武家玉手箱

(1)

武家玉手箱 七之八

(2)

武家玉手箱前篇第七

   目録
一 祇園町遊興ゆうけうの事
  并 宮川丁喧嘩けんくわ之事
一 大隅おふすみ姫君徳山家へ御引取の事
  并 御てかけおい代死霊しれうの事

(3)

武家玉手箱前篇第七

  祇園きおん遊興ゆうけうの事
  并 宮川丁喧嘩けんくわの事

あるとき未明みめい藤見ふしみの庄を御出立し
給い京都のしよう用相済丸山はしりう
入給ふ 此処にて御着用ちやくよう御しかへ
なされ御供廻ともまわりはわたしにまきれふし

(4)

見に帰し給ひ伊豆守殿近習きんしゆ六七
人召つれられ祇園町よろつ屋庄右衛門
方へ入給ふおりから かまくらにて茶道さとう
世話より遣し給ふ大隅さつ摩介と
いふ人此節入国につきふし見の庄
逗留とうりう中なれはしのひやかに此処に
来りあそ給ひけれは ひさ/\の
対面たかいになつかしくつもり物かたり

遊興ゆうけうたけなわに及ひ其
互に乱酒らんしゆにていつとなくえいふし
給ふ よく朝互におき出ものかたりし
給ふ内伊豆守殿仰けるは 御賢息けんそく
かねてとく山家にてとうよう君と御
言名付いゝなつけ有しよし承り候処相替
らすさためてかまくら御殿に御にう
輿とそんし候 挨拶あいさつ有けれはさつ

(5)

摩殿仰けるは されはその儀いまた
なにの御沙汰さたなく是まてとて
も大家との婚姻こんいん取結とりむすひはしん
このかた鎌くらの御法度なれは
定てへんかへ被成べくと存候得は
何とも残念さんねんに存候 はなはたよう少なる
姫と申せともさやうに相成候ては
何かたえつかわし候ても一生人口に

かゝり候得は其義も不便に存 何とそ
已前いせんやくそくのごとく取結とりむすひ相成かしと
そんすれともとかくひまとりいまた
不安心に候と申給へは 伊豆殿さた
めて執権しつけん方へは御申こみなされ候
べしと仰けれは 成ほど一往ものかたり
致しおきと仰けれは 伊豆との中
/\当時とうじおうさいおうのたのみぐら

(6)

ゐにて参り申ず候 御大家たいかの事
なれは夫迄は御もつきさせ
間鋪ましく私へ仰付られ候はゝさつそく
埒明申べしと仰ければ 夫は何とそ
御たのみ申度候か其手段しゆたんはいかゞ仕候事
哉とたつねたまへは 当時とうじは金銀ヲ
もつて権門家けんもんけをつくろひ候はて
は中/\容易よういに参りがたく候

しぜんさやうのおほし召にも候はゝ
せつしや御とりもち申上べしと申
給へは いづれ金銀を以て調とゝのい候はゝ
家来けらいとも相たんのうへ如何様ともとり
のいたしかく有べく何分宜敷よろしく
たのみ申入と仰けれは 先五千両は御
しかるべしとてまた遊興ゆうけう
ぞはじまりける 亭主ていしゆ庄右衛門元来

(7)

茶の道にすきけれは 今日はわたくし
まへにて御茶一つさし上たくよし
ねかひけれは 御両所ともいとけうし
給ひ万屋よろすやにて茶のゆはしめける
庄右衛門伊豆殿に願けるは 私も近年
家内普請ふしん仕たく其せつちやせき
たてたくかねてそんねんに御
くるしからず候はゝせきのゑすを

なし下されたく旨願けれは 夫はや
さしく心かけに候 惣絵図えづ出来候はゝ
見せ申へしと仰にしたがい ふ
しんの絵図えつを御らんに入けれは 拙
者物ずきして遣はさんと即席そくせき
茶席ちやせき絵図えづ物好ものすきし下し
置れければいとゝけうに入給ふ 上下
におかれける故か一入めづらしき御

(8)

ものすきとていしゆも外聞くわいふんかた/\
有かたく頂戴てうたいしける 一さく年より
普請ふしんかゝりけるかこういけ善右衛門よりも
金五百両遣はし白木しろきひこ太郎よりも
三百両其外名有客しゆより百両
弐百両或は三十五十両ほとつゝつかはし
けれは一向自分しふんの物入なく此ころ
大かた成就じやうしうしけるは茶せきは伊豆殿

御物ずきなり さつまの介殿は先え
退たい出なされ伊豆どのも御帰宅きたくなさ
らんと素人しろと芸子けいこむすめ中居ともを
めしつれ男女かご廿てう一力ゐちりきか宅へ
をいて宮川町松はら下ル所へきかゝり
けれは 官家くわんけ若侍わかさむらいとおほしし
上下の五六人みな/\桃華とうくわうちかた
よききけんにて町一はいに成かへり

(9)

けるか茶屋かごとあなつりわさと
この邪魔しやましければ 駕籠かごのもの
ほう/\とこえかけれは 慮外りよくわい
何ゆへひかへさるやととかめけれは かご
の中にもたんりよのわかもの途中とちう
をあるくほうおも知らすちやまひろぐ
なといゝつゝかごより出けれは それ打の
めせといふまゝにもゝのえたにて

打かゝれは こちらもこらゑぬ武家ふけさむらい
主人は女にたのみ置互にうちつうたれつ
しはしか間まけすおとらす喧花けんくは
もさすが後日やおそれけん壱人にげ
弐人にけけれはたかいに追かけみうし
のふてぞ済にける ひあい成ける次第
也 伊豆殿は中らうせきにまた一力
やえ立帰り給へはやがて近習のもの共

(10)

おゐ/\に立帰たちかへり まつ今よい婦人ふしんはや
めにして明日いつれも来るへしとやく
そくしきんしゆめしつれすご/\藤見ふしみ
かへり給ふ

  大隅おゝすみの姫君とく山家に御引取の事
  并 御てかけおい代死霊しれうの事

大隅薩摩さつま之介殿の姫君御養君ようくん
徳山家にまし/\し内御やくそく

有しに伊豆殿に御対面たいめんの節御よう
にならせ給ふ上は姫事もいかゝ成事や
と御心安くにまかせ御そうたん有けれは
伊豆殿御世なさるべくむね仰ける
ゆへ万事はんじ御たのみなされけれはさつそく
執権しつけん谷間たにまへ申つかわし給ひけれは
此義成就しやうしうの上三千両のあいさつこれ
有るやう申来りけれは早速大隅家え

(11)

申へし さすが大の事なれはさつそく
五千両藤見へ以てよろしく思召の旨
申来るけれは五千両の内弐千両小森
のこし三千両谷間家へつかわしけれは
早速さつそく万事相すみ いよ/\とく山家に御ひき
なさるへきに事極り 薩摩さつま之介急に
御めしにて鎌くらに下向し給ひ諸事
しゆひよく相済けれはまた/\五百両小もり

家に御あいさつ有けれははからず弐千五百
両小森の受納しゆのうとなり其上大すみさつま
介殿かまくらの首尾しゆひもよく成給ふ 元来
茶道さとうの家なれはやく宅に茶せき
たて金銀しゆうに成給ひもとより京とう
に程へたゝり有処なれは御用むきま
れにしてすいふんひま成やくしよなれは
茶のゆはなんのとみな/\きやくのきしたい

(12)

もようしたもふ されは京大坂の町人あるい
さむらいわさ々此処に来りたのしみ栄花えいくは
にほこり尽し給ふ こゝに御てかけおい
とのと申はかまくらにてめしかゝゑ給ふ
おんなにて容色ようしよくもうるはしく御てう
あいあさからす此処まて御ともしけるか すき
ころよりおそのとて有馬ありまが世
あけしちや小せうに御手かゝり御てうあい

なされけるが 誠に者のためにもちい
られ女はあいする人のために形つくりす
史記しきの言にひとし 生得せうとく人なる
上に形をつくれは褒姒ほうじ一度幽王ゆうおう
国をかたふけ玉妃きよくひかたはらにこび
玄宗けんそう世をうしのふのたとへ おそのか為
におい代はいつしか秋風あきかせの立て
すてられけれは御そばのつとめもう

(13)

とましく明くれ是をのみおもひくらし
けるか古参こさんのみながらも何事もおそのに
仰付られけれはおい代はおそのが下地お
うけつとめる事の口おしく近処きんしよの生れ
のものならは御いとまを申上おやさと
にかへりなれとも百余りみちをへたて
女の身としてかへられもせずせんかたなく
むねをこかしつとめしが 不便ひん成かな

つい病気ひやうきをせうし医師いしをつくすと
いへともついにはてけるか いんぐわはくるまのめ
くるか如くおい代か魂白こんはく此土地にとゝま
りけるにや おそのあるよのゆめにおい代まくら
元にあらはれいでさもやみからげたる姿すかたにて
おそのにむかい わたくし事はかまくらよりはる/\
此処におともし君の御てうあいあさからざり
しにそもしにいつしか思召かへられとにかく

(14)

おもへとあき風のたちし我身なれはせ
ひもなきとはあきらめてもさすが女のあさ
ましくはるかみちをへだてたれはおや
さとへぞかへられず おもへともこゝろにまかせ
ぬ此年月 みな是とてもそもしゆへと思へ
はむねのほむらはみをこかしやかておもひ
しらさんとたちかとすれはかみさかだちまなこ
いからしくちよりしん猛火もうくわふき出し

おそのを中に引つかみこくうにあかる
と思ゑば余りせつ無きこゑ上なきけれ
は伊豆とのめをさまし給ひゆすりおこ
させ給ひは おそのやう/\めをさましけれ
どもさめ/\となきけるゆゑやうすを
たつね給へは有のまゝに物かたりし夫を
ほつ病としわすらひ付けるが たゝゆめ
ともなくうつゝともなくおい代かゆう

(15)

れいまくらもとにあらわれおそろしくす
かたにておそのをにらんて立さらねば
医薬いやくをもちいれともしるしなく今は
いのちもあやふくみへけれはやくしいん
をめされ祈祷きとう仰付られけれは法印
申けるは いかさま是は女のうらみみをふ
かくうけしもの也 此まゝ捨おかれなは
命は旦夕に落ぬべし 拙僧せつそうたん

せいをこらし加しなば其しるし立所に
あらはし申べしとて伊豆どのかみを
切すこしゐるべしとねかいけれはこれを
下されけれは ひもんをしゆしおい代かはか
しやへおさめ帰寺きじの上秘法ひほうしゆ
けれはふしきや七日まんする夜おい代
かゆうれいおそのにむかい いままてはそもし
をうらみすていのちをとりともにめいとに

(16)

おもむかんとねかいしか有かたや貴僧きそう
かぢし給ひてこひしき殿の御黒髪くろかみ
を給はり今はうらみもはれわたり九品くほん
浄土しやうとおもむくぞや はや/\快気くわいき
給ひていのちなからへわかきみの御ぜんと
をも見とゝけたまい是をたのむといゝ
てて光明をはなちこくうにさると思へ
はふじぎのゆめさめて今まくら上らぬ

枕もかる/\とおき上りけるか姿すかたはながのひやう
せうにふしほねかわとやつれぬれ共心もち
全快せんくわいしけれは伊豆殿をはしめ
らいの衆まてもおどろき様子をたつね
けれは有のまゝゆめものかたりしけれは
何れもふしぎのおもひをなしける
その日より全快せんくわいして殿に給仕きうししけれは
まこと薬師院やくしいんはむかしの蔵浄貴所せうしやうきしよ

(17)

にもおとらぬ行者きやうしや哉とます/\尊敬しける
 私いわく如くやまい心ひやうし迷ふの心
 よりせうするやまいなれはこれかために
 いのちすつ また尊信そんしんせし人のために
 命をひろふとむかしより多く有こと
 也 法印ほういんけいせす またふしぎ
 ともせす これは人によりての病気
 也 心有人は考ふべし たとへは

 きつねをころし其かわをとりのきにほし
 おきけるに余人これをみて不便ひん
 おもひけれはたちまちきつね其人に付つう
 其人をころしぬ きつねうちし
 人にはあるなくして不便なりと
 とふらふ人につきてついにきつね
 の皮のためにいのちおとす事か
 あるそや おい代が死霊しれう是に同し

(18)

 おそるへきにあらす またわらふ
 へきにもあらす

武家玉手箱前篇第七


武家玉手箱前篇第八

   目録
一 博奕はくえき会所くわいしよたつる事
  并 町人宝ひきにて難義之事
一 御ほう御用金さし帯刀たいとう免さるゝ事
  并 革荷かわに問屋といや穢多えたの手下に成難義の事

(19)


武家玉手箱前篇八

  博奕はくえき会所をたつる事
  并 町人宝引にて難義なんきに及ふ事

髪結頭かみゆいかしら目あかし藤右衛門林蔵ら御
免と申周防すほうの町鎰屋かちや茂兵衛かし
屋をかり今度博奕はくゑき会処くはいしよを建
候に付家をかし呉候様茂兵衛へ申入

(20)

ける処はくちは御公儀御法度に候へは私
家を御かし申進候義は私ふせうち
に御座候へは御断申入ると申けれは
されは両人え御めん仰付られ候上の
事なれは何にも御遣ひなく候まゝ
かしくれられよと段々相頼けれとも一
かうふせうちなれは御奉行さまの御家
中奥村重内鎰屋かしや方に来り此度目あ

し役両人か願により御きゝとゝけなされ
はくえき会処を建候事なれはなにのし
さひもなき事なれば後難うけ合の手
かた拙者せつしやより遣し申へく候得ば両人
え家をかし遣はし候様申付候ゆへかき
やもじつはこのまさる事なれはとも
先後難うけ合の手形遣候上はたし
かなる事なれはとてやう/\そうたん

(21)

きはめける ほとなく引移りはく興行かうきやう
しける処たん/\日々に繁昌はんしやうし賑はし
く成けれとも目あかしの会所元なれ
はちいさき口ろんもなくおんひんなる事
なれは最初さいしよに引かへ茂兵衛もことのほ
か丈夫におもひ安心し居ける処へ町
あつかりのやく人遠藤えんとう大八郎来り右
ばくえき会所くはいしよに入よふすをとくと

見とゝけ其上よく日家主茂兵衛ならひに
町分年寄遠藤かたくよひ付申けるは
其方か借宅しやくたくにおゐてはく奕会処
と申立ひゝ/\人を相あつめ博奕を
くはたつる事きのふとくと見届おき
候 御はつとうの義さしゆるしいたさせ置候
段家主はもちろん町分甚た不とゝき
のいたり也ときひしくとかめけれは 茂兵衛

(22)

申けるは 左様存候ゆへ最初さいしよより段々ことはり
申ける処ケ様のわけ合に付家をかし
つかはし候 すなわちおくちう内様の御手がた
是に御さ候と申指出しけれは たとへ
奥村こときの何百枚手かたつかわし候
とて町あづかり方のやく人此遠藤えんとうか故
存せぬ義はならす 重内か手かた何まい
有ても何の言訳いゝわけ立へき哉と大に

きめつけ其上また町の者よひよせかち
茂兵衛并年より町預ケに申つけ
けるか其後惣年寄をもつて内
付けるは 次第に吟味つよく成候ては
甚た六ヶしく年より家主共処御はらい
とも成るへしほとの義なれはよふゐには
すみもふさす候まゝ何とそ六ヶしくならす
して済せつかはし度とおほしめし事

(23)

に候へは 町分より金七拾両兵衛より三拾両
わひとしてさし上また金七両町より金子
三両家主より出し 是は遠藤大八郎様へ御
内礼として遣はされた候はゝ都合つかう金百拾両
にて無難にすませ遣はすへしと 遠とう
との御内に候間 其通指出しすまされ
候様申来りけれは 是非せひなく出金し
漸済せもらひける また大文字町といふ

所にゆ□家をかりかけ博奕はくえき会所
をくわたてけるか 周防すおうの町のやうす
かね聞居きゝいし事なれば 家主たん
/\断を申けれは 有馬ありま丈介参
会所くはいしよにおゐて御屋様御しぶん
金御かしつけ被成候間ぜひとも家を
かしもふし候様申付候へ共 たん/\
御断申けれは 左候得は御ことはり金と

(24)

して三両さし上候様申ければ是も
たん/\断もふしけれ共 家かし
申さす候はゝ金子さし上候様申付 かし
候てあとて大金をとり上らるゝより
三両にてやくをはらふかましかとよう
/\了けんを付三両いたしすませ候
扨又此たひは中書島ちうしやうしまにおゐて
たくし御めん見徳けんとくはくち会

所となつけ めうか金指上初めける
所日々はんしやうしけるか 町々若
きもの手代下人のたくい昼夜ちうや
入込にきはひけれは家きやうをわす
れ金銀をついやし終に勘当う
けしものまた欠落かけおちしけるもの
おひたゝしく出ぬれは処
のなんきに及ひける 其上また

(25)

右くわいしよに来らすつほ井町
近江やちう介方にてほう引のなく
さみいたしいけれは 林そう来り段
/\彼是かれこれ六ヶしく申かけ其せき
に居合候もの残らす名前町ところ
つけかへり注進ちうしんに及ひけれは よく
じつ御やくしよへめされ御法度
そむき博奕はくちくわたて候たんふとゝき

のいたりに候へは 本人重介はもちろ
ん其せきに出くわいいたし候もの
のこらす其町/\御あつけに仰付られ
けれは たのしみかへつてかなしみと
へんしみな/\なんきに及ひける
扨此かゝり合つほい町しほや町
駕籠かご町下いたはし山さき
五丁にかゝりけるか 御わひ金とし

(26)

てつほい町近江あふみや重介より百両
扨其せきにつらなりしものども
より七十両つゝ差出し申候様 もし
本人出しかね候はゝ町分より相わき
まへ指上候様きひしく申付けれはぜひ
なく出金しやう/\相すみける 此
手段しゆたんにて所々にて五両十両つゝ
藤右衛門林蔵内せうにてゆすり取

すまし候事ふてにいとまなくほう
なりし事そかし

  煙亡おんほう両人御用金指上帯刀ゆるさるゝ事
  并 革荷かはに物問屋穢多えたの手下に付
  なんきの事

高瀬川筋に墓所はかしよまもる御ほう
市兵衛忠兵衛とて弐人あり
往古おうこより此処に住居ちうきよしけれ

(27)

とも煙亡の事なれはたれ壱人
つきあふものもなくけからはしき
けうをなしけるに次第したいに家
とみ金銀じゆうに成しかば
たく衆等に金銀をついやし
たつるそいゑともたれとふ人も
なく心外にくらしけるに
他所たしよに出けれは知る人なけれは

おり/\大坂辺に行心をなくさめくらし
けるに あるはるのころふねもうとま
しくくがをふら/\とひとのほりけ
るに おりふし大文しや宗兵衛も大
坂に売用ばいようありて下りけるか ことの
ほか付合もよく是もおなし心にて
なくさなから上りしに 右煙亡おんほう市兵衛
と道つれに成たかゐに心やす

(28)

うちものかたりし登りける 市兵
衛も道々はみの上かたるもはづかし
くつゝみけれともふし見ちかく成に
付よきなしみの上打あかしけれは
宗兵衛は元より一向かまはぬ男にて
金にさへなれは穢多えたとも婚姻こんいんを取結
ふ心底なる生付なれは それはめつら
しき人と道つれに成しか いざたち

よりしはらく休そくせんといつはとも
なひわか屋にかへりける処 そんしの
外なる家作やすくりりなれは宗兵衛も
身上に引くらふれば心はづかしく
こし打かけやすみければ市兵衛内に
入けるかしはらくすれは煙草たはこほん
を出しける 是は別火べつくはにて御座候
得は御心置なく召上られ下されと

(29)

もふし出ける故たはこをのみ居けれは
またちやをもち出是も同し口上にて
彼是かれこれする内 市兵衛せんそくもちたち
しうじつのあいさつし 扨御つけ
進上申へく候へはゆる/\御きうそく下
さるへし 御そんしの通けがれたるかた
なれは御出下されしかたもなく甚こま
り入候 何とぞ是を御ゑんとおほ

しめし毎度御出下され度 則またきよ
所しつらひ置候へはすいふん御にかり
も長ふ候様にいたすべくとねんころに
もふしけれは それは忝 しかしかやうに
あつかひくれられ候ては気のとくせん
万と申けれは 無用むようの上にて候へは
則こゝかわたくしのなくさみに御座
候間必御心置なく思召御出被下度 又

(30)

あなたさまに御願ひ申上 茶のゆ御をし
え下さらはわたくしも一せうの望是に
てたり候といへは 是はいと心やすく
事なりとやくそくし かれこれする
内ゆつけを出しけれは世話せわになり
其夜はいとまこひしてける 是より
はなはたこんとなり毎度市兵衛
かたにゆき茶をおしゑほと茶道

具もあきないけるか 笈之進は家ろう
の事なれは熊井くまい在間かやうに金
銀も手にいらすおくかことをおもひ
出し毎度宗兵衛によきとりは出ぬ
かとたつねける故宗兵衛もつく/\
思案しあんし 此ころの奉行のへうばん
一かうあしけれはおんぼうにても
用金出し候はゝ悦ふべしとおひ

(31)

進に申けるは 扨はなはた申かね候
得共御心やすくにまかせ御はなし
申候 高瀬川たかせかわ筋に煙亡おんほう市兵衛
忠兵衛と申両人ことの外なるかねもち
かれにとり入候はゝすいふん三千五千のかねは
すじにより出し申べくとそんし
候へとも 笈之進是を聞 拙者せつしやかりやう
けんにもおよひひ申さす候へは熊井くまい

在間にはなしその上相たんに及ふべし
とて それより両人にうわさしけれはさつそく
せうちし 早く御とり計り給へといへは
笈之進宗兵衛を呼寄よひよせたん/\相談
しけるうへ宗兵衛煙亡おんほ両人に申けれ
は 是は冥加めうかかにかなひ有かたくずいふん
御用金両人して五千両さし上申べ
く候 それに付ついに帯刀たいとう往来おうらい

(32)

いたし候義御なく候得は是を御
ゆるし下され候はゝぢう/\有かた
きむね申けれは 宗兵衛取次とりつき其旨
申けれは ずいふんいか様ともいたし
つかはすへしといへは ことの外あり
かたかりさつそく御用金ようきん五千両さし
上けれは御ほうひひとしく往来おうらい
帯刀たいとうさしゆるしける 扨是よりし

て毎度御ほうのかたにゆけはへつ火に
して茶のなどもようし
種/\ちそうし其上金子きんすをくれ
ければ 家ちうの御納戸なんとなりとて
両人の御ぼうすいふん取立つかわし
ける こゝにまた京ばしへんかわ
荷物にもつうけし問屋三けん有ける
熊井くまいさいふとと心付にわかに呼付

(33)

已後市兵衛忠兵衛を頭としえた
多の手下てしたに申付候間已御仕
おきものこれ有せつは抜身ぬきみ
やりもち候様もふし付けれは
けんの問屋大にこまり段々金
銀をもつてやく人に相なけきけれ
はしうふん金子取立よふやく
元のことく町人になしつかはし

けるは扨々さふらいの上に有ましき
事ともなり

武家玉手箱前篇第八