夏の富士

(1)

俳優素顔 夏の富士 上
(表紙・題簽)

(2)

筆歌墨
舞   凉仙樵者   百樹

(3)

自叙 (山東庵)
一日錦森堂の主来りて一小冊
子を出し予が填詞を乞ふ 是を
閲に五渡亭が例の妙筆を揮
たる李園の徒の素顔なり あゝ
似たりや/\花あやめ燕子花
贔屓の目にはよしの山これは/\と
ばかりしばしみとれて居たりければ
書坊書案をはたと打これさ先生
今歳のうちの発兌にせねばならぬ
あすの晩まで草稿を脱し給へと
せたげられ燈下に筆をとり/\に
評にもあらず讃にもあらず詩に非ず
語にあらずろくな案じもいでざれば
唯筆の行まゝに書やりすつ
此書画を旨趣とすれば読所

(4)

はありてもなくてもなれは尾上岩藤
が花渕の行列に下座敷を持て
其後に随ふのみ 夏の冨士と
題せしは春章がむかしを尋る書肆
が作意なりけり
文政十辛亥小春月
    山東庵京山識

(富士の絵)

(5)

松之隠居の図

尾上菊蔵

モツキン

尾上菊五郎
三枡森蔵

リヤウチンハ

大谷門蔵

(6)

其二
鹿島本黒松
朝鮮とふらふ
しだれ松
 中村千代飛助
音羽の水
重忠とふらふ
毘沙門堂
 中島勘左衛門
 尾上松助
 尾上梅五郎
しらがまつ
 吾妻東蔵

(7)

岩井辰之助

岩井半四郎

岩井長四郎

桐島儀右衛門

(挿絵)

(8)

岩井粂三郎

惣領甚六

坂田半十郎

坂東彦左衛門

市川おのへ

(9)

松本染五郎

黄花庵永機

市川高麗蔵

中山富三郎

松本錦升

松本幸四郎

中村大吉

(10)

大谷曽呂平

瀬川菊之丞

阪田半五郎

市川門十郎

(11)

阪東吉次郎

阪東彦三郎

市川友蔵

関三平

中山文五郎

(12)

先阪東彦三郎事
半艸庵楽善

片岡仁左衛門

片岡島丸

桐山紋治

(13)

芝居三階付立の図

阪東善次
鎌倉平九郎
市村羽左衛門
市川団之助
阪東玉三郎
市川鶴蔵
嵐冠十郎
三枡源之助
鶴岡八蔵
阪東次郎太郎
松本虎蔵

(14)

此書絵成りてのち 賛辞を乞ふゆゑに絵に
あらはしし座順に随て其名を列す これに漏
たるは 後帙に譲りて こゝに記さず
             山東庵京伝 讃

  ○尾上菊五郎
  ○尾上松助
松緑翁が木琴の音 三都に響きわたりし頃よりの懇意
なれば。梅幸丈が美少年たりし時。凧の糸目などつけてやり
しも。きのふかけふのやうなりしに。尾上の此松大木となり。御子
息の枝をたれ。門弟の葉をかさね。立役敵お山がた。あまさず
もらさぬ大あたり。かやうにめだたき松がえに。巣をくむ鶴の宙

のりは。其名を天竺徳兵衛に響し。蟇の妖術水中の早
がはり。親より自由自在なり。菅公の人品お岩のぱくれん。
光りを放つ大星。姿を隠す幽霊などは。戯場中の絶技と
いふべし。御子息の待つの千とせは。今が日の出の若みどり。音羽
山の松風に琴音のしらべをかよはせて。ひく人のあまたとかや。菊
五郎の菊の水。百歳の齢を寿き。梅幸の梅南枝の魁を祝
す。松助の松は申さずともめでたかりけり。


  ○岩井半四郎
くだ/\しく申さずとも。当時三ヶ津お山の開山。杜若大明
神さま/\と申ても。点のうちてはあるべからず。むかし王子
の慶子のとて。名人の太夫はあれども。此太夫の真似のならぬ

(15)

事は。大振袖の太夫をしかも実子にて。二人まで持給ふは。戯
場中にては。古今めづらしきあやかりものゝ。大明神さまなり。
いつもお若いとは。流行におくれたるはやりことばなれど。切幕
さつと出給ふお顔の微笑は崑山の玉とも。よし野の花とも
たとへがたし。此春江戸見物のおばゞ此太夫を見て。あれはなん
といふやくしやどのじやとたづねければ。此男矢立の筆にて。小
菊の紙へ。いとかいてみせたるは。此ばゞは聾と見へたり。おばゞ
にはねからわからず。おばゞが同伴の禅僧しばらく考て。片白
伊之次とはついにきかぬ役者なりといひければ。かの男笑て曰
 い 岩井の字じやが。半四郎でござる。

  ○岩井粂三郎

  ○岩井紫若
岩井に並ぶ筒井筒。おふたりの紫帽子。似たりや似たり花
あやめ。大太夫に瓜を三ッなり 古今来許多のお山中におゐて。
またあるびやうもあらず。むかし楊貴妃日本に渡り。伊勢の
国錦の浦に舩をよせて。業平とかたらひ。そとをり姫と小野小町
を産たるよし。南柯山人が夢渓筆談にのせたるにも。おさ/\
おとらぬ美談なり。ある人のうたに。
  誰が目にもみなたてものと三ッ扇
  こや親ぼねのしまりよければ

  ○松本幸四郎
  ○市川高麗蔵

(16)

いつぞや名古屋へのおのぼりの時。名古屋人の句に
  日本の鼻柱なり富士の山
とほめけるよし。その声江戸にも響きわたりぬ。いかほど剛
悪の敵をなされても花のあるは。雲を凌ぐ松の大木に。藤の
咲かゝりたるがごとし。お箱の芸は顔見勢の密柑の皮。打
だしの紙くずよりも。かず/\あるが中にも仁木幡随などは。
天のなせる役割にて。竒とも妙とも。古今の絶倫といひつ
べし。松本の松がえ。いつも常盤にして。うつろひたる色を
見ず。歌舞妓の梁。千年の壽をたもつべし。其宿り木の旃
檀は。二葉よりかんばしき高麗どのゝ座頭をも見給ふべし。
長生不老の錦升仙人。成田屋の鯉にのりて。琴髙仙人と

遊ぶべし。画中に此人茶をたてらるゝ所。夏目の持やう茶筌
のおき所など。例の絵空事なり。茶人難ずべからず。

  ○瀬川菊之丞
浜の太夫さる待かねましたとは。評判記の句調にして紅
顔翠黛は。元來天の生せる質なれば。何ぞかならずしも瓊
粉金膏の仮なる色を事とせん。漢の李夫人を寓せし画工
も。是を画は遂に筆のおよばざる事を怪み。巫山の神女を賦
せし宋玉も。これを讃せば自ら言の方に卑しからんことを
恥なんとは。楊貴妃をほめたる。太平記のせりふなり。初代王
子の両人はさらなり。仙女猿屋などにもなかりしことの。犬
千代勘平などは。あつはれの立やくなり。芸の自在なる桜の

(17)

雪をふらせ。氷の玉をあざむくがごとし。野暮助これを難て曰。
むかしはない事とんだ事と。口をいだせば。ひゐき連中の通り者
笑て曰。江の嶋の講に入ては。講に随ふとは。ひぢりのをしへ
なり。雛の重詰に竹の子を喰せ。五月から松虫を聞す世の
中。女形とて立やくをする時あらばせざらんや。真似がなる
ならして見やれ。むかし周荘は胡蝶にさへなつたものと。
あじな所で荘子の故事付。野暮助へこんですッこみけり。
垣の棘は毛詩ませぬ。花顔藝技才識雅量。実に江戸ッ
子の。太夫大明神はま/\。

  〇坂東彦三郎
画中には雨に蛇の目の傘。意気なるお姿。故人家橘がため

しもあれば。助六の初役を見たいものと。さる御ひゐきの
噂なり。其人品はおのづから備りたる旦那株。器用はだ
なる藝なれば。何をさせてもきついものなり。見物のうけは
びく/\引手あまたなり。菅公由良どのは。お名にはお
箱のげいなれば。出精の紐を解く。はやく蓋をあけ給へ。
今が日の出の最中なればすこしもはやく座がらの里へ
いそがうずるにて候。

  前坂東彦三郎
  ○半草庵楽善
戯場中の一奇人。千金の紅粉を脱却して。桑門に入
たるは。故人竹之丞が破顔の悟道におとるべからず。正
覚の余閑幽窓に皆傳の釜をたぎらせて。茶道を

(18)

嗜など。高僧傳にものせたい人物なり。たれも申事
なれど。法衣に頭陀袋の姿は。最明寺殿は。あんな
法師であつたかとおもはる。閑窓独座を花に申さば。
はつ霜のあした白玉を一わん見付たるがごとし。長く
おほめ申さば。客ぶりやかましやと法師はおもふべし。

  ○片岡仁左衛門
  ○片岡島丸
松島屋の芸の手強さは。岩石根をからみて。滄海を
白眼松の大木にひとし。その松に錦をそへ霞が浦の
島丸どの。いつぞやさる所の。稲荷まつりの狂言に。しのぶ
売を見た事あり。大日坊の仕打はゑらいものにて。親方

にそのまゝなりとて。見物の目を驚しね。しのぶ売の振
袖は。舟月が雛のやうにて。いと愛らしかりき。江戸の
舞台にてはいまだかゝる役はなされぬゆゑ。芸の奥
行しれざりしが。さても/\とてある人のほめことばよ。
  家の名の松嶋丸しのぶ売
   見るうちかはる芸のきれいさ

  〇市村羽左衛門
名人の家の橘。その種をつたえたる。嫩の橘なれど。かん
ばしき名は世に匂へり。此たちばなを櫓の神木とせば
やとて。養ひたてたる母木ぎの。丹誠はすみ田川を硯と
なし。飛鳥山の土筆を筆にとるともかきつめがたし。年々

(19)

歳々芸の花ひらき。御ひゐきの枝葉茂り櫓の神
木に。子孫繁昌の七五三をはらん事うたがいあるべからず。
或人の句に
 橘は旃檀よりもかんばしき とは此子を美称
たるあたらしき千柳点なり

  ○坂東玉三郎
卞和が玉は十五軒のさじきを連ね。満珠の玉は大人の
涛をうたす玉は崑岡に出ると。千字文に見えたれども。
豈崑岡のみならんや。大和屋にも此名玉を堀だしもの
なり。玉とにらんだ親の目玉にちがいなく。玉のかんばせうる
はしく。玉の簪玉の冠りも似やはしきおすがた。龍宮の乙

姫玉/\。此世にうまれ玉ふか。どうも玉らぬ御面相には
玉しいを飛ばすぞかし。玉磨ざれば光なし。芸もみがけば
光りをます。みがき玉へ/\

  ○嵐冠十郎
なにをさせてもあたるは嵐の氏神なるべし。敵ばかりで
なし。実事のこまかい仕打は。目もはなされたものにあらず。
当世の若いお人。又は女中連などおほかたは。芝居の花を
のみながめ給へども。実のある芸の見功者は。此人にかん
しんする事多しといへり。
   毛氈の花にあてたる大嵐
    人のふきだすおかしみもあり

(20)

  ○三枡源之助
近来東くだりの業平さまとて。御ひゐきは蜘手にかゝる
八ツ橋の。燕子花。江戸紫の色に染りて。一しほ水ぎは
のたつ御出精。婦連はことさらのよろこびなり。京升屋とは
御ひゐきが。けふもますあすもますといふ吉瑞なるべし。
いつまでも江戸におきの石の。人こそしらねこがるゝ舩多し。
大入の花道にて。ある人こうもあらうか。
    京升ではかり入れたる米俵
     つめもたゝざる人の引舩
上之巻終

春の花 莟といへども雪のために開く
事遅く 秋の月 円なりといへども 雨に
清光を掩とは宋人の詩に見えたり 顔
見勢のびてほたけになり 角力の入かけ傘
を求て帰る 此書亥年の冬 稿を脱と
いへども 発販おくれたるは 顔見せの延たる
にことならず ゆゑに巻中の画図 文
章時におくれたるもあり 看官 是
を恕し給へ

文政十一年子之冬 書肆 欽白

(21)

「大村屋亀次郎」
(裏表紙)

(22)

俳優素顔 夏の富士 下
(表紙)

(23)

三賀之津俳優素顔

夏乃冨士

山東庵京山讃
五渡亭国貞画



往昔通笑といつし戯作者。夏の富士と題せし
画本の序に。面かげのかはらで年のつもれかし。とある
古哥の心と。歌舞伎役者の業とは異なりと。書残
されしは金言にや。おもかげのかはる事いふも更なり。近来
七役といへる芸の流行して。いまだはたちにも足ずして
五十歳に余る俳優をなして当りを取り。或は立役か。
娘形の媚きたる姿貌して。人の目を驚かせば。おや□□
より立役のあら/\敷を好む。今時の異風されば

(24)

讒の間にその面かげのさま/゙\に替りぬれば。人毎に
役者の素顔を見知りたるは稀なり。さはれ其地貌を
しらしめんと。始にいふ絵本夏の富士は。故人勝川主の
画かれしを心として。彩色せんと。梓屋今度頻りに
五渡亭の画を乞ふ故に舞台顔にあらざる
地貌の姿を。其侭両巻の画図に顕すとて。予に
事故書せよと。歌川氏の需に。やむ事をえず記す。
 文政十歳丁亥九月麦藁亭におゐて
           鶴屋南北

凡三百 五十九日也
雪のふし
        香蝶

(25)

阪東大吉

小佐川常世

阪東三津右衛門

荻野伊三郎

阪東三津五郎

(26)

沢村金平

富本午之助

岩井紫若

(27)

四代目納子之像
      豊国画


沢村しやばく

沢村川蔵

中山亀三郎

市川団四郎

(28)

四代目市川八百蔵事
 知速

荻野伊三郎事
 初朝

市川惣代

常磐津小文字太夫

(29)

京四條夕涼の図


市川茂々太郎

阪東簑助

関三十郎

沢村源之助

中村歌六

(30)

惣ざらひ 上方の惣ざらひ 舞台にてつとむ

中村歌右衛門

嵐小六

大谷友右衛門

嵐来芝

市川団蔵

(31)

浅尾額十郎

中村芝翫

中村松江

浅尾為十郎


大阪芝居 裏より見るの図

(32)

大どふらふ

市川銀兵衛

市川三之助

桜川善好

夜雨庵

清元延寿太夫

市川海老蔵

津打門三

不動堂

大谷馬平

市川惣三郎

市川新之助

(33)

其二

中村伝九郎

秀之助事
 嵐眠升

成田屋惣兵衛

五渡亭国貞画

市川団十郎

(34)

  〇坂東三津五郎
  秀佳文を江戸の名所に寄て
  誉詞のつらね           山東庵京山讃
東西/\しばらく/\。京橋中橋おじやまながら。秀
佳さんをほめ申そふ。そもはつ春の吉例は。曽我に
うごかぬ祐つねどの。ひゐきの幕を横に引く。霞が関
の間から。見上る富士の大だてもの。人の山のなす大入に。
われぬさじきをむりやりにわれも/\と江戸見阪。お
箱の十郎祐成が。ぬれに露もつ御殿山。花をかざりし
たいめんの。見所はうまい芝浦の。濵とはいわじ袖が浦。
千鳥が淵の汐汲は。しゞめツ貝がをどつても。イヨ大和

屋とほめるのは君がお手がら唐大和屋。両国かけて日
本橋。たつた独りの由良之助。又平ふたりは内侍渡部。
見たか綱坂景清の。所作はいつでも由兵衞義経忠信
湯島の台から天神の。あれとこれとを見くらべて。段のち
がひし男阪。愛宕の石段わたるのたて。今でも目につく
つくだ島。おもひこんだる深川の。茶屋場の世話は芸
者のお箱。栄木永代はし/゙\まで。わたしもひゐき竹
町の。わたしも鎧のわたしもと。こがれる舩の柳橋。よい
が上野に此頃は。又評判が新よし原。あまた役者の仲の
町。頼兼かうはできまいと。目方のおもい関取の。雷ぬれ髪
秋津島。いづれ金箱千両のぼり。立川通り羅漢まで。はな

(35)

のもろせんさんじきに。かゝる役者はやくしやの氏神。なり
ひら橋になりひらびし。九郎助いなりかしらねども。こと
しはどこへすみだ川。秋葉のもみぢ霜月の。お顔が見めぐり
せきやの里。入れかはり目の番場から橋場しまでも
待乳山。吉例かはらね座頭は。嬉しの森や花川戸。雷
神門の一ばん太鼓。どろ/\はいる大当り。あたりかゞやく
金龍山。箔のついたる立ものと。ホヽうやまつて申す。

  〇荻野伊三郎
荻野上風吹付る御ひゐき。かつら男の月の顔見世すご
いものなり。荻野伊三郎とは百年前より遠く聞こえたる。
名人の名を立ものゝ若葉ずい/\とのびあがる時なれば今に

極上の位山に。ほうびの冠をいただくとは。歌舞伎の忌詞
なればそうは申さず。元来芸は強弓なれば。見物の的を
ねらひ給へ。あたるぞ/\。

  〇市川惣代
功成り名とげて身退くとは古人のせりふ。右と左りの花
紅葉に。立まじりたる。舞台の見事さ。見物あツとかん
しんなり。古郷の江戸へ錦をかざりし四ツ紅葉の一ト葉
散たるは。しみ/゙\はらの立田川。憎らしい無常の風なり。
江戸はもとようり二の津へも。其頃なみだの雨をふらせり。
されども常盤津の老松枝葉茂りてめかしにかはら
ざれば。千と勢を契るめでたさに。一葉の紅葉は化して

(36)

紫雲の一片と悟り給へ。東西/\とは芝居の見物を
しづめることば。惣代/\とは市川の門第をあづかる表徳
なるべし。

  〇関 三十郎
大坂のおとし咄に曰。大阪島の内おきやにげい子あまた
よりあつまり。だしあひのさんざいに三宇からうのだい うなぎの事
とりよせる中に。花の顔にはおもひの外なる地丸 すつぽんのこと をこのみ
わしは大与の貝焼といへば。岸めんに しつぽくそうめん 口をかけるゝもあり。
平ぐけの帯に八ツ過の小袖しだらなく。いひたい事いひたい
まゝなる呑喰は大作で鴻の御座しきより。百ばいのうまみ
ありて。こゝらがげい子しゆの。ほんまのたのしみなるべし。てん
/゙\

におきせんのうはさもいひつくして。芝居ばなしになり「富田屋
で 島の内あげや おきやくさんが関三はのぼるはづじやといはんしたが。
はやう顔が見たいじやないか「見たいだんかいな。あじろや あげや
でもきいたさかい。ちがいあろまい。のぼつたらどんなもんであらうな。
「そりやもうゑらい大あたりであらうわいな。大坂中でまつてをる
さかい。その評判でも大あたりじやトはなしのさいちう。山井よく
せんさまお見まいと。作病の芸子が脉をとりながら。関三のうは
さはどうじやな「今もいふてじや。のぼるはづじやといな。うれしいこツ
ちや。はやうのぼらいでな よくせん「どうであらうか「それでも梅玉さん
ものぼるはづじやといわんした よくせん「哥右衛門がのぼるはづじや
といふたら。そりやもうのぼるこツちやあろまい「そりや又なぜにな

(37)

よくせん「はてのぼる豆巴といふはくだし薬じやもの〇是ハ大坂にて
関三を待うけの時のおとし咄とて。ある浪花人に聞り。今江戸にて
尾張屋がくだるはづと。ひゐき連中の待かねなれば。はやくくだし
たいものなり。或人の曰。くだらずは黄金湯を用ゆべしとは。上手の
医案なるべし。

  〇坂東簔助
大和屋の子宝金糸の簔助。親の名を笠とたのみてあめがしたを
藝の修行者とハよき心がけなりと。顔見勢の二ばん目雪の
花道めて。日本廻國の六十六部もふぬたるよし。今歳ハおくだり
との㕝。親子を蝶千鳥にて。はてめづらしい對面を。まつてかるぞや。
医道学文さへ。京て修行を心がくれバ。さぞかしの御上達と。江戸

中で申事なり。若手に名人の種多ければ。たのもしい/\

  ○中村歌六
はりまやの太夫ことしは江戸で顔見せ給ふとかや。江戸の女中
連は。まだ見ぬ花のよしの山。目に正月へのびぬやう。座付きの口上を
まちかねなり。芸のゆきかたはどうじやと。見た人にたづねければ。
ひとへ桜の半ひらきたるに。六日の月のさしたる風情。はずん
だるところは。くゝんでもつやうなれば。江戸の水にはよくあいかたが
たくさんなれば。はや/\御いらせを待参らせ候。

  ○沢村源之助
沢村源家の若大将武道太刀打ぬれ事やつし。此頃の宗十郎
にそのみそのまゝなり。とはけしからぬ御出精なり。久しくあづまへは。

(38)

顔を見せざるゆゑ。今の娘連中はしらざるべし。たとへば梅の
花を胡蝶がしらぬやうるものなりある人のうたに
    玉と見る顔にてり葉の寒菊や
     沢村しぐれぬれのきゝもの

  〇中村歌右衛門
大阪八幡筋三休橋のほとり。加賀屋橋之助が うた右衛門宅 庭に
梅玉 當時の誹名 といふ名木あり。花はねぢ梅 当時の替紋 のごとく。枝ぶりは
鶴の舞に似たり。古人仙女此花を愛して。江戸へとりよせ
しに。其花切幕とともにひらけば。見物あツと感じ。花の
かをりをかぐんや/\と御ひゐきの声がかゝるにつれてます/\
大木となり。衆芳是にしかん/\と。見物山をなしぬ加古

川本草にくわしき人是を木見て曰。此梅玉といふ名木は。
漢名を揺銭樹といふ。俗にいふ金の生る木の事なり。蛮名
をソロバンといふ。一名をぢんかう木といふ。金の生る木とはしれ
た事なり。ソロバンとは眼玉をよせれば。見物が声をかけるの
名なり。一名をぢんかう木といふ事は。古今三木の伝にひと
しき秘説なれば伝えがたしと。奥歯に物を残して去り
ければ。気にかゝてどふもならず、ぢんかう木とはなんの事
であらうと本草はもとより。花鏡群芳譜を尋ても見
えず。見一むせうにさがせども書物に見えず。五三加三の名
僧たちにたづねてもしらざれば。とツ三加下三はしらねはづ
なり。一三が三年かゝり。一九か苦労して。加賀屋の梅玉樹を

(39)

ぢんかう木といふいわれを御存かと。十一万三千四百五十六人に
たづねたれども。しる人一人もなし。あまり退屈してとろ/\
と目睡し夢に。笠翁といふ唐士の狂言作者あらわれ出。
いかに京山本のはしくれをも書ものが。加賀屋の梅玉樹を
ぢんかう木と称すことのその訳をしらねといふはよく/\の
あきめくらふびんの事なればをしへてやるなり。そも/\ぢん
かう木とは。ぢんは甚といふ文字。かうは好と書く。木は気
どりの気。気てんの気にもはたらくなり。見物の甚だ好
は何をさせてもこゝできかせると見物の甚好む気どりが
ゑらいゆゑ。大入の山に花を咲せる金のなる木なり。かならず

うた右衛門事なれと。神はあがらせ給ひけり。これでぢんかう
木のいわれさらりとわかり。甚だ好む氣どりとは。豈役者
のみならんや。作者のうへにもあることく。おもへどまはらぬ筆
なれば。まはり仕掛もがくそくと。するうち楽屋で板元が。
いそぐしらせの拍子木に。せりふも口からでたらめに。発兑の
幕をあけるになん。

  ○市川団蔵
美少年のころは江戸にて立ものゝ莟の花ともてはやしぬ。
上がたへのぼられしよりのち。赤紙付の状通封入の番附に。
その名を見るばかりにて。当時のきゝものなりとうはさは東
へも響きわたれり。ことし八文舎の評説を見て御出世の




(40)

目を驚かせり。江戸では初ほとゝぎすのやうにおくだりの口を
かけたか/\と待申なり。
 誹名の紅は日の出の色そえて
 江戸紫の染下地かも

  ○中村芝翫
名人藤間勘十郎が鑑定にて猶子とせし。藤間吉太郎
幼稚の頃より才識ありて。踊り稽古の乱拍子も。こゝを
踏ばあそこと悟り。いかにも精を出し。少しも蛇をつかは
ざりしは。寸龍雲を望むの志にや。まだはたち山にもたら
ざりし項文化十三子のとし。四月初て浪花にのぼり。中
村歌右衛門弟子となり名を中村鶴助とあらためし也。

名人藤間が仕込んだる舞ぶりの見事さ。大鳥はだと大目
玉が。にらんだる師匠の目鏡にちがひなく。此鶴年々に羽を
のして。文政八年酉の顔見勢より。芝翫といふ名物の名を
もらひて。いよ/\評判よかりしゆゑ。いよ/\誉る人多く。
いよに因てイの字を四ツイ菱の替紋。浪花に流行せしは。
四イ手柄ものなり。さればこそ此顔見勢は江戸の切幕から
状使ト声をかけさせ。十二年ぶりにて。古郷へ錦絵を飾
る太鼓謡ひの長上下。勘十郎も黄なる泉にて。目利の鼻
を高くすべし。元来江戸ッ子なれば。江戸気は百もせう
ちの助。芸の力は強弓のつる助芝翫。三十三軒堂しても
あたり/\。

(41)

  ○中村松江
三ヶの津へ千とせの色をあらはせし。中村の名木松江
丈。当時の正且なれば。芸評はいふがくだなり。舞台の
外に連誹を嗜み。画もあり茶もあり花もあり。糸竹の
妙手なるは。普く人の御ぞんしなり。いつぞや江戸にありし
頃は文墨をもて都下の文場に交り。予もおなじみなり
き。ある時予が友人前の豊國が年魚あゆを画し扇に讃を
乞ければ。三光とり敢ず
  汲鮎にはらみ句はなし水の色
梅の自画讃に
  春の夜や頭巾忘れて梅の花

弥生の末つかたやつがれとおなじく。花をたづねてよめる。
  ゆく春をしばしとゞめてくれかゝる
   心せきやの花を見るかな
よし原にてある家の遊女あそびたんざくを乞ければ
  傾城けいせいゑんなるは此桜かな
    これは其角が句を興じたる
               酔吟すいぎんなり
これらは皆即興なれば。梓にのすべきにはあらねども。
今おもひいだせしまゝしるせり。猶あるべけれどさのみは
記さず

  〇中村伝九郎なかむらでんくらう

(42)

朝比奈の楽屋人入し暑かるとは其角が時の伝九
郎どのなり。累世名人の家合むなしからず。芸の達
者なる事。いづれも舌を巻るゝよし。紋所の鶴千年
の櫓を祝すべく。家の宝の金の采弊は日本一の太夫
元なり
     世に響く櫓太鼓の伝九郎
      なほ幾代も打つゞくべし
     ○市川団十郎に題す
        木場楽のつらね
当時なんでもごうてき繁昌時々発行。天智天皇の
むかしより。古人稀なる俳優の親玉七代目玉。遠からん

ものは八幡鐘の音にも聞け。近くは寄て目にもみよしの
深川舩。ねんじやは洲﨑の弁財天。兄ぶんは恵比寿の
宮。祖父に似たが下戸仲間。多田のまんぢうの身うちに
おいて。こゝをおせばあそこと悟る智仁勇。木場はお家の荒
事獅子に牡丹のてふあいも。二ッならべし男子の花。大
鵬のゑび蔵は。古今才智な子宝童子。日々/\に新なる
新之助は。歳より余程せいたか童子。是を左右の前立
にて。成田加護の太郎当といふわんぱく若衆。当年つも
つて八百番の歌合せ。誹諧狂歌は代々ゆづり葉点取
などはいつでも勝栗。詐じやござらねほんだはら。学びの
窓をおしひらき。向を仡と見渡せば。金柑鉢植の公家

(43)

殿原。赤いおぢいの野暮椿。古池の鯰の蒲焼。たとへ
鰻とあざむくとも。そのては桑の弓取りが。白眼だ的は
通し矢の。あたりかゞやく大太刀は。家重代の金拵。一陽来
復の切幕から。初音の声をかけ烏帽子。柿の素袍に
鶴びしの。鶴九皐になり田屋は。天に聞ゆる大立ものと。
京橋の野暮鴬が。ホヽ敬て白す。

下之巻 大尾

此編にもれたる三ケの津役者追々
編を継て上梓す
   香蝶楼歌川国貞画
文政十年 亥冬  通油町  鶴屋喜右衛門
 東都地本    親父橋  山本平 吉
 問屋同梓    馬喰町二丁目
 発行           西村与 八
         芝神明前 和泉屋市兵衛
         馬喰町二丁目
              森屋治兵衛

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(裏表紙)

「大村屋万次郎」