(1)
繪本武将勲功記 一
(2)
楢村長教著速水春暁齋画 繪本武将勲功記 全部十二冊
物のかくれ顕はるゝは時かも凡
もゝたらぬ家/\の移り行さまを
見侍るに嘉吉應仁の比はみつ
のみあらかまてもつはものみち/\て
ちゝの神わささへよろつむかしの
(4)
あとなくそなりにたる此絵本武将
勲功記ちふふみはゝそも武将義輝
織田の英王に強きかの豊臣氏の
御元のたくひなきまてのことを
のせぬ事実のほゝ漏たるは其比の
日記をなせにかいつけたるよしと
是心□さは此取ふる人のよすかとて
久かたのひかりのとけく大八しまの
外まてもさはりなき 君のみいさほし
をかしこみとりのあとたへせす
(5)
まさ木のかつらなかくつたはりね
とおもふのみ
享和元年辛酉三月
□□散人□
繪本武将勲功記惣目録
第一之巻
大内義隆九州發向之事
大内義隆全盛之事
尼子下野守晴久於二藝州青野鼻一義隆と合戦の事
陶尾張守隆房逆心之事
毛利元就陶隆房を罰せらるゝ事
依二洛中訴訟一被レ行二徳政一事
第二之巻
(6)
義輝公被レ任二征夷将軍一事
義晴公御逝去之事
御領分徳政之事
三好筑前守義長訴訟之事
三好筑前守加持田甚兵衛を追佛事
義長公方領をおさゆる事
畠山帰洛之事
一色伊駒重て中嶋え發向之事
第三之巻
日向守盗賊をとらゆる事
野田安兵衛敵討之事
藤岡平次郎女を方便とる事
岩崎角弥が事
第四之巻
佐々木貞頼え御使者つかはさる事
安見直政え上使被レ遣事
安見直政與力方え状遣事
江口の要害夜討之事
(7)
義長京都え横目をつかふ事
付義輝公御最後之事
依二義長反逆一公卿騒動之事
第五之巻
鹿苑院殿え討手を遣事
付平田和泉被レ討事
恵林院義昭公南都を落給ふ事
大森傳七郎切死之事
龜松三十郎濃州え退く事
義輝公御追善之事
仁木右京亮今里城を退去之事
仁木右京亮與力の者退城之事
第六之巻
義昭公御評議之事
信長公御請之事
義昭公帰洛之事
筑前守評議之事
本國寺にて義長一戦之事
(8)
義昭公参内之事
信長摂政殿え参給ふ事
従二洛中一公方え御礼に上る事
義長塩津入道を攻る事
従二諸大名一御礼使者上る事
織田上総介え使札之事
和州四手井御音信之事
従二藝州一年始御使者之事
公方え織田上総介使札之事
公方御謀叛之事
公方遠流被レ宥事
信長御夢之事
第七之巻
織田信長公座興深事
信長公秀吉噂之事
秀吉公治世之事
秀吉公柴田と合戦之事
室町殿中國御下向之事
(9)
秀吉公北條氏政征伐之事
諸國百姓等御仕置之事
第八之巻
秀吉公京都之開基御尋之事
秀吉公北野大茶湯之事
秀吉公京都之様子御尋之事
義昭公御逝去之事
第九之巻
茨組盗賊之事
平川源左衛門岩佐権六郎盗賊討手之事
秀吉公髙野御参詣之事
第十之巻
變化者之事
天狗變来之事
第十一之巻
扇繪之事
狂哥物語之事
紹巴に狂哥所望之事
(10)
梅木にて沙汰ある事
第十二之巻
光範捕物手柄之事
兵法奇妙之事
秀次公相撲御上覧之事
惣目録終
繪本武将勲功記第一之巻
目録
大内義隆九州發向之事
大内義隆全盛之事
尼子下野守晴久於二藝州青野鼻一義隆と合戦の事
陶尾張守隆房逆心之事
(11)
毛利元就陶隆房を被レ罰事
依二洛中訴訟一被レ行二徳政一事
將軍足利義輝公之像
(12)
傳曰
其先清和天皇より出て足利将軍尊氏十二代
義晴公の一男にして業を續ぎ征夷大将軍に
任じ足利殿と称す此時東南西北蜂のこどく乱れ
武威権勢衰へ官領細川晴元が臣三好修理太夫
長義其臣松永弾正久秀が為に弑せらる
小田上總介信長之像
(13)
傳曰
其先桓武天皇より出て平相國清盛の裔なり
父を織田備後守信秀といふ初名吉法師後に
上総介と改む寛仁大度武を天下に輝し位従
二位右大臣に任ず天正十年其臣明智日向守
光秀が為に本能寺にて薨ず
羽柴筑前守秀吉之像
(14)
傳曰
尾州愛智郡の産にして其祖先を知らず或云持萩中納言
の裔と父は木下弥右衛門と号す其妻日輪懐に入と見て秀
吉を産む幼名日吉丸八才にして光明寺に登といへども
剃度を嫌て松下加兵衛に仕へ藤吉郎と改む後織田信長
に奉仕し戰功衆に超て登庸朝日のごとく羽柴筑前守と改む
繪本武将勲功記巻之一
大内義隆九州發向之事
荘子曰大聲不レ入二里耳一折揚皇荂則嗑然而笑とは。
世乱れて礼楽壊れ。賞罰たゞしからざるを傷る
格言。むべなるを。爰に本朝百七代の帝正親町院
の御宇。武将足利義輝公の時にいたつて。国家
の徳政破れ。闔國大に争乱せり。抑足利家の
創業を按ずるに。往元弘建武の朝政明ならず。忠
臣は匿れ侫人はあらはれ。奢侈淫佚に超過せしかば。
(15)
群雄各国に。割據し。つひに新田足利両虎爪牙を
逞す。すでに南北に分て。北朝の武威大にふるひ。足
利尊氏海内を統一し。累代長に仁政周かりしかば。
家門弥栄て。楠氏も兵機を挙るにちからなく。新田
の一族も北越の雪に埋もれて回復の春をしらず。
しかはあれど子孫にいたり。武名やう/\おとろへ。明
徳に山名。嘉吉に赤松。應任に義政公世を乱し給ひ。
連年兵革。やむときなし。かゝりしかば諸民業を安ん
ぜす。農業の煩費たとふるにものなし。これや漢楚
戦に。海陸を尽て覆けん天下億兆の愁も。かくやと
覚えて浅間しかりし世中なり。時に天文五年。筑紫
鎮西の国人等綸命をもおそれず。武命をもはからず
私欲のために弓箭を業とし。萬民を悩乱せしかば。帝逆
鱗安からず。公卿區々に 僉儀有所。普天の下に生を
受。いづくか王地にあらざるや。御調物をも献せず。叡慮をも
おそれず。恣に弓箭を起し。国土を動乱せしむるの条
其罪はなはたかるからす。所詮誅罰をくわへられずは。有
べからざるよし奏し給へば。やかて武将へ宣旨をそ下され
(16)
ける。義晴即。九州誅罰の御教書を。大内たゝ良義
隆へぞ下されける。義隆勅命を帯し。彼是三万の軍
勢を率て。筑紫へ發向し。筑前国博多の湊に諸
勢を押あけ。先秋月居城に押懸。稲麻のごとく取圍
で。息をもつがせず攻給ふ。城にも爰をせんと防戦ふと
いへども。多勢に手痛く責られ。たまるべきやうあらざ
れば。甲をぬぎて降人となる。やがて人質を出しけれ
は。夫より菊池原田が両城へ取詰。息をもつかせず責
ければ。是も降人と成て軍門にかしこまる。彼等を初
として。筑後肥後九州の軍。悉く降参しければ。義
隆何も。人質をばとりかため。国の制法たゞしくして。
防州に帰陣し給ひ。各休息有て賞す不レこへ超レ時とて。
今度戦功の輩に。それ/\に勧賞おこなはれける。角
て上洛まし/\。公方へ参給ひて九州の首尾。委細に
申上給へば。相国御感限なく。直に帝へ参内し給ふ叡
感浅からずして。今度の忠賞に。太宰大貮帥に任
ぜられ。防。長。豊。筑。四ケ国の安堵を給はり。其上中国
筑紫の成敗を。一圓に下さるゝとの宣旨なり。義隆
(17)
時に當て。弓箭の面目有難勅定とて。悦びいさみて
御前を立給ひける。角て義隆に。いまだ北方もおはし
まさゞれば。やがて持明院入道殿一忍軒の姫君十五
にならせ給ひけるを。迎へさせ給ひて。御暇申て帰国
したまひにける
義隆全盛之事
去程に大内多々良の義隆は。防州山口。鴻の嶺の御館
を普請し。并に新造に屋形を。かゝやくばかりにみがき
立て。北方を移し参らせ。築山の御前と号てかしつ
き給ひける。されども姫君都を恋しく思召て。事の折
にふれては。いひ出させ給へば義隆さもあらば。南北
に都を移さんとて。一条より九条までの条里をわり。
四ケ国の大身小身の屋形。いらかを並て造り給へり。
京堺博多の商人。軒をあらそひ建續けり。領国の
諸侍。朝暮に出仕をとげ。いねうかつがうしるすにす不レ遑
しかのみならず。諸門跡を初。公卿殿上人。又は五山の惟高
和尚達を請待し。或時は和歌管弦の遊。又或時は
侍聯句の会を旦暮の業とし。其外京都南都よりも
(18)
[挿絵]
(19)
申楽の名人を呼下し。能藝を尽させ。扨は茶湯
を興行し。和漢の珍器を集めて。弄び給ふ程に国々
よりも諸商人。山口へ到来して。日毎に市町立にけ
り。されば防州には時ならぬ春の来て。花の都と唱
けり。此東は中/\にすたれはてゝ。及ふべくもなかりけり。
されば山口一条の辻に如何なる人かしたりけん。九重の
天こゝにありとして
大内とは目出度名字今知れり衷の字略せし人内裏とは
尼子下野守晴久藝州青野が鼻におゐて
義隆と合戦の事
雲州の大守。尼子下野守晴久は。中国十余ヶ国の
権を取て。威を高く振ふ。寔に武道にさかしく。諸侯
をなでしかは。此家門にしたしまぬ人はなかりけり。或
時諸臣をまねきて申されけるは。防州大内義隆は。今
度鎮西退治の勧賞に。中国九州の成敗を給はる。去
に依て。西国は義隆か命に随はすと云事なし。
されども晴久におゐては。大内が下知を用ゆまし。時に
義隆いきどをりをいだきて。終には家の敵とならん
(20)
所詮近日押寄て。四ヶ国を押領し。某。西国の成敗
を給はらんとおもふなり。急き領国へ相觸。軍勢を催
べしとぞ申されける。懸谷丹後守。浮澤将監。御下知
をうけて。軍勢の着到をぞ付にける。都合三万七千
五百の。士卒を打随へ。晴久雲州を立れける。先陣は南
条修理太夫。手勢五千を卒して。一陣に進む。既に
藝州青野が鼻に着しかば。しばらく爰に陣取けり。
去程に義隆。諸家老を呼ての給ひけるは。誠や尼子
晴久當家退治の為に大軍を卒して向ふと聞。某
西国の成敗を司る事。全私にあらす。勅宣を蒙て。
政をたゞせり。然を加様に。逆心を企る事。一には朝敵
二には家の敵彼と雌雄を決せんと憚所有べからず。
はやく勢揃して。打立べしとぞ。下知せられける。陶山
口承て。四ヶ国へ触状をなし。三万一千の着到を御目
にかくる。義隆のたまひけるは。山口阿波守。五千にて
先陣すべし。陶尾張守は。壱万にて二陣にうて。三陣
は冷泉寺民部少輔。残壱万は旗本に卒して。二日
路跡に。出陣すべしとぞ下知し給ひける。各承て次
(21)
第/\に打ほどに。先陣既に青野が鼻に着しかば。
敵の備と。其間十五町隔て。陣をぞ取にける。一日
人馬の足を休て。翌日辰の一天に。山口一戦をぞ進
めける。南条是を見て。兵を下知して。暫時を移して
責戦ふ。角して其日三度の合戦に。互に勝負はな
かりけり。二日は陶尾張守一万騎をすゝめて。一時に
雌雄を決せんとまふだりける。尼子方には岡田弾正
忠諸勢の機をはげまし。少もたゆます攻戦ふ。此日も
三度の合戦に。手負死人の有様は。算を乱せることく
なり日も夕陽に傾き給へは。南陣たかひに引にける。
三日は冷泉民部少輔尼子方には。和多利淡路守
懸合。荒手を入替/\。無二無三に死を一時にぞあら
そひける。此日四度の合戦に。何も勝負なかりけり。角
て翌日明方より。雨降いでゝ。晴間もあらされば。
双方互に陣取けり。かゝるうちに下野守例の持病起
て。甲をまくらとし伏給ふが。次第に胸先痛増れは。
気色弱りて見え給ふ。諸家老是をみて申けるは。抑
此程の軍の防戦を積るに一往二往にて。中/\雌雄
(22)
[挿絵]
(23)
は決し難く存る也。後日の勝負待給て。先御帰陣有
て然べしとすゝめ申せば。晴久力なく左も右もはか
らひ候と宣へば。さらばとて鳥にもかなはせ給はねは。とある
山寺より。乗物を取寄て打のせ雲州へとぞ急ける。
諸勢も次第/\に帰陣したりけり去程に義隆は本
国を出給ひ。途中にて。是を聞給ひて。残多おほし
めせども。後日の一戦たるへしとて。防州へ打入た
まひにけり
陶尾張守隆房逆心の事
大内義隆の家中より。山本玄蕃之照といふ士。京都
へのぼつて。上野民部少輔に。對面して申けるは。某主
君義隆の御為に。高野山へ罷上り。夫より言上申さん
ために。是まで参り候とて。義隆滅亡の始終を。委
細にぞ語りける。抑大内の臣下に。陶尾張守隆房と
申者は。昔時義隆の先祖。震旦国のあるじ。淋昌太子。
本朝に渡りたまひ。はじめて筑前国。多々良の濱に
あがり給ひしにより。則多々良氏と号す。陶も山口も
同名なり。此とき具せられける南臣なり。されば君臣の
(24)
礼儀代々つゞかなく相傳て。今此義隆まで既に
廿八代にをよべり。この義房が養父に。陶道㐂と云
者あり。陶五郎とて唯一人の子をもてり。器量こ
つがら人にこへ。文武に長じ。藝才いみじかりけれは。父
道㐂義隆へ参らせ。をのれは同国。冨田の城へ隠居
しけり。さるほどに陶五郎。萬事にさかしかりければ。
義隆なへてならずおぼしめして。恩賞父に越たり
領国の諸侍も大内のきりものとて。おもくのみかしづき
にける。あるとき五郎。冨田の城にきたつて。道㐂に
對面し。萬のものがたりをしける次でに。義隆の御行跡
又は国のまつり事。一向みだりなるよしをかたつて。嘲
ければ。父入道つく/\と聞て。心に思ひけるは。きやつは
安からぬ事を云ものかな。入道なからむ跡には。一定主
君へ謀叛をすべきものなり。さもあらば先祖にをよ
びて。瑕たるべし。所詮かれを害して。入道がよみぢの
さはりを。のがれんと思ひ切て。ひそかに家老に云付
て。なさけなくも討て捨たりけり。他国の人と傳聞
て。悪逆無通目に見えても。我子といへばまなこくれ
(25)
ゆるすは親のならひぞかし。いはんや見えたる科も
なきものを。ゆく末を鑑て。唯一人の遺跡を。討て
すてたる道㐂は。唐にもなき忠臣と。ほめぬ人はなか
りけり。かくて入道傍輩の子を養子にして。義隆へ
参らせ。今陶尾張守と名乗て。恣に権をとつて。
重恩身にあまりて。何の不足かあるべきに。いかなる天
魔の入かはりけむ。義隆公をほろぼして。一日なり
ともあの栄花心のまゝにたのしみて。未来の思ひ
でにぜんとおもふ心ぞ付にける。さるによつて虚病
をかまへ。義隆へは暫く療治をくはへ候はんとて。冨田の
若山へ引籠て。むほんの計策をぞめくらしける。去程に
隆房杦隼人佐右田将監青景。鷲津等をさきと
して。さもある人々をはひそかに招て。珍膳をつくし。
酒をすゝめて其後申けるは。某此間不思儀の事を。聞
出し申候。その委細は相良遠江守武任。義隆へ讒し
けるは。をの/\と。隆房一味して。反逆をくはだつるよ
し。たゞしく告申。義隆實にうけ給ひて。にくき
やつばらが所存かな。其義ならば近日に。誅罰すべし
(26)
とて。安藝備後備中の者どもをめされて。不日に罰
せらるべきよし聞えあり。さるによつて宮三𠮷杦原
平賀天野古志木梨等一万の人数をそつし。住国
をうつ立石州に付しかば。三角福屋のつはものども。
三千余騎にてひとつになり。近日山口へ着陣と申。
然ればをの/\某同心して。勢のつかぬうちに。山口へ
をしよせ。義隆を討申。大友御舎弟義長をば
申うけ
て。主君にそなへ奉り。にくき相良が頭をはね。うつふん
をさんずべしとぞ咡ける。人々是を聞て。扨も寄代
[挿絵]
(27)
のざんげんかな。おもひ設ぬ事なれば。誤なき四底を。一
旦は申さばやとおもへども。さほどもよほし急ならば如何
に云ともかなふまじと。一往の沙汰にもをよばす。同
心せり。陶は大きによろこびて。さらば一族他家の人々
へ。廻文をしたゝめよとて。国々へぞつかはしける。筑前
の国には。加珍源物同与次大夫。肥後国には。安蘓珍五
郎太宰少貮。千寿丸秌月種實を先として。悉く
同意せり。扨又防長の其中には。内藤隆世。三崎監
物弘中參河守をは宗として。雲霞のごとく付した
がふ。参らる所に陶が家子に。深野弾正康澄宮川
左衛門は。房勝たかふさが前に来て。かしこまつて
申けるは。承はれば。隆房は主君へ逆心をおこし給ふ
扨も口惜き次第かな。参らる御所存のあるへきとは。
露も思ひよらざるなり。先四をしづめてきこしめ
せ。御養父道㐂入道殿。唯一人の義清殿を害し
給ふは。何ゆへぞや。主君に弓をひかふず者なりと
思召て。うしなひ給ふは。君歴然しろしめす。ごとくなり。たゝ
今逆心の名をとり給はゞ。天命いかでかつきざるべき
(28)
主君の罰。亡父の罰。世間のあざけり。かた/\もつて
生がひは候はしと。涙をながしいさめにけり。隆房きゝて
かほどに思ひ立うへは。烏の頭が白くなり。駒に角が生る
とも。思ひとゞまる事あらじと。座敷を立て奥へ入
あひのしやうじを押立けり。両人は是を見て□干は
胸をさき。伍子胥は刑を給はるも。かゝる事にこそ
はあれ。此上は萬人の人口にかゝらんより。いざや冥途に
赴き。草の影なる入道殿と共に。因果をみはてなん
と座敷をさらすさしちかへて死にけるは。たぐひなき
忠臣と聞人毎に。感せぬはなかりけり。去程に隆房に
相随ふ人々は江良丹後守信俊彼野弾正忠弘仲
三河守守貞清景刑部少輔戸井田正廣鷲津入
道を宗として。都合其勢八千余騎。すでに山口へよ
するときこへしかば。義隆きゝ給ひ。何隆房かむほんと
云か。相傳の家僕として。主君に弓をはなつとも。天
命いかでかのがるべき。それふせげ兵共との給て。やが
て大具をぞしめ給ふ。冷泉民部少輔天野前内是を
見て。おもてをふせぎ候はゞ。三浦戸井田右田仁保の
(29)
よものども。手合仕候へば奥へ責入て。若君御臺を
生捕奉らん事うたがひなし。唯瀧の法泉寺へ落た
まひ。心よくあれにて一戦し。其後御自害候てしか
るべう候はんといさめ申。義隆ちからなく。冷泉天野
を先として。相傳の兵を三百すぐつて。法泉寺へ
とぞ落たまふ。程なく着給ひしかば。一時に堀を
ほり。逆母木をひかせ。しとみやり戸をたてとして。よ
する敵をぞ。待給ふ。時刻うつれば。其日をのべじと
尾張守隆房。八千余の軍兵をそつして。法泉寺へ
をしよせ。ときをどつとあげ。冷泉隆豊大力にして。
□剛の士なれは。もえきおどしのよろひの。三人し
て持けるを。わたがみつかんで引立。草摺ながに着くだ
して。四尺八寸の赤銅作りの大身をはき。其人五寸の
白柄の長刀ひつさげて。先にすゝみ給へば。天野前内
佐伯若内黒川小幡等。おもひ/\心/\に出立て。左
右につゝく敵には。三浦清景鷲津等を先陣とし
て雲霞のごとくみだれ入を。冷泉民部少輔たせい
の中へ切て入。十もんじにわり立。なぎふする。いきほひ
(30)
は樊噲がいかれる有様項王が山をぬく威勢も。
かくやと思ひしられたり。末時節もうつらずして。手
負死人は算をみだして見えにけり。よせて大き
に驚。唯一人に切立られ。むら/\ばつとぞ引たり
けり。日の中に五度のたゝかひに。味方の三百も二十
余人に成りにけり。義隆今はつみ作りに何かせん。腹を
きらんとの給へば。冷泉隆豊申されけるは。先一度
は。豊後へ落□せたまひ。大友を御頼あつて。筑前
筑後の勢をそつして陶を亡給ふへしと。人々し
きりに進め申せば。さらばとて夫よりも法泉寺を夜
に入て主従と騎落給て。長門国にきこえたる。せん
ざきさしてぞ落られける。ほどもなく着たまへば。是
よりも小舟に取乗て。海上遥に押出しけるに。とか
く運のつきける。義隆のしるしには。俄に悪風吹出
て。本のせんざきへ吹もどしけり。是ぞ源の義隆四
国へのらむとて。押出せしに悪風吹て。もとの浦へ
吹もどしけるにことならず。かくて敵とも浦々関々
をかためけれは。雑兵の手にかゝらんよりは。是よりも
(31)
挿絵
(32)
當国布川の大寧寺へ行て。自害を心静にせば
やとておはしけり。此寺は石屋禅師の開基として
仏法流布の霊地なり。かの寺におちつき給へは。□
雪和尚なみだをながし。たまひて。盛者必衰の
ことはりとはいひながら。かゝる御ありさまを見たて
まつるに。爰の様にこそは存づれとて。互になみだ
にむせひ給ひける。其後のたまひけるは。おさあひも
のともの事は是非なし。嫡子三位中将をはたてまつる奉レ頼。い
かにもとりかへし給ひて。豊後の大友を。たのませ給
ひて。隆房を追罰し。某が追善にほどこし候様に。
偏に和尚をたのみたてまつるよし。遠頃に契諾まし
/\ける。扨佛果の種因一ヶの吹毛を提撕して。人
間是非のあいだを。截断したまひてのち。腹十文字
に切て。天野いかにとにらみ給へば。前内なみだと
ともに。御介錯つかまつりける。大内共八代天文十二の
天。中秋下旬の露と消させ給ふぞあわれなる。かくて
時刻うつりければ。陶隆房は又あら手一万余を率
して。大寧寺へ押寄る。冷泉民部少輔最後のいく
(33)
さを心よくして。敵に目をさまさせんとて。今度は三
尺貮寸の太刀。五帝入道正宗がうつたるみだれ刃の。
ぬげば玉ちるばかりなるを。かろ/\と引さげて。多
勢の中へうつて入。活人剣殺人刀。向上極意の妙剣。
十字手裏釼。沓ばう身などいふ。兵法の術をつくし。
きつて廻り給へば。手先に向ふ兵なかりけり。七人の
人々も今を最後の合戦なれば。戦場を枕にせん
と。太刀のかねのつゞくほど。十文字に切ちらせり。隆
豊も今ははや。さるべき敵もなし雑兵原を太刀
よこしに。殺しても何かせんとて。立かへつて佛前にて
鎧をぬぎ短尺一枚とり出て辞世
みよや立けふりも雲もなか雲に
さそひし風のあとも残らず
黄門定家卿の未流といひながら。かゝる折節哥
よむべうもおほらず。されども哥道に。入魂し給へ
ば。かく口ずさみたまふ。心のうちこそやさしけれ。かくて
をしはだぬき給ひて。腹十字に切て。かへす太刀
にて心もとへつき立。夕部の露と消給ふを。おしま
(34)
ぬ人はなかりけり。残る人々も。思ひ/\に最後の得
道し給ひて。自害してうせにけり。扨嫡子三位中
将御父祖一忍軒。ある山寺にしのび入。かくれさせ給ひ
けるを。陶阿波守是を聞付て。三百余騎にて馳む
かひ。とく/\御生害あるべしと。すゝめ奉れば。せんかた
なく二人ともに。御生害おはしける。扨北のかたは二人の
御公達をめのと二人かいだきて。ある山家にしのび給
ひけるを。御父の一忍軒中将殿義隆公は。不レ及レ申こと
/\く御生害おはしけるよし。相傳の友若丸来て
告ければ。氣もたましゐもなき心地して。今まで
はさりともとこそ思ひしに。こは情なき事ども
かな。中にも父一忍軒は。十年ばかり相みぬことをなつ
かしく思しめして。過にし春のころくだらせ給ひ。
夏のなかはに京へのほりなんと。しきりに仰られし
を。今一日/\ととめ奉り秌になり。かゝるうきめに
あふて。自害まし/\田舎の露とうせたまふこと
の悲しさよと。天にあふき地にふして。歎給ふが。
今はなにゝ命のおしかるべき。はやくめいどに赴て
(35)
人々とひとつ。蓮にて。御目にかゝらんとの給ひて。
ある渕に行て。へきたんの底へぞしづみ給ふ。め
のとは五歳の姫君を。いだきて是もつゞいてしづ
みにけり。あはれと云も常の事言葉にのぶべき
やうもなし。これをきくともがら涙にむせぬはなかり
けり。人々是を聞給ひて。隆房が悪逆無道。と
かう申にをよばすと。にくまぬ人はなかりけり
毛利元就陶隆房をらるゝ被レ罰事
去程に陶隆房は。大内義隆の貴族。相傳の郎従
等。こと/\くに亡四ヶ国をさまたげなく押領し
さて山口嶋嶺築山御所。金銀しゆぎよくをちり
はめたるに。わか身はうつりかはり。冨田の若山の
城をば。嫡子五郎隆豊にゆづりけり。かくして町
人百姓等の仕置を改。今ははや心に残所なく。上
みぬ鷲とぞ見えにける。あるとき山口惣門の前
に跡なしものゝ所為とみえて
根をほりておほちの枝葉からすとも
むくはんすゑが果ぞおそろし
(36)
據栄花なにはに。つけて不足なく。あかし暮しけるほど
に。翌年の仲秋に。郎従等をちかづけて。隆房申
けるやうは。亡君四ヶ国をは領し給ふとは申せども。をの/\
所領の分限をばしらず。うちくらし給へり。しかれは来春
かならず一見し。某要害のやうをも。見んと思ふは。いかに
と云ければ。諸士もつとも然りなんとぞ同しけり。に干レ茲
毛利陸奥守元就。その比藝州甲立といふ所に。わづ
か千貫ばかりを。身帯しておはしけり。自然と弓馬
の家に化生して。武勇の道にさかしく。文にちやうして
智畧謀計そなはれり。敵をおとし。国をしたかへる事
龍の水をうるがごとし。然るに此隆房が悪逆無道をあ
んずるに。上は天帝にそむき。下は地神のにくみを得。
さて人口の嘲りなく無レ據とをくは五年。ちかくは三年かう
ちに。天の責つゞまつて。不慮に亡ひん事。うたかひ
なし。さあらんに付ては。如何にもして。此隆房を亡し。
當家武運の厚薄を。ためさばやと思しけれ共。隆房
が身帯に予をくらぶれば。九牛が一毛なり。如何すべき
とあけ暮肝をくだかれける所に。隆房領国をうちま
(37)
はるべきよし聞へければ。やがて陶に朝夕出仕のもの
ども。二三人近付。おり/\の御咄にきけば。隆房年越
さば。防。長。豊。筑。のこらず一見あるべきよし。風聞候左
もあらばよき幸と厳嶋へまうでたまひ。すぐに
藝州をも有増。見給ふ事もや有なん。おなじくは御参
詣なきやうにとこそ存づれなど。いひきかせ給へは。この
人々何為にかきらず。珍説をきかせて。陶か気色に
いらんと思ふおりなれば。やがてかくとぞ告たりける。
隆房聞てあやしく思ひ。さもあらば是非とも。まふづ
べしとぞ申されける。元就悦㐂かぎりなく。一家の親
族累代の臣をは集て。軍の評議相定て。領分の
百姓等。こと/\くかり立。焼草を用意させ。如何にもし
づまりかへつて。隆房をそしと待うけらるゝ。去程に
陶は。かゝる智畧ありとは。夢にもしらず。究竟の兵を
は。五百余人すぐつて。さま/\のさゝげものをしたゝ
め。厳嶋へとうち越ける。ほどもなくつきしかば。現世安
穏のためとて。かずの寶を奉納せり。社僧神官各
まかり出て。珍重拜舞す。かくて日も夕陽にかたふき
(38)
たまへば。下向の道に赴き。さるべき宿に休息して。
諸勢もつかれをはらしける所へ。元就三方よりをし
まき。鬨をどつと上る。隆房大きにおどろき。こは
何事ぞ誰なるらんといへば。毛利元就謀叛にて候
と申。陶きゝて何ほどの事かあるべき。兵ともへ□を
うち破て。かけとをれとて下知しける。□かる所に四方
より放火しければ。一同にもえあがる。をりふし濱
風はげしく吹て。狼烟天をかすめ。ほのを地に吹
付たり。兵とも途に迷ひて。東西へ討てかゝれば。矢
(39)
先をそろへて。鑓ふす刃を造て。一人ものがさじと。
鬨の声を。作りかけ/\。天地もさくるばかりに攻付た
り。鉾先をのがれんとすれば猛火にこがる熖をよ
けんとすれば。矢さきをのがれず。網にかゝれる魚の
心地して。もるべきやうこそなかりけり。隆房むねんにお
もひて。身にしたがふ兵。七八人左右に立て。多勢の
真中へわつて入。さん/\にたゝかひけるが。痛手を負て
引しりぞき。今は是までと思ひて。腹十文字にかき
切て。熖の中へぞ入にける。是を見て兵とも。我も/\
と自害して煙をかつきて伏にけり。元就おもひの
まゝに討おほせて。勝どきを三度上て。帰陣し給ひ。
一日休て。防州冨田の。若山の城へぞをし寄給ふ。二
重三重に取まき責たまへば。五郎隆重暫たて
籠て。領国の勢のつくを相まち。一戦に雌雄を決
せんとしける。元就やがて五郎が家老をたばかり給
へば。子細なく隆重が首をはねてぞ出しける。此外陶が
親族従類たづねもとめ。髑を切て獄門にかけ。義隆
の追善とゑかうし給ひけり。.深野宮川が謀言つ
(40)
ゆもたかはざる所。因果歴然のことわり。兎角申に
及ばれず。三年が内の栄花は。唯かんたんのまくらに
ふして。一炊の夢の覚たるがことし。哀にはかなき
事ともなり
よつて依レらくちうそしやうに洛中訴訟一るレおこなは行レ徳政事
諸国つゐて就二そうけき忩劇一分国に朝関を立。往還の旅人やすからず。
去によつて都鄙の帝人自途絶しけり。是に付て
京方の工商家職をむなしくせり。日を追て糧つき
ければ。家財を蓄たる者は。質物に入て。暫妻子
を□□くむ。財寶なきものは。行衛なく逐電しける者
多かりけり。角おとろふるによつて。公方役地子役かつ
てすゝむるにあたはず。催促きひしといへども。大方質物
に。拂底しければ栓方なくて。上下京一同に。検断
所へ訴訟を上る
近事京都之諸商賣。一圓に不レ得其捌を。内證
迷惑仕候。去に付て家財を質物に入。又は沽布
を□ゝる。年を経るといへども。猶心糧盡。既に飢
渇に及申候。是に依て不レあたは克二御候儀役つとむ勤一るに
(41)
此度の儀に御座候条被レくわへ加二御じひを慈悲一徳政被レ成二
御赦免一下され候は有難可―奉レ存聞言上す
即老中披見有て被レ達二上聞一ける。公方つく/\御
覧じて。翌日人/\を召て仰られけるは。在地人
等。近年家業の利を失ひ。飢渇に及ふのよし。
尤不便なり。其士農工商は。昼夜心骨を刻て。
上を育。上は又下の豊ならん事を。日々に改て
安全をまもる然リといへとも。當世は哀乱せしかば。
政道も又なきかことし。それに付て徳政を望む
事もとより米銭に冨たるものは□倍の為に
質物をとる。取程のやからは縦其財寶を悉くとら
るゝといふとも。飢渇におよぶほどの事はあらじ。有
徳の者は百人にひとりふたりならん。しかれば
小をころして大をすくふは是法なり。其上に先
規もなきにしもあらず。常徳□□住院の例
にまかせて。急き徳政を行ひ貧窮を余よ
と仰付られければ。人と承はつて。即評定
所にて案文をかゝれける。新規にもあらず。大方
(42)
先比のことし
徳政 城別
一借銭借米之事
一於武具之類者 廿四ヶ月
一絹布之類者 十二ヶ月
一佛具繪質之物家器之類者 十二ヶ月
一家質縦沽券に仕り證文正敷言ハ有レ之於レ加二利
弁者可レ存二借銭同前一事
右五箇条本銀之十分一ヲ以白昼にとり可申候
若違犯の族出レ有レ之者曲事たるべきの□
被二仰出一仍下知如件
天文九年三月日 光俊
貞長
長高 在判
去程に質物を入たるともから。九年の旱魃に。大雨
をえたる思ひをなして。悦ふ事大方ならず。質屋の
内外に。人の出入は限なし。かゝる処に洛外に蟄居
しける。一業所感の者共。よき幸と悦ひて。五人十
(43)
人宛押込。質物に事寄て財寶をうばひ取□
儀におよべば狼藉仕るに依て。質屋かた迷惑し
此旨を訴訟す諸奉行聞給ひて。重々高札を挙
られける
掟
一今度被レめんぢよ免除二とくせいを徳政一之慶に在々所々に隠住
せしむる牢輩等質屋方へ押込を仕り資財
をうはひとるのよし其聞候向後其近辺の輩
兼て被二手合一召時に出合随分打留可申候生捕
におゐては大切之儀候之条侍におゐては。
何にても□を叶へ平人に至ては當座の褒
美として料足二百文可被遣候御下知如件
月日 在判如前
右之高札洛中を物在々所々如残被立ける也
繪本武将勲功記巻之一