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AcNo. CoGNo. NDL-1310712  AlGNo. NDL-1310712
絵師: 広重 () 落款印章: 絵師検索 
判型: 続方向: 作品位置: 001枚組の 001枚目 01枚続の 01枚目
Col重複: 1 All重複: 1
板元文字:  蔦屋吉蔵
出版年月: 安政04 (1857)・ 同時作品
作品名:  参宮上京道中一覧双六 
個別解説:本双六は、安政4年(1857)に、蔦屋吉蔵(※1)が発行した道中双六である。 絵師は歌川広重(※2)である。 ふりだしは日本橋。山王社(山王神社)、増上寺、神明社(芝大神宮)も描かれている。 江戸から近くの、羽田、金澤、浦賀などは、のんびととした漁村風景である。 各マスには、宿場風景と次の職場までの里程が描かれている。 全体の構図を見てみよう。 真ん中に富士山を置き、右上に上りの京都、三条大橋と御所が配されている。 その間の東海道は、金谷宿と日坂宿の間にある無間山 小夜の中山のところで、右に折れて、下方にむかい、知立・鳴海の宿で、再び 上方にむかい、四日市からは、陸路と海路に分かれ、草津あたりで、合流して京都へと続く。 ちょうど、東海道をポッキリと2回折って、四角い画面に収めた構図になっている。 すやり霞(※3)を効果的に使い、本双六を観る者の視線を自然な形で遷移させるような効果を持たせている。 道中には幾つか趣向が凝らされている。 例えば、箱根では、「手形を忘れて江戸へかへる」。 四日市では「この所にて長(偶数)めをふれば東海道、半(奇数)をふれば伊勢路へゆくなり」とある。 江戸時代には、大山詣りやお伊勢詣りなどの熱狂的な参詣ブームが起こっている。幕末(1830(文政13)年頃には、お伊勢詣り(おかげ詣り)の参拝者は半年間に約460万人がお参りしたといわれ、当時の人口はおよそ3000万人ほどだったので、実に日本人6人に1人はお伊勢参りをしたことになる。 本双六には、山川草木と道中を行き交う人々が丹念に書き込まれている。江戸庶民の旅心を誘ったことであろう。 ※1蔦屋吉蔵(つたや きちぞう:生没年不詳。江戸時代中期から明治時代にかけての江戸の地本問屋。 紅英堂と号す。蔦吉と略す。姓は林。享和から明治期に南伝馬町1丁目勝五郎店で営業しており、明治14年(1881年)には中橋または南伝馬町1丁目2番地、明治20年(1887年)には 南伝馬町1丁目6番地で地本問屋を営業する。渓斎英泉や歌川広重、歌川国芳、歌川芳虎、2代目歌川広重、4代目歌川国政、3代目歌川広重らの 錦絵などを出版している。 ※2初代の歌川広重(うたがわひろしげ):寛政9年(1797年) - 安政5年(1858年)は、江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。幼名を徳太郎、のち重右衛門、鉄蔵また徳兵衛とも称した。「安藤広重」と呼ばれたこともあるが、安藤は本姓・広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。 江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。 <参考> 二代目(1826年(文政9年) - 1869年(明治2年)。二代目広重も初代広重と同じく父は定火消同心だった。藤懸静也によると、二代目廣重は広重の門人で俗称を森田鎮平と云い、  号を重宣という。初代の養女お辰(16歳)と結婚したが、のち慶応元年(1865年)妻22歳の時、離縁となっている。その後、しばしば横浜に出向いて絵を売り込み、  外国貿易が次第に盛んになっている時期「茶箱廣重」の名で外国人に知られた。また、「喜齋立祥」の画号を用いて制作したがその中で、花を主題にした一種の景色画、  『三十六花撰』の出来栄えがよく、版元の求めに応じ、大錦判の竪繪に作った。なお、『名所江戸百景』のなかの「赤坂桐畑雨中夕けい」で秀逸な絵を残しており、初代の  「赤坂桐畑」よりも構図、色彩ともに評価が高い。 三代目(1842年(天保13年) - 1894年(明治27年))。初代広重の門下。俗称は後藤寅吉である。離縁後のお辰を妻とした。号は一笑齋。 四代目(菊池貴一郎、1849年(嘉永2年) - 1925年(大正14年))。二代目広重の門下。三代目夫人の八重子と清水晴風らが相談して、四代目広重を襲名させた。  菊地家は安藤家と親しかったためである。最初は版画を制作し、武者絵などを多く書いたが、後に書家となった。貴一郎は浮世絵に関する著作を出版している。 五代目(菊池寅三、1890年(明治23年) - 1968年(昭和43年)) 四代目(菊池貴一郎)の息子が継いでいる。 ※3すやり霞(すやりがすみ):大和絵特有の、ある種の表現手法の通称である。槍霞(やりがすみ)ともいう。画面の随所に“霞”を描き込むことによって、 余白的効果をもたらして画面が煩雑になるのを避けたり、日本的な遠近法として、画面の上方が標高が高いという約束ごとを積層する霞で表現する時に用いられる。 絵巻物などでは、同一画面内で複数のシーンを共存させ、シーンからシーンへと自然な形で遷移させるような効果をもつ。 また、ストーリーの終端を暗示的に終わらせる手法としても用いられる。 文責:築地双六館館長吉田修
系統分類:  双六  「収載資料名:双六」   画題:   

所蔵:国立国会図書館 National Diet Library, JAPAN HP  資料部門: 浮世絵
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