絵本高麗嶽

(1)

絵本高麗嶽 上

(2)

余一日紅翠齋北尾翁を訪ふ書を品し画
を論して日まさに傾んとす時に書肆
層山堂一稿本を擕来りていふこゝのは
是先生嘗て作る所□名馬の圖なり久
しく匣底に在て刊行せす此様の美
玉遂に埋没せん事を恐れ上梓して
世に公せんと欲す翁看て愕然として
曰吾子いつれの所より是を得たる此啚は
今を去ること十数年前両中閑伎倆
湧に葦を採て紙上に塗抹し以て一局の

(3)

奕棋に充るのみいかんそ梨棗に災して
世に余る□をにんや答曰否傍観の者は
當局の者と□を異にす特先生局に當れは
衆人皆傍に観る小生も一個傍觀の人也
小生心を推て四方傍観の人の心を察るを
誰かこれを□手段に非といはんやと切に乞
ふて不歇翁只得てこれを許し余に
託して題言を冠らしむ余別に意を構へす
直に翁と層山堂か應接の話をふと出す
書了りて葦を□する時月皓潔たり

風凄涼たり歸路賖にして寒を怯れ
層山堂を拉して歸る

享和二年壬戌春日
神田 五郎作撰
友人 蒙義録

(4)

八龍はちりう
絶地 翻羽 奔霄
越影 踰輝
超光 騰霧
挟翼
周穆しうのぼく
わう此馬
乗車じやうしやに付て天下を
獨巡行ひとりじゆんこう其妙そのめう高山かうざん
大河たいがをゆくこと平地へいちのごとし

(5)

驄龍そうりやう

源満仲みなもとのまんちう
朝臣あつそん
しん
ちよく

よつて
ひき

龍馬りうめ
てこれに
のり夛田たゞ

いけ
九頭くづ

りやう
たいら
ぐる
馬中の
このかみなり
とて
そう
りやうと
ごう
ける
とぞ

(6)

赤兎馬せきとめ

関羽くはんうが馬にして
はじめは呂布りよふ
やしなひしがほろ
びてのち
曹操さう/\が手
にありしが
くわんうが
こゝろざしくは
せんとて
あたへし也
五関ごくはん
此馬
にて
やぶ

ける

なり

(7)

源太黒げんだぐろ

八幡はちまん太郎
義家よしいへの馬
なり義家
元服けんぷくのとき
禁庭きんていより
下し給ふ
なりこれ
奥州をうしうより
奉る馬也
眉中びちうしろ
あり
よつて
ひたい白
とも
ごうせし

なり

(8)

一名白浪

畠山庄司はたけやまのしやうじ
次郎重忠しげたゞ
が馬なり
/\のぐん
こうに此馬にて
あり一谷
ひよどりごへ
をとすとき
は此馬をふか
くいたはりて
重忠自身じしん
馬の前足まへあし
かた
かけて

をひ
嶮路けんろ
くだる

(9)

白兎はくと

細川ほそかは
清氏きようぢ
馬なり
せん
じやう

おもむ
ごとに
此馬
のみ

用ひて
勝利せうり
されば
きよ
うぢ

さう
大かた
なら

(10)

すい

楚項王そのこうわう
馬なりかん
七十
のたゝ
かひにこう
みな
此馬に
のりて
ゆう
あらはす
され共
うんつき
烏江うこう
にじかい
せんとする
とき馬を
おしみて
烏江うこう
ちやう
給ふ
しかれ
ども
しうおはり
をかなしみ
けん
しづみて
すこれ
もと池竜ちりう
したる
なりと
いへり

(1)

絵本高麗嶽 中

(3)

龍馬りうめ

後醍醐帝ごだいごてい御宇ぎよう出雲國いつもくに
鹽冶判官高貞ゑんやはんくはんたかさだが奉る所の  
名馬也本間ほんま孫四郎を召て
らしむるきよくをもつてす天
下の人目をおどろかす

(4)

獅子しゝ
さう

一名九花虬
とう郭子儀くわくしき
か馬なり
子儀しぎ
唐室とうしつ
中奥ちうこう
名臣也
たゝかひの
こと
此馬に
じやうじて
ゆうふる

(5)

春風はるかぜ

木曽官者源義仲きそのくはんじやみなもとのよしなか
妾中原兼遠おもひものなかはらのかはとを
むすめともへ女が馬なり
のりてたひ/˝\の
高名かうみやうありよつて
七手のうち
女ながら一手
大将たいしやう
なり

(6)

飛蹄子ひていし

正治二年九月二日
頼家よりいへ小坪こつほ
うみに遊ぶ朝比奈あさひなの
三郎義秀よしひでかい
中に入て大魚たいきよ
取て奉る頼家
かんじて飛蹄子ひていし
を給らんとあり
ときに弟五郎つね
もりが曰我此馬を
のぞむ事久し
あはれ相撲すまふ
勝負せうぶにて下さる
べしと申其とき
小四郎義時よしとき行事ぎやうじ
にて取くみけるが
兄弟雌雄しゆうなし
義ときもら
にせんと引
わけしに
常盛つねもりあか
はだかのまゝかの
馬をうばひ
一さんに
はしる

(7)

汗血かんけつ

大宛たいゑん貮師にし
じやうに名馬あり
あせ
ながすかん
武帝ぶてい
これをもとむ
れともあた
へず武帝ぶていいかつ
て貮師将軍しやうぐん
李廣利りくわうり
めいじて大宛を
うたしむ廣利くはうり
大宛
王を
ちうして
馬を
帝に
たてま
つる

(8)

的顱てきろ

蜀主玄徳しよくしゆげんとく
馬なり荊刕けいしうにて
玄徳一人しつ
がいせられんとす
とくかく此叓を
しりて裏道うらみち
なるだん
けいの大河
をわたつて
急難きうなん
のがるゝ
此馬がん
下に
白き
あり

(9)

南鐐なんりやう

平宗盛たいらのむねもりの馬なり
叓あるときは此馬
をあづけてしよ
人にらしむ
非力ひりきの人には
よはく大力
の人には
口つよし
こゝろざし
したがふ
しん
ごとし

(1)

絵本高麗嶽 下

(3)

照夜白しやうやはく

唐玄宗皇とうのげんさうくはう
ていの馬なり
玄宗寵愛てうあい
のあまり
曹覇さうは
めいじて
此馬をゑがゝ
しむ旬日しゆんじつ
してなる
とき竜地りうち
真龍しんりやう出て
風雲ふううんしたがつ
さると也

(4)

鬼鹿毛おにかけ

相模國住さかみのくにのぢう
小栗をぐり十郎か
馬なり小栗
照姫てるひめといふゆう
くんになれて
かよひけるに
横山よこやまといへる盗人ぬすびと
さけどくを入てがい
せんとす小栗
これを
しりて
盗人ぬすびと
さきに
ぬすんで
やぶのうちへ
つなげるを
取ておつるを
盗人におひかく
るといへども
つゐにちかづく
ことを
得ず

(5)

生唼いけつき 高綱が馬
磨墨するすみ 景季が馬

義経よしつね木曽きそちうするの
きざみ宇治うぢ川をへだて
わたさんことをもとむかぢ
はら源太景季かげすへ佐々木さゝき
四郎高綱たかつな一二を
あらそひのり入たり
しかるに高綱たかつな
馬水中にては
するすみより
すぐられけるが
ばんにむかふの
きしに上るよつて
景季かけすへぢんたり

(6)

紫叱撥ししつはつ

鮑生ほうせいといへる者の
馬なり天下の人
みなのぞむはじめぐわい
弟韋生ていいせいが馬なり
鮑生
ふかく
のぞみて
美妾びせう
をして
駿馬しゆんめ

かゆ

僧法
宣詩

朱鬣
金鑣
紅粧束
素腰
雲来躞
蝶如
去飄々
桃花會淺汗
柳葉帯餘嬌
騁先将獨立
雙絶不

(7)

大内白おほうちじろ

高倉院たかくらのいんない
ちよくによつて
蹉𨁟野さかのの 
をくへ小督こがう
つほねをたつねに
まいるとて弾正だんじやう
少弼仲國君しやうひつなかくにきみ
よりたまはり
たる馬なりをりしも
八月十五
さへわたる
月にこと
をしるべに
よこふへ
ふきながら馬
はしらする
安座あんざする
がことくなりし
とぞ

(8)

大夫黒たゆふぐろ

九郎判官源くらうはうぐはんみなもとの
義経よしつねの馬なり
奥刕秀衡おうしうひでひら
よりおくりたる
名馬にしてさう
みな黒くまなこ
世のつねにすぐれ
て大きし義経
ことにさう
ありしが八島やしま
戦功せんこう
禮高松れたかまつ
威相いさうをあら
はし給ひしも
みな此馬に
またがりしと
なり

(9)

孝子馬こうしのむま

むかし大和國やまとのくに
農夫のうふありきはめて
父母ふぼこうあり
ある日いちに出
てひとつの馬を
かふ此むまはなはだ
やせてみにくし
もつとも
いへまづしければ
あたへいやしきゆへ
これをもと
しかるに
しばらく
いへかふ
ことこへ
いろ
めでたく
尋常よのつね
すぐれ
しかのみ
ならず
田野でんや
わざを
たすくること
びきにも
ばいせり
人みな
孝行こう/\
とくならんと
かんじあへぬ

(10)

撰者 南仙笑楚満人
画圖 北尾重政
享和二年壬戌正月吉日
本石町三丁目十軒店
東都書林 層山堂 西村宗七板