京都近代陶磁器研究会 三代 宮永東山

三代宮永東山 作・青白磁鎬手花瓶
三代宮永東山 作
青白磁鎬手花瓶

「やきものや」の工房は雑然としてやたら物の多い場所、という感じを子供の頃から永らくもちつづけていたと思う。

平成12年(2000)現今の美術と工房工芸の乖離の現象を乗り越えることが出来ず、祖父から続けていた、職人を抱えての工房経営を不本意ながらも閉鎖しました。閉鎖して4年後、母の死を契機に工房の整理をと、手を拱いていたわけではないのですが何から手を付けたらよいのかと迷っていた所、前にぐっと押し出して呉れたのは、旧知の岡佳子の「東山の整理は近代都市のやきもの京焼の研究にかならず役立ちますから」との言葉、手助けをする同志を募っていただき今回の研究会の組織を作っていただきました。

この研究会の対象調査品は三つの要因からなっています。

昭和26年(1951)東山窯が一時閉窯を余儀無くされた時期、工場の一隅に保管されていた、初代東山が錦光山より独立して「やきものや」を志した明治42年(1909)前後から収集した陶磁器資料、参考品、そしてその後制作された作品、見本等、が散逸を恐れて纏めてダンボール箱2箱、リンゴ箱30ヶほどに保管されていた一群が第一要因です。

次の要因は昭和27年(1952)自前の窯が無く出窯を余儀なくされ難渋しながらも、昭和28年(1953)には登窯も再開し工房経営も順調に働き出してから、平成7年(1995)2代東山の死去にいたるまでの数多くの2代東山作の作品、東山窯作品が、2代妻恵子の努力により自宅に残されていたため、この様な戦後京焼の貴重な資料群として留めることが出来ました。

第三の要因は前述2件とは異なり、やきものの成形に使用する道具である石膏で出来た「おこし型」が多く残されていたことです。
初代東山は昭和期に入り、日本の住空間が従来の和空間に洋風の応接間を設けるという変化を読み、この空間を飾るためのやきものを素材に、造形性の強い彫刻を制作するべく沼田一雅先生を諮り東山窯の新しい軸として働くべく企画されたが、思惑どおりには進まなかったようである。

今回なんとか日の目を見た資料群は、研究会の皆様の辛抱強い御苦労に助けられて表に出たものです。そしてこの資料は現今多くの問題をかかえている京都のやきものにも、何らかの提起をしてくれると、深い感謝を込めて喜びたいと思います。

京都近代陶磁器研究会について 岡 佳子

初代宮永東山 作・素焼象陶彫原型
初代宮永東山 作
素焼象陶彫原型

京都近代陶磁研究会は、宮永東山窯関係資料の調査研究を目的に、関西在住の陶磁史研究者、学芸員、陶芸家によって結成されました。西田記念東洋陶磁史研究助成基金、サントリー文化財団から研究助成を受け、平成21年(2009)6月から活動を始めました。

宮永東山窯の歩み

本研究会が調査対象とした宮永東山窯は、江戸時代から続く粟田焼の錦光山製陶所の顧問、初代宮永東山が、明治42年(1909)に京都市伏見区深草開土町に登窯を築いたことに始まります。以後、初代、二代、三代と歴代の宮永東山は、個々の作家活動を行いつつ、轆轤・絵付など各工程を担う職人を抱え、製陶工房の経営に携わりました。往事は40名近くの職人を擁し、高度な技術を駆使して高級飲食器を中心に製作し、全国に販路を拡大させました。しかし、昭和47年(1972)頃に煤塵問題によって登窯の閉窯を余儀なくされ、平成2年(1990)に経営規模を縮小し、二代の死没後の同12年には製陶工房を閉鎖しました。

京焼の窯元・陶家の作業場は狭く、売れ残った製品は投棄せざるをえません。一方、宮永東山窯の場合、二代東山の妻、恵子夫人が宮永東山窯の作品に強い愛着をもたれており、保管スペースも充分にあったため、初代以来の大量の工房作品・図案資料・石膏型が保存されていました。これらは、歴代宮永東山の陶芸はもとより、近代京焼の技術、産業の実態が明確になる貴重な資料群です。

調査の経過

資料群は初代と二代が工房経営を主宰した時代のものが大半を占めますが、三代も走泥社同人としての作家活動を行いつつ、若年から職人とともに陶業に従事してきました。この三代東山氏の指導もとに、平成21年6月、図案資料から調査を開始し、翌年には作品調査に着手しました。月に1回の割合でメンバーが集まり、名称・年代・法量・個数・銘等の基本データを採取し、1件ごとに写真撮影を行い、平成23年3月には昭和10年代に製作された陶彫の石膏型も調査しました。調査がほぼ終了したのは、平成24年9月でした。

私たちの目標は、資料全てを対象にした悉皆調査の実施でした。美術品調査の場合、ややもすれば優品のみ選択することがあります。しかし、京都の近代陶芸の真の歩みを知るためには、その基盤となった窯業としての変遷を明確にすべきでしょう。その意図のもと、図案約2000件、陶磁器約3000件、石膏型約1000件を悉皆調査することができました。その成果の一端は、中谷至宏「近代陶芸と「工房」-宮永東山窯の調査を通じて」(近代国際陶磁器研究会編『近代陶磁』第14号、2013年)に纏められています。

データ・ベースの公開へ

調査が進むなかで、私たちは、どのような形で成果を世に公表すべきかについて話し合いました。画像データ・ベースの公開が最適との結論に達し、平成24年10月から公開をめざした整理作業を開始しました。整理にあたり、名称・器種・技法等は宮永東山窯で用いた呼称に統一しました。しかし、同一様式の作品が宮永東山窯ブランドとして永年製作され続けてきたため、製作年代の特定は未だ不十分です。その解明には、全国に現存する入手年代の確実な同一作品を捜し出すことしか手段はありません。

公開の目的のひとつが、現存作品に関する情報収集です。その情報をもとに製作年代を補足することで本データベースは完成されます。その時、この資料群は明治40年代から平成にいたるまでの高級飲食器の変遷を明らかにするための貴重な「ものさし」となるはずです。さらに、技術・器形・文様データベースとして陶芸家の皆様の活用に供すること、これも目的です。そのため、これらの検索項目を加えました。
作品データベースの公開にはようやくこぎ着けましたが、図案資料、石膏型の調査資料の整理が課題として残っています。将来、これらも本データベースに是非、加えたいと思っています。

京都近代陶磁研究会
三代宮永東山・中ノ堂一信・岡佳子・中谷至宏・洲鎌佐智子・
大槻倫子・宮永甲太郎・森野彰人・中井淳史・後藤結美子・
清水愛子・前崎信也・中村裕太・楢木野淑子

宮永東山窯調査・データベース制作にあたっては、下記の研究助成を得ました。
深く謝意を表します。

  • ● 平成21年度・22年度 公益信託西田記念東洋陶磁史助成基金研究助成
    「宮永東山窯の作品調査と研究」(研究代表:岡佳子)
  • ● 2011年・2012年度、サントリー文化財団 人文科学、社会科学に関する研究助成
    「工房作品と成形型の調査に基づく、近代京都陶芸の窯業基盤の研究」(研究代表:中谷至宏)
  • ● 2013年度 サントリー文化財団 人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成
    「宮永東山窯調査を基盤とする近代京焼の歴史的変遷と窯業技術の解明、および新たなる技術継承のためのデータベース制作の研究」(研究代表:森野彰人)
  • ● 2014~2016年度 共同利用・共同研究拠点 日本文化資源デジタル・アーカイブ研究拠点
    「富本憲吉とバーナード・リーチ往復書簡の研究-京都市立芸術大学所蔵資料を中心に」(研究代表:森野彰人)