武家玉手箱

(1)

   合共廿巻

武家玉手箱  巻之一之二

(2)

武家玉手箱前篇序
天のなせるわさはひさくへしみつからなせる
災はのかれかたし讒佞さんねいともから
こゝろしをたつすといへとも
ついそのかうを成事あたはす
栄華えいくわゆめさめその

(3)

なりかわりてみれは今更
くやしき玉手箱とたい
予か文画に秘蔵ひそう
天文六丙午孟秋
          隠士 無外誌

武家玉手箱前篇目録
   第一
一 ちやはしまりの事
  并 小森家こもりけ来由らいゆの事

一 もり伊豆守藤見ふしみ在役さいやくの事
  并 御部屋へや八千代のかた身許みもとの事


     

(4)

一 同伊豆守谷間たにまてかけきも入らるゝ事
  并 八千代のかた弟小森に出勤之事
   第三
一 谷間たにま小森につとめかた示談したんの事
  并 小森藤見ふしみの庄に奉行しよく仰付らるゝ事
一 小もりおひしん木屋町借座敷かりさしき之事
  并 おく源左衛門に偽器をかつくる事

   第四
一 有馬丈助小森家え召抱めしかゝへえらるゝ事
  并 四方田よもだ源之進急隠居きういんきよの事
一 藤見ふしみ庄町々に用金申附事
  并 町人徒党とゝうの事
   第五
一 鎌倉かまくら御若君御他界たかいの事
  并 井上くわん蔵より蜜書みつしよ到来の事

(5)

一 富家ふかの町人見立みたて用金申付事
  并 佞臣ねいしん両三人身許みもと立身りつしんの事
   第六
一 せんなく町人難義なんきに及ふ事
  并 詫金わひきん取上らるゝ事
一 薬師院やくしいんむを見る事
  并 伊豆守殿見さう的中てきちうの事

   第七
一 祇園きおん遊興ゆうけうの事
  并 みや川町喧嘩けんくわの事
一 大隅家姫君ひめきみ徳山家え御引取の事
  并 御てかけおい代死霊しれうの事

   第八
一 博奕ばくえき会所をたつる事

(6)

  并 町人宝引ほうびきにて難義に及ふ事
一 御ぼう御用金さし上帯刀ゆるさるゝ事
  并 革荷かわにとい穢多えたの手下に付難義事
   第九
一 小森家鎌倉かまくら中下りの事
  并 故城こぜうの松はく伐取事
一 普賢ふけん四郎洛陽らくよう観音くはんおんめくりの事

  并 四郎と九兵衛心をあかしあふ事
   第十
一 普賢ふけん四郎并九兵衛蜜談みつたんの事
  并 両人鎌倉かまくら発足ほつそくの事
   第十一
一 普賢四郎并九兵衛鎌倉かまくらちやくの事
  并 願書くわんしよしたゝめる事
   

(7)

一 両人駕籠かご訴訟そせうの事
  并 両人宿御預に成事
   第十弐
一 執権しつけん方願書御評定へうせうの事
  并 小森家来召捕らるゝ事
一 栗島くりしま様藤見御奉行跡かふむり給ふ事
  并 両人帰国所静謐せいひつにもとつく事
     惣目録 大尾

武家玉手箱前篇第一
     目録
一 ちやはしまりの事
  并 小もり来由らいゆの事

(8)

武家玉手箱前篇第一
  茶の湯はしまりの事
  并 小森家の来由らいゆの事
蒼海そうかい無謀むぼうにして然も風縁ふうえん
よりて一おこしそれより千波せんは
万濤ばんとう変化へんくはす 大きよくの一理有情うぜう
非情ひぜう森羅万像しんらはんぞう出生しゆつせうすとかや

(9)

そも/\ちや濫觴らんせうたつぬるに元こう
の比かとよ 南都なんと称名寺せうめうじの僧珠光しゆかう
いふ人廿五才にしててらを出京都三条
白川に庵室あんしつをむすひ一せうすこ
けるに此人生なからにしてちやに好み
から和朝やまと珍器ちんきを愛し風りう
の物すき言語こんごぜつし日夜朝
暮の道具とうぐとても一日としてものすき

さるはなかりけり 古代の事といへとも
ぞくに代りしたのしみなれは其比の出家しゆつけ
或は公家くげ武家のへたてなくしゆ
光のもとに出入して風りうのもの
すきをたのしみちやをたてゝのみけるに
次第にものすき増長そうてうしてかけもと
かやうなるか見よし客はいつくに座す
るよし亭主ていしゆせきを是に定むる

(10)

かよく或はたれ殿の茶ののみかたよく
茶碗ちやわんはかやうにもつかよきと寄集よりあつま
人々だれかれとなくたゝ姿すかたよき事を
まなたのしみて寿ことふき八十歳まてた
もち一生をはたしぬ 此珠光を茶の
湯のとしてそれよりたん/\相そく
今の代にてはさま/\流義りうきも多く
わかれて当代にては貴賤きせんのわかちなく

我等われらこときのいやしきものとても茶の
湯のせきにては貴人高位かういにもまし
はる 誠にちやのはつかふむかし
より近比ちかころほと流行りうかうの世の中を
聞す 茶ののそうぞくのあらましを
しるす

南都なんと珠光しゆかう

(11)

同 宗珠そうしゆ
同 引拙いんせつ
 是より茶家の宗匠とせう
藤田宗
竹蔵たけくら紹滴せうてき
珠徳しゆとく
松井珠報しゆほう
しの道耳どうに

粟田口あはたくち善法せんぼう
古市播磨はりま
 興福寺の衆徒 茶書一巻をあらはす
石黒いしくろ道堤とうてい
西ふく
尊行院
宗悟
とみ善好ぜんかう

(12)

誉田こんた屋宗たく
中村因幡いなは
佐久間宗岩そうかん
津田宗たつ
同 宗きう
江月宗くわん
武野宗瓦そうくわ
玄哉けんさい

三好みよし之康ゆきやす
くるまき
山本助五郎
千宗えき
 泉州左海の人 秀吉三千石を給ふ
今井宗久
 大蔵卿法印となる 秀吉三千石を給ふ 宗吸利久
 宗久三人ちや家の三人衆と称す
紙屋宗旦そうたん

(13)

千宗安
同宗じゆん       千宗旦
          千宗甫
          千宗拙
          千宗左
          千宗室
          千宗守 
信長のふなかかう

秀吉ひてよしかう
織田信益のふます
信雄   正二位内大臣
蒲生かもう氏郷うしさと
細川忠興たゝおき
浅野宋甚?
掃部かもん
しは監物けんもつ

(14)

高山たかやま右近うこん
荒木あらき摂津
 有楽飛騨三斎掃部監物右近摂津
 是利休の七誓といふ
牧村まきむら兵部
古田重能しけよし
有馬玄蕃けんは
山岡宗
 秀吉四百石を給ふ

万代屋宗くわん


右に茶家のあらましをしるす こゝ
に小森近江守正かすは大かう秀吉の時代しだい
の人にて国/\兵乱へうらんのひまなけれとも文武
両道兼備けんひ名将めうせうにしてしかも万人
にすくれちやの一流をきはめ処/\に

(15)

旧跡きうせきをのこし星霜せいそう
今の代まても諸人是を尊み其なかれ
をくむ人多し 近江守隠居いんきよして
宗甫居士こじこうす 五代の孫に小森
伊豆守政みねは大和国藤見庄ふしみせうの奉行
しよくを預りのちに鎌倉かまくら若年寄わかとしよりまてせう
じんし給ふ 其御子備前守正弥は父正峰
藤見ふしみの庄ざい役中御出生 父御死去の後

官 伊豆守に申かへさせ給ひ次第に昇進せうじん
給ひ大番頭よりまた此藤見ふしみの庄に御変
役なりしかは御出生の土地なればとて
町/\も限なく有難ありかたく万事はんじうつたへへ事
御取さばきなと諸人こそつて相待ける

(16)

武家玉手箱前篇第壱終


武家玉手箱前篇第弐
     目録
一 故小森伊豆守藤見ふしみ御在役之事
  并 御部屋へや八千代の方身許みもとの事
一 同伊豆守谷間に妾きも入るゝ事
  并 八千代の方弟小森に出勤の事

(17)

武家玉手箱前篇第二

 故小森伊豆守様藤見ふしみ御在勤の事
 并 御部屋へや八代やちよの方身許みもと之事

女はうしなくして玉のこしにると
いふ俗言ぞくげんまことなる哉 伊豆守政みね
様藤見御奉行ふけうしよくにておはし
ましけるかすへて御大名様かたには

(18)

御茶小性とて或は舞子まいこ芸子けいこのたくひ
なるうつくしきおんなをめしかゝえ給ひけれども小森
家はもとより御小身せうしんの事なれは
高金を下され召抱めしかゝへもなく家中
の娘なと生付うまれつき美人みめよきものはめし
いたされけるか こゝに大坂御用達ようたつ田村
八郎といふて五人扶持ふち給り
御用をたつし外商売せうばい呉服こふくもの

おあきなひ手代小者四人も召つかひ
くらしけるか 今の武八郎十四才の比
しんはなれけるか武八郎よう
まこと暗夜あんや灯火ともしひをうし
なひしことく成けるか 伊豆守いつのかみ様聞し
めされふ便ひんにおほし召 いつれ成とも
後見こうけんいたし遣し相かはらす用たつ
つとめ候様御憐愍れんみんにて仰付られ

(19)

けれは 武八郎は勿論もちろん親類縁者ゑんしや
まても御懇命こんめいのほと有かたく武
八郎かせい人を相まつける親類廻しんるいまはりにし
後見こうけんいたし遣しけるに 先武八郎
在世中ははなはた実貞じつていにつとめける手代
安兵衛宗八といふ両人 親類も此者
ともは余人にちかひ貞実なる者
なれは万事まかせ置けるに ふと

悪処あくしよに通ひそめ次第に増長そうてう
誠に壱年もたゝさる内に五百両
あまり遣捨つかいすてけるか たれいふともなく田村
の家も是を限りに両人して遣すて
後日武八郎とのゝ難儀なんきに及ふへし
評判へうばんしけれは 自然と親類しんるい
のみゝに入たれは 一門中打寄うちより
両人をおやもとに預け段々たん/\吟味ぎんみしけるに

(20)

凡五百両の不勘定かんせうなれば両人かおや
もとへ申わたし銀子調達てうたついたし候様申
付けれ共 もとより手代奉公ほうこに出るほと
のやからなれば一向銀子拾匁の才覚さいかくもなら
すたん/\ことはり申上けるゆへ親類相たんれん
みんをもつて用捨ようしや致し遣しける 扨また
武八郎も若年の事なれば此まゝに
そく出来てきましけれはとて 伯父おち

木や善兵衛かたへ武八郎兄弟不残のこらず
諸道具とも引とり養育よういくすへし
とて親類相たん一けつしけれは 先
小森家へもちく一右の通いたし遣し
度むねねかい上ければ 伊豆守様きこしめし
もつともにおほし召 いつれ無なんに武
八郎成長いたさせ相そく出来候様取
計ひつかはすへしと仰付られけれは みな/\

(21)

有かたく木や善兵衛かたに引取ひきとり 此ほう
して小森の御よううけたまはけるが
のち御用に付小森伊豆守様御出坂しゆつはん
遊はされけるに 御小性しやうしんの御事なれは
御屋しきとてもこれなく田村武八郎
方に御入遊はされけるに 武八郎も善兵衛
かたに同居とうきよの身分なれば木や方に御立入
に極りけれは 外分くはいふんかた/\ありかたく

家内とりつくろひ相まちけるに ほとなく日けん
来り御下坂けはんあそはされ御用向御すみなされ
善兵衛かたに御入有けれは 饗応けうおう
んつくしびつくし その上武八郎は
勿論善兵衛内武八郎兄弟きやうだい
目見仰付られける ほかに武八郎か兄
弟いつれも生付うまれつき尋常じんしようにしてみめかたち
余人よじんすくれ わけて武八郎かいもとお千代は

(22)

年も二八の花のすかた なか/\町家に
めつら敷生付なれは 岩木いわきにあらぬ伊豆守
こひわびさせたまひしか 御帰宅きたくの後やく
相談そうたんなされ 武八郎かいもとちよを小森に
召いだされ昼夜ちうや寵愛てうあいまし/\けるが
ほとなく今の伊豆守様を出生しゆつせう八千やち
代のかたと申て先伊豆守様の御屋は
此武八郎かいもとお千代といひし人なり

 伊豆守様谷間に御てかけきも入らるゝ事
 并 八千代の方弟小森に出勤しゆつきんの事

おくこびんんよりはむしろかまと
こびよとは聖人せいじん言葉ことば 小森伊豆守様
藤見ふしみ奉行ふけうつつがなく退役たいやくし給ひ
鎌倉かまくら御若年寄と御昇進せうじん御まし/\
威光いかうさむらいの上に立たまひけるに

(23)

谷間主水もんとかみ友次ともつく様は才智万人に
すくれ時にあひ運に乗し給ひ
先祖より三千石を給り御はた元なり
しか 当鎌倉かまくらせうの思召にかな
日々の昇進せうしん朝日ののほり給ふかことく
今一万石まて御加増ありて諸候しよこう
列にくわゝ遠州えんしうさか羅に在処をも
下し置 当時とうじ御そばしうの御筆頭ひつとうにして

大奥おゝおく御用御取次あまつさへ御評定処へうせうしよ
式日しきじつ御立合まて仰付られ給ひけれは 当御
代にては此人ほとなく執権職しつけんしよくと成へき
人なりと伊豆守殿遠謀えんほうおほしめし立
給ひけるはまこと百射ひやくしや百中とは是な
んいひつべし 何卒なにとぞかの取入置とりいりおきせかれ
后栄こうえいをたのしまんと様々さま/\はかりこと工夫くふう
たまひけるに とかくいろを以てするにし

(24)

か/\おほしめしけるに 小森こもり殿御部屋へや八千代
のかたのいもとは八千代とのにもまさりし
美人ひじん傾城けいせい傾国けいこくそうありて
ならひなきほどの美女なれば 何とぞかれ
を召よせ谷間たにま出勤しゆつきんさせなはついに
谷間の妾とならんは必定ひつでうなれは
おりこそあらんと待居まちい給ひしに あるひ
殿でん中にて寄合よりあい四方山よもやまのはなしより

打とけまし色噺いろはなししとなりてめい/\
われをわすれ物語ものかたりしたまひけるに
もりとのこゝによきおりからと谷間たにま殿どの
むかひ 扨貴公きこう様には御茶小性ちやこせう御めし
かゝへなされ度思召は御座なきやとたつね
給へは なるほとすいふんうつくしきものに候はゝ
抱へ申度存候と仰けるゆへ 御座興ざけうには
御座なく候歟 すいふんきりよう能事万人

(25)

すくれ出生は上方大坂のにて御座候歟
せう/\子細しさいも御座候て拙者せつしやとくと見置みおき
申候 もしおほし召も御候はゝとくと御
しあんなされおかるへ かさねてくわし
く申上んと申給へは 只今たゝいまくわしく
うけたまはりたく申給へは 成ほと申上
へきなれともよじんも御座候へは猶かさね
とくと申上ん 其上今日のせき座興さけう

同様に申出せし義なれは自然しせん
ならさる時はせつしやも面目めんほくなく候まゝ
追々くわしく申上へしと申給へは
なるほと御もつともしからはとくと心底しんていきはま
候はゝ御世成申へし候て 其日は
わかれ給ひけるか 其のち一月計も御
さたなけれは小森とのもこれはらち
あかぬ事かとおほし召給ひしに

(26)

また式日殿中にてあとより谷間との
小森とのをよひかけ給ひ 扨いつそや仰聞
られし婦人ふしんの義はいかゝに御座候哉 手
まへにも縁も候はゝかゝへ申度また貴様の
御世の事なれはたとへ縁なくとも何方へ
なりとも世話いたし遣すへし候まゝくわし
く御物語承り御世下さる存候と仰
けれは 然らはいさゐ御はなし申上ん じつは

手前の屋八千代か妹には御座候 もとは
大坂おもてにて先祖せんぞより由緒ゆいしよも御候て
此ほうの用達ようたつを相つとめ罷出候田村たむら武八郎
と申者のいもとにて御座候処 今の武八郎
幼少ようせうにして両しんはなれおぢ木や
善兵衛と申者引取世致しよう/\
成人仕つゝかなく相そくいたし罷
在候 八千代は手まへへ引取置申候処

(27)

忰出生仕候付部屋へやに取立遣し申候
末子はつしいもと当年は十八さいに相成申処
美敷事はまことに万人にすくれ申候と
申候てもはつかしからぬ婦にて御座候
いつれ左様のおほし召も候はゝそう/\めし
下し申へくまゝしはらくにても御めし遣
ひなされ御えんも御座候はゝ幾ひさしく
御奉公も仕申へく さもなく候とも一端

申様に申やうしける事なれは如何様にも御世話
なされ遣され下さるへく 拙者せつしやも引うけ世話
いたし候上の事なれは自然しせんの時は何れのかれ
ぬ此方の事に候へは先世人にめんせられ
御遣ひなれ御らん下され度ひとへに御たのみ申
上るとあふらをなかし申給へは 何れ貴公様の
御世話なれは毛頭もうとういつはりは仰聞られましく
えんは其上のこと 何とそ急々きう/\此地へ下向申

(28)

候様御取計下されよと頼給へは 小森殿
扨ははかり成就しようせうせりとよろこひさつそく
大坂田村武八郎か方へいさゐ申越し給へは
武八郎を始善兵衛夫婦ふうふ殿様の御じき
御世話なりといとゝ有かたく其身もあね
の八千代殿は小森家の御部屋となり給ひ
ぬれは町家によめ入せんよりたとへ鎌倉かまくら
さんかいに古郷をはなれ下さるとも大めう

おくかたとなる事なれは天にも上る心地こゝち
てあつまじさして下りける ほとなく谷間たにま
家にめしかゝえられけるに聞しにまさりし美
婦なりしかは谷間殿も大に悦ひ昼夜ちうやあい
斜ならすめし遣ひしか 是もついに御
部屋と成給ひ色香いろかのかたとて人/\に
用ひられ給ひける 是よりして小森
とは一入懇意こんいの中となりけるかかへつて

(29)

今の伊豆守殿の御のさまたけと成ぬる
事 是人よくのわたくしのなす処なり 爰に
田村武八郎か弟小森家めし出され小森の名
を下され小森笈之進とて客分きやくふんにして
つかはれけるか田村かいゑにとりて有かた
事也と親類みな/\有難きおもひなし
ける

武家玉手箱前篇第二終