(1)
合共廿巻
武家玉手箱 巻之一之二
(2)
武家玉手箱前篇序
天の作災は避へし自作
災は逃かたし讒佞の輩
一度志しを達すといへとも
終に其功を成事能はす
栄華夢め覚て其身に
(3)
なり代りてみれは今更
くやしき玉手箱と題し
予か文画に秘蔵す
天文六丙午孟秋
隠士 無外誌
武家玉手箱前篇目録
第一
一 茶の湯はしまりの事
并 小森家の来由の事
一 故小森伊豆守藤見御在役の事
并 御部屋八千代のかた身許の事
(4)
一 同伊豆守谷間に妾肝入らるゝ事
并 八千代のかた弟小森に出勤之事
第三
一 谷間小森に勤かた示談の事
并 小森藤見の庄に奉行職仰付らるゝ事
一 小森笈之進木屋町借座敷之事
并 奥源左衛門に偽器を迦る事
第四
一 有馬丈助小森家え召抱えらるゝ事
并 四方田源之進急隠居の事
一 藤見庄町々に用金申附事
并 町人徒党の事
第五
一 鎌倉御若君御他界の事
并 井上官蔵より蜜書到来の事
(5)
一 富家の町人見立用金申付事
并 佞臣両三人身許立身の事
第六
一 釣リ銭なく町人難義に及ふ事
并 詫金取上らるゝ事
一 薬師院奇むを見る事
并 伊豆守殿見相的中の事
第七
一 祇園町遊興の事
并 宮川町喧嘩の事
一 大隅家姫君徳山家え御引取の事
并 御妾おい代死霊の事
第八
一 博奕会所を建る事
(6)
并 町人宝引にて難義に及ふ事
一 御方御用金差上帯刀免るゝ事
并 革荷問屋穢多の手下に付難義事
第九
一 小森家鎌倉中下りの事
并 故城の松柏伐取事
一 普賢四郎洛陽観音めくりの事
并 四郎と九兵衛心をあかしあふ事
第十
一 普賢四郎并九兵衛蜜談の事
并 両人鎌倉発足の事
第十一
一 普賢四郎并九兵衛鎌倉着の事
并 願書したゝめる事
(7)
一 両人駕籠訴訟の事
并 両人宿御預に成事
第十弐
一 執権方願書御評定の事
并 小森家来召捕らるゝ事
一 栗島様藤見御奉行跡蒙給ふ事
并 両人帰国所静謐にもとつく事
惣目録 大尾
武家玉手箱前篇第一
目録
一 茶の湯はしまりの事
并 小森家の来由の事
(8)
武家玉手箱前篇第一
茶の湯はしまりの事
并 小森家の来由の事
蒼海無謀にして然も風縁に
よりて一波を起しそれより千波
万濤と変化す 大極の一理有情
非情森羅万像を出生すとかや
(9)
抑茶の湯の濫觴を尋ぬるに元弘
の比かとよ 南都称名寺の僧珠光と
いふ人廿五才にして寺を出京都三条
白川に庵室をむすひ一生を過し
けるに此人生なからにして茶に好み
漢の和朝の珍器を愛し風流
の物すき言語に絶し日夜朝
暮の道具とても一日としてものすき
さるはなかりけり 古代の事といへとも
世俗に代りし楽なれは其比の出家
或は公家武家のへたてなく珠
光のもとに出入して風流のもの
すきをたのしみ茶をたてゝのみけるに
次第にものすき増長してかけ物は
かやうなるか見よし客はいつくに座す
るよし亭主は席を是に定むる
(10)
かよく或はたれ殿の茶の呑かたよく
茶碗はかやうに持かよきと寄集る
人々だれ彼となくたゝ姿の能事を
学ひ楽しみて寿八十歳まてた
もち一生を果しぬ 此珠光を茶の
湯の祖として夫よりたん/\相続し
今の代にてはさま/\流義も多く
分れて当代にては貴賤のわかちなく
我等こときのいやしきものとても茶の
湯の席にては貴人高位にもまし
はる 誠に茶の湯のはつかふむかし
より近比ほと流行の世の中を
聞す 茶の湯のそうぞくのあらましを
しるす
南都珠光
(11)
同 宗珠
同 引拙
是より茶家の宗匠と称す
藤田宗理
竹蔵や紹滴
珠徳
松井珠報
篠道耳
粟田口善法
古市播磨
興福寺の衆徒 茶書一巻をあらはす
石黒道堤
西福院
尊行院
宗悟
大富善好
(12)
誉田屋宗宅
中村因幡守
佐久間宗岩
津田宗達
同 宗及
江月宗玩
武野宗瓦
辻玄哉
三好之康
椋宗理
山本助五郎
千宗易
泉州左海の人 秀吉三千石を給ふ
今井宗久
大蔵卿法印となる 秀吉三千石を給ふ 宗吸利久
宗久三人茶家の三人衆と称す
紙屋宗旦
(13)
千宗安
同宗淳 千宗旦
千宗甫
千宗拙
千宗左
千宗室
千宗守
信長公
秀吉公
織田信益
同信雄 正二位内大臣
蒲生氏郷
細川忠興
浅野宋甚?
瀬田掃部
芝山監物
(14)
高山右近
荒木摂津
有楽飛騨三斎掃部監物右近摂津
是利休の七誓といふ
牧村兵部
古田重能
有馬玄蕃頭
山岡宗無
秀吉四百石を給ふ
万代屋宗貫
宗甫
右に茶家のあらましをしるす こゝ
に小森近江守正数は大閤秀吉の時代
の人にて国/\兵乱のひまなけれとも文武
両道兼備の名将にして然も万人
にすくれちやの一流を極め処/\に
(15)
其旧跡をのこし星霜年経し
今の代まても諸人是を尊み其流
をくむ人多し 近江守隠居して
宗甫居士と号す 五代の孫に小森
伊豆守政峰は大和国藤見庄の奉行
職を預りのちに鎌倉御若年寄まて昇
進し給ふ 其御子備前守正弥は父正峰
藤見の庄在役中御出生 父御死去の後
官 伊豆守に申かへさせ給ひ次第に昇進し
給ひ大番頭よりまた此藤見の庄に御変
役なりしかは御出生の土地なればとて
町/\も限なく有難万事の訴へ事
御取さばきなと諸人こそつて相待ける
(16)
武家玉手箱前篇第壱終
武家玉手箱前篇第弐
目録
一 故小森伊豆守藤見御在役之事
并 御部屋八千代の方身許の事
一 同伊豆守谷間に妾肝入るゝ事
并 八千代の方弟小森に出勤の事
(17)
武家玉手箱前篇第二
故小森伊豆守様藤見御在勤の事
并 御部屋八代の方身許之事
女は氏なくして玉のこしに乗ると
いふ俗言寔なる哉 伊豆守政峰
様藤見御奉行職にておはし
ましけるかすへて御大名様かたには
(18)
御茶小性とて或は舞子芸子のたくひ
なる美女をめしかゝえ給ひけれども小森
家はもとより御小身の事なれは
高金を下され召抱へもなく家中
の娘なと生付美人ものはめし
いたされけるか 爰に大坂御用達田村
武八郎といふて五人扶持給り
御用をたつし外商売は呉服
おあきなひ手代小者四人も召つかひ
くらしけるか 今の武八郎十四才の比
両親に離れけるか武八郎幼年
と言ひ誠に暗夜に灯火をうし
なひしことく成けるか 伊豆守様聞し
めされふ便におほし召 いつれ成とも
後見致し遣し相かはらす用達
相勤候様御憐愍にて仰付られ
(19)
けれは 武八郎は勿論親類縁者
まても御懇命のほと有かたく武
八郎か成人を相待ける親類廻にし
て後見いたし遣しけるに 先武八郎
在世中は甚実貞につとめける手代
安兵衛宗八といふ両人 親類も此者
ともは余人にちかひ貞実なる者
なれは万事まかせ置けるに ふと
悪処に通ひそめ次第に増長し
誠に壱年もたゝさる内に五百両
あまり遣捨けるか 誰いふともなく田村
の家も是を限りに両人して遣捨
後日武八郎とのゝ難儀に及ふへし
評判しけれは 自然と親類中
のみゝに入たれは 一門中打寄先
両人をおやもとに預け段々吟味しけるに
(20)
凡五百両余の不勘定なれば両人かおや
もとへ申わたし銀子調達いたし候様申
付けれ共 元より手代奉公に出るほと
のやからなれば一向銀子拾匁の才覚もなら
すたん/\断申上けるゆへ親類相談し憐
みんをもつて用捨致し遣しける 扨また
武八郎も若年の事なれば此まゝに
相続出来ましけれはとて 伯父
木や善兵衛かたへ武八郎兄弟不残
諸道具とも引取養育すへし
とて親類相談一けつしけれは 先
小森家へもちく一右の通いたし遣し
度むね願上ければ 伊豆守様きこしめし
尤におほし召 いつれ無難に武
八郎成長いたさせ相続出来候様取
計ひつかはすへしと仰付られけれは みな/\
(21)
有かたく木や善兵衛かたに引取 此ほう
して小森家の御用承り居けるが
其后御用に付小森伊豆守様御出坂
遊はされけるに 御小性の御事なれは
御屋しきとてもこれなく田村武八郎
方に御入遊はされけるに 武八郎も善兵衛
かたに同居の身分なれば木や方に御立入
に極りけれは 外分かた/\ありかたく
家内取つくろひ相待けるに ほとなく日限
来り御下坂あそはされ御用向御済なされ
善兵衛かたに御入有けれは 饗応ぜ
んつくしびつくし その上武八郎は
勿論善兵衛家内武八郎兄弟御
目見仰付られける ほかに武八郎か兄
弟いつれも生付尋常にして美かたち
余人に勝れ わけて武八郎か妹お千代は
(22)
年も二八の花のすかた なか/\町家に
めつら敷生付なれは 岩木にあらぬ伊豆守
こひわびさせたまひしか 御帰宅の後役人
御相談なされ 武八郎かいもとちよを小森に
召いだされ昼夜御寵愛まし/\けるが
ほとなく今の伊豆守様を出生し八千
代の方と申て先伊豆守様の御部屋は
此武八郎かいもとお千代といひし人なり
故伊豆守様谷間に御妾肝入らるゝ事
并 八千代の方弟小森に出勤の事
其奥に媚んよりはむしろ竃に
媚よとは聖人の言葉 小森伊豆守様
藤見御奉行恙なく退役し給ひ
鎌倉御若年寄と御昇進御まし/\
御威光諸侍の上に立給ひけるに
(23)
谷間主水正友次様は才智万人に
すくれ時にあひ運に乗し給ひ
先祖より三千石を給り御旗元なり
しか 当鎌倉武将の思召に叶ひ
日々の昇進朝日ののほり給ふかことく
今一万石まて御加増ありて諸候の
列に加り遠州酒羅に在処をも
下し置 当時御そば衆の御筆頭にして
大奥御用御取次あまつさへ御評定処
式日御立合まて仰付られ給ひけれは 当御
代にては此人ほとなく執権職と成へき
人なりと伊豆守殿遠謀おほしめし立
給ひけるは寔に百射百中とは是な
んいひつべし 何卒彼人取入置忰か
后栄をたのしまんと様々謀を工夫し
たまひけるに とかくいろを以てするにし
(24)
か/\おほしめしけるに 小森殿御部屋八千代
のかたのいもとは八千代とのにもまさりし
美人傾城傾国の相ありて世に
ならひなきほどの美女なれば 何卒かれ
を召よせ谷間に出勤させなはついに
谷間の妾とならんは必定なれは
折社あらんと待居給ひしに あるひ
殿中にて寄合四方山のはなしより
打とけまし色噺しとなりてめい/\
我をわすれ物語したまひけるに
小森とのこゝに能折からと谷間殿に
むかひ 扨貴公様には御茶小性御めし
抱へなされ度思召は御座なきやとたつね
給へは なるほとすいふんうつくしきものに候はゝ
抱へ申度存候と仰けるゆへ 御座興には
御座なく候歟 すいふんきりよう能事万人
(25)
すくれ出生は上方大坂のにて御座候歟
せう/\子細も御座候て拙者とくと見置
申候 もしおほし召も御座候はゝ得と御
しあんなされおかるへ 重てくわし
く申上んと申給へは 只今くわしく
義承りたく申給へは 成ほと申上
へきなれともよじんも御座候へは猶かさね
て得と申上ん 其上今日の席座興
同様に申出せし義なれは自然事
ならさる時はせつしやも面目なく候まゝ
追々くわしく申上へしと申給へは
なるほと御尤しからはとくと心底相極り
候はゝ御世話成申へし候て 其日は
別れ給ひけるか 其后一月計も御
さたなけれは小森とのもこれは埒
あかぬ事かとおほし召居給ひしに
(26)
また式日殿中にてあとより谷間との
小森とのをよひかけ給ひ 扨いつそや仰聞
られし婦人の義はいかゝに御座候哉 手
前にも縁も候はゝ抱へ申度また貴様の
御世話の事なれはたとへ縁なくとも何方へ
なりとも世話いたし遣すへし候まゝくわし
く御物語承り御世話下さる存候と仰
けれは 然らはいさゐ御はなし申上ん じつは
手前の部屋八千代か妹には御座候 もとは
大坂おもてにて先祖より由緒も御座候て
此ほうの用達を相勤罷出候田村武八郎
と申者のいもとにて御座候処 今の武八郎
幼少にして両親に離れおぢ木や
善兵衛と申者引取世話致しよう/\
成人仕つゝかなく相続いたし罷
在候 八千代は手前へ引取置申候処
(27)
忰出生仕候付部屋に取立遣し申候
末子は妹当年は十八歳に相成申処
美敷事は寔に万人にすくれ申候と
申候てもはつかしからぬ美婦にて御座候
いつれ左様のおほし召も候はゝ早/\めし
下し申へくまゝしはらくにても御めし遣
ひなされ御えんも御座候はゝ幾ひさしく
御奉公も仕申へく さもなく候とも一端
申様に申やうしける事なれは如何様にも御世話
なされ遣され下さるへく 拙者も引受世話
いたし候上の事なれは自然の時は何れのかれ
ぬ此方の事に候へは先世話人にめんせられ
御遣ひなれ御らん下され度ひとへに御たのみ申
上ると油をなかし申給へは 何れ貴公様の
御世話なれは毛頭いつはりは仰聞られましく
縁は其上のこと 何卒急々此地へ下向申
(28)
候様御取計下されよと頼給へは 小森殿
扨は謀事成就せりとよろこひさつそく
大坂田村武八郎か方へいさゐ申越し給へは
武八郎を始善兵衛夫婦殿様の御直
御世話なりといとゝ有かたく其身もあね
の八千代殿は小森家の御部屋となり給ひ
ぬれは町家に嫁入せんよりたとへ鎌倉
さんかいに古郷を離れ下さるとも大名
の奥かたとなる事なれは天にも上る心地し
てあつまじさして下りける ほとなく谷間
家にめしかゝえられけるに聞しにまさりし美
婦なりしかは谷間殿も大に悦ひ昼夜愛
斜ならすめし遣ひしか 是も終に御
部屋と成給ひ色香のかたとて人/\に
用ひられ給ひける 是よりして小森家
とは一入懇意の中となりけるかかへつて
(29)
今の伊豆守殿の御身のさまたけと成ぬる
事 是人欲のわたくしのなす処なり 爰に
田村武八郎か弟小森家召出され小森の名
字を下され小森笈之進とて客分にして
召遣れけるか田村かいゑにとりて有難き
事也と親類みな/\有難きおもひなし
ける
武家玉手箱前篇第二終
(1)
合共廿巻
武家玉手箱 三之四
(2)
武家玉手箱前篇第三
目録
一 谷間小森に勤かた示談の事
并 小森藤見の庄に奉行職仰付らるゝ事
一 小森笈之進木や町借座敷の事
并 奥源左衛門に偽器を迦る事
(3)
武家玉手箱前篇第三
谷間小森につとめかた示談の事
并 小森藤見のせう奉行職に仰付らるゝ事
百年の栄華もついには夢幻泡影と
かや 小森伊豆守正峰殿は鎌倉御若
年寄に昇進し給ひ諸侍の司
たれは威光ならひなくまし/\
(4)
けるか終に無常のあらしにいさなはれ
御死去なされけれは 御子息備前守とのを
はしめ家中暗夜に灯火をうしないし
如くなりけるか さてしもあるへきことなら
ねはせうくん家に言上し御家とく
備前守え遠江の内小室の庄一万石相
違なく安堵の御教書を下し
置れ 野辺のおくりも相済尽七日
つゝかなく相済ければ 家督の御礼将
軍家へ抑上られ禁中へも奏し奉
り官をも伊豆守に申かへさせ給ひ万
事首尾よく相済ける もとより
谷間家とは入魂の事なる所 谷間主
水正殿次第に昇進朝日の登るかことく
当時かまくら執権職に加り新役
なから古役の衆も谷間の下知をうけ
(5)
給ふ様に成給ひしはめ出たくかりける
御運かなと谷間を浦山さるはなかり
故伊豆守正峰殿は谷間家のちには
昇進し給ひ終に鎌倉の執権
彼人壱人掌握したまはん事を
遠慮し子息栄華をおほし
めしはかり給ひ 我部屋八千代のかた
のいもとを谷間にいたしついにのかれぬ
中と取組置給ひしは父の遠計的
中の時節と伊豆守をはしめ家
中悦ひあへり 扨八千代の方より谷間
の御部屋色香の方えこま/\と伊豆
守身の上の事頼遣し給ひけれは
元より兄弟の頼古主人現在我ため
に甥なれは打すておくへき心てひ
なく何卒谷間様へ能に申上ん
(6)
かねて色香とのにもおもひ居給ふ折から
姉御のかたのくれ/\とせし御頼なれは
早速谷間様に申上給ひけれは委
細訳はしり給ふ上の事なれとも 殊に
てう愛の婦しんの申上る事 其上色香
のかたの訳あれば中/\すて捨置たまふ
おほし召もなけれとも 余人の手まへ
もあれは万事は手前にまかせおか
れよとの返答なれは 小森家にも一統
安堵のおもひをなし只時節の来る
相待ける 或時谷間家より小森家を
内々めされ仰けるは 貴様事拙者
も引立るほとに存候得とも未時
せつきたらす いろ/\工夫し候へ共直さまわ
か年寄と昇進致させ候事 さしあたり
きんかうもなくまたいたつて奥向に
(7)
引手もなく今また人数の操合せもな
らす候得は 拙者存命候はゝほとなく
かまくら執権職まて昇進致せ進し
申べし たとひ短命候とも遠計残
しおき申へく候まゝ末頼母おほ
しめし暮させ給ふべしとて何歟
みつたん数刻に及ひ 其上たがひ
に神文をとりかわし給ふ 余人其
意を知るものなし 扨先近日大御番
職仰付らるへく候へは難波みやこの諸
役人并町家の気風をとくと御示
覧なされ 其上藤見の庄は則貴様
御出生の地なれは御家来もいさゐそ
んし居申へく候へとも時々処の様子も
かはり且かの地は壱人やくなれは金銀
のさいかく自由成べく候へは御家来
(8)
へ仰付られ在役中充分御才覚なさる
へく何れ当時は奥向も賄賂てなくては
身立出世難致 拙者壱人御贔屓に
存候ても奥むきのしゆびまた第一也
其上同役の存寄も候へばたゝ何
事もまいなゐをもつてするより
外当時の人の気に逢ふ事是な
く 是則身を立家をおこし先祖へ
の忠儀第一 また君えの忠儀は神君御治
世已来御静謐の世の中なれとも
いつとなく金銀は町人これをつかさとる
時節となりて諸大名も町家に
金銀を借用し返済なきときは
鎌倉にうつたえ出 理の当然なれは厳
しくとり立つかはされけれは 町人の
金銀を司とる事諸候の上にこし これ
(9)
は扨/\心外の世の中なれば何卒随
分工夫をめくらし町人の金銀を
取上る事 是君えのちうぎ第一と
存せられ御忠勤しかるへし また
此方よりも時々指図申へく候へとも
かねてさやうにそんせられよと 数刻御
閑談にて其日は別れ給ひける 扨近
日小森殿執権方御立合の席へ
めし出され大御番頭職に仰付られあり
かたく御受とり仰上 難波御勤番の
節かの地の人気をこゝろえ都御在番
の砌京都の風気をとくしん御下向なされ
けれは首尾能両度の勤番相済
ふしみの庄奉行しよくに仰付られけれ
は有かたく古郷えは錦をかさると
いへる古言のことく家中もびをつくし
(10)
行れつ厳重に藤見の庄に御上着
なされけれは 処の町人とも当処御出生
の殿さまなれは定て有かたき御捌
なるべしとみな/\途中に出迎奉り
けるか后の相違そうたてけれ
小森笈之進木屋町かり座敷の事
并 奥源左衛門に偽器を迦る事
田村武八郎か弟は伊豆守殿母堂八千代殿
弟にて外戚なれは幼少より小森家に
召出され小森の名字を給り家老かくま
て百五拾石をてうたいし無役同様に
て遊ひくらし居けるか 当時にては伊豆
守のじつは伯父にあたりて家中みな
/\尊敬しける 茶道は故正峰に
仕上られ当家の一流をきはめし上手な
れは京大坂の茶道具屋も此人を尊
(11)
敬しけるに 此度藤見在役中なれは
京大坂心当安き町人と出会し処/\
え茶湯に参りけるに 此節は出京
し木屋まち三条にかりさしきに
日夜茶人の出入絶間なき処 こゝに
やふの下辺に大文じや宗兵衛といふ茶とう
ぐや有けるか 町人のなかにも至つて
すゝとく人のめをかすめ高利おむさ
事をせうとく好みけるか 宗兵衛か得意
に豊前の小倉の郷士おく源左衛門は八
万石ほとのくらしにて大名同前の人
なれは 先年も此宗兵衛か手先に
て千のあられ釜 是は秀吉の処持
にして万器に勝れし器ぶつをあ
きなゐ また衣擣かた青地の香炉
古わたりの上さくものにて五百両に
(12)
うりわたし その外五十両百両の道具
多くあきなひ一かと仕合しけるは また
此度源左衛門出京して室町三条
に逗留しありけるか 宗兵衛も此方に
日々出入種/\油をなかし注文を
受取けるか 幸の折からと小森笈之進
に引合せ 其后藤見御奉行様へも
茶湯に供して参りけるか 田舎侍
の事なれは茶の道に好といへともつい
に大名と茶の湯をしことなき処宗
兵衛か引逢を故 此度の上京は一入面
しろき茶席に出古郷えのはなし
の第一なりと宗兵衛をことのほかにあい
し心よくとうりうしあそひくらし
けるに 宗兵衛つく/\源左衛門か
様子をかんかへ見るに 何さま田舎の
(13)
人なれば茶器とてもあまた取扱か
わす中/\真偽の見わけはおもひも
よらす またかの地のうはさを聞におく
をその処の先生として茶の弘し
ほとの事なれは たとへ偽物を高金
にしてかふせしとて后日家業
のさまたけに成ほとの事は有まし
く 彼人千家の門人なれは此方へ
えしれさるやうに手段し 何卒已前かすき
し代もの不残つき付たしと 扨小森笈之進
方にゆき右の相談しかけけるに もとより
笈之進もよくふかき生付なれはさつそく
呑込 源左衛門方にゆき右のしろもの
見せける処 いつれおもしろく品ともな
れは預りおくべしなれはそのまゝ
指置帰りけるか 外におくえ出入の道具
(14)
屋に唐木屋清蔵といふものあり 是も
かねて手段の社中に加へ置けるか 源左衛門
清蔵をよひよせ 件の道具みせけれは
清そう一/\直打して先方よりは
凡是ほとに売払たきのそみ成へし
といつば おく此直打を聞凡千両程
も宗兵衛か言直下直なれは能買
ものと心得 扨是より小森に目利を
たのまんと小森の旅宿にもたせ行
見せけれは 笈之進一/\どうぐを目きゝ
扨何れもおもしろきものにて候 扨直段
はいかほとともふすやとたつねけれは
宗兵衛言直を申聞しけれは 扨/\
それは能買もの 手前とも銀子工面
出来候はゝ調置申度 手前に処持いた
し置望手出候時伊豆守に添翰を
(15)
かゝせ諸候かたまては富家の町人
にても遣し候得は急度千両道具
と調法に成申候と物語しけれは 源
左衛門手段事とはいざしらす 扨/\
御目利にあつかり其上何よりみゝより
なる御ものかたりをうけたまわり候もの
かなと 万々一此道具買受候はゝ其元
さま御世話下され伊豆守様に御そへかん
申請候義は出来申間敷やとたつねけれは
成ほと拙者申込進し候はゝ伊豆守子細
なく添書したゝめしんすへくと申
ける しかる処へ大文し屋宗兵衛参小森
氏并奥氏にも挨拶相済 さて
源左衛門さまに申上候 此間御らんに入申
候とうぐ如何遊はされ候哉 払主かた
先刻私よひに参り参上仕候処払主
(16)
申候は 先に一軒見せ申候処いまた何とも
返事聞きらす 私方へ見せ申候処先
方より相談も出来さうに申来り候ゆへ
みき道具いまた相談相談まらす候はゝ
先約のかたに相談きはめ申すべき
候とたつね申候に付 只今御旅宿へ
参上申候処こなたへ御出のよしに付
参上仕候 いかゝ御思案御付なされ候哉と
申けれは それは火急に相成いかゝすへき
やと返答出かね候へは 笈之進申けるは
夫は御尤かりそめならぬ大金の事な
れは只今卒こつに御もとめなさるへき
の御返答は出来間敷候まゝ明日まて
何とそ成ともいゝのはせ申へしと宗兵
衛に挨拶しけれは かしこまり候 明
日まてのばせ置申べしとて 扨それ
(17)
より右の道具の噂に成両人して段/\
口りこうにそやしけれは 奥もついに
たまされ其席にて手をうち買上
けるはうたてかりけるしだいなり その
夜手付金三百両渡し残りは国元へ
早/\申遣し上りしたい渡すべき
の約束にて事済 扨そへ翰を伊
豆守に書せ置すへしとて笈之進
方に道具を留置 奥国元え帰る前日
に添翰諸共わたしけるとそ 是は自
然かのかたにつかわし候はゝ千家へ見す
べしとの了簡にてかく計らひし
とそ あまつさへ添書も笈之進か認
め伊豆守の似せ印をこしらへこれを
つかわし つかう百五十貫目三人して
配分しけるはおそろしかりし
(18)
事共なり
武家玉手箱前篇第三
武家玉手箱前篇第四
目録
一 有馬丈祐小森家へ召抱へらるゝ事
并 四方田源之進急隠居之事
一 藤見の庄町々に用金申付る事
并 町々徒党の事
(19)
武家玉手箱前篇第四
有馬丈介小森家へめしかゝへらるゝ事
并 四方田源之進急隠居の事
或は生れなからにして是を知り学
て知りくるしんてしる 其此をしる
にいたりては一なり 是は聖賢人
道安気にもとつくの善事をい
(20)
へとも善悪しやべつせさる時は一
なり 爰に有馬丈介が出生をたつ
ぬるに若州酒井家の家臣江見
求馬かせかれなりけるか 主人京都
御在役中丈介も御近習にめし
いたされ出勤いたし居けるか 丈介
若気のいたりにて御屋敷を出勤
しける さま/\と流浪して
大仏明暗寺御門弟となり虚無
僧となり諸国を修行し ついに
此藤見の庄のうち角曽名井と
いふさとに足をとめ有馬丈助と名
乗廿年来此里に住居し
けるか 元来大家の家来にて気立
も能人からにて発明なるせうとく
なれは善悪とも諸人の上にたち
(21)
運有ける人にやこもそうにては
対鏡といへは誰知らぬものなく此
処にて近国の虚無僧の支はい
をし宅にては尺八指南して
有けるか武術も渋川の一流
を極めあつはれ奉公の言立にも成へき
程のげいにて諸国の浪人この
対鏡の高名を聞伝へ此処に
たつね来り門弟となりてこもそうの
修行をし浪人のいのちをつなく
門弟凡八百人にみちて対鏡か
弟子といへはこもそう一派にたれ
しらぬものもなくせう/\不法なる
事と仕出したりとて対鏡か門弟
といへは恐れてこれをゆるすほと
の高名なるこもそう也けるか とかく
(22)
浪人ともをかゝへ置ける事なれは元より
貧浪人ともなれは其身一つの命
をつなくはかりにて先生のなんきを
救ふほとの事はてきぬ人体計にて
対鏡もとかく日用にのみさしつかへくら
し質屋のやりくりいとまなく応
すこしたくはへ有浪人出きれはこれ
を引受世話しつかわし対鏡かたに
逗留し尺八けいこの内に無心を言懸
しはらくの内に衣類まてもなくし
終に一竹にすかりその身のうへをしのく
計りの身となりぬ また町家の小忰なと
遊里のたわむれになさんと尺八けいこ
に入もんしけれは十日も立さる内に
尺八をうり付三匁はかりなる尺八を三
歩はかりにうり付けれはいやなからも
(23)
先生のもふさるゝ事なれはとて三百疋を出
しもとめけれともついそれ切にしてき
たらぬものも有 またそのまゝたへすくるも
のは本則をすゝめ是をうけさせ
其上或は天蓋または袈裟のたくひ
下直なる品を高直にうりつけけれは
後々いかやうなる無心にあわんもはかられす
とて次第に疎遠になりゆき とかく富貴
なるものは縁なく貧者はかり寄あつまり
うたてかりしくらしなりけり 家貧なれは
しぜんと心さまあしく成けるか 此女房と
いふは大坂田村武八郎かかたに召つかわれ
しものゝ娘なりけるか かねて女房申
いけるは夫丈介ももとはれき/\の士の
はてなれは何とそ二度元の武士なし
夫にしたかふ女のならひ 其上入来る人々
(24)
皆さむらいのはてなれは浪人ものゝ女房
にて一生すごすも口おしく幸今度
の小森様は母か元の主人田村武八郎
とのゝいもと八千代の御かたと申御人の
よろこひし伊豆守様なれは田村へたのみ
込夫丈介を小森家に出勤いたさせたく
おもひ はゝに此事さう談しけれは母
さつそく大坂に下り田村にたのみけれは
かねて聞およひし丈介なれは委さひ
八千代の方のもとへ田村より申遣しけれは
殿に申上給ひしに殿にもかねて処案内
のくせものめし抱たくおもひ給ふおりから
なれは田村世話といひ此処にて名高き
丈助事なれはみるまてにもなく抱ゆ
へきまゝ支度次第さつそく出勤申べし
と御許容有しかは 丈助夫婦有
(25)
かたくとりいそきしたくしてほとなく
出勤しけれは先八両に三人扶持を下
され御近習に召出され則御長屋に
引移けるか已前とは小身なから先元
の武士に立帰りけると夫婦とも悦ひ
あへり 扨丈助も年老といひ元より
はつめいなる男なれは間もなく取次
役人に仰付られ新参なから古参
の上に立勤けれは役料其外年頭
八朔時事の寺社并町家よりの付届
にていぜんの丈助とは抜群相違し
主人のかけにて平日立派につとめ
御用向にて他出の時は馬上にて
道具をもたせ往来しけれは浪人の
中さへ人々恐れし丈助なるに今は
猶更いかふ倍しける 扨此処に奉行
(26)
はかわれとも有付の家来少々有ける内
四方田源之進といふは筆頭にて有けるか
伊豆守様源之進を召され仰けるは 当
所在役中金子廿万両ほと用意致
度指あたり金子三万両ほと急々取立
候手段致しくれよと仰けれは 源之進
申けるは むかしより当所にてとなた
さまの御在役中にも御用金仰付られし
義一向御座なく尤弐拾万両は勿論
弐万両も百両も拾両にても御取立なされ
候義は一向でき申さす候と申けれは
伊豆守殿はなはだ不興気にて其日
はそのまゝさし置れけるか 色々仕案し
給へとも何とも源之進申方奉行に対
し失礼成儀と心外不少 丈助
をめされ四方田か義をたつねたまふ
(27)
にかねて四方田申は賢直なるせうとくにて
中/\親規の義承引仕間敷御前
に対しそくざに失礼の返答仕候
ほとのものなれは かれをそのまゝさし
置れなは後日のさまたげとも成申
べく候へはすみやかにいんきよ仰付
られ然るべしと申上けれは 四方田は
隠居申付へし 外に其元手段有哉
と仰けれは 左様の義ずいふん手立に御座候
間御心安くおほしめさるべくと申けれは
猶其手段熊井在間に相談し追/\
申きかすへしと仰付られ 扨よくじつ
四方田を召れ退役隠居申付給ひける
是そ藤見の庄そうとうの初めなりし
はうたてかりし事とも也
(28)
藤見の庄町々用金申付る事
并 町中とゝうの事
表用人熊井左二右衛門在間平十郎有馬
丈助心を一にして用金取立の企をな
しける 爰に下山宗二郎今井喜右衛門
坂本次郎右衛門柴五兵衛四人を取組苗
字をゆるし惣年寄の名目をつかはし
ける 右四人のものをもつて伏見町中へ
たのみとして申けるは町/\年寄まて
申けるは 小森家も先伊豆守様当所御在
役中より鎌くら御役中御時節あ
しくことの外御物入多く其うへ近年
凶年うちつゝき領分のふさく是まて
翌年の知行を引当仕送りくれ
/\ものも是有候へともたん/\銀子引
残り今日にても壱万両に及ひ候へは一
(29)
まつ皆済なくしては仕送り呉候事
出来さるよしにてたん/\さいそくいたし
けれとも中/\先借残銀皆済は
勿論一向手を付候事も成申さす
候付たん/\断候へとも一向に承知なく
此上は鎌くらえ出訴申よし申出し
伊豆守様を初め役人衆ことのほか
心をいため申事之筋により候へは小森
の御家にかゝり候事なれば何とも申付かねて
右の筋合を聞わけ町々より金子割
合壱万両御用立申され候様年寄とも
え申けれは先承り罷帰町々寄合
評定しける処 大金の事なれは御
奉行様より御たのみいゝなから中/\御
一決して惣年寄まて断申上くれ
/\相頼けれは中/\承知せす 一端仰
(30)
出され候義御断申上候はゝ御意違背に
相成候へは此方とも此取次は得致さす候と
いへは 大金の事といひまた町数多き
処なれはきう/\相談も不相極たん/\延
引に相成候処度々四人ものよりさいそく
しけれとも埒明かねしゆへ五日切にさし
上候様厳敷申付けれは町かた俄に騒
動し昼夜夫のみに相かゝりけるか 町人とも
大に立腹し申けるは 四人の者共小森家
にとり入今日惣年寄の名目其上苗字
まてもらひけれはさためて此一万両も
彼等かこしらへし事にて此内ばつくんあ
たゝまり候積りと相見へけれは是は
ぢきに小森さまへ御断の願を申上て
よろしからんと申出しけれは 如何様
是もよろしくからんと弐百余町の
(31)
事なれはくはしき相談に及ふ間も
町々言次にて最早願出けれは四五
町も打つれそは/\と年寄とも通り
けれは町分のこらす出ることゝ心得一町
中のこらす出る町も有けれはそれを
隣町に聞段/\仰山に成 凡二百
六十三丁の町人とも御奉行所の
御門前に充満しけれは奉行
所もおもひよらさる事なれは上を
下へと騒動しけれは四人のものとも
早/\かけ付右のあらましを物語
けれは在間熊井の両人非常の
装束をき馬に乗門前に立出高
声にして 汝らいかなる願事な
れはかくのことく徒党し奉行
の御役所をさはかせ候哉と高声に
(32)
申けれともむらかり出し数万の町
人ときのこゑをあくるのみ中/\
物音きこしす 御奉行様え直に
御願ひ申あけたき義御座候て罷出候と
はかりにて一向願のすし申さねは
両人も大にもてあくみ門内に入候
は有馬丈助すゝみ出物になれたるく
せものなれはさつそく普請場にゆ
き炭墨をとかせ勝手の障子五枚取
よせ元より能筆なれは右障子に
はゐすみを以て口上書をさら/\と
大字に書付長屋の屋根にはしこをさ
ゝせ下人壱人に障子壱枚つゝもた
せなか屋のやねに上りこれを下知し
けれは門前にみちし町人共此
口上書をみてよふ/\とくしんし追
(33)
/\おのか町/\へ引取ける 扨翌日段/\
町/\年寄どもを呼出し 先願之義
は捨置いつれの町より申出しきのふ
のことく徒党をむすひ奉行処をさは
かせ候哉 ほつたん申出せし町分なく
ては叶さるなり 跡より同心しけ
る町分明白に申上候様厳敷御吟味
有ける処段/\申訳いたしのかれける処
四五町まちはほつたんの町分知れけれは
年寄五人組牢舎仰付られ御吟
みつよけれは元此町分仰山にすべ
きつもりなり申出せし処 外の町
より心得ちかい仰山になりしよし段々
申ひらき候へとも取上なく此四五丁
罪におちける事こそうたてけれは外/\
の町分此義に大におそれ入また此上御
(34)
用金御断のねかいを出しなはいか成せめに
あふへきやとおそれ入ける処 また此度は
御しらすにめし出され御用金のさいそく
きひしく仰出されけれは初めの越度に
恐入早/\町/\割合をもつてつがう
一万両上納致しけるか 其上また此度
町々徒党にくみし奉行処をさはかせ
第一御公儀御法度そむき甚たふとゝき
の至り 此上人別に吟味し糺明に及ふべき
処御れんみんをもつて御用捨なされ候間
右過料として金子五千両さし上申
へしと申わたしけれは 町人とも最初
の壱万両さへ出しかねし上また五千両
の過料仰出されけれは大に仰天し
けれとも不調法の上の事なれは是非
なく金子五千両差上御礼申わひ相
(35)
済ける 扨また牢捨致し居ける
年寄五人組の町々を召出し 此度
其町にはほつとうし徒党を企
てし段御ほうそむきし罰に依りて
御例のことく死罪におこなふ処なれ
とも御じひをもつて助命し
つかわされ度おぼしめし候へは命
こひ御詫金として町内より五百両
指上申へしと申渡しけれはぜひなく
金子を差上年寄五人組の助命
をねかふ 今度壱万五千両の上納に貧
なるものは家財をうりしろなく諸道
具いるい処持せしものは質屋入魂
し町/\物さはかしき事昼夜わかち
なく是そ此処の衰微のほつたんなり
けるか小森家にははしめよしとよろこ
(36)
ひあゑり
武家玉手箱前篇第四
(1)
武家玉手箱 五之六
(2)
武家玉手箱前篇第五
目録
一 鎌くら御若君御他界の事
并 井上官蔵より蜜書来る事
一 富家の町人みたて用金申付事
并 佞人両三人出生并立身の事
(3)
武家玉手箱前篇第五
鎌くら若君御他界の事
并 井上官蔵より蜜書の事
比者安明八年八月廿二日のことかとよ 鎌
くら武将の御わかき見御年十六歳
にならせたまふか深山に御狩し有し
に急の御病気差おこり御落
(4)
馬まし/\けるか其まゝ御即死に渡
らせ給ふ 御供の医師秘術をつく
すといへとも其しるしなく 木村采女正
やう/\御輿に乗鎌くらに還御なし
奉りて上下そうとうする事兵乱にひと
し さつそく父将軍へ言上しけれは
武将の御なけき大かたならす 只御一
人の若君にわたらせ給へば御なけき
のほと申も恐多し 有へき事ならねは
上野寺葬し奉り光敬院殿従二
位亜相公と称し奉り 爰に御連
枝様かた諸候かた御評諚まし/\
御養君の御相談有しに 執権
職谷間主水正進み たん/\才智
弁舌をもつて故将軍の御舎
弟徳山兵部卿様に当年九歳に成
(5)
らせ給ふ若君まし/\けるを御やう
くんとなし奉るへしと申給へは 御れんし
を始諸候かた谷間の一言にたれかふ
といふ人なく将軍家に申上けれは
何の子さいもなく御愛臣の申事な
れはよろしく取計申すへしと仰出
されけれは 首尾相調鎌くら御殿
に御移らせ給ふ 谷間の家臣井上
官蔵より熊井在間かたへみつ書を以て
もふしこしける 其趣意は 今度かま
くら御殿に御引取あらせられける事
主人主水正ふかき存立これあるに付
徳山家の若君御養君となし
奉り候 小森家の義は主水正かねて
内々処縁も御座候方なれは片時も
打すておき申さす候得とも時節を
(6)
見合罷あられ候 今度御養君を
取組申され候義中/\六ヶ敷ことに候て
谷間家も近年の大物入に候得は此つ
くのひとして壱両年の内に金子
弐万両其処にて御工面下さるゝへく
場所をまき処御預りのことなれは
急々御用意も出来申間敷兼て
申遣し候 其上小森家にも廿万の
金子御用意なされす候はてまさかの時
の指つかへに成申候 いつれ鎌くら表のしゆ
尾は谷間家承知の事なれは山城
摂津の外聞をおほしめさすすいふん
御出精なされ金子の御用意しかるへく
候 尤当時の谷間家の事ゆへ三百両五百
両まいなひをもつて諸事の六ヶ敷
願事申候族は月の中にその数
(7)
たはかりかたき事に候へとも是は御殿
奥むきの取つくろい 月に千両余は
定り申候て入申候 其上実は此度徳
山家へも三万両内々御用立進し
申候 是は主水正計らいにて諸候
過半は徳山家に御みかた申させ置候
に付物領物万たん御手当として御
用立申候 夫ゆへ過半不得心の諸侯
方も候得共終に主人のそんねん相立
候すし合に相成申候 是も主水正は
もちろん栄花を子孫にのこし申候
の遠計に御座候 其御家も末代の
栄花をおほし召候はゝ随分御出精な
され主人の一方の助けとも御成なされ
候はゝ万事成就の上は十万はしさひ
有ましく候と拙者共も存る事に候
(8)
何分謀計を企て貴様かたにも忠勤
第一に御座候との細書到来 伊豆守様
えも谷間よりみつ書到来候得共何事や
らんしる者なし 是よりいよ/\金子
取立の工夫にのみかかりける
此みつ書の趣意后篇にあらわす
富家の町人みたて用金申付る事
并 佞人両三人出生并立身の事
藤見の庄の内富貴なる町人ともを
みたて御用金百両弐百両或は三百両
五百両其分限をみたて申付ける処
銘々後難をおそれ出金いたし
けるもの共もあり また困窮を
申立御断申上けるやからも多く有
ける処 其者とものかたへ目あかし
藤右衛門林蔵をめしつれ有馬丈助
(9)
奥村重内村林藤五郎
此奥村重内は元来此藤見の庄
にて指もの商売を渡世にし
指ものや九兵衛と申ものなりける
平日小森家に立入しけるか元来
奸佞なるものなれは急度やく
に立へきものとて新規に召抱
えられける 熊井在間なとか下
司と成万事悪事を工夫しける
また村林藤五郎煙草入を仕立
渡せいし居けるものなるか奥村
同様のものにて新規御取立に相
成ける めあかし藤右衛門は風来もの
にて官家武家を経て此小
森の御屋敷に来り熊井左二右衛門
の手まはりをつとめけるか元来下
(10)
賤の者なれは奸曲人に越至て
上手ものなれは左二右衛門大に気に入
急度用に立へきものなれはとて
相応の家とくをこしらへ遣し
度おもふおりから藤右衛門願ける故
新に此処に髪ゆひ株を建遣し
藤見の庄中髪結かしらめ
あかしやくを申付ける 往古より
此処は髪結のやくして捕者に出
また牢屋に立入罪人の取扱
しけること処の定なりけれはよ所
のの髪ゆひと相違し公役をつと
めけれはつねのかみゆひとても自
然と威光ありけるに 藤右衛門林蔵
は髪結かしらと成非常帯刀
申付られ我まゝ増長し町人
(11)
は勿論寺院迄も我宅く呼付
蒲団の上に座しまたは平臥
にして応対しけるは言語道断
にくき事ともと人々にくみあへ
り 林蔵は在間か手廻りにて
藤右衛門同断の者なり
其家に行町内年寄をよひ付
置此者御吟味のすしこれ有けれは
家内は勿論諸道具まて町内へ預置
候間昼夜きつと番を致し候様申付
扨藤右衛門林蔵に下知し土蔵を明
させ諸道具衣類まて残らす吟味し
帳面にしるし其外家内平日の道具迄
帳面にしるし土蔵には封印し
諸帳面のこらず出させ両人に持せ本人
諸道具御ぎんみ相済まて町分油断
(12)
仕さる様急度番をいたすへしと申
付帰りけれは あとにて町分騒動し
何事を仕出しかくのことく厳敷御味
吟に成候事哉と段々たつねける処 外
におほへもなく今度御用金仰付られ
けれとも近年不勝手に付おして御断
申上候計なりと亭主も大にこまり
いける 三十日程過惣年寄をもつて
明日正五ツ時本人なにかし召つれ町分
年寄付添御役所に罷出候様申来
候ゆへ翌日早朝御役処に出ける処決
断処に召出され 熊井左二右衛門在間
平十郎立会にて 先達て御用金
仰付られける処近年甚こんきうの旨
を申今日の取つゝきも出来さるよし
にて段々御断申上しゆへ御家来を
(13)
差遣し家内吟味し諸帳面を取
上勘定致させける処 其方年分
商高何拾貫目利銀何貫目懸残
り何貫匁家内諸入用何貫目従来
有金何拾貫目貸付銀何貫目家財
諸道具衣るい何拾貫目にあて当
時あらかた差引百何十貫目の身上に
候処甚たこんきうに付必止と家内の取
つゝきも出来さる旨御奉行処を申偽り
候段甚た以不届のいたり急度とかめも
仰付らるへき処御れんみんを以て
当時有金何百貫目之内八歩通御
取上被成三歩通下され候間有かたく
存奉り銀何百貫目幾日迄に指上
候様厳敷申付右違背仕候は町内より
相弁え日限の通り急度差上候様申
(14)
付けれは 不法なる御取計とは言なか
ら御受申帰りける 是非なく銀子
指出しける か様にいたし銀子取上ける
家数凡四十五軒町家名は繁多ゆへこれをりやくす
此なかにことにむこきは十分手ひろく
あきないし何さま彼か処は五百貫目
の身上と岡目にも見へける処十分諸
ほうの金をかり上して手ひろく致し
居けるものも同し割に金子取上られ寔
に必止の難義となりて今日にては行
かた知れぬものも有けり 寔に前代未聞
とは是をいふべし
(15)
武家玉手箱前篇第五
武家玉手箱前篇第六
目録
一 釣リ銭出し町人難儀に及ふ事
并 詫金取上らるゝ事
一 薬師院奇夢をみる事
并 伊豆守殿見相的中の事
(16)
武家玉手箱前篇第六
釣リ銭出し町人難義に及ふ事
并 詫銀取上る事
有馬丈助村林藤五郎大津に諸用
ありて立越四の宮にて遊ひけい
子遊女とも伴ないしよ/\ゆうらんし
藤見まてめしつれかへるさに
(17)
地蔵村といふ処に来りけるか 此
処は藤見の庄の内にてしかも
大坂より近江路え廻りしものは
船にて此所へ付けれはすいふんにぎ
はふ土地也ける こゝに樽屋五兵衛
といふ煮売茶屋ありけれは
此処にて支たく種/\我まゝ
言立酒肴こしらへさせ呑
喰し跡にて書付を取銀子を
はらひける処 金子を出し是を
両替いたさせ算用致しくれよと
指出しけれは則算用し書附
を以て釣り銀をもどしけり 扨
夫より内への土産にせんと清水屋
小兵衛といふかたに立寄名酒五升
買とり代金として金子壱両
(18)
出し渡しけれは相場を以て算用
しつり銭として金三分と銭を
戻しける処これを受取いつれも酔に
ぜうしけい子ゆう女のかたにかゝり高
声に小うたをうたいなゝめならさる
きけんにして藤見をさしてかへり
ける 翌日樽屋五兵衛清水屋小兵衛
の両人めしつれ年寄つきそひ御
奉行所へ出候様惣年寄申
来りけれは何事ならんと早速
まかり出ける処熊井左二右衛門在
間平十郎立会にて申けるは 金銀
銭両替の義は先年より仲ヶ間を
立御公義え御礼銭申上渡世を
致し居けれは両替や仲ヶ間
のほか両かべの義は御停止
(19)
に仰候処其方とも事いつの比より
仲ヶ間に入候哉と吟味しけれは両人
返答申上けるは 私とも五兵衛義
はにうり茶やにて御座候 小兵衛
義は酒商売仕候而両替屋仲ヶ
間に入候義は御座なく候と申けれは
昨日御奉行御家来樽や方に立
よりのみくひし清水屋かたに
酒五升をとゝのへ候処 折ふし細銀
是なく候ゆゑ金子出し両替致
させくれ候様申ける処さつそく算
用し釣金もどし候旨 やわん早/\
相とゞけ出申候に付今日召出しぎ
んみをとげ申候 何ゆへ両替や仲ヶ間
入ずして内しやうにて両かべし
仲ヶ間の邪魔お仕御公儀御法度
(20)
の趣きお相添申ける哉ときひしくとが
め申付けれは 両人申けるは 仰御尤
に存奉り候へともせう/\の入こん合
にて両替いたしつかはし候義私とも
にかぎらずいづかたにても町家一統
これ有候事に御座候と申けれは
熊井大にいかり ないしやうにてさやう
の義仕候ものあるべきなれとも
是は御公義御停止仰付られおか
れ候へは申わけ立申さず言語同
断にくきものどもなれば御吟味
相済まて其処へ御預ケ仰付
られ厳敷番を仕候様申付けれは
村のものともおそれ入両人をあ
づけかへりける 扨熊井在間
をはしめ奸臣ども打寄まつ
(21)
百両の御内益ははたらき出し申候
此評判いまた処を廻らさる内手を
まはし何にても買上其上いづれも
今日の通取計らひ候はゝ一べん
通りはかられ申べし さ候はゝ金子
の五千と一万とは取集め申さるへし
とて弐朱あるひは壱分弐朱三分
壱両の金子をもたせ呉服や
木綿やあるひは道具や銘/\
入用のしなばんじ何によらす家を
かへ買に出しける 一日の中手わけして
多人数をいだしければ数十軒
にて買とゝのへみな釣とをとり帰
りける 翌日より其町人諸とも其
町内をめし出し已前のことく段々
申付ければみな/\そんし寄さる難
(22)
義に及ひ町あつけとなり藤見
中のことなれはおひたゝしく事なり
扨たるや清水やを呼出し御法そ
むきし段甚たもつてふとゝきの
いたり急度御とかめ仰付らるへき
処御憐愍をもつて御用捨仰付
られは右過料として鳥目三貫文
つゝ御公義えさし上申べくまた
御奉行所へ御わび金として金
子五十両つゝ指上申候様若違背候はゝ
其処より相弁幾日まてに上納候様
申付ければ両人とも御受を申
帰りけり ぜひなく金子相調指上
相済ける 其外町々御預もの分
もおひ/\よひ出し卅両五十両
のわひ金申付たん/\相済ける
(23)
是よりして藤見の町中申合せ
つりの入候あきなひはしぜんとなり
かたく四五年もふじゆうにありし
所漸天文五秋の比ふれまわし
用捨有けるか行すへいかなるうき
めにあふ事やらんと人/\やすき
思ひはなかりけり
薬師院奇夢をみる事
并 伊豆守殿見相的中の事
爰に薬師院法印といふ山伏有
見相墨色陰陽道乾坤雲
気に通じけるとて専らおこなはれ
けるか実はいづなをつかふの買主也
けるか 法印或夜のゆめに比は安
(24)
明の末かとよ北極星に一村の雲おほ
ふこと凡三十余日なりけれは法印
是をあやしみ考へ見るに 此年の
末にあたり天下に灯火を失ふの
うれいをせうす 北辰のかたはら也
三星の威を争ふとかんかへも終
らさるに北辰のかたはらなる伏陽
星天くだり給ひ法印をたのみ
思召北辰調伏の祈を頼給ふ 法印
伏陽星の御たのみにしたかひ 五大
尊天の秘法を修し北辰の御座
所の地中をうかち おそれ多くも
北辰の尊体をきざみ御心元に
尺余の釘を以てさしつらぬき
埋め奉れはすみやかに御脳にいらせ
給ふ 水中にはのこらす調法の御
(25)
符をしづめけれは北辰御脳さ
かんに入らせ給へは数万の衆星群
参し御脳の意趣をかんごふるに
伏陽星出仕有けれは御脳猶更
成しかは白河星奏していわく
御座処の土中をうがたばさた
めてあやしきものや有べしと
奏にしたかひ土中をうがちは
白河星の申ことく人の形ちきさ
めるに心元に尺余の釘ヲ以てさし
つらぬきたるあやしきもの出けれは
白河星則ひきめを放ちけれは
空中に飛て此矢即伏陽星
の居所に立ければ 是よりして伏陽
せいの意趣なることあらはれながく
雲中にかくれ給ふ されは御のふこ
(26)
れよりして平愈なりしかとも
北辰はついに地におち失給ふ 北辰は
御代つかせ給ふ新星もなく三星の
内北極跡をつがせ給ふは伏陽星な
れとも北辰調法の罪かろからす
ついに雲中におしこめられ給へは
閑星の御子を以て北辰星と
仰き奉り万星万歳らく
を唱ふ 伏陽星の御頼により調伏
御いのりとして顕れやくしいん
獄屋にひかれ糾明せられけるに 法
院かいわく われは俗家に住俗山
ふしなるにいかててんより我をたのみ
たもふ たとへたのまれてうほうを修
したりとて我等ことき俗山ぶし
かいのりしとていかてしるしのなからん
(27)
昼夜天か下をてらし給ふ北極星の
我祈りにて地におち給ふ北辰の威
はなきかことく是またなきこと也
と申と思へはゆめさめける処 御奉行
小森伊豆守様御他出の途中より
御急病さしおこり薬師院に入
られ給ひしはらく御保養遊し
ければさつそく法印加持し奉り
御符を一粒奉りけれはふしぎやた
ちまち御快気にて法印に暇を
下されすぐさま御帰たくまし/\
ける 即刻法印御礼申上けれは御
対面仰付られけれは有がたく御
めみゑしけれは伊豆守殿仰けるは
先刻は急病に付立寄候処御加
持によりさつそく其しるしを得大
(28)
悦に存候 今日能ついて候得は拙者か見
そうし給ふべしと仰けれは 是は冥
がにかない有かたしそんし奉ると
御そば近くすゝみ寄見相し段/\
是まての処は百発百中の言に
て毫髪相違なく御行末は
富貴家にみち御家領は次第に御
加増まし/\十ヶ年の内には
御昇進ましまし凡十万石も
領し給ひて威光は諸候の上に
立給ふべしと委細見相し
けれは 伊豆守殿法印がいふ所
御胸中もつらぬきけれは まことに
てん地もみぬくべき貴僧かなと
大に尊信ししゆ/\拝領とう
仰付られ自今毎度心安く立入
(29)
申べし また手前昇進の祈願
を修し給はるべしと仰けれは
法印難有御受御礼申上帰寺
しける 夫よりして毎度御心安く
出入しけり
此薬師院の手筋より小森に立
入 種々企事工みし町人
とも多く有ける
(1)
武家玉手箱 七之八
(2)
武家玉手箱前篇第七
目録
一 祇園町遊興の事
并 宮川丁喧嘩之事
一 大隅家姫君徳山家へ御引取の事
并 御妾おい代死霊の事
(3)
武家玉手箱前篇第七
祇園町遊興の事
并 宮川丁喧嘩の事
或とき未明に藤見の庄を御出立し
給い京都の諸用相済丸山端の寮に
入給ふ 此処にて御着用御しかへ
なされ御供廻りは私にまきれ藤
(4)
見に帰し給ひ伊豆守殿近習六七
人召つれられ祇園町万屋庄右衛門
方へ入給ふ折から 鎌くらにて茶道の
世話より遣し給ふ大隅薩摩介と
いふ人此節入国につき藤見の庄
逗留中なれはしのひやかに此処に
来り遊ひ居給ひけれは ひさ/\の
対面互になつかしく積り物語
遊興たけなわに及ひ其夜は
互に乱酒にていつとなく酔ふし
給ふ 翌朝互におき出ものかたりし
給ふ内伊豆守殿仰けるは 御賢息
かねて徳山家にて当養君と御
言名付有しよし承り候処相替
らす定めて鎌くら御殿に御入
輿とそんし候 挨拶有けれは薩
(5)
摩殿仰けるは されは其儀いまた
なにの御沙汰なく是まてとて
も大家との婚姻取結ひは神君
このかた鎌くらの御法度なれは
定て返かへ被成べくと存候得は
何とも残念に存候 甚幼少なる
姫と申せともさやうに相成候ては
何かたえつかわし候ても一生人口に
かゝり候得は其義も不便に存 何卒
已前やくそくのごとく取結相成かしと
存すれともとかくひまとりいまた
不安心に候と申給へは 伊豆殿さた
めて執権方へは御申込なされ候
べしと仰けれは 成ほど一往もの語
致しおきと仰けれは 伊豆との中
/\当時一往再おうのたのみぐら
(6)
ゐにて参り申ず候 御大家の事
なれは夫迄は御気もつきさせ
申間鋪私へ仰付られ候はゝさつそく
埒明申べしと仰ければ 夫は何とそ
御たのみ申度候か其手段はいかゞ仕候事
哉とたつねたまへは 当時は金銀ヲ
もつて権門家をつくろひ候はて
は中/\容易に参りがたく候
しぜんさやうのおほし召にも候はゝ
せつしや御とりもち申上べしと申
給へは いづれ金銀を以て調候はゝ
家来とも相談のうへ如何様とも取計
のいたしかく有べく何分宜敷御
たのみ申入と仰けれは 先五千両は御
用意しかるべしとてまた遊興
ぞはじまりける 亭主庄右衛門元来
(7)
茶の道にすきけれは 今日は私手
手前にて御茶一つ指上たくよし
ねかひけれは 御両所ともいとけうし
給ひ万屋にて茶のゆはしめける
庄右衛門伊豆殿に願けるは 私も近年
家内普請仕たく其節ちや席
を建たくかねてそんねんに御座候
くるしからず候はゝ席のゑすを
なし下されたく旨願けれは 夫はや
さしく心懸に候 惣絵図出来候はゝ
見せ申へしと仰にしたがい ふ
しんの絵図を御らんに入けれは 拙
者物ずきして遣はさんと即席
に茶席の絵図物好し下し
置れければいとゝ興に入給ふ 上下
におかれける故か一入めづらしき御
(8)
ものすきとていしゆも外聞かた/\
有かたく頂戴しける 一昨年より
普請に懸りけるか鴻の池善右衛門よりも
金五百両遣はし白木や彦太郎よりも
三百両其外名有客衆より百両
弐百両或は三十五十両ほとつゝ遣はし
けれは一向自分の物入なく此ころ
大かた成就しけるは茶席は伊豆殿
御物ずきなり さつまの介殿は先え
御退出なされ伊豆どのも御帰宅なさ
らんと素人芸子娘中居ともを
めしつれ男女かご廿挺一力か宅へ
をいて宮川町松原下ル所へきかゝり
けれは 官家の若侍とおほしし
上下の五六人みな/\桃華を打かた
げ能きけんにて町一はいに成帰
(9)
けるか茶屋かごとあなつりわさと駕
この邪魔しければ 駕籠のもの
法/\と声かけれは 慮外者
何ゆへひかへさるやととかめけれは かご
の中にもたんりよの若もの途中
をあるく法おも知らすちやまひろぐ
なと言つゝかごより出けれは それ打の
めせといふまゝにもゝのえたにて
打かゝれは こちらもこらゑぬ武家侍
主人は女に頼置互に打つうたれつ
しはしか間まけすおとらす喧花と
もさすが後日やおそれけん壱人にげ
弐人にけけれはたかいに追かけみうし
のふてぞ済にける ひあい成ける次第
也 伊豆殿は途中らうせきにまた一力
やえ立帰り給へはやがて近習のもの共
(10)
おゐ/\に立帰り まつ今宵は婦人はや
めにして明日いつれも来るへしとやく
束しきんしゆめしつれすご/\藤見へ
かへり給ふ
大隅家の姫君徳山家に御引取の事
并 御妾おい代死霊の事
大隅薩摩之介殿の姫君御養君
徳山家にまし/\し内御やくそく
有しに伊豆殿に御対面の節御養君
にならせ給ふ上は姫事もいかゝ成事や
と御心安くにまかせ御相たん有けれは
伊豆殿御世話なさるべく旨仰ける
ゆへ万事御たのみなされけれはさつそく
執権谷間家へ申つかわし給ひけれは
此義成就の上三千両のあいさつこれ
有るやう申来りけれは早速大隅家え
(11)
申へし さすが大家の事なれはさつそく
五千両藤見へ以てよろしく思召の旨
申来るけれは五千両の内弐千両小森
に残し三千両谷間家へつかわしけれは
早速万事相済 弥徳山家に御引取
なさるへきに事極り 薩摩之介急に
御めしにて鎌くらに下向し給ひ諸事
しゆひよく相済けれはまた/\五百両小森
家に御あいさつ有けれははからず弐千五百
両小森の受納となり其上大隅さつま
介殿かまくらの首尾もよく成給ふ 元来
茶道の家なれはやく宅に茶席を
建金銀しゆうに成給ひもとより京都
に程へたゝり有処なれは御用むきま
れにしてすいふんひま成やくしよなれは
茶のゆは何のとみな/\きやくのきしたい
(12)
催したもふ されは京大坂の町人或は
さむらい態々此処に来り楽しみ栄花
にほこり尽し給ふ 爰に御てかけおい代
とのと申はかまくらにてめしかゝゑ給ふ
おんなにて容色もうるはしく御てう
愛あさからす此処まて御ともしけるか 過し
ころよりおそのとて有馬が世話し
あけし茶小せうに御手かゝり御てう愛
なされけるが 誠に士は智者の為にもちい
られ女は愛する人のために形つくりす
史記の言葉にひとし 生得美人なる
上に形をつくれは褒姒一度幽王
国をかたふけ玉妃かたはらに媚て
玄宗世をうしのふのたとへ おそのか為
におい代はいつしか秋風の立て
見捨られけれは御そばのつとめもう
(13)
とましく明くれ是をのみおもひくらし
けるか古参のみながらも何事もおそのに
仰付られけれはおい代はおそのが下地お
うけつとめる事の口おしく近処の生れ
のものならは御いとまを申上おやさと
にかへりなれとも百余りみちをへたて
女の身として帰られもせずせんかたなく
むねをこかしつとめ居しが 不便成かな
終に病気をせうし医師手をつくすと
いへともついに果けるか いんぐわは車のめ
くるか如くおい代か魂白此土地にとゝま
りけるにや おその或よのゆめにおい代枕
元にあらはれいでさもやみからげたる姿にて
おそのにむかい わたくし事はかまくらよりはる/\
此処におともし君の御てうあい浅からざり
しにそもしにいつしか思召かへられとにかく
(14)
おもへとあき風の立し我身なれはせ
ひもなきとはあきらめてもさすが女のあさ
ましくはるかみちをへだてたれはおや
さとへぞかへられず おもへともこゝろにまかせ
ぬ此年月 みな是とてもそもしゆへと思へ
はむねのほむらはみをこかしやかておもひ
しらさんと立かとすれは髪逆だち眼を
いからし口よりしん為の猛火を吹出し
おそのを中に引つかみこくうにあかる
と思ゑば余りせつ無きこゑ上なきけれ
は伊豆とのめをさまし給ひゆすりおこ
させ給ひは おそのやう/\めを覚しけれ
どもさめ/\となきけるゆゑやうすを
たつね給へは有のまゝに物語し夫を
ほつ病としわすらひ付けるが たゝゆめ
ともなくうつゝともなくおい代かゆう
(15)
れいまくらもとにあらわれおそろしくす
かたにておそのをにらんて立さらねば
医薬をもちいれともしるしなく今は
いのちもあやふくみへけれはやくしいん
をめされ祈祷仰付られけれは法印
申けるは いかさま是は女の恨みをふ
かく受しもの也 此まゝ捨おかれなは
命は旦夕に落ぬべし 拙僧たん
せいをこらし加持しなば其印立所に
あらはし申べしとて伊豆どのかみを
切すこしゐるべしと願けれはこれを
下されけれは ひもんをしゆしおい代かはか
所へおさめ帰寺の上秘法を修し
けれはふしきや七日満する夜おい代
かゆうれいおそのにむかい いままてはそもし
をうらみ既に命をとりともにめいとに
(16)
おもむかんとねかいしか有かたや貴僧の
かぢし給ひてこひしき殿の御黒髪
を給はり今は恨みもはれわたり九品
の浄土に趣くぞや 早/\快気し
給ひていのちなからへわかきみの御ぜんと
をも見とゝけたまい是をたのむと言す
てて光明をはなちこくうにさると思へ
はふじぎのゆめさめて今まくら上らぬ
枕もかる/\とおき上りけるか姿はながの病
床にふしほね皮とやつれぬれ共心持
は全快しけれは伊豆殿をはしめ家
らいの衆まてもおどろき様子をたつね
けれは有のまゝゆめもの語りしけれは
何れもふしぎのおもひをなしける
その日より全快して殿に給仕しけれは
誠に薬師院はむかしの蔵浄貴所
(17)
にもおとらぬ行者哉と益尊敬しける
私いわく如くやまい心病し迷ふの心
より生するやまいなれは是かために
いのちすつ また尊信せし人のために
命を拾ふとむかしより多く有こと
也 予は法印を敬せす またふしぎ
ともせす これは人によりての病気
也 心有人は考ふべし たとへは
きつねを殺し其皮をとり軒にほし
おきけるに余人これをみて不便に
おもひけれは忽狐其人に付終に
其人をころしぬ きつねうちし
人にはあるなくして不便なりと
とふらふ人につきてついにきつね
の皮のためにいのちおとす事か
あるそや おい代が死霊是に同し
(18)
おそるへきにあらす またわらふ
へきにもあらす
武家玉手箱前篇第七
武家玉手箱前篇第八
目録
一 博奕会所を建る事
并 町人宝引にて難義之事
一 御坊御用金指上帯刀免さるゝ事
并 革荷問屋穢多の手下に成難義の事
(19)
武家玉手箱前篇八
博奕会所を建る事
并 町人宝引にて難義に及ふ事
髪結頭目あかし藤右衛門林蔵ら御
免と申周防の町鎰屋茂兵衛借
屋をかり今度博奕会処を建
候に付家をかし呉候様茂兵衛へ申入
(20)
ける処博ちは御公儀御法度に候へは私
家を御かし申進候義は私ふせうち
に御座候へは御断申入ると申けれは
されは両人え御免仰付られ候上の
事なれは何にも御気遣ひなく候まゝ
貸くれられよと段々相頼けれとも一
かうふせうちなれは御奉行さまの御家
中奥村重内鎰屋方に来り此度目あ
し役両人か願により御聞とゝけなされ
はく奕会処を建候事なれは何のし
さひもなき事なれば後難受合の手
かた拙者より遣し申へく候得ば両人
え家をかし遣はし候様申付候ゆへ鎰
やもじつはこのまさる事なれはとも
先後難受合の手形遣候上はたし
かなる事なれはとてやう/\そうたん
(21)
極めける ほとなく引移り博奕興行
しける処たん/\日々に繁昌し賑はし
く成けれとも目あかしの会所元なれ
はちいさき口論もなくおんひんなる事
なれは最初に引かへ茂兵衛もことのほ
か丈夫におもひ安心し居ける処へ町
あつかりのやく人遠藤大八郎来り右
ばく奕の会所に入よふすをとくと
見とゝけ其上翌日家主茂兵衛ならひに
町分年寄遠藤か宅に呼付申けるは
其方か借宅におゐて博奕会処
と申立ひゝ/\人を相集め博奕を
企る事きのふとくと見届おき
候 御はつとうの義さしゆるしいたさせ置候
段家主はもちろん町分甚た不届
のいたり也ときひしくとかめけれは 茂兵衛
(22)
申けるは 左様存候ゆへ最初より段々断
申ける処ケ様のわけ合に付家をかし
つかはし候 即奥村重内様の御手がた
是に御さ候と申指出しけれは たとへ
奥村こときの何百枚手かたつかわし候
とて町預り方の役人此遠藤か故
存せぬ義はならす 重内か手かた何枚
有ても何の言訳立へき哉と大に
きめつけ其上また町の者呼よせ鎰や
茂兵衛并年より町預ケに申つけ
けるか其後惣年寄をもつて内意申
付けるは 次第に吟味つよく成候ては
甚た六ヶしく年寄家主共処御払
とも成るへしほとの義なれはよふゐには
すみもふさす候まゝ何とそ六ヶしくならす
して済せつかはし度とおほしめし事
(23)
に候へは 町分より金七拾両茂兵衛より三拾両
御詫として指上また金七両町より金子
三両家主より出し 是は遠藤大八郎様へ御
内礼として遣はされた候はゝ都合金百拾両
にて無難に済せ遣はすへしと 遠藤
との御内意に候間 其通指出し済され
候様申来りけれは 是非なく出金し
漸済せもらひける また大文字町といふ
所に行家をかりかけ博奕会所
をくわたてけるか 周防の町のやうす
兼て聞居し事なれば 家主段
/\断を申けれは 有馬丈介参
右会所におゐて御部屋様御しぶん
金御貸つけ被成候間ぜひとも家を
かしもふし候様申付候へ共 たん/\
御断申けれは 左候得は御断金と
(24)
して三両さし上候様申ければ是も
たん/\断もふしけれ共 家かし
申さす候はゝ金子さし上候様申付 かし
候てあとて大金を取上らるゝより
三両にてやくをはらふかましかと漸
/\了簡を付三両いたし済せ候
扨又此たひは中書島におゐて
借宅し御免見徳はくち会
所となつけ めうか金指上初めける
所日々はんしやうしけるか 町々若
きもの手代下人の類ひ昼夜
入込賑はひけれは家業をわす
れ金銀をついやし終に勘当う
けしものまた欠落しけるもの
おひたゝしく出来ぬれは処
のなんきに及ひける 其上また
(25)
右くわいしよに来らす坪井町
近江や重介方にて宝引のなく
さみいたしいけれは 林蔵来り段
/\彼是六ヶしく申かけ其席
に居合候もの残らす名前町所書
つけかへり注進に及ひけれは 翌
じつ御やくしよへめされ御法度
相背博奕くわたて候たんふとゝき
のいたりに候へは 本人重介はもちろ
ん其席に出会いたし候もの
のこらす其町/\御預に仰付られ
けれは たのしみかへつてかなしみと
へんしみな/\なんきに及ひける
扨此かゝり合つほい町塩や町
御駕籠町下板はし山崎町
五丁にかゝりけるか 御わひ金とし
(26)
てつほい町近江や重介より百両
扨其席につらなりしものども
より七十両つゝ差出し申候様 もし
本人出しかね候はゝ町分より相弁
まへ指上候様厳しく申付けれはぜひ
なく出金しやう/\相済ける 此
手段にて所々にて五両十両つゝ
藤右衛門林蔵内証にてゆすり取
済し候事ふてにいとまなく無ほう
なりし事そかし
煙亡両人御用金指上帯刀免さるゝ事
并 革荷物問屋穢多の手下に付
なんきの事
高瀬川筋に墓所を守る御坊
市兵衛忠兵衛とて弐人あり
往古より此処に住居しけれ
(27)
とも煙亡の事なれは誰壱人
つきあふものもなく穢らはしき
家業をなしけるに次第に家
富金銀じゆうに成しかば家
宅衆等に金銀をついやし
たつるそいゑともたれとふ人も
なく心外にくらしけるに
他所に出けれは知る人なけれは
おり/\大坂辺に行心をなくさめくらし
居けるに 或春のころふねもうとま
しくくがをふら/\と独り上りけ
るに 折ふし大文しや宗兵衛も大
坂に売用ありて下りけるか ことの
ほか付合もよく是もおなし心にて
慰なから上りしに 右煙亡市兵衛
と道つれに成たかゐに心易く
(28)
うちものかたりし登りける 市兵
衛も道々はみの上かたるも恥かし
くつゝみけれとも藤見ちかく成に
付よきなしみの上打あかしけれは
宗兵衛は元より一向かまはぬ男にて
金にさへなれは穢多とも婚姻を取結
ふ心底なる生付なれは それはめつら
しき人と道つれに成しか いざ立
よりしはらく休そくせんといつはとも
なひ我屋にかへりける処 そんしの
外なる家作りなれは宗兵衛も
身上に引くらふれば心恥かしく
腰打かけやすみければ市兵衛内に
入けるかしはらくすれは煙草盆
を出しける 是は別火にて御座候
得は御心置なく召上られ下されと
(29)
もふし出ける故たはこをのみ居けれは
また茶をもち出是も同し口上にて
彼是する内 市兵衛せんそく持立出
しうじつのあいさつし 扨御湯つけ
進上申へく候へはゆる/\御休そく下
さるへし 御そんしの通穢たるかた
なれは御出下されしかたもなく甚こま
り入候 何とぞ是を御ゑんとおほ
しめし毎度御出下され度 則また清
所しつらひ置候へはすいふん御気にかり
も長ふ候様にいたすべくとねんころに
もふしけれは それは忝 しかしかやうに
取扱ひくれられ候ては気のとく千
万と申けれは 無用の身の上にて候へは
則こゝかわたくしのなくさみに御座
候間必御心置なく思召御出被下度 又
(30)
あなたさまに御願ひ申上 茶のゆ御をし
え下さらはわたくしも一生の望是に
てたり候といへは 是はいと心やすく
事なりとやくそくし かれこれする
内ゆつけを出しけれは世話になり
其夜はいとまこひしてける 是より
はなはたこん意となり毎度市兵衛
かたにゆき茶をおしゑ余ほと茶道
具もあきないけるか 笈之進は家老
の事なれは熊井在間かやうに金
銀も手にいらすおくかことをおもひ
出し毎度宗兵衛によき鳥は出ぬ
かとたつねける故宗兵衛もつく/\
思案し 此ころの奉行のへうばん
一かうあしけれはおんぼうにても
用金出し候はゝ悦ふべしと笈之
(31)
進に申けるは 扨はなはた申かね候
得共御心やすくにまかせ御はなし
申候 高瀬川筋に煙亡市兵衛
忠兵衛と申両人ことの外なる金もち
彼取入候はゝすいふん三千五千のかねは
すじにより出し申べくとそんし
候へとも 笈之進是を聞 拙者かりやう
けんにも及ひ申さす候へは熊井
在間にはなしその上相談に及ふべし
とて それより両人に噂しけれはさつそく
せうちし 早く御とり計り給へといへは
笈之進宗兵衛を呼寄たん/\相談
しけるうへ宗兵衛煙亡両人に申けれ
は 是は冥加かに叶ひ有かたくずいふん
御用金両人して五千両さし上申べ
く候 それに付ついに帯刀仕往来
(32)
いたし候義御座なく候得は是を御
ゆるし下され候はゝぢう/\有かた
きむね申けれは 宗兵衛取次其旨
申けれは ずいふんいか様ともいたし
つかはすへしといへは ことの外あり
かたかりさつそく御用金五千両指
上けれは御ほうひひとしく往来
帯刀差ゆるしける 扨是よりし
て毎度御坊のかたにゆけは別火に
して茶の湯などもようし
種/\ちそうし其上金子をくれ
ければ 家中の御納戸なりとて
両人の御ぼうすいふん取立つかわし
ける こゝにまた京ばし辺に革
荷物引受し問屋三軒有ける
か熊井在間風と心付にわかに呼付
(33)
已後市兵衛忠兵衛を頭とし穢
多の手下に申付候間已後御仕
おきものこれ有せつは抜身の
やりもち候様もふし付けれは
三軒の問屋大にこまり段々金
銀をもつて役人に相なけきけれ
はしうふん金子取立よふやく
元のことく町人になし遣はし
けるは扨々さふらいの上に有ましき
事ともなり
武家玉手箱前篇第八
(1)
武家玉手箱 九之十
(2)
武家玉手箱前篇第九
目録
一 小森家鎌倉中下りの事
并 故城松柏切とる事
一 普賢四郎洛陽めくりの事
并 四郎と九兵衛心をあかし合事
(3)
武家玉手箱前篇第九
小森家鎌くら中下りの事
并 故城の松柏切とる事
伊豆守様四年のとし限相済
今度鎌くら御下かふに付献上物執権
かた音物ひゝしく取そろへ御ほつか
被成御下かふの処鎌くらの御首尾
(4)
ます/\今しばらく藤見の庄
御奉行しよく御つとめなされ候やうとの事
ゆへまた/\御上ちやくなされしかは
藤見の庄の町人とも定めてふたゝび
御上ちやくとは存知ゐ候へとも万一御
役かへも有へき哉とたのしみゐける処
また御上着なりしかは大にちからを
落し此上是まてのことく金子御
取り立被成候はゝ一向此処は立行申
さす しぜんと亡所となりゆかんとなれ
かぬものはなかりけり 然るに今度御
役だく并橋/\御ふじんに付故障
の松柏きりはらい給ふ そも/\此故城の
来由をたつぬるに むかし水淵大和守
といふ大名此処に小城をきつき居城
しけるに文禄三年の比かとよ くわん
(5)
白秀吉公小城を破却し御居城
を御造栄まし/\御奉行は佐久間
河内守滝川豊前守佐藤駿河守水
野亀之助石丸与兵衛等也 其後慶長
五年七月晦日石田治部少輔三成逆心
を企しに金吾中納言秀吉宇喜
田秀家等石田に与力して此城
をせめけれは江州永原の兵士敵に
内通しけれは終に落城して鳥
井彦右衛門内藤弥治右衛門等城中に
打死しぬ 神君御治世ののち御城処
/\にひけ今は其旧跡にして名の
み残り 松柏生茂弐百余年にも及ひ
けれは厳敷御法度にして樵夫の
類壱人も立入事かなはさる処なり し
かるに此たひ此山の松をきりはらい役
(6)
宅の破損をつくろひ其外処々の公義
御普請のはそんに用ひ度かまくらへ注
進し給へは早そくしかるべく取計
申へし御下知に付 材木屋ともをめさ
れたん/\入札有けれは凡弐千両計
落札してたん/\きりとり御やく
宅其外の破損には雑木を用ひ
取つくろひ五百両は残銀としてかまくら
に下し千五百両は役人とも筆先にて
かすめ諸勘定相済せける しかれ
は山あれけれは今度松なへ千本
余植しやう仰付られは諸人入札
しける処銀壱貫八百目に落札し
けるを町/\え申付取上る処の
銀高は弐貫八百目と申出し眼前
壱貫目かすめ取 また六地蔵村の橋
(7)
大損しに付かけ直し候やう仰出され
日野屋喜兵衛茨木屋五郎兵衛弐貫目
六百目にして落札し請負仰付られ
し所 右橋普請にとりかゝりける
処へ請負の内金廿両さし上申候
やう仰出されけれは請おいとも大に
こまり弐貫六百目の内にて壱貫二百目
召上られ残一貫四百目にては御橋出来
もふさすと段/\御断を申上けれとも
御聞済なく せひなく両人出奔
しけれは右両人の町内をきひしく
御きうめいなされわび金として一町より
廿五両つゝ御取上被成 右両人さかし
いたし出やう/\落札高にて普請
成就しける 遠藤大八郎申出し
佐渡や治郎右衛門といふもの諸運上を
(8)
企小森家に取入無商売にして栄花
にくらす奸佞なる町人有けるか かれか
宅へ御奉行并御部屋もろとも入
らせらるゝと申いつわり 舞子芸子
野良遊女の類或はたいこもちまて
京都よりよひよせ敬白者とも佐渡
や宅に参会し昼夜酒宴おどり
にちやうし 右舞子けい子の送りむ
かひのかごは人足を処より取宿役に
相つとめしやう申付けれは 格別の
失却かゝり町中難義におよふ
扨また此御役所はむかしより南東
の御門を締切北西御門と御番所
これ有 足軽役人是をかためみたり
に出入ならさるところ 右番所相やみ
四方の御門あけはなしに成けれは
(9)
毎度御門内に行たおれものあり 右
入用町かゝりに申付さし出させ ことに
また身もと甚たよろしからさるもの
日々小森の家中か入込みつたんし
さま/\の悪逆を企てまたは昼や
にかきりのふ芸子まい子の遊女を召
よせ酒宴遊興に長し町人とも
をせふり或はむたひを申懸ゆすり
取 七ヶ年のうちに廿万両余取上
られ 此上両三年も此やうなるめに
あふならは藤見の庄は皆離散し
亡所と成ゆくべしと歎かぬものは
なかりけり
普賢四郎洛陽観音廻の事
并 四郎九兵衛心をあかし合事
忠臣は国の危ふきに顕はるゝといふ武
(10)
のこと葉にひとし こゝに山城の国紀伊の
郡藤見の庄東板橋弐丁目に普賢四
郎と名乗西国一円に其名をあけ先
祖代々此所にちうきよしける小刀鍛冶
忰宗兵衛にゆつり我身はいんきよし
朝暮ねんふつ三昧に日をおくりくらしける
か 元来若年より賢直総明にて
諸人にけいせられ 元此所年寄役おも
つとめて古き事共能おぼへてばん
事になれたる賢おやしなりけるが 今
度の御奉行小森家の悪逆所の滅亡
を理にあらん事をふかくなけき是も
諸人のためなれは仏の衆生を救給ふ
にひとしくふたゝひ元の藤見の庄に取
なおさん事をふかくねかふといへとも当時
御奉行に対し引矢もなくとやかく思ふ
(11)
おりから同処北七町めに九兵衛といへる者
有けるか是も同し心にして明暮能
かとふと出きたれかしと思ふといへとも一大
事のことなれは口外等出さす此三四
年も過しけるに 両人かおもふことく
処は次第に衰微し御役所の悪逆
は日々月々に増長し今は早はし
/\家やしきを売払此処を立のく
ものも次第に出来ぬれ共 家売買も
七年已前とはことの外相違し三貫目
の家は壱貫目と成壱貫目の家は三百
目と成 家の相場も下直に成ぬれは此
後弐三年も立ならは此処のいへも
売人有てかふ人なく住なれし我
家をすておもひ/\に離散して
なはむかしのことく狐狸のすみかと
(12)
なり藤見野と成ぬへし ふるき歌に
藤原の定家郷
深草の里の夕風かよひ来て
ふしみの里にうつら啼なり
と詠し給ふことくむかしに帰りうつら
なく藤見の小野と成行ことのあさましく
思ふ折から 普賢四郎九兵衛かたに念仏
講の有てゆきけるか 同行皆帰り
四郎あとにのこり 若明日天気能候はゝ
洛陽観音めくりを致度貴様も御
めくりなされましき哉とさそひけれは
九兵衛もねかふ所なれは早速同心
し 翌日早朝より宅を出両人同道にて
竹田のかたへとこゝろさしそれより次第に
めくりしか みちすからはなしけるは
たゝ小森家の悪逆無法のことのみ
(13)
なりけるか たかひに心を引見るに普賢
四郎九兵衛に申けるは いかゝして又
此度の御奉行を仕かへる分別は
出べしとたつねけれは 拙者も明暮
此事をおもひともいふも仕かたなくたゝ
鎌倉に下り御公義執権職の御
かたに直に御ねかひ申上るより外いたし
かた有ましく是とても其処の御
奉行様の御添簡なくしては彼かた
にて御とり上なきよしきゝ及ふ しかし
是もいか様とも命なけ出し掛りなは
いか様ともいたしかたあるへけれとも何
いふても拙者一人いかほと心をくたき
工夫せしとて今壱人の相談相
手なくしては鎌くらに出立もなら
す さて/\世に町人なと甲斐なきもの
(14)
なしとひとり立腹し四郎にくり出され
自分のそんしくわらりとはきたしけれは
四郎は十分くり出し 扨はきやつも我と
同し心底 此上はあかし合かれと心を
壱つにして事をはからはたとへいか体
のせめ苦にあふとも名を後の代にのこ
し処のために死するならはおし
からぬ老の命と 夫より洛東長楽寺
の観音に参詣当我願ひかなへさせ
給へと心にこめて祈願し 扨々是はいつ
のまにか山を切ひらきはれやかなる事
なれは高みに上り休足せんと両人石に
こしを打かけ遠見し火打とり出し
たはこをのみ四方をなかめ居し折から
あたりに人もなく能おりなれはと普賢
四郎小声になり九兵衛にむかひ あらたま
(15)
りし事なから其許御頼申度一義
有 毛頭相談の上にては他言せまし
きの誓言 則氏神御幸宮今日
巡礼し奉りし観音にちかいしといへは
九兵衛も大かた其意さつし 此方よりも
頼度一義有といへは 然らはいさ相互ひに
誓約を則とりかわし仏前を立下
向に趣き人なき処にてたかひに発
言しける処同気相もとむるの言にや
四郎か趣意も九兵衛か心おも同し事
なれはたかひにあきれる計にてし
はし言葉もなく誠也此願成就すへし
生処をさり処は都のあつまろ屋諸
くわんしやうしうする上はなかく古郷
に楽の寺なれはとて それよりたかひ
にむねひろく手段を申談し
(16)
めくりしか やう/\なかはにめくりおき
其日は我家にかへりけ李
武家玉手箱前篇第九終
武家玉手箱前篇第十
目録
一 普賢四郎并九兵衛蜜談の事
并 両人鎌くら発足の事
(17)
武家玉手箱前篇第十
普賢四郎并九兵衛みつたんの事
并 両人鎌くらほつそく事
精衛か巨海を埋めんとするかことく蝼
蟻の大山をくつさんと欲するに似たりと
いへとも両人か願ひ天も感応し給ひ
けるにや 終に其功をなしぬ こゝに普
けん四郎并九兵衛の両人はかね/\の存
(18)
念今日たかいに心底をあかし合はし
めて安堵の思ひに住しけるかまつ
今日はめい/\の私宅に帰りけるか 翌日
も又立出めくりさしを順礼せんと早朝より
出宅し道すから談しけるか いつれか様
に立出みち/\の相談にてはしまり
申さす候へは江州大津に則四郎か弟
住居しけれは彼にとくと筋合を申
きかせ彼かたにゆき逗留し相談すへし
此所にて貴様と日々出会せはさためて
不審を立らるへし 外にまたかとふと
おもへとも人の心ははかりかたく其上何
をかなきゝ出し小森家に注進しそれ
をこうに取入 また此上に運上ことなとく
わたて諸人の難義はいとはす我壱人
らくせんとおもふ町人もまたみな/\
(19)
たれは一向ゆたんなりかたく万/\一他分
に達しなはたちまち両人の身の上に
かゝり立しこふもなまるなんきに及ひ申
へけれはたかひのせかれともより外に
かならす/\他言し給ふなとて それより
大津に趣弟かかたに立こへくわしく頼
けれは さすか四郎か弟なれは是も甲斐/\
しくたのまれけれは四郎九兵衛忰に
篤と立聞せそれより大津にゆき二三
日も逗留し相談しけるか 爰も家内の
手前えまた手代小者なとか手前もあれは
とかく心すみかね先此所も立出 一里北なる
坂本といふ所に立こへ宿をとり翌日
壱人病人となり宿屋にことはりこゝに
一日逗留し また大津に帰り八丁
に宿をとりこれにても翌日病人と
(20)
偽り逗留ししゆ/\さま/\に心をく
はり相談しけるか ろよう覚へもわつか
なる事なればとかく人にかたり所より
入用いたさせ出立すへきなと心へて
はことあらはるゝもといなれは必両人か
懐中より出すへし また九兵衛に向ひ
慮外なる事なれはとも御不自由に
候はゝかならす気つかひし給ふな 此四郎
は弐百三百両の金子はいとわす出すつもり
しかしかまくらに下り直に御手つかい申上る
みなれはいつかたへ賄賂しとふかふといふ事
もなく願上し上は定めて両人とも牢
舎仰付られ候へし 左候はゝ金子ついへ一向
有ましく万一首尾よくねかひ御取
上なされ候はゝやと預けにても仰付らる
べし しかれは其節は此御奉行処へ
(21)
も騒動に及ふへし 表立金子は下
し申べしよし また下さすともおもて
に成上は貴様此方か跡相続のものゝなんき
に及ふほとの義は有ましく 其段はこゝ
ろやすく思し召 かならすあとに心を
のこし給ふなとたかひに言葉をかた
めあい 扨それより心覚への書付取出し
きんみしてそこつなきやうしらへに
しらへ願書の案紙をしたゝめけるか折/\
藤見に帰り近処に顔を見せ されはも
しやと人かとかめぬかと天にせくゝまり
ちにさし足して内を出京六条前に
やとをとりいぜんのことく申偽りとうりう
しまたは三条或は六角或は八幡橋本
に奈良道海にては寺田長池なとに
ゆきおよそ五十日計かゝりやう/\相談
(22)
きわまりけるは寔や芝居に仕組し
如し大石蔵之助か主人の敵をねらひ
かんなんも此両人か心の中にひとしからん
と推量ける 扨両人ともあとの義とも
鎌倉にて打付先くわしく申聞出立の
あとにての悪事迄追々申こしすへし
とて せかれともに言含置 近処に甚
りちきにて貧なる暮しいたし居
けるものをやとひともにつれけるか 是には
西国巡礼心まかせにするなれは跡の
妻子は両人か家内より世話致つかはす
へけれは先百日もかゝるつもりにてやと
はれくれよと大津に出るまて申い
つわり 此者を供につれ町内をはじ
め知音知人まて西国巡礼と披露し
て天文五年八月上旬藤見の庄を立
(23)
出あつまじさして下りけるか善事には
寸善尺魔とて 普賢四郎か町内に何
国の浪人とも知れす二三年も已前より
借宅し居けるか また此処に万外とて
有馬丈介か門弟のこむそうありけるか
丈介にまさりし佞人成けるか去比より
四郎九兵衛か相談包すれとあまり
けるか毎度出会のやうすまたたひ
/\いつかたともなく他行し一日二日逗留し
帰宅のやうすたん/\工夫しけるに何と
も合てんゆかすおもひ居けるに 今日
両人西国とひろうし出立しけるか
いまた時節も残暑つよきに物すき
なる西国なりと近処うちより評定
しける 壁に耳岩の物いふ世の
中なれは中にあとかたきゝはつりし
(24)
しものありて口はしりけれか 件の浪
人是を聞万外かたに行物かたりけれは
万外是をきゝすこしにても金に
せんとおもひ早/\有馬かかたにゆきかく
とものかたりけれは 丈助是を聞大に
あわてそくじに熊井在間に相談
しけれは きゝ捨ならす大に家中
そうとうし早速四郎九兵衛両人
の家内呼よせ段々吟味しけれは両人
さやうのそんし立にて出立仕候か家内は
西国しゆんれいと申寺請状まてとり
立仕候へは毛頭さやう之義とは存せ
さるむね返答申上けれは 先町内え
預け申付すくさま役人を指つかわ
し両人か家内さま/\吟味しけれ
ともさやうの事あれはすくさまやさかし
(25)
申付られし当役所のくせなれは其
意をかねて心得し両人なれは此みつじ
反古とても其時々/\にやきすてけれは
一枚もなけれは手掛りもなくしかし捨
もおかれす鎌くらすしに追てをさし
出しけれとも最早三日も日も立 其上
かねて其意をさつしける両人なれは
日をおいこめて下りけれは遥に道も
隔チぬれは追人のものも途中より帰り
熊井等へ申上 熊井在間奥村村林
の佞人ともうちより昼夜吟味の工夫
をこらし 手先めあかし藤右衛門林蔵
に申付昼夜町/\を吟味させ出入
の町人共えも含さま/\と犬猿を出
しかき出させけれとも実談しれ
す 町々にても四郎九兵衛は殿様
(26)
の悪事をかまくらへ訴人に下りしといふ
御吟味は実の事かとさやゝき評定し
けるのみにて誰其実をしりしもの
なく何の手かゝりも出す 日々両人か家内
よび出しきひしく吟味しけれとも
最早より同し返答にて外の事
なく 爰によつて先達て四郎九兵衛
其外五人御奉行所に召出し
年寄役并年行事何のしさひもなく
熊井在間申付ける其しゆいは 藤見
の庄宿役人足かた石銭となつけ
大坂より登りふね壱石に付四文つゝ壱人
つゝのつもりをもつてとり集め候様
是をとり壱ヶ年に冥加銀五貫目
つゝ上納仕候様宿役人足かた勤来
候処 請負人河野新吾といふもの
(27)
願により石銭御取立にすへしと評定
しけれは町かた大にそうとう
し大勢御歎きに願出けれは ぜひ
なく聞済 新吾願は止けれは 新吾
借銀十三貫は町かたえ引うけさせ
年々利そく指出ける処 新に町中より
人足かた請負仕度相願 足銀壱ヶ
年に拾二貫目つゝ町かたより差出し
来りける所 又候町かた呼出し かねて河野
新吾願置し通り三ヶ年の間石銭壱
せんましに申付候まゝ御内益とし金
三拾両指上候様申わたし また此たひ
道中筋宿々相続のためしゆく
つぎ人馬ちんせん四割まし仰
付られ 内弐割は上納残弐割は
馬借に益仕候やう公義より仰出され
(28)
ける処 弐割所の益に相成候得は年/\
金五拾両差上 熊井在間小田柿えも
金五両つゝ指出し候様申渡しけれは
右七人のものとも此義甚たふせうち
にて段々押つよくねかいけれは せひ
なく相止けれ共 此意趣甚ふかく
右七人其まゝ年寄役勤させ
置ては後/\謀事のさまたけ
にならんと七人のものとも退役申付ける
か 右の者とも同心し四郎九兵衛を鎌
くらにつかわしなんとこゝろへ のこり
五人にうたかいをかけ段々つよく吟味
し町預に申付置けれとも 一向毛
頭存せさるよし返答申はかり
なり 右段々工夫し吟味しけれ共
わかられは藤見の庄弐百六十余町
(29)
十五已上の男女にいたるまて吟味し
四郎九兵衛にくみしとゝうをむすひ
奉行所を申いつわり候義且て是
なくよしの人別に印形をとりける
是は万一若かまくらにうつたへ
彼かたより御さた有しとき徒党
をむすひて御ほうをそむき
しとかにおとすべしのたく
みとかや
武家玉手箱前篇第十
(1)
武家玉手箱 拾一之十一
(2)
武家玉手箱前篇第拾壱
目録
一 普賢四郎九兵衛鎌くらに着の事
并 願書したゝめる事
一 両人駕籠訴訟の事
并 両人宿預けに成事
(3)
武家玉手箱前篇第十一
普賢四郎并九兵衛鎌くら着の事
并 願書したゝめる事
ふけん四郎并九兵衛の両人は虎口の難
をのかれよふ/\と鎌くらに下りけるか 此処
に年来小刀を仕込下しけるといや大和
屋茂十郎といふもの有けるか 先此処に打
(4)
着 今度ヶ様のねかひにつき両人罷下り
候へは何卒しはらく御せわ下されかし
と頼けれは 茂十郎も先祖より
心安くせしふけん四郎なれは
いさゐのわけ聞 すいぶん此方に
逗留し何角また仕落のなき様
とも/\心をそへ進すへしとこゝろよく
請合くれけれは 両人とも大に
あんしんし休足しけるか 追々古郷
より何歟しらせの書状到来し
けれは願書にうつし取 さてまた
訴へ様子ばんたん茂十郎に聞合
せもらい願書を認めける その文曰
乍恐奉願上候口上覚
一 大和国奇異の郡藤見の庄東板
(5)
はし弐丁目普賢四郎同処きた
七丁目九兵衛申上候趣は 当御奉行
様小森伊豆守様御家来おもて御用
人熊井左二右衛門様おなしく在間
平十郎様御内御用人小田柿仁右衛門
様奥村重兵衛様有馬丈介様村林
藤十郎様 其外御役人中并髪結
目あかし役藤右衛門林蔵此両人を
手先として種/\の義を聞出し
殿様御内益御詫金御礼金なとゝ
なつけ町々にて金子をゆすり
とり または御免と申いつわり博奕
御会所を相建 あるひは博奕道
具に御役所のしるしをすへ印し
なき道具にはたま/\子供の手なく
さみ等致居候得はたつねさかし無体に
(6)
言葉を申述金銀多くゆすりとらせ
その外御金或は諸運上其外言語
絶し候取はからい仕 当御奉行様御
初入已来七ヶ年のあいたさま/\新
ほうをはしめ そのたひ/\御奉行様
仰出され候旨に申偽 諸商ばいに仲
ヶ間をきわめ しぜんとあきない手せまく
相成 おのつから諸色直段高直に相成
町/\困窮にまかりなり あるひは種
/\の義相たくみ金子をゆつりとり
御公義様御政道をおもんし奉らす
御奉行様を申偽り御名前をけかし
わかまゝ不法の義を申出し欲心増
長仕候 此上両三年も此まゝになりゆ
き候はゝ藤見の庄の町人立行成かたく
離散仕亡処同前に相なり候は目前
(7)
に御座候 左候得はおそれ多くも御公義
様をうらみ奉り候様に相成御奉行様
の御おちととも相成申べき哉となけかは
しく 何卒佞臣をしりそけ土地
の風義に相なおり候様に仕たく候へとも
御役所へ申上候ては御取上是なく
非道成せめにあひ候はゝ治定に候間
かまくらおもてえ罷出候得とも その心の
御奉行様より御添簡是なく候ては願
御取あけ是なきさたに付 みやこえ罷
帰り都の御奉行様え御そへかんねかい
あけ奉るへくと大津迄罷越候処
おい/\私共両人かまくらに御なけき
ねかいに罷出候旨御奉行処へうつたへ
出候もの是あり わたくしとも両人
共家内は町預けに相なり其外
(8)
先年私とも両人同様に退役仕候のこり
五人の元年よりともゝ町々えあづけられ
私ともゝ呼もとし候様町内へ仰付られ候
得とも私共は西国順礼と家内は
しめ申いつわり出宅仕候事なれは
其旨御返答申上候よし とかく私共
ゆきかたきひしく御ぎんみこれあり
京大坂へん迄手くはり仕とり人出し
是有よし 大津表にて風聞承知仕
候得ともたやすくみやこえ御副簡願に
も罷越かたく所詮古郷にまかり帰
りきひしく糾明にあい犬死仕候より
とても御仕おきに相成候はゝ鎌倉おもて
えありのまゝに御注進申上おき古郷に
帰りいのちを捨候ても 其内には此趣
御さたにまかりなり しせんとせいひつ
(9)
に相成交易等も心おきなく仕候様町
人共一同安堵仕御公儀様御せいとうあ
きらかになりそうとう相しつまり候とあり
かたき仕合にぞんし奉るへく候 わたくし
とも義はそんし仕め候事に候間大津より
直に引かへし申候 今は此訴状を
指上さつそく藤見え罷かへり糾明に
逢候覚悟に御座候間 私ともからめ捕
られ御仕置に成候あとにても何とそ御
慈非を以て土地のこんきう御すくひ
下しおかれ候様偏に願上奉り候以上
藤見庄町人
願人 普賢四郎
同 九兵衛
天文五年
巳 五月日
御奉行様
(10)
右之通相したゝめさいさんしらへ其上に
うは封し印形すへ
奉願上候口上覚書
大和国奇異郡藤見庄町人
願人 普賢四郎 印
同 九兵衛
御奉行様
と相したゝめ願出る用意をなしける
両人駕籠訴訟の事
并 宿御預になる事
扨両人は願書相したゝめ願出るの相談
茂十郎万事きゝあわせつかわしけれは
先当時御執頭の谷間様へ御願なされ
しかるへしといへは ふけん四郎兼て谷間と
(11)
小森家と内縁もあるよしほのかに聞
居ければとても谷間様へ願上候とて
御取上は有ましく候へは 上かたにしはらく
御処司かしら御勤なされし真木越後
守様へ御願申上へしとて 御屋敷を得
とたつね御登城御下城の節御駕籠
のうちえ願書を指上御願申上ん 是則
ち駕籠訴訟と申ける 夫より茂十郎
に相対し未明より支度し今晩
何時まてかゝりしやらんはかられ
されはとて 両人に米壱升をめしに
たきもらい是を持たひのすかたにて
真木様の御門ぜんはらいくわひしいさや
御登城とまちいる処 四つまへにてもや
有けん 御出もんあそはしけるか御やしき
の御門を御かご出るとそのまゝ御城迄
(12)
御かご矢をつくことくはしりし 是は
惣して御執権方御往来とも万一
途中にてかご訴訟なとありては
甚た御取計六ヶ敷 夫ゆへ御かごをは
やめけるよし ふけん四郎九兵衛此様子兼
て聞居し事なれは手ぬかりなく御
かごに取付訴訟せんとたくみいけれとも
中なか聞しとは大に相違せしこと
にて御かごのねきにもより付かたけれは
是そまことにたからの山に入手をむな
しくするおなし また御下城を待居
けるか已前におなし事なれは 其日は
空しく旅宿に帰りまた/\とくと
相談し翌日も未明より旅宿を
出終日考へくらせともおりなく帰たくし
また其翌日けふ社是非とも願おほ
(13)
せんと心をかため出宅し途中に考へ
相待けるに やかて御出門にて御登城
なりしか 両人か願天にや通ふしけん
越後守様なにか御失念の事哉有けん
御かこをしつめ御近習をめされなか/\と
なにか仰付させられけれは 両人こゝそ
能折なれと御かごのねきにすゝみより
御供の侍衆控/\/\とこへかくれとも
聞入すすゝみけれは 狼藉ものなりと
やにはに侍立寄おしとめけれは 天下
の御一大事御注進のものともなりとて
願書を指出しけれは 真木様目はや
くも両人を御らんなされ 遠方よりきた
りし願人ならん かごそせうなれは定
めて大事の願ならんと 願書是へと
仰けれは 近習衆はつと願書請とり
(14)
そのまゝ御請取なされ なにの御さたもなく
打すてゝ御登城遊はしけれは 両人は
御あとをふしおかみ 大望企てはる/\
此鎌くらに下りしうきかんなんをし
のきしかいありて今日訴訟を御
執権かたの御手に入けれは もはや此所に
て両人とも相果しとてぜひ此御さた
なくしては叶ふまし 左候へはじうぶん
おもふ様にはならすとも 自然静謐に
もとつかんと大に悦ひ悦こふ事たとへ
かたなかりけり それより真木様の御門
前にゆきいまや/\と御下城を相まち
居けれは 八つ時過御下城遊はし
けるか 御さたのあらんかと居けれとも
何かひまとりけん何の御さたもなく日も
くれてはや初夜の時をつくるのころ
(15)
御門内より足軽とおほしき人立出 両人
共御門内へ入べく有けれは 有かたく
御門内に入けれは むしろを出し土辺にしき
定めて空ふくにあるへし 湯つけ
を下され候まゝてうだい仕れとて おつたて
汁にかますのやきものを付折しきに
持出けれは 両人有かたく頂戴しけれ
は 何れやかれ御さたなき儀は有まし
相まつへしと内々さた有けれは心よく
待居けるか 彼是九つ半頃にも有べき
ころ召出され候まゝ 通るべしとの御下
じにより通りけるか 中/\藤見辺
のの御役所とはちかひ 甚広□御
白洲には高ちやうちん万灯の如く
ともし立 御書院にはしよくたいす
しつほんともし さなから白昼の
(16)
ことく成に 御ゑんかわより段々に
夫/\の御役人中ならひ給ひめ
さましかりし有さまなる所へ ふけん
四郎九兵衛みすほらしくつかれ果
たひすかたにて御しらすに平ふくし
けれは いつのまに御出なれしやらん
真木様の御同役三野陸奥守様御
同席にて仰けるは 両人のもの共
はる/\の所を下向し訴訟をもつて
願上けれ共此願奉行のそへ簡もなけれは
御取あけなく候間左様に相心得よと
しらすへ投いだし給ひければ 真木様
仰けるは かれ等大切の願申遣し□の
ともなれは牢舎申付へしと仰けれは
三野様仰けるは 左様のすじに候得と
も遠路を下向しさだめてつかれ
(17)
も有へけれは万一病気出候ては六か
しく またにけかくれし候とかにんにも
なく候得は宿あつけ申付べしと仰けれ
は かねて召出しおかれけるにや や□や
播磨や久蔵とめされけれは さつそく
久蔵まかり出ければ 此両人大切の科人
なれはやとあつけ申付候間急度預り
奉れよと仰付られ 久蔵かしこまり
奉り普賢四郎九兵衛をめしつれ
久蔵宅へあつかり帰りける
(18)
武家玉手箱前篇第拾二
目録
一 執権方願書御評定の事
并 小森の家来召捕事
一 栗島様藤見御奉行仰蒙り給ふ事
并 両人帰国所静謐にもとつく事
(19)
武家玉手箱前篇第十二
執権方願書御評定の事
并 小森の家来召捕る事
普賢四郎并九兵衛両人かねかひ
御とり上なく願書はもとしたまひ
両人はやとやはりまや久蔵に
御あつけ仰付られけるか 願書
(20)
はのこらす御うつさせおかせられ
しつけんかた御集会なされ御
評定ありけるに 両人かねかひ
もつともなるねかひかた 其上奉行
を恨す 家来ともか奸佞より
出しことく申立しは至極お
となしきねかひかたなり 此趣
にては小森の家になにしさ
いなく とかは家来にゆつるの道理に
訴状をしたゝめしはさて/\かの
両人の者とも利根はつめいなる
ものともなり いかさま藤見の庄
とてもせまき所とはいへとも万石
の大名を奉行にさしおかるゝの地
なれはこつ気なる処なるへき
其中よりぬきんて両人申あわせ
(21)
はる/\此鎌くらにくたり押て駕ご
訴訟をするなとのものともなれはな
か/\さるものともなり しかし伊豆守
奉行のしよくをかふむるなから家来
の悪事をそれ指置しははなは
たもつて不届のいたりなれは 早
そく退やく申付へし また家
来の佞臣ともはしめ藤見の
庄の内にしゆ/\のあくじを企て
佞人ともに取入し町人共また普
賢四郎九兵衛其外此者ともに
かとうどの町人もおほくあるへし
双方とも此吟味は平安の庄の奉
円橋乾之助并小森伊豆守殿か後役
に申付ぎんみ糾明をとけさすべし
と御執権かた御評定一決して
(22)
平安の庄諸司代まて御奉書
を以て藤見の庄奉行小森伊豆守
きう/\御用のすしこれあるにより
三日切の支度して早/\かまくら
に下かうこれ有べき旨御達し
有へき様はや飛脚を以て仰越
され 猶又家来の佞人其外町人
に到るまて平安の御奉行処に
よひよせからめとり御ぎんみのすし
これ有候間 小森家来のものとも
はいつれも入牢申付置 町人ともは
平安に召上せ旅宿預ケ申付置
申さるへし 猶吟味の筋は追
て御沙汰有へきむね御奉行
到来しけれは 諸司頭かた早
そく小森家へ飛札を以て御
(23)
達し申へく御用の義これ有候間
只今御役宅迄御まいり可被成候
むね仰遣はされ 猶又円橋乾之介
殿をめされ 鎌くら御奉書の旨
ちくいち仰たつせられけれは 円橋
殿いさゐ御達しのむね聞しめされ
猶小森の家来無難にたはかり
よせからめとる御相談相済帰宅
し給ふけるか 扨伊豆殿には何事ならん
と早々平安諸司かしらの御役宅
に御参なされける処 早てうより暮
すく迄御対面なく 是は此間に家来
のものとも平安の御役所に召捕るの
手段なり 扨円橋乾之介とのより
しのひのとりて数十人仕立 小森
のやくたくお十重廿重に取まき 別
(24)
在間平十郎小田柿仁右衛門有馬丈介
奥村重内村林藤五郎其外役人目
あかし役藤右衛門林蔵まて 御尋
御用のすじ候条たゝ今拙者御役所
参上いたさるへくと申つかはし給ひ
けれは 熊井在間をはしめかくの如く
名前を印し呼寄られしはさためて
子細そあらん 主人伊豆守殿にも
早朝より諸司頭衆の御役宅もなく
其上円橋とのよりわれ/\急の御召 い
つれの身の上ならんといろ/\へうぎし
けれとも はや時ごくもうつりけれは
よぎなく支度して出けるもあり
中に奥村村林は元町家のものな
れは俄にむね釘打ことく すてに
両人申たんしすくさま出奔せん
(25)
のよういしけれともおひ/\長や内
よりしらせけるはしのひのとりてと
おほしくて役処の出口/\お十重廿
重に取まきしよしうはさしけれ
は今更せんかたなくやう/\に支たく
してみな同道にて出けるか うはさ
のことく捕手のものともぜん後を
守護し程なくまるはしとのゝ
御役宅につきにけるか いつものことくし
ふん/\のかくしきにて其せき/\
に通りけるか しはらく有てまるはし
殿御ぜんにめされ仰けるは 鎌くらより
御上意として御尋御吟味のすし
これ有間入牢仰付られ候間帯剣
御取上仰付られけれは差出し候
様仰られけれは 熊井在間をはしめ
(26)
大にしうせうの気色にてたかいにかほ
をみやわせけれとも奉行の御前といひ
御意におそれ入わるひれすこしの
ものをいたしけれはのこりのもの共みな
一とうにこしの物をわたしけれは
まるはしとの下役人に下知し給ひ
此ものともなはうち獄やにひけよ
と仰けれは 下役人とも立寄今迄
は上訴訟なりし侍をたちまち白洲
に引すりおろし高手小手にいましめ
獄屋をさして追立けるは気味よか
りけるありさま也 扨小森の佞人
のこらすいましめ牢舎申付し
おもむき 諸司頭かたへ御注進ま
し/\けれは 小森伊豆守様よふ/\
大広間にめされ 諸司代かた仰達せ
(27)
られけるは 鎌くら表より急/\の
の御用筋これ有につき三日の支たく
にて下向これ有候様 違背なく御
受なされ候様仰わたされけれは 伊豆
守様さつそく御請仰上すくさま御
帰宅におもむき給ひける 三日のし
たく甚た不首尾の御召なれは大
に心ろうし給ひ 御用達方迄御
下宿し給ひしか 御家来のめい/\先
こく御留主中御上意にて円橋殿
の御役処にめされみな/\入牢の
むねおひ/\注進有けれは 大にしう
章し給ひなから藤見の庄御役宅
に御きたくまし/\ける
栗島様藤見御奉行仰蒙り給ふ事
并 両人帰こく所静謐にもとつく事
(28)
扨小森さまはとるものもとりあへすよく
日一日にしたくし給ひ三日目に御発
駕まし/\鎌くらに御下向なされ
けるか 途中まて御執権かたより
御ししやをもつてすくさま御やし
きに御入なされ 御さしひかへ仰出され
ける そのむね御うけ仰上られよとの
御上意なれはすくさま御うら門
御やしきに御入なされける処 そくこく
御上使をもつて仰わたされけるは
其元ふしみの庄奉行職御在役中
御家来熊井在間はしめその外
のもの共しゆ/\新法なる義を
くわたてきんぎんをとり其所を
さわかせ候段上聞にたつし 主人
の身として是をそんせさる段甚
(29)
以ふとゝきの到りにおほしめされ 退
やく仰つけらるゝむね仰わたされける 扨
またくりしま美濃守様きう御登城
仰出され 執権かた御用部やにお
き仰達せられけるは 今度藤見の
庄奉行職仰付られし間有かたく
御うけ申上るへし 且先奉行
伊豆家来吟味のすじこれ有
により 右吟味かゝり仰出され候間急々
のしたくして出立これ有へく 猶
円はし乾之介へかねて吟味のかゝ
り申付置候得は 万端相談の上吟味
おとけ諸司頭へ訴へ鎌くらに相う
かゝひ取計仕るへき様仰蒙給ひ
御礼等首尾よく仰上られ ほとな
く藤見の庄にちやくし給ひけれは
(30)
此所の町人ともはやもとの藤見に立帰
りしやうにおもひ 三才の小児にてもふけん
四郎九兵衛両人かかけなりとよろ
こふ事かきりなし 扨普賢四郎
九兵衛両人はりよしゆくに御預ケ
御取上なきむねおふせいたされけれは
何の子細もなくりよしゆくあつけ
御めんおほせ出され 勝手に帰宅仕べ
き様仰出されけれは 両人はおもふま
ゝに大望成就し有かたく帰国に趣
きけるか途中にて万一いかような
る難儀にあはんもはかりかたしとて
真木様内々の御はからいとして
鎌くら御殿の御会府おかし下され
ふなんに藤見の庄に着しける こ
こにふひんなるは両人めしつれ
(31)
鎌くらに下向せし下人 出宅のせつは
西国しゆんれいのともと聞出宅し
けるか 途中にていさゐの物かたりを
聞初めしおとろきなから両人か心
中をさつし ともにいさみて鎌くら
に下向しけるか 両人かりよしゆくあつ
けと成 其身はむなしく大和や茂
十郎方に逗留し居けるか 元より
りちぎなる下人なれは ゆくすへいかゝ
なりゆく事やらんと古郷をおほし
召わか身をおもひあんしくらし居け
るか やう/\相済近日両人とも帰こ
こくと聞より大によろこひ両人の
供をし帰国におもむきけるか 道中
より病気つきけれは 両人のものとも
もきのとくに思ひさま/\介抱をくは
(32)
ふといへとも とちうのことなれは心にまかせ
す やう/\とふしみに帰着しける
本人はもちろんさいしまて悦ふこと
かきりなけれは 三日目に養生か
なわす死去しけれは さいしはいふに
及はす 両人をはしめ此所のものも
死去をきゝなけかぬものはなかりける
か 藤見の庄町々より弐百疋三百疋
香義をつかはし 其外知音ちかつき
より処のために忠死しけるものとてかう
ぎをつかわし そう礼のせつも町々
より惣代として供に出けれはおひ
たゝしく葬礼なりける 香義とし
て金五拾両ほとあつまりけれは 仏
事作善のこる処なくいとなみ
妻子あとの相続まて打寄せし
(33)
世話つかわしけるはふひんの中にもいと
めつらしきことゝもなり 扨ふけん四郎
九兵衛は上着の旨当奉行くりしま
美濃守様へうつたへ出けれは まるはし
さま御そうたんの上平安の御奉行処に
めしいたされ 御ぎんみのものなれ
はとて旅宿あつけに仰付られ 其
外五人の元年寄これらのこらす
宿預ケになり 諸運上をくわたて小
森のねいしんに取入事おはかりし
町人はいつれも入牢仰付られ 藤見
の庄もふけん四郎九兵衛か大望せい
ひつにもとつきけるは目出たく
かりし事ともなり
(34)
武家玉手箱前篇第拾弐大尾