(1)
武家玉手箱 九之十
(2)
武家玉手箱前篇第九
目録
一 小森家鎌倉中下りの事
并 故城松柏切とる事
一 普賢四郎洛陽めくりの事
并 四郎と九兵衛心をあかし合事
(3)
武家玉手箱前篇第九
小森家鎌くら中下りの事
并 故城の松柏切とる事
伊豆守様四年のとし限相済
今度鎌くら御下かふに付献上物執権
かた音物ひゝしく取そろへ御ほつか
被成御下かふの処鎌くらの御首尾
(4)
ます/\今しばらく藤見の庄
御奉行しよく御つとめなされ候やうとの事
ゆへまた/\御上ちやくなされしかは
藤見の庄の町人とも定めてふたゝび
御上ちやくとは存知ゐ候へとも万一御
役かへも有へき哉とたのしみゐける処
また御上着なりしかは大にちからを
落し此上是まてのことく金子御
取り立被成候はゝ一向此処は立行申
さす しぜんと亡所となりゆかんとなれ
かぬものはなかりけり 然るに今度御
役だく并橋/\御ふじんに付故障
の松柏きりはらい給ふ そも/\此故城の
来由をたつぬるに むかし水淵大和守
といふ大名此処に小城をきつき居城
しけるに文禄三年の比かとよ くわん
(5)
白秀吉公小城を破却し御居城
を御造栄まし/\御奉行は佐久間
河内守滝川豊前守佐藤駿河守水
野亀之助石丸与兵衛等也 其後慶長
五年七月晦日石田治部少輔三成逆心
を企しに金吾中納言秀吉宇喜
田秀家等石田に与力して此城
をせめけれは江州永原の兵士敵に
内通しけれは終に落城して鳥
井彦右衛門内藤弥治右衛門等城中に
打死しぬ 神君御治世ののち御城処
/\にひけ今は其旧跡にして名の
み残り 松柏生茂弐百余年にも及ひ
けれは厳敷御法度にして樵夫の
類壱人も立入事かなはさる処なり し
かるに此たひ此山の松をきりはらい役
(6)
宅の破損をつくろひ其外処々の公義
御普請のはそんに用ひ度かまくらへ注
進し給へは早そくしかるべく取計
申へし御下知に付 材木屋ともをめさ
れたん/\入札有けれは凡弐千両計
落札してたん/\きりとり御やく
宅其外の破損には雑木を用ひ
取つくろひ五百両は残銀としてかまくら
に下し千五百両は役人とも筆先にて
かすめ諸勘定相済せける しかれ
は山あれけれは今度松なへ千本
余植しやう仰付られは諸人入札
しける処銀壱貫八百目に落札し
けるを町/\え申付取上る処の
銀高は弐貫八百目と申出し眼前
壱貫目かすめ取 また六地蔵村の橋
(7)
大損しに付かけ直し候やう仰出され
日野屋喜兵衛茨木屋五郎兵衛弐貫目
六百目にして落札し請負仰付られ
し所 右橋普請にとりかゝりける
処へ請負の内金廿両さし上申候
やう仰出されけれは請おいとも大に
こまり弐貫六百目の内にて壱貫二百目
召上られ残一貫四百目にては御橋出来
もふさすと段/\御断を申上けれとも
御聞済なく せひなく両人出奔
しけれは右両人の町内をきひしく
御きうめいなされわび金として一町より
廿五両つゝ御取上被成 右両人さかし
いたし出やう/\落札高にて普請
成就しける 遠藤大八郎申出し
佐渡や治郎右衛門といふもの諸運上を
(8)
企小森家に取入無商売にして栄花
にくらす奸佞なる町人有けるか かれか
宅へ御奉行并御部屋もろとも入
らせらるゝと申いつわり 舞子芸子
野良遊女の類或はたいこもちまて
京都よりよひよせ敬白者とも佐渡
や宅に参会し昼夜酒宴おどり
にちやうし 右舞子けい子の送りむ
かひのかごは人足を処より取宿役に
相つとめしやう申付けれは 格別の
失却かゝり町中難義におよふ
扨また此御役所はむかしより南東
の御門を締切北西御門と御番所
これ有 足軽役人是をかためみたり
に出入ならさるところ 右番所相やみ
四方の御門あけはなしに成けれは
(9)
毎度御門内に行たおれものあり 右
入用町かゝりに申付さし出させ ことに
また身もと甚たよろしからさるもの
日々小森の家中か入込みつたんし
さま/\の悪逆を企てまたは昼や
にかきりのふ芸子まい子の遊女を召
よせ酒宴遊興に長し町人とも
をせふり或はむたひを申懸ゆすり
取 七ヶ年のうちに廿万両余取上
られ 此上両三年も此やうなるめに
あふならは藤見の庄は皆離散し
亡所と成ゆくべしと歎かぬものは
なかりけり
普賢四郎洛陽観音廻の事
并 四郎九兵衛心をあかし合事
忠臣は国の危ふきに顕はるゝといふ武
(10)
のこと葉にひとし こゝに山城の国紀伊の
郡藤見の庄東板橋弐丁目に普賢四
郎と名乗西国一円に其名をあけ先
祖代々此所にちうきよしける小刀鍛冶
忰宗兵衛にゆつり我身はいんきよし
朝暮ねんふつ三昧に日をおくりくらしける
か 元来若年より賢直総明にて
諸人にけいせられ 元此所年寄役おも
つとめて古き事共能おぼへてばん
事になれたる賢おやしなりけるが 今
度の御奉行小森家の悪逆所の滅亡
を理にあらん事をふかくなけき是も
諸人のためなれは仏の衆生を救給ふ
にひとしくふたゝひ元の藤見の庄に取
なおさん事をふかくねかふといへとも当時
御奉行に対し引矢もなくとやかく思ふ
(11)
おりから同処北七町めに九兵衛といへる者
有けるか是も同し心にして明暮能
かとふと出きたれかしと思ふといへとも一大
事のことなれは口外等出さす此三四
年も過しけるに 両人かおもふことく
処は次第に衰微し御役所の悪逆
は日々月々に増長し今は早はし
/\家やしきを売払此処を立のく
ものも次第に出来ぬれ共 家売買も
七年已前とはことの外相違し三貫目
の家は壱貫目と成壱貫目の家は三百
目と成 家の相場も下直に成ぬれは此
後弐三年も立ならは此処のいへも
売人有てかふ人なく住なれし我
家をすておもひ/\に離散して
なはむかしのことく狐狸のすみかと
(12)
なり藤見野と成ぬへし ふるき歌に
藤原の定家郷
深草の里の夕風かよひ来て
ふしみの里にうつら啼なり
と詠し給ふことくむかしに帰りうつら
なく藤見の小野と成行ことのあさましく
思ふ折から 普賢四郎九兵衛かたに念仏
講の有てゆきけるか 同行皆帰り
四郎あとにのこり 若明日天気能候はゝ
洛陽観音めくりを致度貴様も御
めくりなされましき哉とさそひけれは
九兵衛もねかふ所なれは早速同心
し 翌日早朝より宅を出両人同道にて
竹田のかたへとこゝろさしそれより次第に
めくりしか みちすからはなしけるは
たゝ小森家の悪逆無法のことのみ
(13)
なりけるか たかひに心を引見るに普賢
四郎九兵衛に申けるは いかゝして又
此度の御奉行を仕かへる分別は
出べしとたつねけれは 拙者も明暮
此事をおもひともいふも仕かたなくたゝ
鎌倉に下り御公義執権職の御
かたに直に御ねかひ申上るより外いたし
かた有ましく是とても其処の御
奉行様の御添簡なくしては彼かた
にて御とり上なきよしきゝ及ふ しかし
是もいか様とも命なけ出し掛りなは
いか様ともいたしかたあるへけれとも何
いふても拙者一人いかほと心をくたき
工夫せしとて今壱人の相談相
手なくしては鎌くらに出立もなら
す さて/\世に町人なと甲斐なきもの
(14)
なしとひとり立腹し四郎にくり出され
自分のそんしくわらりとはきたしけれは
四郎は十分くり出し 扨はきやつも我と
同し心底 此上はあかし合かれと心を
壱つにして事をはからはたとへいか体
のせめ苦にあふとも名を後の代にのこ
し処のために死するならはおし
からぬ老の命と 夫より洛東長楽寺
の観音に参詣当我願ひかなへさせ
給へと心にこめて祈願し 扨々是はいつ
のまにか山を切ひらきはれやかなる事
なれは高みに上り休足せんと両人石に
こしを打かけ遠見し火打とり出し
たはこをのみ四方をなかめ居し折から
あたりに人もなく能おりなれはと普賢
四郎小声になり九兵衛にむかひ あらたま
(15)
りし事なから其許御頼申度一義
有 毛頭相談の上にては他言せまし
きの誓言 則氏神御幸宮今日
巡礼し奉りし観音にちかいしといへは
九兵衛も大かた其意さつし 此方よりも
頼度一義有といへは 然らはいさ相互ひに
誓約を則とりかわし仏前を立下
向に趣き人なき処にてたかひに発
言しける処同気相もとむるの言にや
四郎か趣意も九兵衛か心おも同し事
なれはたかひにあきれる計にてし
はし言葉もなく誠也此願成就すへし
生処をさり処は都のあつまろ屋諸
くわんしやうしうする上はなかく古郷
に楽の寺なれはとて それよりたかひ
にむねひろく手段を申談し
(16)
めくりしか やう/\なかはにめくりおき
其日は我家にかへりけ李
武家玉手箱前篇第九終
武家玉手箱前篇第十
目録
一 普賢四郎并九兵衛蜜談の事
并 両人鎌くら発足の事
(17)
武家玉手箱前篇第十
普賢四郎并九兵衛みつたんの事
并 両人鎌くらほつそく事
精衛か巨海を埋めんとするかことく蝼
蟻の大山をくつさんと欲するに似たりと
いへとも両人か願ひ天も感応し給ひ
けるにや 終に其功をなしぬ こゝに普
けん四郎并九兵衛の両人はかね/\の存
(18)
念今日たかいに心底をあかし合はし
めて安堵の思ひに住しけるかまつ
今日はめい/\の私宅に帰りけるか 翌日
も又立出めくりさしを順礼せんと早朝より
出宅し道すから談しけるか いつれか様
に立出みち/\の相談にてはしまり
申さす候へは江州大津に則四郎か弟
住居しけれは彼にとくと筋合を申
きかせ彼かたにゆき逗留し相談すへし
此所にて貴様と日々出会せはさためて
不審を立らるへし 外にまたかとふと
おもへとも人の心ははかりかたく其上何
をかなきゝ出し小森家に注進しそれ
をこうに取入 また此上に運上ことなとく
わたて諸人の難義はいとはす我壱人
らくせんとおもふ町人もまたみな/\
(19)
たれは一向ゆたんなりかたく万/\一他分
に達しなはたちまち両人の身の上に
かゝり立しこふもなまるなんきに及ひ申
へけれはたかひのせかれともより外に
かならす/\他言し給ふなとて それより
大津に趣弟かかたに立こへくわしく頼
けれは さすか四郎か弟なれは是も甲斐/\
しくたのまれけれは四郎九兵衛忰に
篤と立聞せそれより大津にゆき二三
日も逗留し相談しけるか 爰も家内の
手前えまた手代小者なとか手前もあれは
とかく心すみかね先此所も立出 一里北なる
坂本といふ所に立こへ宿をとり翌日
壱人病人となり宿屋にことはりこゝに
一日逗留し また大津に帰り八丁
に宿をとりこれにても翌日病人と
(20)
偽り逗留ししゆ/\さま/\に心をく
はり相談しけるか ろよう覚へもわつか
なる事なればとかく人にかたり所より
入用いたさせ出立すへきなと心へて
はことあらはるゝもといなれは必両人か
懐中より出すへし また九兵衛に向ひ
慮外なる事なれはとも御不自由に
候はゝかならす気つかひし給ふな 此四郎
は弐百三百両の金子はいとわす出すつもり
しかしかまくらに下り直に御手つかい申上る
みなれはいつかたへ賄賂しとふかふといふ事
もなく願上し上は定めて両人とも牢
舎仰付られ候へし 左候はゝ金子ついへ一向
有ましく万一首尾よくねかひ御取
上なされ候はゝやと預けにても仰付らる
べし しかれは其節は此御奉行処へ
(21)
も騒動に及ふへし 表立金子は下
し申べしよし また下さすともおもて
に成上は貴様此方か跡相続のものゝなんき
に及ふほとの義は有ましく 其段はこゝ
ろやすく思し召 かならすあとに心を
のこし給ふなとたかひに言葉をかた
めあい 扨それより心覚への書付取出し
きんみしてそこつなきやうしらへに
しらへ願書の案紙をしたゝめけるか折/\
藤見に帰り近処に顔を見せ されはも
しやと人かとかめぬかと天にせくゝまり
ちにさし足して内を出京六条前に
やとをとりいぜんのことく申偽りとうりう
しまたは三条或は六角或は八幡橋本
に奈良道海にては寺田長池なとに
ゆきおよそ五十日計かゝりやう/\相談
(22)
きわまりけるは寔や芝居に仕組し
如し大石蔵之助か主人の敵をねらひ
かんなんも此両人か心の中にひとしからん
と推量ける 扨両人ともあとの義とも
鎌倉にて打付先くわしく申聞出立の
あとにての悪事迄追々申こしすへし
とて せかれともに言含置 近処に甚
りちきにて貧なる暮しいたし居
けるものをやとひともにつれけるか 是には
西国巡礼心まかせにするなれは跡の
妻子は両人か家内より世話致つかはす
へけれは先百日もかゝるつもりにてやと
はれくれよと大津に出るまて申い
つわり 此者を供につれ町内をはじ
め知音知人まて西国巡礼と披露し
て天文五年八月上旬藤見の庄を立
(23)
出あつまじさして下りけるか善事には
寸善尺魔とて 普賢四郎か町内に何
国の浪人とも知れす二三年も已前より
借宅し居けるか また此処に万外とて
有馬丈介か門弟のこむそうありけるか
丈介にまさりし佞人成けるか去比より
四郎九兵衛か相談包すれとあまり
けるか毎度出会のやうすまたたひ
/\いつかたともなく他行し一日二日逗留し
帰宅のやうすたん/\工夫しけるに何と
も合てんゆかすおもひ居けるに 今日
両人西国とひろうし出立しけるか
いまた時節も残暑つよきに物すき
なる西国なりと近処うちより評定
しける 壁に耳岩の物いふ世の
中なれは中にあとかたきゝはつりし
(24)
しものありて口はしりけれか 件の浪
人是を聞万外かたに行物かたりけれは
万外是をきゝすこしにても金に
せんとおもひ早/\有馬かかたにゆきかく
とものかたりけれは 丈助是を聞大に
あわてそくじに熊井在間に相談
しけれは きゝ捨ならす大に家中
そうとうし早速四郎九兵衛両人
の家内呼よせ段々吟味しけれは両人
さやうのそんし立にて出立仕候か家内は
西国しゆんれいと申寺請状まてとり
立仕候へは毛頭さやう之義とは存せ
さるむね返答申上けれは 先町内え
預け申付すくさま役人を指つかわ
し両人か家内さま/\吟味しけれ
ともさやうの事あれはすくさまやさかし
(25)
申付られし当役所のくせなれは其
意をかねて心得し両人なれは此みつじ
反古とても其時々/\にやきすてけれは
一枚もなけれは手掛りもなくしかし捨
もおかれす鎌くらすしに追てをさし
出しけれとも最早三日も日も立 其上
かねて其意をさつしける両人なれは
日をおいこめて下りけれは遥に道も
隔チぬれは追人のものも途中より帰り
熊井等へ申上 熊井在間奥村村林
の佞人ともうちより昼夜吟味の工夫
をこらし 手先めあかし藤右衛門林蔵
に申付昼夜町/\を吟味させ出入
の町人共えも含さま/\と犬猿を出
しかき出させけれとも実談しれ
す 町々にても四郎九兵衛は殿様
(26)
の悪事をかまくらへ訴人に下りしといふ
御吟味は実の事かとさやゝき評定し
けるのみにて誰其実をしりしもの
なく何の手かゝりも出す 日々両人か家内
よび出しきひしく吟味しけれとも
最早より同し返答にて外の事
なく 爰によつて先達て四郎九兵衛
其外五人御奉行所に召出し
年寄役并年行事何のしさひもなく
熊井在間申付ける其しゆいは 藤見
の庄宿役人足かた石銭となつけ
大坂より登りふね壱石に付四文つゝ壱人
つゝのつもりをもつてとり集め候様
是をとり壱ヶ年に冥加銀五貫目
つゝ上納仕候様宿役人足かた勤来
候処 請負人河野新吾といふもの
(27)
願により石銭御取立にすへしと評定
しけれは町かた大にそうとう
し大勢御歎きに願出けれは ぜひ
なく聞済 新吾願は止けれは 新吾
借銀十三貫は町かたえ引うけさせ
年々利そく指出ける処 新に町中より
人足かた請負仕度相願 足銀壱ヶ
年に拾二貫目つゝ町かたより差出し
来りける所 又候町かた呼出し かねて河野
新吾願置し通り三ヶ年の間石銭壱
せんましに申付候まゝ御内益とし金
三拾両指上候様申わたし また此たひ
道中筋宿々相続のためしゆく
つぎ人馬ちんせん四割まし仰
付られ 内弐割は上納残弐割は
馬借に益仕候やう公義より仰出され
(28)
ける処 弐割所の益に相成候得は年/\
金五拾両差上 熊井在間小田柿えも
金五両つゝ指出し候様申渡しけれは
右七人のものとも此義甚たふせうち
にて段々押つよくねかいけれは せひ
なく相止けれ共 此意趣甚ふかく
右七人其まゝ年寄役勤させ
置ては後/\謀事のさまたけ
にならんと七人のものとも退役申付ける
か 右の者とも同心し四郎九兵衛を鎌
くらにつかわしなんとこゝろへ のこり
五人にうたかいをかけ段々つよく吟味
し町預に申付置けれとも 一向毛
頭存せさるよし返答申はかり
なり 右段々工夫し吟味しけれ共
わかられは藤見の庄弐百六十余町
(29)
十五已上の男女にいたるまて吟味し
四郎九兵衛にくみしとゝうをむすひ
奉行所を申いつわり候義且て是
なくよしの人別に印形をとりける
是は万一若かまくらにうつたへ
彼かたより御さた有しとき徒党
をむすひて御ほうをそむき
しとかにおとすべしのたく
みとかや
武家玉手箱前篇第十