近現代陶磁器資料データベース

松林靏之助とは

松林靏之助
松林靏之助

松林靏之助(1894-1932)は遠州七窯の一つに数えられる宇治朝日焼十二代松林昇斎(1865-1932)の次男で、英国セント・アイヴスのリーチ・ポタリ―で、バーナード・リーチ(1887-1979)のために日本式の登り窯を建築したことで知られる人物である。大正5年から3年間京都陶磁器試験場付属伝習所で学んだ松林は、リーチの友人である濱田庄司(1894-1978)や河井寛次郎(1890-1966)などから薫陶を受け、当時最新の陶磁器理論を学んだ。そして、大正11年から約2年半の間、念願であった欧州留学を果たすと、その途中でリーチやポタリ―で活動中の濱田に依頼され、同地で登り窯を建てることとなった。この登り窯は大変優秀であると評価され、1970年代初頭までリーチやリーチ・ポタリ―で活動した20世紀のスタジオ・ポタリ―運動を代表する作家たちの作品を多く生み出したのである。

帰国後は佐賀県の有田に新設された佐賀県立窯業試験場に技師として勤務。濱田庄司をはじめ柳宗悦(1889-1961)等とも交流をもっていた。有田では原料から不要な鉄分を取り除く研究などを行い、地域の製磁業の発展に尽くしたが、昭和7年、惜しまれながらも38歳の若さで他界した。

参考資料(邦語文献)

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