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本朝 武者物語抄  四
(表紙)
(1) [ 完了 ]
一 佃が軍歌七十九首付ところ/\に軍物語
  これある事



 武者物語之抄六  松田一楽入道秀任続

一古き侍の物語に曰武士たらん者は叶はぬまて
も常に正道の意地をねがひ邪道の心を
去べし正道成武士はつゐには仏神の加護
ありて。其名たかし邪道の武士はてんねん
と悪事生じて。あざけりとなるたとゆる
に。徳川家康公御小身にてまします時。駿
州の今川義元公へ人質を出し給ふとなり
しかるに。義元公は織田信長公にうたれ給ひぬ。其
後御嫡子氏真公は武田信玄公にせめおとされ
給ひぬ駿府を敗北なさるゝに付家康公の人質
(3) [ 完了 ]
御舎弟松平源三郎殿御家老酒井左衛門尉む
すめのおふう両人を氏真公の御家人三浦与
次といふ侍。うばひ取て。家康公へは同道申さ
ず其比武田信玄公ゆみやさかんにあひ見え
行々は天下を支配ならんといふ風聞なる
ゆへ。右二人の人質と甲州へ同道つかまつり信
玄公へさし上るされどもほどなく信玄公御他
界なり。其後甲州没落なるに。家康公は
信長公の御先手にて勝類公をほろぼし
給ひ次第にひいで給ふゆへ。かの三浦与次身の
置所なく流浪人となると聞是邪道の意

地より。なす処なり正道ならば家康公より出
し給ふ人じちなる間。近国といひ善にても悪
にても参州へおくるべき事なるに。奥の心に
邪欲有てなすわざゆへ終には其悪意あ
らはれたるとなり
 右の物語書面のごとく別事これなし。松平
 源三郎殿事是は家康公御一腹にて胤
 がはりの御兄弟なり。御母公は参州苅谷の
 城主水野右衛門太夫殿の御息女なるが于
 時天文十三の春家康公三歳の御時広忠
 公と御離別あそばされ其後水野下野守殿
(4) [ 完了 ]
  与力久松佐渡守殿へ。御輿入る佐渡守殿御
  子息男子四人これあり。玄番頭殿因幡守殿
  隠岐守殿源三郎殿なり後は。此衆を松平の
  御名字になされ方々へ。人質につかはされ
  たりとなり。源三郎殿をは。後松平豊前守
  殿と申扨又酒井左衛門尉忠次娘おふうどの
  は。後松平外記伊昌妻と成たまふと聞えし
一古き侍の物語に曰 向井能登守といふ侍の。語
 られけるとかや。敵を押へて首を捕事敵を乗
 ふせて。右の足にて敵のきゝ腕をふまへてしころ
 をたゝみあげまづ喉ぶえをさし切て次に脇指

 を。さかての持て見上げのいたをとり首をかき
 きるものなりといへり
  右の向井能登守事をしらず追てかんかふ
  べし
一古き侍の物語に曰 或書に母衣の事は漢の代
 に胡国の夷をたいらげんため蘓武を大将
 軍として。胡地につかはす。えびすつよふし
 て。蘓武は胡国の囚人となり一足のすぢを
 切て雪中に十九年の間羊をかはせけり湯
 月窟水飲飢天上雪喰と。いひしも蘓武が
 事ぞしかれとも母衣は二世を。たすたるとて。あた
(5) [ 完了 ]
蘓武噲 (6)
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