣等にて捕なり しのぶ郡にて捕者凡てしのぶ鷹とはいへり 白鷹は朝鮮より来りて 鶴雁を撃つ者是なり 鷹を養ふ事は朝鮮を原として鷹鶻方と云書あり 故に本朝仁徳天皇の御宇 依網屯倉の阿★古鷹を献せしに其名さへ知給はざりけるを 百済の皇子酒君 是は朝鮮にて倶知と云鳥なりとて韋★小鈴を着て得馴て 百舌野遊猟に多く雉子を捕る故に時人其養鷹せし処を号て鷹甘邑と云て 今の住吉郡鷹合村是なり されば我国に養ひ始し 
 
(28) [ 進行中 ]
事朝鮮の法を伝へりと見へたり○捕養ふ者は凡巣中に獲て養ひ馴れしむ 其中に伊豫国小山田には羅して捕れり 此山は土佐 阿波三国に跨たる大山なり されば鷹は高山を目がけてわたり来るものなれば 必此山に在り 凡七八月の間柚の実の色付かゝる折を渡り来るの期とす
○羅ははり切羅といひて目の広一寸或二寸すが糸にても苧にても作る 竪三四尺のもめん糸の羅に鵯を入れ 杭に結い付 又其傍に木にて作りたる蛇の形のよく似たるを竹の筒に入れて糸をながく付て夜中より仕かけ置き 早天に鷹木末を出て求食を見かけ しかきの内より蛇の糸を引て 鵯のかたを目かけ動かせは 恐れて騒立を見て 鷹是を捕んと飛下て羅にかゝる 両方に着たる竹の釣に漆をぬりて能く走る様にしかけし物にて 鷹触るれば自縮寄て鷹の纏はるるを捕ふなり 此羅を張るに窮所ありて 是又庸易のわざにはあらずといへり 其猟師皆惣髪にして男女分ちかたし 冬も麻を重て着せり○此に捕る鷹 多くは鷂又ハシタカともいひて 兒鷂の★なり 逸物は鴨鷺をとり 白鷹に似小也 其斑色々有○かく捕り獲て後 山足緒 山大緒を差なり 何れも苧を以て作る 尤足にあたる処は揉皮を用ひ 旋は竹の管又は鹿の角にて制る 小鷹は紙にて尾羽をはり 樊籠に入れて里に售く○他国又奥州の大鷹は巣鷹と云て巣より捕あり 其法未詳○餌は餌板に入て差入飼○大鷹は尾袋 羽袋を和らかなる布にて尾羽の筋に一処縫附る 其寸法尾羽の大小に随がふ 
○.以捕時異名〈トルトキニヨリテナヲコトニス〉
赤毛(一名網掛 初種 黄鷹 是夏の子を秋捕たるを云也) 巣鷹(巣にあるを捕たるなり) 巣廻(五六月巣立たるを捕たるなり) 野曝鷹(山曝 木曝とも云 十月十一月に捕たるなり)里落鷹(十二月に取る物の名なり) 新玉鷹(正月に捕たる也)佐保姫鷹(乙女鷹 小山鷹とも云 二三月に取たる也) ★(山野にて毛をかへたるを云 片かへりとは一度かへたるを云 二度かへたるを諸かへりと云)  


○鷹懐
獲たるまゝなるを打おろしといふ 是に人肌の湯を以て尾羽 觜の廻り 餌じみなどを能く洗らひ 觜爪を切り足緒をさして夜据をするなり 夜据とは打おろしの稍人に馴たるを視候 夜★を開き 燈を用ひず手に据て山野を徘徊し夜を経に 
(30) [ 進行中 ]
ついて燈を★に見せ 又夜をかさねて次第にちかくす 是は若始めに火の光に驚かせては終に癖となりて 後に水に濡れたる羽を焚火に乾こと成がたき為也 其外数多害あり さて夜据積りて鷹熟き 手ふるひ身せゝりなどして和らぎたるを見て朝据をするなり 是は未明より次第に朝を重ねて後に白昼に野にも出せり 其時肉よくなり 野鳥を見て目かくる心を察しかねて貯し小鳥を見せて手廻りにて是を捕らせり 但し其小鳥の觜をきり あるひは括也 是は鷹を啄み声を立させさるが為なり 若声立などして鷹おどろけば 終に癖となるを厭へばなり 是を腰丸觜をまろばすとは云へり 此鳥よく取得たる時は 暖血(肉のこと也)を少し飼ひて多くは飼はず 多く飼へは肉ふとりて悪し 尚生育に心を附て肥る痩る 又は羽振 顔貌などの善悪 或は大鷹は眸の小さくなるを肉のよきとし 小鷹はこれに反し 又屎の色をも考へ能く調はせて(是を肉をこしらへるといふ也)飛流の活鳥を飼ふ(飛流しとは鳥の目を縫ひ 野に出て高く飛はせて鷹に羽合するなり 目をぬふは高く一筋に飛さん為也)是を手際よく取れは 夫より山野に出て取飼ふなり 
○巣鷹は巣より取りて籠のうちに★葉 兎の皮を敷きて 小鳥を細かに切りてあたへ 少しも水を交へず○初生をのり毛 綿毛共云 又村毛 つばな毛と生育の次第あり 尾の生を以て成長の期として一生 二生を見するといふなり 三生に及べば籠中に架をさすなり 初より籠に蚊帳をたれて 蚊の★を厭ふ 又雄を兄鷹といひ 雌を弟鷹といひて是をわかつには 軽重をもつてそ軽きを兄とし 重きを弟とす 又尾羽延び揃ひかたまりたる後は 足緒をさして五日ばかり架につなぎ 静かに据て三日ばか浅湯を浴するなり 若浴ざれは ふりかけて度を重ぬ 縮りたる羽を伸し尚前法のごとく活鳥をまろはして後には常のごとし 
○鷹品大概
角鷹(蒼鷹 黄鷹ともいふ) 波廝妙(弟とも兄とも見知がたきを云) 鶻(雄なり 形小也) 隼(雌なり 形大なり 仕かふに用之) 鷂(雌也) 兄鷹(鷂の雄也) ★鷂(★とも書て品多し 黒— 木葉- 通- 熊- 北山- いづれも同品なり 府をもつて別かつ) ★★(つみより小也) ★
(31) [ 進行中 ]
鳩(赤★ 青- 底- 下- 裳濃- )  鷲(全躰黒し 年を経て白き府種々に変ず 歌に毛は黒く 眼は青く 觜青く 脛に毛あるを鷲としるべし)★(全躰黒し 尾の府年を経て様々に変ず 歌に觜黒く 青ばし青く 足青く 脛に毛あるをくまたかとしれ)其外品類多し ○任鳥(まくそつかみ くそつかみ)惰鳥も種類なり 
大和本草云 鷹鶻方を案るに 鷹の類三種あり 鶻鷹鷲なり 今案ずるに 白鷹 鷂 角鷹は鷹なり○隼 ★鳩は鶻なり ○鷲 鳶等は鷲なり 鷹鶻の二類は教て鳥を取しむ 鷲の類ひは教しへて鳥を取しめず 又諸鳥は雄大なり 唯鷹は雌大なり 此事中華の書にも見たり 尚詳なることは原本によりて見べし 此に略す

○.鳬〈カモ〉
○鳬は摂州大坂近辺に捕るもの甚美味なり 北中島を上品とす 河内
其次なり 是を捕るに 他国にては鴨羅といへども津の国にてはシキデンとて
横幅五六間に竪一間ばかりの細き糸の羅を 左右竹に付て立る 又三間程
づゝ隔てゝ三重四重に張るなり 是を霞共云 ○又一法に池の辺にては竹に
★を塗り 横に多くさし置ば 鳬渚の芹など求食とて 竹の下を潜る
に触れて★にかゝる 是をハゴと云 ○又一法に水中に有る鳥をとる
には 流し★とて藁蘂に★を塗り 川上より流しかけ翅にまとはせ
て捕ふ ○又一法に高縄と云有 是は池沼水田の鳥を捕るが為なり 先づ
★を寒に凍らざるが為油を加えて是を一度煮て苧に塗り轤に巻取り さて両岸に篠竹の細きを長さ一間ばかりなるを 間一間半に一本宛立並らべ 右の糸を纏ひ張る事図のごとし 一方に向ひたる一本づゝの竹は尖の切かけの筈に油を塗り 糸の端をかけ置き鳥のかかるに付て筈はづれて纏はるゝを捕ふ 是を棚が落るといふ 東西の風には南北に延き 南北の風には東西にひき 必風に向ふて飛来るを待なり 又鴨群飛して 糸の皆落るを惣まくりと云 猟師は水足袋とて 韋にて作りたる沓をはき 又下になんばと云物を副差きて 沼ふけ田の泥上を行に便利とす 又鳥の朝下りしと宵に下りしとは水の濁りを以て知り 又
(32) [ 進行中 ]
足跡について其夜来る来ざるを考へ且来るべき時刻など察するに一もあたらずといふことなし ○雁を捕るにも此高縄を用ゆとは云ども 雁は鴨より智さとくて 元より夜も目の見ゆるもの故に 飼の多きには下りず 土砂乱れたる地には下らず 或番ひ鳥の其辺を廻り 一声鳴て飛ぶ時は 群鳥隨て去る たま/\高縄の辺に下れば 猟師竹を以て急に是を追へば 驚きて縄にかゝること十に一度なり ○又一法無双がへしといふあり 是摂州島下郡鳥飼にて鳬を捕る法なり 昔はおふてんと高縄を用ひたれども 近年尾州の猟師に習ひてかへし網を用ゆ 是便利の術なり 大抵六間に幅二間ばかりの網に 二十間ばかりの綱を付て 水の干潟 或は砂地に短き杭を二所打 網の裾の方を結び留め 上の端には竹を付け 其竹をすぢかひに両方へ開き 元打たる杭に結び付 よくかへるようにしかけ 羅 竹縄とも砂の中によくかくし 其前をすこし掘りて 窪め 穀 稗などを蒔きて 鳥の群るを待て 遠くひかへたる網を二人がゝりにひきかへせば 鳥のうへに覆ひて一ツも洩すことなく一挙数十羽を獲るなり 是を羽を打ちがひにねぢて 堤などに放に飛ことあたわず 是を羽がひじめといふ 雁を取るにも是を用ゆ されども砂の埋やう 餌のまきやうありて 未練の者は取獲がたし ○鳬は山沢海辺湖中にありて人家に畜はず 中華緑頭を上品とす 日本是を真鳬といふ故に 万葉集青きによせてよめり 又尾尖は是に次て小ガモといふ 古名タカへなり 黒鴨 ○赤頭 ○ヒトリ ○ヨシフク ○島フク ○★★ ○シハヲシ ○秋紗 ○トウ長 ○ミコアイ ○ハシヒロ ○冠鳥(アシとも云なり) ○尾長 此外種類多 緑頸 小鳬 アジは味よし 其余はよからず 

○峯越鴨(鴨の字はアヒロなり 故に一名水鴨といふ カモは鳬を正字とす 今俗にしたかふ) 是豫州の山に捕る方術なり 八九月の朝夕 鳬の群れて峯を越るに 茅草も翅に摺り切れ 高く生る事なきに 人其草の陰に 周廻 深さ共に三尺ばかりに穿ちたる穴に隠れ 羅を扇の形に作り 其要の所に  
(34) [ 進行中 ]
長き竹の柄を付て 穴の上ちかく飛来るをふせ捕に 是も羅の縮 鳥に纏はるゝを捕 尤手練の者ならでは易獲がたし(但し峯は両方に田のある所をよしとす 朝夕ともに闇き夜を専らとす 網をなつけて坂網といふ) 
○捕熊 (熊の一名 子路)
熊は必大樹の洞中に住みてよく眠る物なれば 丸木を藤かづらにて格子のごとく結たるを以て 洞口を閉塞し さて木の枝を切て 其洞中へ多く入るれば 熊其枝を引入れ/\て 洞中を埋 終におのれと洞口にあらはるを待て 美濃の国にては竹鎗 因幡に鎗 肥後には鉄鉋 北国にては なたきといへる薙刀のごとき物にて 或は切 或は突ころす 何れも月の輪の少上を急所とす 又石見国の山中には 昔多く炭焼し古穴に住めり 是を捕に 鎗 鉄炮にて頓にうちては 胆甚小さしとて 飽まで苦しめ 憤怒せて打取なり ○又一法には落としにて捕るなり 是を豫洲にて天井釣と云(又ヲソとも云) 阿州にておすといふ(ヲスはヲシにて古語也) 其様図にて知るべし 長さ二間余の竹筏のごとき下に 鹿の肉を火に燻べたるを餌とす 又柏の実シヤ/\キ実なども蒔也 上には大石二十荷ばかり置く(又阿州にて七十五荷置くといふなり)もみなれば落る時の音雷のごとし 落て尚下より機を動かすこと三日ばかり 其止時を見て石を除き 機をあぐれば 熊は立ながら足は土中に一尺ばかり踏入て死することみなしかり ○又一法に陥し穴あれども 機の制に似たり 中にも飛騨 加賀 越の国には大身鎗を以て追廻しても捕れり 逃ることの甚しければ帰せと一声あぐれば 熊立かへりて人にむかふ 此時又月の輪といふ一声に恐るゝ体あるに 忽ちつけいりて突留めり これ猟師の剛勇且手練早業にあらざれば 却て危きことも多し ○又一法に 駿州府中に捕には 熊の巣穴の左右に両人大なる斧を振挙持て待ちかけ 外に一両人の人して樹の枝ながらをもつて 巣穴の中を突探ぐれば 熊其樹を巣中へひきいれんと手をかけて引に 横たは 
(38) [ 進行中 ]
りて任せされば 尚枝の爰かしこに手をかくるをうかゞひて かの両方より 斧にて両手を打落す 熊は手に力多き物なれば 是に勢つきて終に獲る かくて胆を取り皮を出すこと奥州に多し 津軽にては脚の肉を食ふて 貴人の膳にも是を加ふ ○熊常に食とするものは 山蟻 ★ ズカニ 凡木の実は甘きを好めり 獣肉も喰はぬにあらず 蝦夷には人の乳にて養ひ置とも云へり 

○取胆
熊胆は加賀を上品とす 越後 越中 出羽に出る物これに亞ぐ 其余四国 因幡 肥後 信濃 美濃 紀州 其外所々より出す 松前 蝦夷に出す物下品多し されども加賀必す上品にもあらず 松前かならず下品にもあらず 其性 其時節 其屠者の手練工拙にも有て 一概には論じがたし 加賀に上品とするもの三種 黒様 豆粉様 琥珀様是なり 中にも琥珀様尤とも勝れり 是は夏胆冬胆といひ 取る時節によりて名を異にす 夏の物は皮厚く 胆汁少し 下品とす 八月以後を冬胆とす 是皮薄 胆汁満てり 上品とす されども琥珀様は夏胆なれども 冬の胆に勝る黄赤色にて透明り 黒様はさにあらず 黒色光あるは是世に多し

○試真偽法
和漢ともに偽物多きものと見へて 本草綱目にも試法を載たり 胆を米粒ばかり水面に黙ずるに 塵を避て.運転し〈キリキリマワリ〉 一道に水底へ.線〈イト〉のごとくに引物を真なりと云て 按ずるに是古質の法にして未つくさぬに似たり 凡て獣の胆何の物たりとも 水面に.運転〈メクル〉こと熊胆に限べからず 或は 獣肉を屠り 或は煮熬などせし家の煤を是亦水面に運転すること試てしれり されども素人業に試みるには此方の外なし 若止ことを不得 水に黙して水底に線を引を試みるならば .運転〈めくること〉飛がごとく疾く 其線至て細くして 尤疾勢物をよしとす 運転遅き物 又舒にめぐりて止まる物は皆よろしからず 又運転速きといへとも 盡く消ざる物も 
(42) [ 進行中 ]
佳からず 不佳物はおのづから勢ひ碎け 線進疾ならず 又粉のごとき
物の落るも下品とすべし 又水底にて黄赤色なるは上品にて 褐色な
るは極めて偽物なり .作業者〈くろうとぶん〉は香味の有無を以て分別す およそ
真物にして其上品なる物は 舌上にありて俄に濃き苦味をあらはす 
彼苦甘口に入て粘つかず 苦味.侵潤〈しだひ〉に増り口中.分然〈さつはり〉として清潔 たゞ
苦味のみある物は偽物なり 苦甘の物を良とす また★臭香味の物
は良らずといへども 是は肉に養はれし熊の性にして 必偽物とも定め
がたし 其中初甘く 後苦物は劣れり 又焦気物は良品なり 是試
法教へて教べからず 必年来の練妙たりとも真偽は弁じやすく
して 美悪は弁じがたし
○制偽胆法
黄柏 山梔子 毛黄蓮の三味を極細末とし山梔子を少し熬て
其香を除き三味合せて水を和して煎し詰むれば 黒色光沢乾て 
真物のごとし 是を裏むに 美濃紙二枚を合せ 水仙花の根の汁をひき
て乾かせば 裏て物を洩らすことなし 包みて絞り 板に挟みて陰乾とす
れは 紙の皺又薬汁の潤入みて 実の胆皮のごとし 尤冬月に制す
れば 暑中に至りて爛潤やすし 故に必夏日に製す 是は備後辺の製
にして 他国も大抵かくのごとし 他方悉くは知りがたし○又俗説にはこねり
柿といふ物味苦し 是を古傘の紙につゝむもありと云へり 或は真の胆
皮に偽物を納れし物もまゝありて 是大に人を惑はすの甚しき也 
  附記
熊は黒き物故にクマといふとは云へども さだかには定めがたし 是全く
朝鮮の方言なるべし 熊川をコモガイといふは 即クマカハの転したるなり
今も朝鮮の俗熊をコムといへり
(43) [ 進行中 ]
漁捕品 

○鰒 (長鮑制 附真珠 或云あはひは石決明を本字とす 鰒はトコフシなり)
伊勢国 和具浦 御座浦 大野浦の三所に鰒を取り 二見の浦北塔世と云所にて鮑を制すなり 鰒を取には必女海人を以てす(是女は能く久しく呼吸を止めてたもてるが故なり)船にて沖ふかく出るに かならず親属を具して船を★らせ縄を引せなどす 海に入には腰に小き蒲簀を附て鰒三四つを納れ 又大なるを得ては二つばかりにしても★めり 浅き所にては竿を入るゝに附て★む 是を友竿といふ 深き所にては腰に縄を附て★んとする時 是を動し示せば 船より引あぐるなり 若き者は五尋三十以上は十尋十五尋を際限とす 皆逆に入て立游ぎし 海底の岩に着たるをおこし 箆をもつて 不意
(3) [ 進行中 ]
に乗じてはなち取り 蒲簀に納む その間息をとゞむること暫時 尤朝な夕なに馴たるわざなりとはいへども 出て息を吹くに其声遠くも響き聞えて実に悲し 

附記
○海底に入て鰒をとること 日本記允恭天皇十四年 天皇淡路の島に猟し給ふに獣類甚多しといへとも 終日一つの獣を得ることなし 是に因て是を卜はしめ給ふに 忽神霊の告あり 曰此赤石の海底に真珠あり 其珠をもつて我を祠らば 悉く獣を獲さすべしときゝて 
更に所々の白水郎を集めて 海底を探らしむ 其そこに至ることあたわず 時に阿波の国長邑の海人 .男挟礒〈おさし〉といふ者 腰に縄を附て踊入り 差項ありて出て曰く 海底に大鰒ありて其所に光を放つ 殆ど神の請所 其鰒の腹中にあるべしと 人の議定によりて 再び探き入て かの大鰒を抱き浪上に★み頓にして息絶たり 案のごとく真珠 桃の子の如き物を腹中に得たり 人々 男挟礒が死を悲れみ 葬りて墓を築き 尚今も存せりとぞ 此時海の深さは六十尋にして 殊に男海人の業なれば 其労おもひやられ侍る 後世是を模擬して箱崎の玉とりとて 謡曲に著作せしは此故事なるべし (○鰒は凡介中の長なり 古へより是を美賞す 大なる物径り尺余になるもの二三寸水中にあれは 貝の外に半出て 転運して以て跋歩)
○五畿内の俗 是をアマ貝といふは 海人の取ものなればなるべし
 アハビといふは偏に着て合ざる貝なれば合ぬ実といふ儀なるべし 万葉十一に 伊勢の海士の あさなゆふなにかづくてふ あはびのかひの かたおもひにして 同七に 伊勢の海の あまの島津に鰒玉 とりて後もか恋のしけゝん 又十七に 着石玉ともかけり○雄貝は狭く長し  雌貝は円く短く肉多し 但し九孔七孔のもの甚稀也 
○制長鮑(俗に熨斗の字をかくは誤なり 熨斗は女工の具 衣裳を熨し伸すの器にて火のしのことなり) 
先貝の大小に隨ひ剥べき数葉を量り 横より数/\に剥うけ置て 
(5) [ 進行中 ]
薄き刃にて薄/\と 剥口より廻し切る事図のごとし 豊後豊島 薦に敷き並らべて乾が故に 各筵目を帯たり 本末あるは束ぬるか為なり さて是をノシといふは 昔打鰒とて打栗のごとく打延し 裁截などせし故にノシといひ 又干あはひとも云へり 
○又干鮑 打あはびともに往昔の食類なり 又薄鮑とも云へり 江次第 忌火御飯の御菜四種 薄鮑 干鯛 鰯 鯵とも見へたり 今寿賀の席に手掛 或はかざりのしなどゝして用ゆることは 足利将軍義満の下知として 今川左京太夫氏頼 小笠原兵庫助長秀 伊勢武蔵守満忠等に一天下の武家を十一位に分ち 御一族大名守護外様評定等の諸礼に附て行はせらるより起る事 三義一統に見えたり 往昔は天智帝の大掌会に干鮑の御饌あり 延喜式諸祭の神供にも悉く加へらる 第一伊勢国は本朝の神都として鎮座尤多し故に 伊勢に制する所謂又は飾物にはあらずして 食類たることもしるべし 尚鎌倉の代前後までも常に用て専食類とせし 其證は平治物語 頼朝遠流の条に ○佐殿はあふみの国建部明神の御前に通夜して 行路の祈をも申さんと留り給ひける 夜人しづまりて御供の盛安申けるは 都にて御出家の事然るべからさるよし申候ひしは 不思議の霊夢を蒙りたりし故なり 君御浄衣にて八幡へ御参候て大床に座す 盛安御供にてあまたの石畳の上に伺公したりしに 十二三ばかりの童子の弓箭を抱きて大床に立せ給ひ 義朝が弓箙召て参り候と申されしかば 御宝殿の内よりけたかき御声にて ふかく納めおけ 終には頼朝に給はんずるぞ 是頼朝に喰はせよと仰らるれば 天童物を持て御前におかせ給ふに 何やらんと見奉れば打鮑といふ物なり(中略)それたべよと仰らる かぞへて御覧ぜしかば六十六本あり かののし鮑を両方の手におしにぎりて ふとき処を三口まいり ちいさき処を盛安にな 
(6) [ 進行中 ]
けさせ給ひしを 懐中すると存じ候ひしはと云々(下略)
此文義味ふべし 又今西国の方より烏賊のし 海老のし 或は生海鼠のしなど出せり 至て薄く剥て其様浄潔にして且興あり 
○毎年六月朔日志州国崎村より両大神宮へ長鰒を献ず故に 其地をノシサキ共云へり 又サゝエサキ共云へり 今栄螺にて作る事なし 是延喜式に御厨鰒と見へたり 又毎年正月東武へ献上の料は長三尺余 巾一寸余 其余数品あり 
○真珠 漢名 李蔵珍
是はアコヤ貝の珠なり 即伊勢にて取りて伊勢真珠と云て上品とし 尾州を下品とす 肥前大村より出すは上品とはすれども 薬肆の交易にはあづからず アコヤ貝は一名袖貝といひて 形袖に似たり 和歌浦にて胡蝶貝と云大きさ一寸五分 二寸ばかり灰色にて微黒を帯たるもあるなり 内白色にして青み有 光ありて厚し 然れども貝毎にあるにあらず 珠は伊勢の物形円く 微し青みを帯ぶ 又圓からず長うして緑色を帯ぶるもの石決明の珠なり 薬肆に是を貝の珠と云 尾張は形正円からず 色鈍みて光耀なく尤小なり 是は蛤 蜆 淡菜等の珠なり 形かくのごとし 

附記
或云 あこやといへるは所の名にして 尾張の国知多郡にあり 又奥州にも同名あり 又新猿楽記には阿久夜玉と見ゆ 万葉集の鰒玉を六帖にあこや玉と点せり 又近頃波間かしはと云貝より多く取得るともいへり 貽貝の珠は前に云尾張真珠なり 又西行山家集の歌に 
  あこやとる いかひのからを積置て 宝の跡を見する也けり 
右の条々を見るにあこやを尾張の所名とせば 真の真珠は尾張なるべきを 今伊勢にて此貝をとりて名はあこやと称するものは
(7) [ 進行中 ]
昔尾張に多き貝の 今伊勢にのみ有るとは見へたり しかのみならず 六帖 鰒玉 西行歌の貽貝もともにあこやといひしは むかしあこやにいろ/\の貝より多くの珠をとりし故に混じて 惣称をあこやとはいひしなるべし 
○海鰕 (漢名 蝦魁 釈名 紅鰕 エビは惣名なり 種類凡三十余種 其中に漢名龍鰕といふは海鰕なり)
俗称伊勢海鰕と云 是伊勢より京師へ送る故に云なり 又鎌倉より江戸に送る故に 江戸にては鎌倉鰕と云 又志摩より尾張へ送る故に尾張にては志摩鰕と云 又伊勢鰕の中に五色なる物有 甚奇品なり 髭白く 背は碧 重のところの幅輪緑色 其他黄 赤 黒 相雑 
○漁網は大抵七十尋 深さ二間ばかり 但し礒の広さ 岩間の広狭にも隨ひて大小あり 向と左右と三方の目はあらし 向ふの深さ十五尋ばかりの目は細くして是を袋といふ アバ(★子也 桶を用ゆ) 重石(陶瓶を用ゆ) 大抵鯛網に似たり 日暮にこれを張りて翌朝曳くに 鰕悉く網の目をさしてかゝる 是は後に逃る物なれは 尾の方よりさせり 又網の外よりもかゝる也 
○鰕の腸 脳に属して 其子腹の外に在り 眼紫黒にして前に黄なる所あり 突出て疣子のごとし 口に鬚四つあり 二つの鬚は長さ一二尺 手足は節ありて 蘆の筍のごとし 殻は悉く硬き甲のごとし 好飛で踊る 是海中の蚤なり 蚤また惣身鰕におなじ 
○エビの訓義は柄鬚なり 柄は枝なり 胞といひ 江と云も 人の枝 海の枝なり 蝦夷をエヒシといふは 是毛人島なるになそらへ 正月辛盤に用ゆるは 海老の文字を祝したるなるべし 

○鰤
(9) [ 進行中 ]
丹後与謝の海に捕るもの上品とす 是は此海門にいねと云所ありて 椎の木甚多 其実海に入て 魚の飼とす 故に美味なりといへり○北に天の橋立 南に宮津 西は喜瀬戸 是与謝の入海なり 魚常に此に遊長するに及んで 出んとする時を窺ひ 追網を以これを捕る 
○追網は目大抵一尺五六寸なるを縄にて作り 入海の口に張るなり 尚数十艘の船を並らべ ★を扣き 魚を追入れ 又目八寸ばかりの縄網を二重におろして 魚の洩るゝを防ぎ 又目三四寸ばかりの苧の網を三重におろし さて初めの網を左右より轆轤にて引あげ 三重の苧網は手操にひきて 袋礒近くよれば 魚踊群るゝを 大なる打鎰にかけて 礒の砂上へ投あぐるなり 泛子は皆桶を用ひ 重石は縄の方焼物 苧の方は鉄にて作り 土樋のことく連綿す 
○先腸を抜きて塩を施こし 六石ばかりの大桶に漬て 其上に塩俵をおほひ 石を置きておすなり ○又一法 塩を腹中に満しめ 土中に埋み 筵を伏せて水気を去り 取出して再び塩を施し 薦に裏みても出せり 市場は宮津にありて 是より網場の海上に迎へて積
帰るなり
○他国の鰤網 凡手段かはることなし いずれも沖網にて 竪網は細物にて 深さ七尋より十四五尋ばかり 尚海の浅深にも任す 網の目は冬より正月下旬までを七寸ばかりとし 二三月よりは五六寸を用ゆ 漁船一艘に乗人五人也 四人は網を操あげ 一人は艪を取る 泛子は桶にて重石は砥石のごとし 網を置くには湖中の魚★のことくに引廻し 魚の後へと退くを防也 かくて海近き山に遠眼鏡を構へ 魚の集るを伺ひ 集るときは海浪光耀ありて 水一段高く見へ 魚一尾踊る時はかならず千尾なりと察し 麾を振て船に示す 是を辻見 又村ぎんみ 又魚見とも云 海上に待かけし二艘の船ありて其麾の進退左右に隨ひ 二方に別れて網をおろしつゝ漕廻はる
(11) [ 進行中 ]
事二里ばかりにも及べり ひきあぐるには轆轤手操なと 国/゛\の方術大同小異にして.略〈ほぼ〉相似たり
○或云鰤は連行て東北の大浪を経て 西南の海を繞り 丹後の海上に至る頃に 魚肥 脂多く味甚甘美なり 故に名産とすと云 
○鰤は日本の俗字なり 本草綱目に魚師といへるは老魚又大魚の惣称なれば其形を.不釋〈とかず〉 或は云海魚の事に於て中華に釈く所 皆甚粗なり 是は大国にして海に遠きが故に 其物得て見る事難ければ 唯伝聞の端をのみ記せしこと多し されども日本にて鰤の字を制しは即魚師を二合して大に老たるの義に充たるに似たり 又ブリといふ訓も老魚の意を以て年経りたるのフリによりて フリの魚といふを濁音に云習はせたるなるべし ○小なるを ワカナコ ツバス イナダ メジロ フクラキ ハマチ 九州にては大魚とも称するがゆへに 年始の祝詞に★へる物ならし 

○鮪 (大なるを王鮪 中なるを叔鮪(俗にメクロと云)小なるを★子といへり 東国にてはまくろと云)
筑前宗像 讃州平戸 五島に網する事夥し 中にも平戸石清水の物を上品とす 凡八月彼岸より取はじめて十月までのものをひれながといふ 十月より冬の土用までに取るを黒といひて是大也
冬の土用より春の土用までに取るをはたらといひて 纔一尺ニ三寸ばかりなる小魚にて是黒鮪の去年子なり 皆肉は鰹に似て 色は甚赤し 味は鰹に不逮 凡一網に獲る物多き時は 五七万にも及べり○是をハツノミと云は市中に家として一尾を買者なけれは 肉を割て秤にかけて 大小其需に応ず 故に他国にも大魚の身切と呼はる 又是をハツと名付る事は昔此肉を賞して纔に取そめしを まづ馳て募るに 人其先鋒を争ひて求むる事 今東武に初鰹の遅速を論ずるかごとし 此を以て初網の先駆をハツといひけり  
(14) [ 進行中 ]
後世此味の.美癖〈ムマスキ〉を悪んて終にふるされ 賤物に陥りて饗膳の庖厨に加ふることなし されども今も賤夫の為に八珍の一つに擬てさらに珎賞す(○此魚の小るるを干て干鰹のにせものともするなり)
(万葉集)鮪つくとあまのともせるいさり火のほには出なん我下思ひを ○礼記月令に季春天子鮪を寝廟に薦むとあれども 鮪の字に論ありて 今のハツとは定めがたく 尚下に弁ず 
○網は目八寸ばかりにして大抵二十町ばかり 細き縄にて制す 底ありて其形箕のごとし 尻に袋あり 縄は大指よりふとくして常に海底に沈め置き 網の両端に船二艘宛付て 魚の群輻を待なり 若集る事の遅き時は 二月乃至三月とても網を守りて徒に過せり 是亦山頂に魚見の櫓ありて其内より伺候ひ 魚の群集何万何千の数をも見さだめ 麾を打振りてかまいろ/\と呼はる(カマイロとは構へよとの転也)其時ダンベイといふ小船三艘出 一艘に三人宛 腰簑 襷 鉢巻にて飛がごとくに漕よせ 網の底に手を掛て引事 過半に及べば又山頂より麾を振るにつひて 数多のダンベイ打よせて 惣かゝりにひきあげ 網舟近くせまれば 魚浮騰して涌がごとし 漁子 熊手 鳶口のごとき物にて魚の頭に打付れば 弥驂ぎておのづから船中に踊り入れり 入尽きぬれば 網は又元のごとくに沈め置て 船のみ漕退也 尻に付たる袋には鰯二艘ばかりも満ぬれども 他魚には目をかくることなし 是は久しく沈没せる網なれば 苔むしたるを我巣のごとくになして居れりとぞ尚図に照らして見る
べし 
○又一法に釣りても捕るなり 是若州の術にて其針三寸ばかり 苧縄長百間 針口より一間程は又苧にて巻く也 是を鼠尾といふ 飼は鰹の腸を用ゆ 糸は桶へたぐりて竿に付ることなし 
○此魚頭大にして嘴尖り 鼻長く 口頤の下にあり 頬腮鉄兜のこ
(16) [ 進行中 ]
とく 頬の下に青斑あり 死後眼に血を出す 背に刺鬣あり 鱗なし 蒼黒にして肚白く雲母の如し 尾に岐有 硬して上大に下小なり 大なるもの一二丈 小なる者七八尺 肉肥て厚く 此魚頭に力あり 頭陸に向ひ 尾海に向ふ時は懸てこれを採り易し 是尾に力らなき故なり 煖に乗じて浮び 日を見て★来ける時は群をなせり 漁人これを捕て脂油を采り或は★に作る 
○鮪の字はシビに充ること 其義本草綱目 又字書の釈義に適はず されども和名抄は★書によりて魚の大小の名をも異にすること其故なきにしもあらざるべし 又日本記武烈記真鳥大臣の男の名 鮪と云に
自注 慈★とも訓せり 元より中華に海物を釈く事 甚粗成
ること 既に云がごとし 故に姑く鮪に隨て可なりともいはん シビの訓義未詳

○鰆
讃州に流し網にて捕 五月以後十月以前に多し 大なるもの長六七尺にも及ふ 漁子魚の集りたるを見て 数十艘を連ねて魚の後より漕まはり追ふことの甚しければ 魚漸労れ 馮虚として酔がごとし 其時崎に進みたる船より石を投けて いよ/\驚かし引かへして逃んとするの期を見さだめ 網をおろして一尾も洩すことなし 是を大網又しぼるとも云なり さて網をたくり★網にてすくひ取るなり ○鰆の字亦国俗の制なり 尤字書に春魚とあれども 纔に二三歩ばかりの微魚にてさらに充べからず 大和本草 馬鮫魚に充たり 曰魚大なれども腹小に狭し故に 狭腹と号く さは狭少なり ★書曰 青斑色 無鱗 有歯 其小者謂青箭云々 ○此子甚大なり 是を乾したるをカラスミといへり 即乾し子と云 但し鰡の子の乾子は是に勝る

○若狭鰈
(18) [ 進行中 ]
海岸より三十里ばかり沖にて捕るなり 其所を鰈場といひて 若狭 越前 敦賀三国の漁人ども手操網を用ゆ 海の深さ大抵五十尋 鰈は其底に住みて水上に浮む事稀なり 漁人三十石ばかりの船に 十二三人舟の左右にわかれ 帆を横にかけ其力を借りて網を引けり アバは水上に浮き イハは底に落て網を広めるなり 外に子細なし 網中に混り獲る物蟹多くして尤大也 
○塩蔵風乾 是をむし鰈と云は塩蒸なり 火気に触れし物にはあらず 先取得し鮮物を一夜塩水に浸し 半熟し又砂上に置き 藁薦を覆ひ温湿の気にて蒸して後 二枚づゝ尾を糸に繋ぎ 少し乾かし一日の止宿も忌みて即日京師に出す 其時節に於ては 日毎隔日の往還とはなれり 淡乾の品多しとはいへども 是天下の出類 雲上の珍美と云べし 
○同小鯛
是延縄を以て釣るなり 又せ縄とも云 縄の大さ一据ばかり 長さ一里ばかり 是に一尺ばかりの苧糸に針を附け 一尋/\を隔てゝ 縄に列ね附て 両端に樽の泛子を括り 差頃ありてかの泛子を目当に引あぐるに 百糸百尾を得て一も空しき物なし 飼は鯵 鯖 鰕等なり 同しく淡乾とするに其味亦鰈に勝る ○鱈を取にも此法を用ゆ也 ところにてはまころ小鯛と云
○他州鯛網
畿内以て佳品とする物明石鯛淡路鯛なり されとも讃州榎股に捕る事夥し 是等皆手操網を用ゆ 海中巌石多き所にては ブリといふものにて追て 便所に湊むブリとは薄板に糸をつけ 長き縄に多く列らね付け網を置くが如し ひき廻すれば ブリは水中に運転して 木の葉の散乱するが如きなれば 魚是に襲はれ 瞿々として中流に湛浮ひ ブリの中真に集るなり 此
(21) [ 進行中 ]
縄の一方に三艘の船を両端に繋く 初二艘は乗人三人にて 二人は縄を引き 一人は樫の棒或い槌を以て皷て魚の分散を防ぐ 此三艘の一ツをかつら船といひ 二を中船と云ひ 先に進むを網船といふ 網舟は乗人八人にて 一人は麾を打振り 七人は艪を採る 又一艘ブリ縄の真中の外に在て縄の沈まざるが為 又縄を付副て是をひかへ 乗人三人の内一人は縄を採り 一人は艪を採り 一人は麾を振りて 能程を示せば 先に進みし二艘の網船 ブリ縄の左の方より麾を振りて艪を押切り ひかへ舟の方へ漕よすれば ひかへ舟はブリ縄の中をさして漕ぎ入る 網舟は縄の左右へ分れて向ひ合せ ひかへ縄のあたりよりブリ縄にもたせかけて 網をブリの外面へすべらせおろし 弥双方より曳けば 是を見て初両端の二艘 縄を解放せば ひかえ舟の中へ是を手ぐりあげる 跡は網のみ漕よせ/\ 終に網舟二艘の港板を遺ちがへて打よせ引しぼるに 魚亦涌がごとく踊りあがり 網を潜きて頭を出し かしこに尾を震ひ 閃々として電光に異ならず 漁子是を儻網をもつて小取船へ★ひうつす 小取船は乗人三人皆艪を採て 礒の方へ漕でよするなり かくして捕るをごち網と云 
  右フリ縄の長凡三百二十尋 大網は十五尋 深さ中にて八尋 其次四尋 其次三尋なり 上品の苧の至て細きを以て 目は指七
さしなり アバあり泛子なし 重石は竹の輪を作り其中へ石を加へ 糸にて結ひ付て鼓のしらべのごとし 尤網を一畳二畳といひて 何畳も継合せて広くす 其結繋ぐの早業一瞬をも待たず 一畳とは幅四間に下垂十間ばかりなり 
○蛇骨と号る物同国白浜に多し故にまゝ此ごち網に混じ入りて得ること多し
(25) [ 進行中 ]
○比目魚と云は鰈の惣名なり 本草釈名 鞋底魚と云は ウシノシタ又クツゾコと云て種類なり 鰈の字これに適へり 若狭蒸鰈のことは大和本草に悉しくいへり 東国にてはヒラメと云 
○鯛は本草に載せず 是亦大和本草に悉し 故に略す 鯛の字此魚に充てつたへしこと久しけれとも是刺鬣魚を正字とす 神代巻に赤目と云 又延喜式に平魚と書しはタヒラの意なり 中にも若狭鯛はハナヲレ又レンコといひて身小にして薄し 色淡黄にして是一種なり ハナヲレの義未詳 他国の方言にヘイケ又ヒウダヒといふも ともに平魚の転なるべし 万葉九長歌 水の江の 浦島が子が 堅魚つり 鯛つりかねて 七日まて 下略 虫丸 

○.鯖〈さば〉
丹波 但馬 紀州熊野より出す 其ほか能登を名品とす 釣捕る法 何国も異なることなし 春夏秋の夜の空曇り 湖水立上り 海上霞たるを鯖日和と称して漁船数百艘打並ぶこと一里ばかり 又一里ばかりを隔て並ぶこと前のごとし 船ごとに二つの篝を照らし 万火☆々として天を焦す 漁子十尋ばかりの糸を苧にて巻き 琴の緒のごとき物に五文目位の鉛の重玉を付 鰯 鰕などを飼とし 竿に付ることなし 又但馬の国にては釣針もなく 只松明を振立 其影波浪を穿がごときに 魚隨て踊りておのれと船中に入れり 是又一奇術なり 船は常の漁船に少し大にして縁低し 越前尚大也 
○鯖の字 和名抄にアヲサバと訓ず 本草に青魚又鯖とあるは カドといひてニシンのことなり 其子をカズノコ ヌカトノコと云 サハの正字未詳 ○サハといふ義は大和本草に此魚牙小也 故に狭歯と云 狭は小也云々 東雅に云 古語に物の多く聚りたるをサバと云へば 若其儀にもやと云々 いづれか是なりとも知ず
(26) [ 確認中 ]
○牡蠣(一名 石花)
畿内に食する物皆芸州広島の産なり 尤名品とす播州 紀州 泉州等に出すものは大にして自然生なり 味佳ならず 又武州 参州 尾州にも出せり 広島に畜養て大坂に售る物 皆三年物なり 故其味過不及の論なし 畜ふ所は草津 爾保浦 たんな ゑは ひうな おふこ等の五六ヶ所なり 積みて大坂浜々に繋ぐ 数艘の中に草津爾浦より出る者十か七八にして其畜養する事至て多し 大坂に泊ること例歳十月より正月の末に至りて帰帆す
○畜養 畜所各城下より一里或は三里にも沖に及べり 干潮の時潟の砂上に大竹を以て垣を結ひ列ぬること凡一里ばかり 号てひびと云 高一丈余 長一丁ばかりを一口と定め 分限に任せて其数幾口も畜へり 垣の形はへの字の如く作り 三尺余の隙を所々に明て 
魚を其間に聚を捕也 ひゞは潮の来る毎に小き牡蠣又海苔の付て残るを二月より十月までの間は時々是を備中鍬にて掻落し 又五間或は十間四方ばかり 高さ一丈ばありの同しく竹垣にて結廻したる★の如き物の内の砂中一尺ばかり堀り埋み 畜ふこと三年にして成熟とす 海苔は広島海苔とて賞し 色/\の貝もとりて 中にもあさり貝多し 
○蚌蛤の類 皆胎生卵生なり 此物にして惟化生の自然物なり 石に付て動くことなければ 雌雄の道なし 皆牡なりとするが故に .牡蠣〈ぼれい〉と云 蠣とは其貝の粗大なるを云 石に付て磈★★つらなりて 房のごときを呼んで蠣房といふ 初め生ずるときは 唯一挙石のごときが四面漸く長じて一二丈に至る物も有なり 一房毎に内に肉一塊あり 大房の肉は馬蹄のごとし 小さきは人の指面のごとし 潮来れば諸房皆口を開き 小蟲の入るあれば 合せて腹に充ると云へり 
(28) [ 進行中 ]
又曰礒にありて 石に付て 多く重り山のごとくなるを★山と云 離れて小なるを梅花蠣と云 広島の物是なり 筑前にて是をウ
チ貝といふは内海の礒に在るによりてなり 又オキ貝 コロビ貝と云は
石に付かず 離れて大なるを云へり○又ナミマカシハと云あり 海浜に多し 形円にして薄く小なり 外は赤ふして.小刺〈はり〉あり 尤美
なり 好事の者は多く貯へて玩覧に備ふ 是韓保昇が説く所
★蠣是なり 歌書にスマカシハといふは蠣売の事なり 又仙人と
云あり 其殻に付く刺幅広きを云 又刺の長く一寸ばかりに多く
附く物を海菊と云 又むら雲のごとく刺なきものもあり その
色数種なり(右本草並諸房の説を採る)
○カキといふ訓はカケの転じたるなるべし 古歌に
みよしのゝ 岩のかけ道ふみならし とよめるはいま
俗に岳と云に同して云初めしにや 物の闕たると云も
其意にてともに方円の全からざる義なり 
○此殻をやきて灰となし壁をぬること本草に見へたり
○大和本草に高山の大石に蠣殻の付たるを論して挙たり これ又本草に云所にして 午山老人の討論あり いずれを是なりと
も知らざれば此に略す されども天地一元の寿数改変の時に付
たる殻なりと云も あまり迂遠なる説也

日本山海名産図会巻之三 終





 
(30) [ 進行中 ]
○堅魚
土佐 阿波 紀州 伊豫 駿河 伊豆 相模 安房 上総 陸奥 薩摩 此外諸州に採るなり 
四五月のころは陽に向ひて 東南の海に群集して
浮泳す 故に相模 土佐 紀州にあり 殊に鎌倉 熊野に多く 就中 土佐 薩州を名産として 味厚く 肉肥 乾魚の上品とす 生食しては美癖なり 阿波 伊勢これに亞く 駿河 伊豆 相模 武蔵は味浅 肉脆く 
生食には上とし 乾魚にして 味薄し 安房 上総 奥州は是に亞 
○魚品は 縷鰹 横輪鰹 餅鰹 宇津和鰹 ヒラ鰹
等にて中にも縷鰹を真物として次に横輪なり 此二種を以て 
乾魚に製す 東国にて小なるをメジカといふ 
○漁捕は 網は稀にして釣多し 尤其時節を撰はずして つ
ねに沖に出れども 三月の初より中旬まてを初鰹として 専生
(3) [ 進行中 ]
食す 五月までを春節として上品の乾魚とす 八月までを秋
節といふ 飼は鰯の生餌を用ゆる 故に先鰯網を引く事も常也 
鰯 二坪ばかりの餌籠に入れて汐潮水に浸し 是を又三石ばかりの桶に潮水をたゝへて移し入れ 十四五石ばかりの釣舟に乗せて 一人
長柄の杓を以て其汐を汲出せは 一人は傍より又汐を汲入て 
いれかへ/\て魚の生を保たしむ 釣人は一艘に十二人 釣さほ 
長一間半 糸の長さ一間ばかり ともに常の物よりは太し 針の尖にかゑりなし 舟に竹簀 筵等の波除あり さて釣をはじむるに 先生たる鰯を多く水上に放てば 鰹これに附て踊り集る 其中へ
針に鰯を尾よりさし 群集の中へ投れば 乍喰附て 暫くも猶
予のひまなくひきあげ/\ 一顧に数十尾を獲ること 堂に数
矢を發つがごとし ○又一法に水浅きところに自然魚の集を
みれは 鯨の牙 或は犢牛の角の空中へ針を通し 餌なくしても 釣なり 是をかけると云(牛角を用ることは 水に入て おのづから光りありて いわしの群にもまがへり) ○又 魚を
集んと欲する時はおなじく牛角に鶏の羽を加へ 水上に振り
動かせば 光耀尚鰯の大群に似たり 此余 天秤釣などの法なと 
あれども 皆是里人の手すさひにして 漁人の所業にはあらす 
○又釣に乗ずる時 若遠く餌を遂ふて 鰹の群来る時にあへは 
自船中に飛入りて 其勢なか/\人力の防ぐ所にあらず 
至て多き時は 殆舟を壓沈す 故に遥に是を窺ひて 急き
船を漕き退けて 其過るを待なり 
○.行厨蒸乾制鰹鮑〈りやうりしてむしほしかつおにつくる〉釣舟を渚によせて 魚を砂上に拗り
上れば 水郷の男女老少を分たず 皆桶又板一枚庖丁を持て 
呼ひ集り 桶の上に板を渡して俎とし 先魚の頭を切 腹を抜き 
骨を除き二枚におろしたるを 又二つに切りて 一尾を四片とな
すなり 骨膓は桶の中へ落し入れて 是を雇人各々の得ものと   
(5) [ 進行中 ]
して別に賃を請ず 其膓を塩に漬 酒盗として售るを徳用と
するなり ○又所によりて 行厨を一里ばかり他所に構へ 大俎板を置て 両人向ひあわせ 頭を切り 尾を携へて下げ切とす 手練甚だ早し 熊野辺皆然り 
○かくて形様を能程に造り 籠にならべ幾重にもかさねて 大釜
の沸湯に蒸して 下の籠より次第に取出し 水に冷し又小骨
を去り よく洗浄ひ 又長五尺ばかりの底は 竹簀の蒸籠にならべ 
大抵三十日ばかり乾し暴し 鮫をもつて又削作り 縄にて磨くを
成就とす 背節を上とし 腹節を次とす 背は上へ反り 腹は直也 
贋ものは鮪を用ひて甚腥し (乾かすにあめふれば 藁火をもつて篭の下より水気を去るなり 冷やすに
水を撰めり 故に土佐には清水といふ
所の名水を用る 故に名産の第一とす)
○或云 腹節の味劣るにはあらざれども 武家の音物とするに 腹節の名をいみて用ひられざるゆへなり 
○鰹の字 日本の俗字なり 是は延喜式 和名抄等に堅魚と
あるを二合して制りたるなり 又カツヲの訓義は 東雅に★魚
と云字音の転なりといへども是信じがたし 或云 カツヲは堅き
魚の転にして 即乾魚の事なるを それに通じて生物の名に
も呼びならひたるなり ○又東医宝鑑に 松魚を此魚に充 
たり 此書は 朝鮮の医宦許俊の撰なるに 近来又朝鮮の聘
使に尋れば 松魚は此に云鮭のことといへり 尤肉赤して松の節のごとし 
又後に来る聘使に尋るに 古固魚の文字を此堅魚に充たり 
されど是も近俗の呼所とは見へたり 前に云 ★魚は此に云 マナカツヲにして 一名★又魚游と云と云々 是舜水のいへるにおなしくしてマナカツヲを魴とかくは誤りなるべし云々 
○乾魚は本邦日用の物にして 五味の偏を調和し 物を塩梅するの主なり 元よりカツヲの名もふるし 万葉集長歌 水の江の 浦 
 
(8) [ 進行中 ]
島の子が堅魚つり 鯛つりかねて(下略) 万葉は聖武の御宇
の歌集なり 又延喜式 民部寮に堅魚煎汁を貢すること見へ
て イカリは今ニトリといふ物なるべし 尚主計寮にも 志摩 
相模 安房 紀州 土佐 日向 駿河 豊後より貢献の事も見へたり
○又兼好徒然草に 鎌倉の海にかつをと云魚は 彼さかひには
  さうなき物にて このころもてなすものなり それも鎌倉
  の年寄の申伝へしは 此魚 をのれら若かりし世までは 
  はか/゛\敷人の前に出すこと侍らざりき 頭は下部も食
  はず きりて捨侍りし物なりと申き かやうの物も世の末に
  なれば 上さままでも入たつわざにこそ侍れと云々 
  ○是は兼好の時代には貴人などの生にて喰ひし事をあやしみ
   いふこゝろと見えたり 
○鰹魚のタヽキといふ物あり 即★なり 勢州 紀州 遠江の物を上品として 相州小田原これに亞く 又奥州棚倉の物は色白くして 味他に越たり 即国主の貢献とする所なりとぞ 

○生海鼠 (熬海鼠 海鼠膓)
是★品中の珍賞すべき物なり 江東にては 尾張和田 三河柵の島 相模三浦 武蔵金沢 西海にては讃州小豆島最多く 尚
北国の所々にも採れり 中華は甚稀なるをもつて 驢馬の
皮又陰茎を以て作り贋物とするが故に 彼国の聘使 商客の此
に求め帰ること夥し 是は小児虚★の症に 人参として用る
故に 時珍 食物本草には海参と号く 又奥州金花山に採物は 
形丸く 色は黄白にて 腹中に砂金を含む 故に是を金海鼠と云 
○漁捕は 沖に取るには 網を舟の舳に附て走れば おのづから
入るなり 又海底の石に着たるを取るには 即熬海鼠の汁 又は  
(11) [ 進行中 ]
鯨の油を以水面に点滴すれば 塵埃を開きて 水中透明底を
見る事鏡に向がごとし 然して★網を以て是をすくふ 
○熬乾の法は腹中三条の膓を去り 数百を空鍋に入れて 活
火をもつて煮ること一日 則★汁自出で 焦黒 燥硬く 形微少な
るを 又煮ること一夜にして 再び稍大くなるを取出し 冷むるを候
糸につなぎて乾し 或は竹にさして乾たるを串海鼠と云 また
大なる物は藤蔓に繋ぎ懸る 是 江東及越後の産 かくのごとし 
小豆島の産は大にして味よし 薩摩 筑州 豊前 豊後より出るものは極めて小なり 
○和名抄 .老海鼠〈はや〉と云物は則熬海鼠に制する物是なりといへり
又生鮮海鼠は俗に.虎海鼠〈とらこ〉と云ひて 斑紋あるものにて
 是又別種の
物もありといへり 東雅云 適斎 訓蒙図会には沙★をナマコとし海参をイリコとす 若水は沙★ 沙蒜 塗筍をナマコとし 海男子
海蛆をイリコとす云々 いずれ是なることを知ず されど海男子
は五雑俎に見へて 男根に似たるをもつて号たり 
○海鼠膓 (本朝食鑑に或は俵子と称するといふは誤るに似たり 俵子は
虎子の転したるにて たゞ生海鼠の義なるべし)
海鼠膓を取り 清き潮水に洗ふ事数十遍 塩に和して是を収
なり 黄色に光り有て 琥珀のごとき物を上品とす 黒み交る物
下品なり 又此三色相交る物を 日影に向ふて頻に撹まはせば 盡
く変じて黄色となる 或は膓一升に鶏子の黄を一つ入れ かき
まはせば味最も美なりともいへり 往古は此膓を以て貢とも
せしかども能登 尾州 参河のみにて他国になし 是まつたく黄色
なるもの稀なればなり(又一種 膓の中に色赤黄にて のりのごときものあり 号て.海鼠子〈このこ〉とふ 味よからず)
○海胆 (一名 霊羸子)
是塩辛中の第一とす 諸島にあれども越前 薩摩の物名品とす 殻 
 
(14) [ 進行中 ]
円うして橘子のごとく 刺多くして栗の毬に似たり 住吉 二
見などの浜に 此刺を削りて小児の弄物とす 形 鐙兜に似て 其
口 殻の正中にあり まゝ中に漆して器物とす 肉は殻に満ることなく
甚微少して膏あり 海人塩に和して酒★の上品とす 尤黄に赤
きを帯ぶるをよしとす 大村 五島平戸の産を賞す 紫黄な
る物は 薩摩島津の産なり 和潤にして 香芳甚勝れり 越前の物
は★粘ありて光艶も他に超たり 又物に調味しては味噌にかへて
一格の雅味あり 海胆 焼海胆 田楽なと 好事に任せてしかり 
○漁捕は 海人干潟に出で 岩間にもとめ 即肉を採り 殻を去り 
よく洗ひて桶に収めて 亭長に送る 亭長塩に和して售る 
○ウニとは海胆の転じたるなり 又一種兜貝と云物 此種類にして別なり
○白魚(大和本草に鱠残魚といふて前説キスコといふ説を非せり)
摂州西宮の入江に 春二三月の頃 一町の間に五所ばかり藁小屋を
作り 両岸同しく犬牙に列なり ★★の★を川岸より一二間ばかり
打出し 是に水を湛はせ 潮の満るに 魚登り 引潮に下るの時 此★の間に聚るを待ちて かねて柱の頭に穴して 網の綱を通はせ
孔に小車をかけて引て 網の上下をなす 網は蚊屋の布の四手
にて★の傍 魚の聚る方におろし置て 時々是をあげて 杓の
底を布にて張たる儻にてすくひ採るなり 尚図のごとし ○案る
に此法 古宇治川の網代木に似たり 網代木は★を二行に末広く
網を打たるやうに打て 其間へ水と共に氷魚も湛ひ留るを 網代
守 網して採れり 万葉集に
 武士の 八十宇治川の網代木に いさよふ波の 行衛しらずも 
是水のたゞよふを詠めり 案ずるに 白魚 氷魚 又三月頃海より多く上る.麺条魚〈とろめさこ〉又シロウヲともいひて 俗に鮎の苗なりと云もの 
(16) [ 進行中 ]
ともに三種 皆同物別種の物にて 春は塩さかひに生じ 氷魚は冬 
湖中 波あらきさかひ 宇治川田上に生する事其理一なり 又ドロ
メは鮎の苗なり 鮎は年魚にして 年限の物なれば 上に子を孕
みて身重き故に 秋海をさして落て 塩さかひに産めり 故に江
海より登りて したひに生長す 是を浪花川口にとること 纔十日
ほとの間なり 又チリメンザコ チリメン小アユは則麺条の塩干なり
此物東武になし 本朝食鑑に白魚は氷魚の大なる物なり 江海の
中に生し 春に至て海に登り 二三月の際 子を水草沙石の間に
生み 其子長じて氷魚となり 江海に至て又長して白魚となると
云は無覚束説なり 
○備前平江 勢州桑名等の白魚は 立網又前がきをもつて取り
桑名の立網は長七丈 下垂三丈ばかり 網の目一歩ばかり アバは桶にてイハ
は鉛なり 七人宛乗たる船五艘 沖より網を入れて 五艘を舫ひ繋きて礒へ漕よするなり 網の長さ百尋ばかりにして一網に獲ること
大凡二石ばかり 魚沢山なるゆへに 貨るに升をもつてはかる 又目差といひて 竹に多く刺連ねたる物 此地の産なり 網する所は
赤すが 浜地蔵 亀津 福崎 豊田 一色などに採れり 此間三里の海路
にして 其中に横枕といふ所は 尾州 勢州のさかひなり 尾州の方
には白魚なく 桑名の方には蠣なし 偶得るとも味必美ならず 人是を一奇とす 案ずるに是前にいへる潮さかひなり 元伊勢の海は
入江にして 桑名福島は則川口なり 上は木曽川にて 其下流爰に
落る 西宮に生ずる其理同し 
○一種 鰯の苗といふ物鵞毛★と云 又潮水に産するに同物あり 
一名サノホリと云て 冬月採る也 若州にも似たる魚有 アマサキと云 仲冬より初春に至る 又筑前にシロウヲといふ物小にして長
一寸ばかり 腹下に小黒き点七つあり 大小に抱らず 
   
(18) [ 進行中 ]
○焼蛤並に時雨蛤
勢州桑名 冨田の名物なり 松のちゝりを焚きて 蛤の目番の方より
焼くに 貝に柱を残さず味美なり 
○時雨蛤の制は たま味噌を漬たる桶に溜りたる浮汁に 蛤を煮
たる汁を合せ 山椒 木耳 生姜等を加えて むき身を煮詰たる
なり 遠国行路の日をふるとも 更に★れることなし ○溜味噌の
制は大豆をよく煮て 藁に裏みて 竈の上に懸け 一月ばかりにして
臼に搗き 塩を和して水を加れば 上すみて溜る汁を 醤油にかへ
て用ひ 底を味噌とす(是を以て魚を煮るに 若稍★たる魚も復して
味よし 今も官駅の日用とす)

○鮴(字書に見ることなし 姑く俗に従がふ 一名.★〈イシフシ〉)
山城賀茂川の名産なり 大和本草に二種あり 一種は腹の下に
丸き鰭あり 其鰭平なる所ありて 石に付けり 是真物とす 膩ら
多し 羹として味よし 形は杜夫魚に似て小さく 背に黒白の文あ
り 一名石伏と云て 是貝原氏の粗説なり 尤一物なりとはいへど
も 形小異あり 尚下の図に見るべし
○漁捕は 筵二枚を継ぎて浅瀬に伏せ 小石を多く置き 一方
の両方の耳を 二人して持あげゐれは 又一人川下より 長さ三尺
余りの撞木を以て川の底をすりて追登る 魚追はれて筵の上の
小石に付き隠るを 其侭石ともにあげ採るなり 是を鮴押と云
○又加賀浅野川の物も名産とす 是を採るに 賀茂川の法に同しく
フツタイ 板おしきと其名を異にするのみ フツタイは割り
たる竹にて大なる箕のごとき物を 賀茂川の筵のかわりに用ひ 板
おしきは竪五尺 横三尺ばかりの厚き板を 竹にて挟み 下に足がゝりの穴
あり 是に足を入れて上の竹の余りを手に持 石間をすりて追来る
  
(19) [ 確認待 ]
事 前に云ごとし
○又里人などの納涼に乗じて 河辺に逍遥し この魚を採に 
人々 香餌を手の中に握り水に掬し ゴリと呼ば 魚群れて掌中
に入るなり 又籃にてすくひ採ることも有るなり 是をしも未熟の者にては得やすからず 清流浅水といへども見へがたき魚なり 
○和名抄にゴリを出さず ☆をいしふしとして 性石間に伏沈 
○☆はチヽカフリ ☆に似て黒点あり○.☆魚〈かうぎよ〉カラカコ ☆に似て
頬に鉤を著ける物なりと注せり 案ずるに文字に於ては適当と
も云がたし 和訓義に於ては いしふし 石に伏して 今コリ石伏といふに
あたれり○ゴリは鳴く声のゴリ/゛\といふによりて 後世の名な
るべし○チヽカフリは チヽは土にて土をかぶり 蒙との儀なるべし されは杜父魚にちかし 人の音を聞けば 砂中に頭をさして 碇のごとくす 一名
.砂堀☆〈すなほりはぜ〉とも云 カラカコは頬に鉤を付たるの名なり 鉤の古名カコと
も云へり カラの義未詳 ○或云 声有魚は必ず眼を開閤す 是また
一奇なりとす されども其実をしらず○又是等皆所の方言にかしか
とも云へり 尚弁説有 下のかしかの条に見るべし 

○.鱒〈ます〉 
.海鱒〈うみます〉.川鱒〈かわます〉二種あり 川の物味勝れり 越中 越後 飛騨 奥州 常陸等の
諸国に出れども 越中神道川の物を名品とす 即.☆〈しほびき〉として納め来たる
形は鮭に似て住む処もおなしきなり 鱗細く 赤脉瞳を貫き 肉に赤刺
多し 是を捕るに 乗川網といふて 横七尺長五尋の袋網にて 上にアバ
を付 下に岩をつけて 其間わづか四寸ばかりなれども アバは浮き イハは沈
みて網の口を開けり 長き竹を網の両端に付て 竹の端をあまし 人
二人づゝ乗たる スクリ船と云 小船二艘にて網をはさみて 魚の入る
を待ちて 手早く引あげ 両方よりしぼり寄するに 一尾或は二三

 
  
(23) [ 確認中 ]
尾を得るなり 魚は流れに向て游く物なれば 舟子は逆櫓をおして
扶持す 
○鱒の古名は腹赤と云 年中行司 腹赤の熟を奏す歌に 
   初春の千代の例の長浜に 釣れる腹赤も我君のため 
毎年正月元日 天子に貢す 若遅参の時は七日に貢ず 是日本紀 景
行天皇十八年 玉杵名の邑より渡ると云時に 海人の献りし例を
以て今に不絶貢ぎ奉れり 故に是を熟の魚とも云へり 長浜は
其郡中にして又長渚とも云 
○和名抄には ★魚 又鱒と二物に別てり ★は字書に見る事なし 
国俗なるべし 或云 今元日に腹赤の奏を 御厨に於て鮭を用ゆる
こともあれば 若 鱒鮭ともに腹赤といふも知るべからず 
○鮭の子をハラヽゴと云は 腹赤子の転にも有かと云へり 又稲若水は
鱒は即渕魚にして 俗にヲヒカハと云物なりともいへり されば和名抄に 二
物に分てる物 其故しかるや かた/゛\さだかならず 尚可考 ヲヒカハゝ腹赤き魚也 
○八目鰻
江海所々是有 就中信州諏訪の海に採る物を名産とす 上諏
訪 下諏訪の間 一里ばかりは冬月氷満て其厚さ大抵ニ三尺に及ぶ其
寒極まる時は かの一里ばかりの氷の間にあやしき足跡つきて 一条の
道をなせり 是を神のおわたりと号て往来の初めとす 此時に至
りて鰻を採れり 先氷のうへに小家を営むなり 是を建るに
火を焚きて穴を穿ち 其穴に柱を立て 漁子の休ふ所とす 
又網或は縄を入るべきほど/\をはかり 処々を穿にも 薪を積
焚き 延縄を入れ 共餌を以て釣り採る事 其数夥し 氷なき時
は うなぎ掻を用ゆ 又此海に石斑魚多し 一名赤魚又赤腹とも云
是は手操網を竹につけて氷の穴より入れ 外の穴へ通して採也  
  
(25) [ 進行中 ]
附記
○本草綱目に鱧といふは 眼の傍に七ツの星ありといふに付て 今此魚に充たり 或云 今も漢渡の鱧は一名黒鯉魚と云ひて 形鰡に似
て小く 鱗大きく 眼の傍に七ツの星あり 全身脂黒色にして 深黒
色の斑点あり 華人長崎に来り 是を九星魚といふ 然ども星は七ツ
なり 和産にあることなし 恕庵先生八目鰻に充たるは誤なり 
近来南部にて 一種首に七星ある魚を得て 土人七星魚といふ 是
本条の鱧のたぐひにや否や 未其真を見ずと云々 本朝食鑑に説
ところの鱧は 涎沫多く 状略鰻★或は海鰻の類ひにて 大なるもの
ニ三尺余 背に白点の目の如き物は九子あり 故に八目鰻と号く 其
肉不脆 細刺多くして味美ならず 唯薬物の為に採るなりと云々 
案ずるに 本草の鱧の条下に疳疾を療ずることを載ざれば 鱧は
鱧にして此の八目鰻と別物なる事明なり 又食鑑に云ところは 
疳疾の薬に充てゝ 此の八目鰻なること疑ひなくいひて 鱧の
字に充たるは誤なるべし 所詮今の八ツ目鰻 疳疾の薬用に
だにあたらは 漢名の論は無用なるへし 

○章魚 (一名は梢魚 又海和尚 俗に蛸に作るは梢の音をもつて二合せるに似たり)
諸州にあり 中にも播州明石に多し 磁壺二つ三つを縄にまとひ
水中に投じて自来り入るを常とす 磁器是を蛸壺と称して 
市中に花瓶ともなして用ゆ 蛸は壺中に付て引出すにやすか
らず 時に壺の底の裏を物をもつて掻撫れば おのづから出て
壺を放ること速なり ○伊豫長浜に此魚甚だ多き故に 張
蛸として市に出すなり 是はスイチヤウと云物を以て取るに
一人に五六百 一艘には千二千に及ふ スイチヤウとは四寸に六
寸ばかりの小片板の表の端に 釣を二つ付け 表にズ蟹の甲をはなし 
(27) [ 進行中 ]
足許をのこし 石を添へて 二所苧にて括たるを三つはかり 長四五十
尋の苧糸に付て水中に投ずれば 鮹は蟹の肉を喰はんとて 板の
上に乗るを手ごたへとしてひきあぐるに 岸近く或は水際など
に至て驚き逃げんと欲して かの釣にかゝるなり 泉州亦此法を以 
小鮹を採るには 烏賊の甲蕎麦の花などを餌とす 長州赤間関の
辺には 船の艫先に篝を焚けば 其下多く集りて 頭を立て踊り
上るを 手をもつて掴み 手の及ざる所は打鎰を用ゆ 手取の
丹練尤妙なり 
○鮹は普通の物大さ一二尺ばかりにして又小蛸なり 京師にて十月の
ころ 多く市に售るを十夜蛸と云 漢名 小八 梢魚 又絡蹄と云
大なる物はセキ鮹と云 又北国辺の物至て大なり 大抵八九尺より
一二丈にして やゝもすれば人を巻き取て食ふ 其足の疣ひとの肌
膚にあたれば 血を吸ふこと甚はだ急にして乍ち斃る 犬鼠猿馬を
捕るにも亦然り 夜水岸に出て腹を捧 頭を昂け 目を怒らし 八足
を踏んて走ること 飛がごとく 田圃に入て芋を堀りくらふ 日中にも人
なき時は又然り 田夫是を見れば 長竿を以て打て獲ることもありと
いへり 大和本草に 但馬の大鮹 松の枝を纏ひし蟒と争ふて 終に枝
ともに海中へ引入れしことを載たり 
○越中富山 滑り川の大鮹は是亦牛馬を取喰ひ 漁舟覆して人を取
れり 漁人是を捕ふに術なし 故に船中に空寝して待てば 鮹窺ひ寄
て手を延 船のうへに打かくるを 目早く鉈をもつて 其足を切落し 速
に漕ぎかへる 其危きこと生死一瞬の間に関る 誠に壮子の戦場に赴
き 命を塵埃よりも軽んずるは 忠又義によりて人倫を明らかにし
 或は
天下の暴悪を除かんがためなり されども鮹の足一本にくらべては 紀信
義光か義死といへども あわれ物の数にはあらずかし 
 右大鮹の足を市店の★下に懸れば 長く垂れて地にあまれり 
 
(29) [ 進行中 ]
又此疣一つを服して 一日の食に抵つとも足れりとすなり この余の
種類 人のよく知る処なれば こゝに略す
○鮹の子は岩に産附るを やり子といひて糸すぢのごとき物に千万
の数を連綿す 是を塩辛として海藤花と云
○タコとは手多きをもつて号けたり タは手なり コは子にて 頭
の禿によりて 猶小児の儀なり 
○飯鮹 (○漢名 望潮魚)
摂泉紀播州に多し 中にも播州高砂を名産とす 是鮹の別種にし
て 大さ三四寸にすぎず 腹内白米飯の如き物充満す 食鑑に云 江東未
此物を見ず 安房上総などに偶是ありといへども 其真をしらずとぞ 
○漁捕は 長七八間のふとき縄に 細き縄の一尋ばかりなるを いくらも
ならび付て 其端毎に赤螺の★を括りつけて 水中に投 潮の
さしひきに波動く時は 海底に住みて穴を求るが故に かの赤螺に隠る
これをひきあぐるに貝の動けば 尚底深く入て引取に用捨なし 
○河鹿
諸国にかしかとさすもの品類すくなからず 或は魚 或は蛙なりとも
いひて ひとの口には唱ふといへども 慥にかじかと云名を 古歌 又古き
物語等に見ることなし 唯連歌の季寄 温故実録に 杜父魚 カシ
カとして なんの子細も見へず 八目の部に出せるを見るのみなり 其
余 又俳諧の季寄等に近来注釈を加えし物を出せしに 三才図
会などの俗書につきて ごり 石伏などに 決して古書物語等を
引用るにおよばず 又貝原氏 大和本草の杜父魚の条にも河鹿
として古歌にもよめりといふは 全く筆の誤なるべし 案ずるに 
かしかの名目は 是俳諧師などの口ずさみにいひはじめて 恐らくは
寛永前後の流行なるを 西行の歌などゝいへるを作り出して 人に 
(32) [ 進行中 ]
信ぜさしにもあるべき 既に俗伝に 西行 更級に住けるときによめ
りとて 
  山川に汐のみちひはしられけり 秋風さむく河鹿なく也
是何の書に出せる歌ともしらず されども或人に就きて 此歌の意
を尋ぬれば かしかは汐の満ぬる時は 川上にむかひて軋々となき 
汐のひく時は 川下に向かひてこり/\と鳴くとは答へき されば
解く処 ゴリキヽなど云魚をさすに似て いよ/\昔の證拠には
あらず 水中に声ある物は 蛙 水鳥の類ならて 古より吟賞の例を
きかず されども西行は歌を随意につらねたるひとなれば ものに
当つていかゞの物をよめりとも あながちに論ずるには及ばねども 若
くわ偽作なるべし 又万葉集の歌なりとて(一説に落合の滝とよみて 大原に建礼門院の御詠と云つたふ)
  山川に小石ながるゝころ/\と 河鹿なくなる谷の落合
是又万葉集にあることなし 其余他書に載たるをもきこへ
す 又 夫木集二十四雑六 岡本天皇御製とて 
  あふみちの床の山なるいさや川 このころ/\に恋つゝあらん
このころ/\といふにつきて かしかの鳴によせしなりなと いひ
もてつたへたり 是又誤りの甚しきなり 是は万葉集第四に 
 あふみちの床の山なるいさや川 けのころ/\は恋つゝあらむ 
とありて 代匠記の注に けとは水気にて川霧なり ころ/\とは
唯頃なり ねもころ/\とよみたる例のごとしと見へて かならずかし
かの歌にはあらざるなり 歌はかゝることどもにて かた/゛\さだかならずといへども 今さしてそれを定むべきかしかの證もなけれ
ば 今は魚にもあれ むしにもあれ たゞ流行に従ひて 秋の水中に
鳴くものを 河の鹿になすらへて 凡かしかといはんには 強く妨けもあるまじきことながら さもあらぬ物によりて詠歌などせんこ
そ いと口おしからめ さらばまさしく古を求めんとならば 長明
(33) [ 確認待 ]
無明抄にいへる井堤の蛙こそ いまのかしかといふにはよく/\当
れり 
○其文に曰 
  井堤の蛙は外に侍らず たゞ此井堤の川にのみ侍るなり 色黒き
  やうにて いと大きにあらず よのつねのかへるのやうにあら
  はにおどりありくことなとも侍らず つねに水にのみすみ
  て 夜更るほどに かれが鳴たるは いみじく心すみて物あはれ
  なる声にて侍る云々 
是今洛には八瀬にもとめ 浪花の人は 有馬皷が滝の辺に捕る物 
即井堤の蛙に同物にして 今のかしかなる事疑かふべくもあらず 
されば和歌にはかわつとよみて かしかとはよまざる也 かしかの名は彌
俳言といふに★ちなかるべし 昔井堤のかわづをそゝろに愛せ
しことは書々に見たり 今八背 有馬 井堤に取るもの 悉く其声の
あるにもあらず かならず閑情に鳴く物は 又其さまも異なる
所なり 是蝦蟇の一種類にして蒼黒色也 向ふの足に水かきなく 
指先皆丸く 清水にすみて なく声 夜はこま鳥に似てころ/\といふがごとく 六七月の間 夜一時に一度鳴けり 昼もなきて鵙の声の
如し 尤足早くして捕ふにやすからざれば 夏の土用の水底に 
ある時をのみ窺ひて捕れり 今魚をもて其物に混ぜしは かのか
しかの俳言より かはつの昔をわすれ 元より長明の程よりは幾
たびの変世に下り来て 近来かしかの名のみをきゝ覚へ かの川原
谷川に出て ごり ぎゝの声を聞得て 鳴く処もおなしければ 
是ぞかしかなりとおもひ定めしより 乱れ苧のもとのすぢを
こそ失なはれぬるやらん 
 再考
  加茂真淵 古今打聴云 かはづは万葉にも祝詞にも一名  
(34) [ 進行中 ]
.谷潜〈たにくゞ〉とて 山河に住みて 音のいとおもしろき物なり 今も
夏より秋かけて鳴故に 万葉には秋の題に出せり いまの
田野陂沢にすみて うたてかしましき物にはあらず 後世は
もはらさるものをのみよむは いにしえの歌をしらざるなり 
万葉に  おもほゑす来ませし君を佐保川の 蛙きか
せてかへしぬるかも とよめるをもても 音のおもしろきを
しらる 今の俗にかしかといふ物も いにしへのかはづなるべし 
さてそれは 春にはいまだなき出ずして 夏のなかばより
秋をかねて鳴なり 云々
○愚案に 谷クヽのことさして蛙なりといふ引証を得ざれば 
姑く一説とすべし 山河にすみて音おもしろきとめでゝ
いへるは いかさま万葉のをもむきには見へたれども 一編中
必秋なりともさだめがたし これ古質の常にして 種
類の物を あながちにわかつことなく混じて同名に詠事 
其例すくなからず されども第六  おもほへずきませる
君を佐保川の かはづきかせてかへしつるかも  又蛙に
よせたる恋歌に  朝霞鹿火屋が下になく蛙 こへだに聞か
は 我恋めやは といふなどは 秋なくものをよみて 尤題も
秋なり 又 後選集雑四 かはづをきゝてとの端書にて 我
宿にあひやとりしてなくかはづ よるになればやものはかなし 
き  是も秋の物とこそ聞ゆれ 又万葉  佐保川の清き
川原になく千鳥 かはづとふたつわすれかねつも なと みな
こえをめでしとは聞へはべる かはづなく吉の川 蛙な
く六田の淀  かはづなく神奈備川 かはづなく清川原 
なとにて とかく山河の清流にのみ詠合せて 田野の物を
よみたること 万葉一編にあることなし 元より井堤を詠は   
(35) [ 確認待 ]
古今集に見へて 六帖にも載し歌なり かた/\かじかは
蛙にして 名は俳言たることを知るべし 

  ○形並に声のおもしろきことは前に云ごとし
   カジカといふ名は俗語にして 歌に詠ことなし 
   もしよまばカハヅとよむべし 万葉を證とす 
内匠寮。大属。按作。村主。益人聊設飲饌以
饗 長宦佐為王未及日斜 王既還帰於
時 益人怜惜不厭之帰 仍作此歌 

不所念来座君乎 佐保川乃河蝦不令聞
還都流香聞

諸国に河鹿といふ魚

○伊豫大洲のは砂鰌に似て
少し大也 声は茶碗の底を
するごとくなるに尚さえて 夜
鳴くなり 鳴時両頬うごく 
大和本草に杜父魚とす 本
草 杜父魚の声を不載 


○越後国のもの 頭ら
大く黒班あり 腹白
し 小は一二寸 大は五六
寸 声蚯蚓に似てさへ
たり 夜鳴く 但し諸
国山川にも多し 四国にて
山とんこと云 大坂にてどんぐろはせといふ 

○加賀国のものは頭大きし 尾に
股あり 背くろく腹白し 其声
鼠に似て夜鳴く 小なるは一寸ばかり
大なるは二尺ばかり 但し小は声なし 
  
(36) [ 確認待 ]
○石伏 (一名ごり)
二種あり 海河ともに
あり 真の物は腹の
下にひれありて 石に
つく 杜父魚に似て
小なり 声あり 夜鳴く
ひれに刺あり 
海はやはらかなり 河はするどし

○軋々
○嵯峨にてみこ魚といひ 播州にてみこ女郎
といふ魚 是に似て色赤く 咽の下に針有 
ぎゝはひれに針あり 大に人の手をさす 
漢名 黄★魚 みこ魚は★絲魚 海河ともに有。(小三寸はかり 大四五寸 腮の下にひれあり 色黄茶 黒斑紋あり)

○越前霰魚
 ○此国のほかになしとて 杜父魚に充るも誤なり
 とす 霰の降る時腹をうへにして流るといふ 
 一名カクブツ 声あり 考るに杜父の種類也 
 杜父といひてあやまるにもあるべからず 

○石くらひ
○ドングロ ひれに
刺なし 
漢名未詳


○杜父魚
○イシエヽチ。川ヲコゼ(伏見)。クチナハトンコ(伊豫) 
マル(嵯峨) ムコ(近江)
水底に居て石に
附て石伏に似たり コチに似て
黒斑ら 加茂川に多し 頭とひれに刺ありてするどし 


 
(37) [ 進行中 ]
○水母(一名 借眼公 海舌)
諸州に産して備前殊に名産とす 又唐水母 朝鮮水母と云は 肥
前に産す 元は異国より長崎へ転送せし物なれば かく号り 今は
本朝にも其法を覚えて製し 同く唐水母と称す 其製法は石
灰と明礬とに浸し晒して 血汁をされば色変じて潔白なり 又
備前は櫪の葉を少し炙り 臼にて舂き 塩水に和し浸すなり 
其外数種あり 中にも水水母 又色黒き物 赤きものは皆毒ありて
漁人これを採事なし 
○形は蓮の葉を覆ひたるが如く 其辺に足の如き物あり 色は
赤紫にて眼も口もなし 腹の下に糸のごとく 絮のごとく長曳く物あり
魚蝦かならず是に隨附す 俗にこれが眼を借りて游ぐともいへり 
故に借眼公の名あり ○大なるものは盤のごとく 小なる物は盆のごとし 
(3) [ 確認待 ]
.備前水母〈びせんくらげ〉 (4) [ 確認待 ]
其味淡く 薑醋などに和して食す 大抵泥海の産にて 筑前 備
前等に多く 江東には鮮し○是を採るには九月十月の頃 海上に
浮漂ひて流るを 舟より儻網を以て採る 波荒き時は 礒へうちあ
ぐるもあるなり 夫木抄 源仲正 
 我恋は海の月をぞ待わたる くらげの骨にあふ世ありやと 

○石灰 (一名 染灰 散灰 亜石)
今近江の物上品とす 美濃又是に等し 是金気なき地なれば也 
元は和州芳野 高原に焼初て 其年月未詳といへども 本朝用ひきた
ること甚古し 桓武天皇 大内裏御造営 清涼殿御座の傍に 石
灰檀を塗作らせたまひて 天子親 四方拝などの土席とす 其外人用
に益することもつとも多し 先億万の舟楫 億万の垣牆 凡水を載るの
物 溝洫器物に至るまで是に寄ざれば成らず 実に天下の至宝なり
諺に 都なす処百里の内外 土中 かならずこの石を生ずといへり
○今江州伊吹山近辺 又石部に焼物皆青石なり 山州鞍馬に焼
物は夜色石にして青石には劣れり 青白なるは是に次く 石は必土内に
掩ふ事ニ三尺なるを堀取り あらはれて風霧を見る物は取らず 
伊吹山の麓 更地山は一面の青石なり 島筋ある物は下品とす 掘出し 
矢をもつて打破り 手拐 転木を以て二百間ばかりの山を磨落せば 凡
碎けて地に付く くだけざる物はよしとせず やぶ川は船にて渡せり 
蠣★を焼くもの石灰に劣れり 
燔法は 窯の高さ三尺 広さ周径四間ばかり 田土にて製る下に
風の通ずる穴あり 先石を尚打砕きて程よく満しめ 其上へ炭を
敷きならべて火を置き 火気満て底に透るを候ひて火を消し 
灰を取出して幾度もしかり 又美濃にて焼く窯の方は異なり 
櫓窯といひて 高一丈 周径三尺ばかり 内は下程次第に細く三角になして
(5) [ 確認中 ]
,近江石灰〈あふみいしはい〉 (6)
焼たる灰を自然と底に落さんが為なり 石と炭とを夾みて 幾く
重も積重 下より焼きて火気を登せ 底よりさきへ燔落るを横
の穴より掻出せり かくて次第に石と炭とを上へ積添て燔初むる
より 凡百日ばかりの間昼夜絶る事なし 是中華の方のごとし 尤夏
冬は燔ことなし 燔きて二十日ばかり 風中におけばあ熱に蒸せて 自然
吹化して粉となる 又急に用る者は水をそゝげは忽ち解散す し
かれども風化の物をよしとして はじめより俵に篭めて風のあた
る処におき 尚貯へ置けば 次第に目も重く灰も自然に倍し はじめ
ゆるき俵も後には張切るばかりとはなれり 是をフケルといふ かくて一年
づゝを越えて かはる/゛\に市中へ送り出だせり さてかくなりて
後は 大に水を忌めり もし水を沃げは 忽ち燃出ていかんともする事
なし 故に舟中には是を専と守り 又牛に負ふせて出るに 若雨にあ
ひて火出て牛を損ずを恐れ 常に牛御の腰に鎌をさし 結たる
縄を手はやく切 解の用意とす 
○蠣灰 蠣房のことは蠣の条下にいへるがごとし 年久しき物は
大さ数丈 崎嶇として山形のごときものもあり 海辺の人は別に鑿と
槌とを持して 足を濡らして是を採りて燔き用ゆ(今薬舗に售所の牡蛎は即此碎けたるなり)
大坂などに用ゆるもの 多くは此灰にして石灰はすくなし 故に灰屋
招牌に本石灰と記しぬる物は近江の物をさせり 燔方石灰にかはる
事なし 但し蛤蜆を燔たるは至て下品なり 
○灰用方 舟の縫合せの眼を固うするには 桐の油 魚の油に 厚き
絹 細き羅を調へ和して杵く事千ばかりにて用ゆ ○又牆 石砌などには
先篩ふて石塊を去り 水に調へ粘合せ油を加ふ ○壁を塗るには帋
★を加ふ○水を貯ふ池などには 灰一分に河沙黄土二分 土塊を篩ふて
水に和し粘合せて造れば 堅固にして永堕壊せず 此余澱を造り 又
紙なと造にも加え用ちゆ 尚其用枚述べからず
(7) [ 進行中 ]
,美濃石灰櫓窯〈みのいしはいやくらかま〉 (8)
○陶器 
諸州数品有中にも 肥前国伊万里焼と云を本朝第一とす 此窯山凡
十八ヶ所を上場とす
○大河内山 ○三河内山 ○和泉山 ○上幸平 ○本幸平 
○大樽 ○中樽 ○白川 ○稗古場 ○赤絵町 
○中野原 ○岩屋 ○長原 ○南河原(上下二所)
○外尾 ○黒牟田 ○広瀬 ○一の瀬 ○応法山 
等にて 此内大河内は鍋島の御用山 三河内は平戸の御用山にし
て他に貨売する事を禁ず 伊万里は商人の幅湊せる津にて 焼
造るの場にはあらず 凡松浦郡有田のうちにして 其内中尾 三つの股 
稗古場は同国の領ちがひ また広瀬などは青磁物多くして上品なし
都合二十四五所にはなれとも 十八ヶ所は泉山の脇にありて 是土の出る山也 
○★土 泉山に出て国中の名産 本朝他山に比類なし 中華
は中国の五六処にも出せり 是土にして土にあらず 石にして石に
あらず 其性甚堅硬し 拳鑿をもつて打かき 金杵の添水碓に
是を舂しむ(杵の幅一尺ばかり 厚さ一尺五六寸 長さ一間半ばかり)最水勢つよくしかけて 碓の数
多く連らね よく末粉となりたるに 又他の土 粢軟なるを二三品
和し合せて 家の内の溜池に漂し 度々拌通しよく和したるを 飯
★に漉し 又他の溜池へ移し よく澄し 其上に浮たるものを細料とし 中を普通の上品に用ひ 底に下沈たるは取捨て不用 さて其
水干の土を素焼窯の背に塗附 内の火力を借りて吸乾かす 最 
これによき程を候ひみて掻き落し 重て清水に調和し かの団子
のごとく粘和して 工人に与ふなり 是まで婦人の所為なり 
○造瓷坏器 凡瓷坏を造るに両種あり 一には.印器〈かたおし〉と云 方円数
品 瓶 甕 爐合の類 屏風 燭台の類にも及べり 是等は凡そ塑
(9) [ 確認中 ]
,肥前伊万里陶器〈ひぜんいまりやきもの〉 (10)
同.素焼窯〈すやきかま〉
同.過銹〈くすりをかゝる〉
同.打圏書画〈ゑをかく〉
(11)
成して 或は両に破り 或は両に截り 又再び白泥を★りて範に模し 或
はそのまゝに印を押すもあり 又おなし土に銹水を和して塗り
合 取付などもするなり ○一には円器といひて 凡大小億万の杯盤は 
人間日用の物にして 其数を造る事十に九なり 此円器を造るには
先陶車を製す 其円盤上下二つにして 下の物少し大なり 真中に
真木一根を竪て埋む事三尺ばかり 高さ二尺ばかり上の車の真中に土を
置て造る也 下の車は工人の足にて廻し 須臾も廻り止ことなし 両手
を以てかの上の土を上へ押捧げ 指自ら内に交り 車の旋転が中に
拇指は器の底にありて 其形の異法心にまかせ すべて手のうち指
尖の妙工見るがうちに 其数を造り 其様千万の数も 一範の内に
出るがごとくにして 大小をあやまらず 又椀鉢の類の 外の輪台を付る
には微し乾して再び車に上せ 小刀を以て輪台の内外を削り成し 碎
缺も此時に補ひ 或は鈕手 瓶の水口などは別に造り 粘土を合せて
和付す 又是を陰乾とし 極白に至らしめ素焼窯へ入るゝなり 
○素焼窯は図するごとく 糀室の如き物にて器物を内に積みかさ
ね 火門一方にありて薪を用ゆ 度量を候ひ火を消し 其まゝ能くさ
ます 
○打圏書画再入窯 右素焼のよく冷めたるを取出し 一度水に
洗ひ 毛綿裂にて巾き磨なり 茶椀鉢などの内外 上下の圏 輪の
筋を画くには 又車に上せ筆を其所にあてゝ くるまをめぐらせり 然
して書画を施し 其上へ銹漿を二度過てよく乾し 本窯へ納れて
焼けば 火を出て後 画自ら顕る 取出し又水に洗ふを全備とす すべて土を
取るよりはしめて終成まではたゞ一杯の小皿なりといへとも 其工力を
過ること七十二度にして 其微細節目 尚其数云盡すべからず 
○素焼の窯は家の内にあり 本窯は斜阜山岡の上に造りて 必平地に
はなし 皆一窯宛一級高くし 内の広さ凡三十坪 是を六つも連接し 
(12) [ 確認待 ]
同.本窯〈ほんかま〉 (13)
て 悉く其接目に火気の通ずる窓を開く 然れども火は窯ごとに焚也
内には器物をのする台あり 即土にて制し 一つ宛のせて寸隙なく 一方を
細長く明置 それへ薪を入るゝ 此火門八寸に高二尺ばかり余にして 焚こと凡
昼夜三四日にして 一窯に薪凡二万本を費やす 尤焚様に手練ありて
上人下人の雇賃を論ず(追々投込にたゞ木の重さならぬやうにするをよしとす)又戸口の脇に手鞠程
の穴有 是を時々蓋をとりて 度量を候ひ 其成熟を見れば 火を消し
其まゝよく冷して取出すに 一窯の物凡百俵に及べり 
○過銹は即おなし土の内にて上澄の上品をゑり それに蚊子木の皮はを
焼たる灰を調和す 最 増減加味 家々の法ありて一概ならず 
○.回青〈あをゑのくすり〉は 元漢渡の物にしてその名未詳 是亦よく細末して水に
和し 画く時は其色真黒なれども 火を出て後 青碧色と変ず 
 天工開物を見るに 是惣て一味の無名異なり 此無名異といふは 山に
 て炭を久しく焼たる下に 異色の塊生ず 是を薬木膠と云 是も
 無名異の名あり 又石州銀山にも同名の物あり 本条の物にはあら
ず 是は土中にある紫色の粉を水干したる物にて 血止とするのみ
最も偽物多し 本条の無名異は地面に浮生じて 深土には生ぜず 
堀に三尺には過ぎず 上中下の品ありて これを.弁認〈めきゝ〉す 上なる物は 
火を出て翠毛色となり 中なるものは微青なり 元舶来の物を
上品とす 大なるは僅に一分ばかり 小は至て細に砂のごとし 尚上品下品多し
○赤絵の物を錦様と云て 五彩金銀を銹に施すこと 是一山の秘術
として口外を禁ず 故に此に略す 是にはかの硝子銹を用ゆといへり 
○惣て南京焼の古器はいまだ其白堊を得さる時なるにや 土は土器
土に似て甚軟なり 其上薬に硝子を加ふるゆへに自ら缺損ず 是
を今虫喰出などゝ賞ずれども 用に適しては今の物に劣れり 但し
回青絵の上銹は銹の上より書たる如見ゆるは 南京物の妙也とは云へ共 
硝子薬の助なり 日本の青絵は薬の下に沈みたるが如く見ゆるは 
 
(14) [ 確認待 ]
.越後織布〈ゑちごぬの〉 (15)
硝子を用ひざる故にして 是又適用の為に勝れり 
○陶器の事は 旧事記に茅渟県に大陶祇と云あり 茅渟は和泉の
国に属して今も陶器村あり 古は物を盛るにすべて土器又木の葉
を用ゆ 今堂上すべて土器を用ひて しかも塑なり 是上古質朴の遺
製を捨たまはぬ風儀を見るべし 
日本記神代巻に 厳瓮 厳★之置 忌瓮など 皆神を祭るの土器也 
又和名鈔に.缶〈ホドキ〉をヒラカといひて 斗を受るの酒器なりとす (斗は今の一升なり)
延喜式に 盆 ★と云も皆古質の器なり 後世に軍陣の出門のとき
是を設くをイツヘのオキモノとは云也 又今も忌部といふ古物は古語也
是を以て陶器を司どる性にもいへり 今の伊万里に焼はしめし年月
未詳

○織布
大和奈良 越後 近江などに織出す事夥し 中にも越後を名
産とし 越後縮と称して 苧麻の生質よく 紡績の精工なりとす 是
越後に織はじめしことは未詳といへども 南都 近江よりは古るし
其故は 越後連接の国信濃をはじめ 武蔵 下総 下野 常陸など皆
古 苧麻の多く生ぜし地なれば 国の名をもそれによりて号くる
物 下総 上総 信濃なり 上総 下総は元フサの国といひて 即ちフサ 
アサの転語なり 又麻をシナといふは東国の方言にて 今も尚
しかり 蝦夷人の帯を シナ云木の皮にて作ると云も是なり 信
濃はシナヌノと云ことにて 専織出せし地なるべし 和名抄に信
濃の国郡にシナといふ名多し 更科(是晒したる地なるべし) 穂科(干したる地なるへし)倉
科(麻を納めし倉か) 仁科(煮て皮を剥きし地なるか)又伊那郡のうちに 麻績 
更科郡に麻績などの名ありて 即ち麻を績たる地なり 又 
神楽歌に 木綿作る しなの原にや麻たつね/\と云云 又 
(16) [ 確認待 ]
.越後布晒雪〈ゑちごぬのゆきにさらす〉 (17)
延喜式 内蔵寮 長門の国交易にすゝむる所 常陸 武蔵 下総の麻
の子(是古の食なり) 又大蔵省 春秋二季の禄布に信濃布を以 内侍司に充
るとも見へて 皆是證とするに足れり 故に越後の国は連接なるを以
自ら後世此に移せしなるべし 常陸は倭文といひて 島模様など織出
したる名なりともいへり 
○越後の国は十月頃より三月までは 雪家を埋みて 大道の往来は屋
の棟よりも高く 故に家の宇を深く作りて 是を往来ともす 家向
ひへ通には 雪に多く雁木を付て上下す されば山野谷中といへども草
葉樹梢を隠し 耕作の便を失へば 男女老少となく織布を業と
すること 実に国中天資料の富なり○ 今柏崎といふは海辺にして
布商人の幅湊し 小千谷は略隔てゝ亦商人有 是信濃にちかし 
苧麻を種る地は今下谷の辺に多く 千手と云所はかすり島上織
の場にて 塩澤町は紺かすり 十日町はかはり島 堀の内の辺は白縮
を専とす 一村に一品の島模様をのみ織りて 他品を混ぜず 問屋
是を取合せて諸国に貨売す 
○苧麻種植 並 漂染織の事   苧麻は土として生ぜざる所
なし 撒子 分頭の両法あり 色も青黄の両様あり 毎歳両度刈
物あり 然れども土によりて 同種のものも其性の強弱有 既に近江
に種る物 其性柔滑なり 東国寒地の物は至て強し 故に越後は其性
のみにもあらず 都に遠くて人性も質素なれば工巧最も精し 
○大麻は楓葉の如く 苧麻は桐の葉に似て大に異なり 苧麻は生に
て皮を剥ぎ 大麻は煮ゴキと云て煮て剥なり 大麻は雄は花あり サ
クラアサと云 雌は花なく実あり 是種にて 蒔は自ら交りて生ず
即雌雄なり 苧麻はカラムシとも云ひて 苗高五尺ばかり 五月八日に刈 其
跡を焚きておけば来年肥大なりとす 是奈良そともいひて 南都
に織物是なり 越後最苧麻なり 種類山野に多し ○凡苧の皮









 
(18) [ 確認待 ]
剥取りて後若雨にあへば腐爛する故に 晴天を見窮むるにあらざ
れは。折らず されども草を破折の時は水を以て侵し 是亦二十刻ばかりより
久しくはひたさず 色は淡黄なるを漂 工屋是を晒して白色とす 
るには 先稲灰と石灰とを以て水を加へ 煮て又流れに入れてふたゝび
晒らす 
○糸を紡るには上手の者は脚車を用ゆ 是女一人の手力に三倍す 其
うち性よき物を撰りて 細く破きて織るなり 粗きは糾合せて 縄
或は縫線の糸とす 
是皆婦人の手力専にして 男相交れり 故に国俗 女を産することを喜
べり それが中に二歳三歳の時 指の爪を候ひ 細手粗手の生質を候ひ 
若細手の生れ付なれは 国中あらそふて是をもとむ 
○糸を染る事 京都のしわざにかはることなし  島類は織上を宿水
に揉洗ひ陰乾とす 白布は織りて後に晒らす 是を晒すには彼灰汁
にて揉あらふ事 三五度にして 又降積たる雪に敷ならべて 
其上に亦雪を積らせ 又其上へならべて幾重といふことなく 高
堤を筑たる如く 日のあたりて自然と消ゆくにしたかひ 至て白く
なるを 又水によく揉洗らふ 
  ○一説に云 布商人 習俗の俚言に 布の精粗上下の品を見
  わくるに一合と言を極細の布とし 二合三合是に次第す 但
  是山中にて織布なり 一合は山の頂上にして 人質も甚素
  朴なり 故に衣食住の費 一年の入用 妻子に給する所といへ共 
五六十目ばかりにして細布一端の料の紡績に事足り 其いとま
せはしからず 故に至細の物は山の一合にありて それよりニ合三
合と次第にふとくなること 全く世事の緩急にありとは見へ
たり これに依ておもへば 当世の器物 諸芸万端 精良昔に
劣ること此二合三合に等し  
(19) [ 確認待 ]
.蝦夷人捕膃肭〈ゑそひとおつとつをとる〉 (20)
○膃肭獣
是松前の産物といへども 蝦夷地オシヤマンベといふ所にて採るなり
寒中三十日より二月に及ぶ されども春の物は塩の利あしきとて 
貢献必寒中の物をよしとす 蝦夷地に運上屋といひて 松前より
七八十里東北にあり 最舟路其遠こと七八百里もあることしといへり 此運
上屋は 松前 奥州 近江など其外商人の出店ありて 先松前より有
司下り 其交易を校監す 日本より渡す物は 米 塩麴 古手 たばこ器
物等にて刃物はなし 又蝦夷の産は海狗 膃肭 熊 同胆 鹿
の皮 鱈 鮭 昆布 蚫 鱒 ニシン 数の子 等なり 
其内蝦夷錦は満州(韃靼にてエソへ近し)の産にして 蝦夷地ソウヤと云所へ
持渡る 又熊は先子を手取にして 其翌日親を捕れり 子は婦人
の乳に養ひ 歯の生ふるに至りて雑物を食せしめ 成長の後 材
木にてしめころしたるを さらに薦にのせ 酒肉を具へ祭りて後 
胆を取り肉を食ふ 
○膃肭獣をヲツトセイといふは誤なり 獣の名はヲツトツなり 
或書に膃肭臍とかきしは外腎の事にして睾丸なり 薬用是を要
として肉の論はすくなし 故に陰茎といひて貨売する物 此外腎の
間違なるべし 津軽南部よりも出て真偽甚紛はし 是種類有か故
なり 海獺 海狗一名とはすれども 是種類の惣名なるべし 其余海豹
と云有 是を和語にアサラシと云 皮に黒斑有て膃肭に似たり 
葦鹿の同種なるべし ○海獺は海のカハヲツにて 是全く形状膃肭
に相似たり 是を別には前の歯二重に生ふる物 真の膃肭とす 又
一説には二重歯は上歯ばかりなりともいへり 又頭上に塩をふく一穴有り 
毛にかくれて見えがたし 肉にても百ヒロにても 寒水の内に投して
其水寒暖にして氷ざる物 真の膃肭と知るべし     
(21) [ 確認待 ]
同.運上屋〈うんじやうや〉 (22)
○陰茎といふにも偽物有て 百ヒロを以て造るといへり 故に毛なし
号て百ヒロタケリと云 真なる物は三寸ばかり 赤色にして本に毛あり 全
身灰黒 水獺におなじくして微し長し 顔は猫に似て小さし 口の吻
鬚甚大きし 顋の次に左右に足有 大鰭のごとし 後の足は尾前に有て ともに長さ一尺ばかり 其尖に五つの爪あり 尾は細し 海底最とも深所に
棲 又は海辺石上に鼾睡す 或は群をなして寝なから流る 其内一疋睡
ずして候ひ 若船来れば忽ち声をあげて睡をさまさせ 水中に隠 
水を行く時は半身を水上に出して能く游き 波を切ること最盛なり
海獺もすべて右にいふがごとく 今膃肭といひて来る物多くは海獺に
て其真は得がたし 南部一粒金丹も是をゑらふを第一とは聞へたり
本草集解に東海水中に出ると記せしは 是中華も稀にして即
日本より渡すとは見えたり○ 蝦夷には大をネツフ 中をチヨキ 
小をウネウと云 是真の膃肭なり 鰭をテツヒと云 一疋を一羽と
云 津軽にて此テツヒを採りてサカナとす 其中に大なるをトといへり 今女児の言に魚をさしてトヽと云は 若や是より言来ぬるも
しるべからず 中華にも此言あり 
又 夫木集雑十八 夢の題に 建長八年百首歌合 衣笠内大臣 
  我恋は 海驢の寝ながれ さめやらぬ 夢なりなから絶やはてなん 
と詠みたるは 海馬の種類にて別なり 又海驢の文字を日本記神代巻龍宮の章に .ミチ〈海驢〉の皮とも訓り 
○捕猟 蝦夷人是を捕ふに 縄にてからみたる舟に乗りて かの
寝ながれの群を見れば 狐の尾を以てふりて かの起番の一羽に見す 
れば大に恐れて声を立てず 去るを待ちて寝たる所を 弓或はヤス
などにて採ること 其手練他の及ぶ所にあらず 舟はすべて棹さす事
なし 前後へ漕ぐなり 
  ○或云 膃肭臍といへは臍なるべし 然るに外腎也とするは如何 或書に 彼臍 
(23) [ 確認待 ]
を得んと欲して 松前南部の人に覓むれども 兎角して得がたし 
此頃土人の謂を聞けば 臍と陰茎と甚はだ通し 故陰茎を取る時 
必臍を損じて全くなし 或人云 是雄なり 其雌は必臍あらんか 
○昆布(○和名 ヒロメ ○一名 海布)
是は六月土用中にして常に採ることなし 同じく蝦夷。松前。江刺。箱館。
なとにも採れり 小舟に乗り 鎌を持ち 水中に暫くありて昆布を
抱 是につられて浮む 皆海底の石に生ひて 長三四尺より十間ばかりのも
のあり たま/\には石ともにあぐるもあれども 十日ばかりにして 根自ら
離る 長きはよき程に切りて 蝦夷松前の海浜の砂上家の上 往来の
道に至るまで一日乾すこと 実に錐を立るの隙もなし 暮に納めて
小家に積み 其上に筵を覆ふこと 一夜にして汐浮きたるを 荒昆布
と云(世俗に 蝦夷の家は昆布をもつて葺くと云は此乾したるを見たるなるべし 家はすべて板庇し板囲ひなり) 色赤きを上品として 僅かに其階級をわかてり 又八九月の頃 自然打あぐるを寄せ 昆布と云 ○昔は越前敦賀に転送して若州に伝 小浜の市人 是
を制して若狭昆布と号す 若狭より京師に転送して 京師亦是
を制して京昆布と号す 味最も勝れり 
○右は皆俳諧行脚の人 松前往来の話に伝へきゝて 実に予が
見及びしことにはあらず 尚其蝦夷人の衣服などのことも聞し
に 先第一には日本の古手を貴ひ 富たるものゝ一郷の社宴
などには 酒樽を積みたる上に かの日本の古手をいくらもか
さねて装飾す 又かの地にて 織物はヲイヒヤウと云木の皮也 
色黄にして紋有 方言アツシと云て甚臭き物なり 元より
袵は左に合せ シナの皮を帯とす 男女とも常に浴湯せず 眉は
両眼の上に一文字に生ひ 髪は勿論 .鬚髭〈くちひけ〉ともに切ることなけ
れば甚だ長し 食する時は箸を左の手に持ちて 髭をあげて 
(24) [ 確認待 ]
,唐船入津〈とうせんにうつ〉 (25)
同.菩薩揚〈ほさあげ〉 (26)
啜り込む 酒は行器の如き物に入れて 杯は飯椀を用ゆ 其椀皆
巴の紋を付たり 其故を知らず 女人は皆唇に入墨して 男女
とも涙は鼻より流るなり 山野に出るもの皆雪中といへども 蹤跣
にして腰ため弓を持せり 最 木弓 木矢を用ゆ 又ブスといひて 
熊鹿を採る矢に塗る所の毒薬は イケマと云草の根を蜂
をころして製せし物なりとぞ 但し膃肭臍には此毒を用ず 
為家卿の歌に 
   こさふかは 曇りもそする みちのくの ゑそに見せしな秋の
                           夜の月
又 紹巴の発句に 
   春の夜や ゑぞかこさふく空の月 
といへる 此こさと云ふもの 未何とも分明に知物なし 然るに或人の
転写に来るもの 序を以てこゝに図す 
  十二捲(木の皮にて巻き作る 白き色にすゝ竹色を帯たる 藤の
蔓のごとき木のかわなり 惣長一尺二寸はかりなり)

按ずるに是コサにはあるべからず 彼地の笛なるべし もしや口に汐なとを含て空に
向てふきあげ 其辺の月影を曇らせて漁捕しけるか 又一説に
山中海辺などへ出るもの 落たる木の葉を拾ひ きり/\と巻き
て是を吹くに 実に笛の音を出して秋情を催す 是をコサとも云とぞ 
○俗伝に義経蝦夷わたりのこと 虚実さだかならずといへども 是正説なり 海浜に弁慶崎の名もあり 又 清朝は清和の裔と云
も 即義経 蝦夷より伝え越したる 此證とすべきことども多きよし
も聞けり 蝦夷より韃靼へは近し 
○異国産物 
(27) [ 確認待 ]
.長崎唐人屋敷〈ながさきとうじんやしき〉並.新地御蔵〈しんちおくら〉 (28)

太閤秀吉公の時には泉州堺浦へ着きしを 其後肥前平戸に移 元亀
の頃より長崎に改まりて 今に絶ることなし 此地は元来山中なりし
を 玉の浦深江といふを切開きて 今万家繁花の湊とはなれり 唐船
は南京 北京 ホクヂウ チヤクチウ 其外惣て一年に十三艘を来たす 先づ
薬種 絹布 砂糖 紙 器物 其余云盡しがたし 野茂。深堀。西戸。の上ヶ所
に遠見の眼鏡を居て 凡海上の四十里ばかりを見通し 入船の影を見れば 追々
旛を立て 宦聴へ註進し 船の近づくを見れば 大通詞 小通詞 其外宦
人 船を飛ばせて是を迎へ 唐船に乗移り 御朱印などの儉校を遂
て 着岸荷揚を催すに 上荷船数艘を出し 新地御蔵へ納む 此荷揚
終れば ぼさ揚と云ことあり 是はすべて船中にぼさといふて 本邦の船
玉に等しき宦人の姿なる像を祭る 其像を長崎の寺へ預け
納る 其行装甚いかめしく 昼も挑灯を真先に照らし 辻々にて
.鉦〈どら〉をならし 棒を振りて踊躍す(人是を関羽の像なりと云は誤なり)船は梅か島といふ
所につなぎ 人々 唐人屋敷へ入て ともに無事着の賀宴を設く 此
時 丸山町  寄合町の遊女あまた来り 客を定めて饗応す 此後出船に
臨んで 御定法の御渡し物 煎海鼠 昆布 干鮑 紙 傘 
ぬり物 ふかの鰭 茯苓 其外小間物数品 或は時の好みにも任せ
らる 又唐物は官聴御拂物となり 古格の商人より入札して是を配分す
○阿蘭陀船
是毎年七月頃入津す 同しく遠見より注進なれば 去年渡りの紅
毛 カビタン 又 大通詞 小通詞 宦者附添ひ 飛船二艘旛を立て漕出
し 元船へ乗移り 御朱印等儉校すみて漕戻る 其跡にて元船に
は 石火矢を發事九つ 此勢ひについて引 船あまたありて次第に船を
入れ 西戸 まる戸町など 所々御番所のむかひにて 石火矢
(29) [ 確認待 ]
同.出島紅毛家敷〈でじまおらんだやしき〉

.紅毛船入津〈おらんだふねにふつ〉
(30)
.紅毛船〈おらんたふね〉 (31)
を發事七つ宛 出島の湊に入りて 又九つを響かし 此時船に旛を立れ
ば 出島屋敷にも同じく竪る 是を旛合と云 こゝに於て音楽有り 
其音妙なり これより碇をおろし 又石火矢を發す事十八にして 
此時 黒烟空中に満ちて 暫時船を見る事なし 船中には其烟の
間に四十八の帆を悉く巻上 十所に旗を立て すべて装飾し 烟り
次第に消るに顕れ 更に造り立たるごとく 其花美眼を奪ふばかり 甚だ
見事なり かくて元船のカビタン 小舟に乗りて出島にあがれは 
紅毛屋敷 前年のカビタン 従者 其外遊女などつきそひ 是を
迎ひ入れて宴を催すなり 荷は同しく 薬種 小間物類 他国の珍
器ども 是を揚るに凡四十日ばかりなり 本邦よりの渡し物は 先 銅 竿 網
類 其外器物等を賜り 毎年九月十九日を 前年のカビタンの發船と相定る 当年のカビタンは 残り正月十五日に貢献の物を持して
江府に趣き 四五月の頃長崎にかへり 又新船入津を相待てり 
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