絵本武将勲功記

(1)

繪本武将勲功記 一

(2)

楢村長教著速水春暁齋画 繪本武将勲功記 全部十二冊

物のかくれ顕はるゝは時かも凡
もゝたらぬ家/\の移り行さまを
見侍るに嘉吉應仁の比はみつ
のみあらかまてもつはものみち/\て
ちゝの神わささへよろつむかしの

(4)

あとなくそなりにたる此絵本武将
勲功記ちふふみはゝそも武将義輝
織田の英王に強きかの豊臣氏の
御元のたくひなきまてのことを
のせぬ事実のほゝ漏たるは其比の

日記をなせにかいつけたるよしと
是心□さは此取ふる人のよすかとて
久かたのひかりのとけく大八しまの
外まてもさはりなき 君のみいさほし
をかしこみとりのあとたへせす

(5)

まさ木のかつらなかくつたはりね
とおもふのみ
享和元年辛酉三月
□□散人□

繪本武将勲功記惣目録ゑほんぶしやうくんこうきそうもくろく
第一之巻
大内義隆おほちよしたかしう發向はつかう之事
大内義隆おほちよしたか全盛ぜんせい之事
尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさ藝州青野鼻げいしうあをのがはなにおゐて義隆よしたか合戦かつせんの事
陶尾張守隆房すへをはりのかみたかふさ逆心ぎやくしん之事
毛利元就もうりもとなり陶隆房すへたかふさばつせらるゝ事
洛中訴訟らくちうのそせうによつて徳政とくせいをおこなはる
第二之巻

(6)

義輝公よしてるこう征夷将軍せいゐしやう□んににんぜらるゝ
義晴公よしはるこう御逝去ごせいきよ之事
御領分ごれうぶん徳政とくせい之事
三好筑前守義長みよしちくぜんのかみよしなが訴訟そせう之事
三好筑前守みよしちくぜんのかみ加持田甚かぢたぢん兵衛を追佛おひはらふ
義長公方よしながくぼうれうをおさゆる事
畠山はたけやま帰洛きらく之事
一色伊駒いつしきいこまかさね中嶋なかじま發向はつかう之事
第三之巻

日向守ひうがのかみ盗賊とうぞくをとらゆる事
野田安のだやす兵衛敵討かたきうち之事
藤岡ふぢをか平次郎女を方便たばかりとる事
岩崎角弥いはさきかくやが事
第四之巻
佐々木貞頼ささきさだより使者ししやつかはさる事
安見直政やすみなをまさ上使じやうしつかはさるゝ
安見直政やすみなをまさ與力方よりきかた状遣じやうつかはす
江口えくち要害ようがい夜討ようち之事

(7)

義長よしなが京都きやうと横目よこめをつかふ事
 義輝公よしてるこう御最後ごさいご之事
義長反逆よしながほんぎやくによつて公卿くげう騒動さうどう之事
第五之巻
鹿苑院殿ろくをんゐんどの討手うつてつかはす
 平田和泉ひらたいづみうたるゝ
恵林院義昭公ゑりんゐんよしあきこう南都なんとおち給ふ事
大森傳おほもりでん七郎切死きりじに之事
龜松かめまつ三十郎濃州じやうしう退しりぞく事

義輝公よしてるこう御追善ごついぜん之事
仁木右京亮につきうきやうのすけ今里城いまさとのしろ退去たいきよ之事
仁木右京亮につきうきやうのすけ與力よりきもの退城たいじやう之事
第六之巻
義昭公よしあきこう評議へうぎ之事
信長公のぶなかこううけ之事
義昭公よしあきこう帰洛きらく之事
筑前守ちくぜんのかみ評議へうぎ之事
本國寺ほんこくじにて義長よしながせん之事

(8)

義昭公よしあきこう参内さんだい之事
信長のぶなが摂政殿せつしやうどのまいり給ふ事
洛中らくちうより公方くぼうれいに上る事
義長よしなが塩津入道しほつにふどうせむる事
諸大名しよだいみやうより礼使者れいのししや上る事
織田上総介おだかづさのすけ使札しさつ之事
和州四手井わしうしでゐ音信ゐんしん之事
藝州げいしうより年始ねんし使者ししや之事
公方くぼう織田上総介おだかづさのすけ使札しさつ之事

公方くぼう謀叛むほん之事
公方遠流被くぼうのをんるをなだめらるゝ
信長のぶながゆめ之事
第七之巻
織田信長公おだのぶながこう座興ざけうふかき
信長公のぶながこう秀吉ひでよしうはさ之事
秀吉公ひでよしこう治世ちせい之事
秀吉公ひでよしこう柴田しばた合戦かつせん之事
室町殿むろまちどの中國ちうごく下向げかう之事

(9)

秀吉公ひでよしこう北條氏政ほうてううぢまさ征伐せいばつ之事
諸國しよこく姓等しやうら仕置しおき之事
第八之巻
秀吉公ひでよしこう京都きやうと開基かいきたづね之事
秀吉公ひでよしこう北野きたの大茶湯おほちやのゆ之事
秀吉公ひでよしこう京都きやうと様子やうすたづね之事
義昭公よしあきこう逝去せいきよ之事
第九之巻
茨組盗賊いばらくみとうぞく之事

平川源ひらかはげん左衛門岩佐権いはさこん六郎盗賊討手とうぞくうつて之事
秀吉公ひでよしこう髙野かうや参詣さんけい之事
第十之巻
變化者へんげのもの之事
天狗變来てんぐへんらい之事
第十一之巻
扇繪あふぎゑ之事
狂哥物語きやうかものがたり之事
紹巴じやうは狂哥所望きやうかしよもう之事

(10)

梅木むめのきにて沙汰さたある事
第十二之巻
光範みつのり捕物手柄とりものてがら之事
兵法奇妙ひやうほふきみやう之事
秀次公ひでつぐこう相撲すもふ上覧しやうらん之事
惣目録終

繪本武将勲功記えほんぶしやうくんこうきだい之巻のまき
目録もくろく
大内義隆おほうちよしたかしう發向はつかう之事
大内義隆おほうちよしたか全盛ぜんせい之事
尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさ藝州青野鼻げいしうあをのがはなにおゐて義隆よしたか合戦かつせんの事
陶尾張守隆房すへおはりのかみたかふさ逆心ぎやくしん之事

(11)

毛利元就もうりもとなり陶隆房すへたかふさばつせらるゝ
洛中訴訟徳政らくちうのそせうによつてとくせいをおこなはるゝ

將軍足利義輝公之像

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傳曰でんにいはく
其先そのさき清和天皇せいわてんわうよりいで足利将軍尊氏あしかゞしやうぐんたかうち十二代
義晴公よしはるこうの一なんにしてげう征夷大将軍せいいだいしやうぐん
にん足利殿あしかゞどのせう此時このとき東南西北とうなんせいほくはちのこどくみだ
武威権勢ぶゐけんせいおとろ官領細川晴元くはんれいほそかははるもとしん三好修理太夫みよししゆりのたいふ
長義なかよし其臣そのしん松永弾正久秀まつながだんじやうひさひでためしひせらる

小田上總介信長之像

(13)

傳曰でんにいはく
其先そのさき桓武天皇くはんむてんわうよりいで平相國清盛へいしやうこくきよもりゑいなり
ちゝ織田備後守信秀おだびんごのかみのぶひでといふ初名吉法師はじめのなきちほふしのち
上総介かづさのすけあらた寛仁大度武くはんじんたいどぶ天下てんかかゝやか位従くらゐじゆ
二位右大臣にゐうたいじんにん天正てんしやう十年其臣そのしん明智日向守あけちひうがのかみ
光秀みつひでため本能寺ほんのうしにてかう

羽柴筑前守秀吉之像

(14)

傳曰でんにいはく
尾州愛智郡びしうあいちこほりさんにして其祖先そのそせんらず或云あるひはいはく持萩中納言もちはぎちうなごん
ゑいちゝ木下弥きのしたや右衛門とごう其妻そのさい日輪にちりんふところいると見てひで
よし幼名ようめい日吉丸ひよしまる八才にして光明寺くはうみやうじのぼるといへども
剃度ていどきらふ松下加まつしたか兵衛につか藤吉とうきち郎とあらたのち織田信長おだのぶなが
奉仕ほうじ戰功衆せんこうしゆこへ登庸とうよう朝日あさひのごとく羽柴筑前守はしばちくぜんのかみあらた

繪本武将勲功記巻之一
大内義隆おほちよしたかしう發向はつかう之事
荘子曰そうじにいはく大聲不里耳たいせいはりじにいらず折揚皇荂せつやうくはうくは嗑然而笑けうぜんとしてわらふとは。
みだれて礼楽れいがくくづれ。賞罰しやうばつたゞしからざるをいため
格言かくげん。むべなるを。こゝ本朝ほんてう百七代のみかど正親町院おほきまちのゐん
御宇ぎよう武将足利義輝公ぶしやうあしかゞよしてるこうの時にいたつて。国家こくか
徳政とくせいやぶれ。闔國かつこく大に争乱そうらんせり。そも/\足利家あしかゞけ
創業さうげうあんずるに。いんじ元弘けんこう建武けんむ朝政ていせいあきらかならず。ちう
しんかく侫人ねいじんはあらはれ。奢侈しやし淫佚いんいつ超過てうくはせしかば。

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群雄各国ぐんやうかくこくに。割據かつきよし。つひに新田足利両虎爪牙につたあしかゞりやうこそうげ
たくましふす。すでに南北にわかつて。北朝ほくてう武威ぶゐ大にふるひ。あし
利尊氏かゞたかうぢ海内かいだい統一とういつし。累代長るいたいとこしなへ仁政じんせいあまねかりしかば。
家門かもん弥栄いよ/\さかへて。楠氏なんし兵機へいきあぐるにちからなく。新田につた
の一ぞく北越ほくゑつの雪にうづもれて回復くはいふくの春をしらず。
しかはあれど子孫しそんにいたり。武名ぶめいやう/\おとろへ。めい
とく山名やまな嘉吉かきつ赤松あかまつ應任おうにん義政公よしまさこうみだし給ひ。
連年兵革れんねんへいかく。やむときなし。かゝりしかば諸民しよみんげうを安ん
ぜす。農業のうきう煩費はんひたとふるにものなし。これや漢楚かんその

たゝかひに。海陸かいりくつくしくつがへしけん天下億兆をくてううれへも。かくやと
おぼえて浅間あさましかりし世中なり。時に天文てんぶん五年。筑紫つくし
鎮西ちんせいくに綸命りんめいをもおそれず。武命ふめいをもはからず
私欲しよくのために弓箭きうせんわざとし。萬民ばんみん悩乱のうらんせしかば。帝逆みかとげき
鱗安りんやすからず。公卿くきやう區々まち/\ 僉儀せんき有所。天の下にしやう
うけ。いづくか王地おうちにあらざるや。御調みつき物をもけんせず。叡慮ゑいりよをも
おそれず。ほしいまゝに弓箭をおこし。国土を動乱どうらんせしむるの条
つみはなはたかるからす。所詮しよせん誅罰ちうばつをくわへられずは。有
べからざるよしそうし給へば。やかて武将ぶしやう宣旨せんじをそくだされ

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ける。義晴よしはるすはなち。九しう誅罰ちうばつ御教書みげうしよを。大内おほちたゝよし
たかへぞ下されける。義隆勅命ちよくめいたいし。彼是かれこれ三万のぐん
勢をひきいて。筑紫つくし發向はつかうし。筑前ちくぜん博多はかたみなとに諸
勢をおしあけ。先秋月居城きよしやう押懸おしかけ稲麻とうまのごとく取かこん
で。いきをもつがせずせめ給ふ。しろにもこゝをせんと防戦ふせぎたゝかふと
いへども。勢に手いたせめられ。たまるべきやうあらざ
れば。かぶとをぬぎてがう人となる。やがて人じちを出しけれ
は。それより菊池きくち原田はらだが両城へ取つめいきをもつかせずせめ
ければ。是もかう人と成てくん門にかしこまる。彼等かれらはしめ

として。筑後ちくご肥後ひご九州のともがらこと/\降参かうさんしければ。義
隆何も。人しちをばとりかため。国の制法せいほうたゞしくして。
防州ほうしう帰陣きぢんし給ひ。おの/\休息きうそく有てしやうこへときをとて。
今度こんど戦功せんこうともからに。それ/\に勧賞けんじやうおこなはれける。角
て上洛まし/\。公方へ参給ひて九州の首尾しゆび委細いさい
申上給へば。相国しやうこく感限かんかきりなく。すぐみかと参内さんたいし給ふゑい
かんあさからずして。今度の忠賞ちうしやうに。太宰だざい貮帥にそつにん
ぜられ。ほうちやうちく。四ケ国の安堵あんどを給はり。其上中国
筑紫つくし成敗せいばいを。一ゑんに下さるゝとの宣旨せんじなり。義隆

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時にあたつて。弓せん面目めんほく有難ありがたき勅定ちよくぢやうとて。よろこびいさみて
せんを立給ひける。かくて義隆に。いまだ北方きたのかたもおはし
まさゞれば。やがて持明院ぢみやういん入道殿一忍軒にんけんの姫君十五
にならせ給ひけるを。むかへさせ給ひて。御いとま申て帰国きこく
したまひにける
義隆全盛せんせい之事
去程さるほど大内おほち多々良の義隆は。防州ほうしう山口。こうみね御館みたち
普請ふしんし。并に新造しんざうに屋かたを。かゝやくばかりにみがき
立て。北方をうつし参らせ。つき山の御ぜんなづけてかしつ

き給ひける。されども姫君ひめきみみやここいしく思召おほしめして。事のおり
にふれては。いひ出させ給へば義隆よしたかさもあらば。南北
に都をうつさんとて。一条より九条までの条里でうりをわり。
四ケ国の大しん小身の屋かた。いらかをならべつくり給へり。
さかい博多はかたあき人。のきをあらそひ建續たてつゞけり。れう国の
諸侍しよさふらい朝暮てうぼ出仕しゆつしをとげ。いねうかつがうしるすにいとまあら
しかのみならず。諸門せきはしめ公卿殿くきやうてん上人。又は五山の惟高これたか
和尚たち請待しやうたいし。或時あるとき和歌管弦わかくわんげんあそび。又ある時は
侍聯句しれんくくわい旦暮たんほわざとし。其外京都南都よりも

(18)

[挿絵]

(19)

申楽さるかくめい人を呼下よびくだし。能藝のうげいつくさせ。扨は茶湯ちやのゆ
興行かうぎやうし。和漢わかん珍器ちんきあつめて。もてあそび給ふ程に国々
よりも諸あき人。山口へ到来たうらいして。日ことに市町立にけ
り。されば防州ぼうしうには時ならぬ春のて。花の都ととなへ
けり。此東は中/\にすたれはてゝ。及ふべくもなかりけり。
されば山口一条のつじ如何いかなる人かしたりけん。九重の
天こゝにありとして
大内とは目出度名字今知れりちうりやくせし人内裏とは
尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさ藝州青野けいしうあをのはなにおゐて

義隆よしたかと合戦の事
雲州うんしう大守たいしゆ尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさは。中国十ヶ国の
けんとつて。たかふるふ。まこと武道ぶだうにさかしく。諸侯しよこう
をなでしかは。此家門にしたしまぬ人はなかりけり。ある
とき諸臣しよしんをまねきて申されけるは。防州ぼうしう大内義隆おほちよしたかは。こん
鎮西ちんぜい退治たいぢ勧賞けんしやうに。中国九州きうしう成敗せいはいを給はる。さる
よつて。西国は義隆か命にしたがはすと云事なし。
されども晴久はるひさにおゐては。大内おほちが下知を用ゆまし。時に
義隆いきどをりをいだきて。つゐには家のてきとならん

(20)

所詮しよせん近日押寄きんじつおしよせて。四ヶ国を押領おうれうし。それかし。西国の成敗せいはい
を給はらんとおもふなり。いそ領国れうごく相觸あいふれ軍勢くんせいもよほす
べしとぞ申されける。懸谷かけや丹後守たんごのかみ浮澤将監うきざはしやうげん。御下知
をうけて。軍勢の着到ちやくたうをぞ付にける。都合三万七千
五百の。士卒しそつを打したがへ。晴久はるひさ雲州うんしうを立れける。先陣はなん
条修理太夫でうしゆりのたゆふ。手勢五千をそつして。一陣にすゝむ。すて
藝州げいしう青野あをのはなつきしかば。しばらく爰に陣取けり。
去程さるほとに義隆。諸家老をよびての給ひけるは。まこと尼子あまこ
晴久はるひさ當家退治たいぢの為に大軍をそつしてむかふときくそれかし

西国の成敗せいはいつかさどる事。全私まつたくわたくしにあらす。勅宣ちよくせんかうふりて。
まつりことをたゞせり。然を加様に。逆心ぎやくしんくはだつる事。一には朝敵てうてき
二には家の敵彼てきかれ雌雄しゆうけつせんとはゞかる所有べからず。
はやく勢揃せいぞろへして。打立べしとぞ。下知せられける。すへ
うけたまはつて。四ヶ国へ触状ふれしやうをなし。三万一千の着到ちやくたうを御目
にかくる。義隆のたまひけるは。山口阿波守あはのかみ。五千にて
先陣すべし。すへ尾張守おはりのかみは。壱万にて二陣にうて。三陣
冷泉寺れいせんじ民部みんぶ少輔。のこる壱万は旗本はたもとそつして。二日
あとに。出陣しゆつぢんすべしとぞ下知し給ひける。おの/\承て次

(21)

第/\に打ほどに。先陣すでに青野がはなつきしかば。
敵のそなへと。其あいた十五町へだて。陣をぞ取にける。一日
人馬の足をやすめて。翌日よくにちたつの一天に。山口一せんをぞすゝ
めける。南条なんでう是を見て。へいを下知して。しはらくときうつして
責戦せめたゝかふ。かくして其日三度の合戦に。たかひ勝負しやうぶはな
かりけり。二日は陶尾張守すへおはりのかみ一万騎をすゝめて。一時に
雌雄しゆうけつせんとまふだりける。尼子方あまこかたには岡田弾正おおかただんじやうの
ちう諸勢のをはげまし。すこしもたゆますせめ戦ふ。此日も
三度の合戦に。手負ておい人の有様は。さんみだせることく

なり日も夕陽せきやうかたふき給へは。南陣たかひに引にける。
三日は冷泉れうぜん民部みんぶ少輔尼子あまこ方には。和多利わたり淡路守あはちのかみ
懸合かけあはせあら手を入かへ/\。無二無三に死を一時にぞあら
そひける。此日四度の合戦に。何も勝負しやうぶなかりけり。かく
翌日よくじつ明方あけがたより。雨降あめふりいでゝ。晴間はれまもあらされば。
双方そうはうたかひに陣取けり。かゝるうちに下野守つけのかみれい持病ぢびやうおこつ
て。かふとをまくらとしふし給ふが。次第に胸先むなさき痛増いたみまされは。
気色きしよくよはりて見え給ふ。諸家老是をみて申けるは。そも/\
此程のいくさ防戦はうせんつもるるに一わう二往にて。中/\雌雄しゆう

(22)

[挿絵]

(23)

けつがたく存る也。後日の勝負しやうぶまち給て。先御帰陣きちん
しかるべしとすゝめ申せば。晴久ちからなくかうもはか
らひ候とのたまへば。さらばとて鳥にもかなはせ給はねは。とある
山寺より。のり物を取よせて打のせ雲州へとぞ急ける。
諸勢も次第/\に帰陣したりけり去程に義隆は本
国を出給ひ。途中とちうにて。是を聞給ひて。残多のこりおほくおほし
めせども。後日の一戦たるへしとて。防州□□しうへ打入た
まひにけり
陶尾張守隆房すへおはりのかみたかふさ逆心ぎやくしんの事

大内義隆おほちよしたか家中かちうより。山本玄蕃けんばせうといふさふらひ。京都
へのぼつて。上野民部少みんぶのしやう輔に。對面たいめんして申けるは。それかししゆ
くん義隆の御為に。高野かうや山へ罷上まかりのほり。それよりごん上申さん
ために。是まで参り候とて。義隆滅亡めつほう始終しじうを。
さいにぞ語りける。そも/\大内の臣下しんかに。陶尾張守隆房すへをわりのかみたかふさ
ものは。昔時むかし義隆の先祖せんぞ震旦しんだん国のあるじ。淋昌りんしやう太子。
本朝にわたりたまひ。はじめて筑前ちくせん国。多々はま
あがり給ひしにより。すなはち多々良うぢがうす。すへも山口も
同名とうみやうなり。此ときせられける南臣なり。されば君臣の

(24)

礼儀れいぎ代々つゞかなく相傳あいつたへて。今此義隆まですで
廿八代にをよべり。この義房が養父やうふに。陶道㐂どうきと云
者あり。陶五郎とてたゝ一人の子をもてり。器量きりやう
つがら人にこへ。文武ふんぶちやうじ。藝才けいさいいみじかりけれは。父
道㐂義隆へ参らせ。をのれは同国。冨田とみたしやう隠居いんきよ
しけり。さるほどに陶五郎。萬事はんしにさかしかりければ。
義隆なへてならずおぼしめして。恩賞をんしやう父にこへたり
れう国の諸侍しよさふらひも大内のきりものとて。おもくのみかしづき
にける。あるとき五郎。とみ田の城にきたつて。道㐂に

對面たいめんし。よろづのものがたりをしけるつゐでに。義隆の御行跡かうせき
又は国のまつり事。一かうみだりなるよしをかたつて。あざけり
ければ。父入道つく/\と聞て。心に思ひけるは。きやつは
やすからぬ事をいふものかな。入道なからむあとには。一ぢやうしゆ
くん謀叛むほんをすべきものなり。さもあらば先祖せんぞにをよ
びて。きずたるべし。所詮しよせんかれをがいして。入道がよみぢの
さはりを。のがれんと思ひ切て。ひそかに家老からういひ
て。なさけなくもうつすてたりけり。他国の人と傳聞つたへきゝ
て。悪逆無通目あくぎやくぶたうめに見えても。我子といへばまなこくれ

(25)

ゆるすはおやのならひぞかし。いはんや見えたるとが
なきものを。ゆくすへかんかみて。たゝ一人の遺跡ゆいせきを。うつ
すてたる道㐂は。もろこしにもなき忠臣ちうしんと。ほめぬ人はなか
りけり。かくて入道傍輩ほうはいの子を養子やうしにして。義隆へ
参らせ。今陶尾張守と名乗なのりて。ほしいまゝけんをとつて。
重恩ちうほん身にあまりて。なに不足ふそくかあるべきに。いかなる天
の入かはりけむ。義隆公をほろぼして。一日なり
ともあの栄花ゑいくわ心のまゝにたのしみて。未来みらいの思ひ
でにぜんとおもふ心ぞ付にける。さるによつて虚病きよひやう

をかまへ。義隆へはしばら療治りやうぢをくはへ候はんとて。とみ田の
わか山へ引こもりて。むほんの計策けいさくをぞめくらしける。さる程に
隆房杦隼人佐すきはやとのすけみき将監青景しやうげんきよかげ鷲津等わしつらをさきと
して。さもある人々をはひそかにまねいて。珍膳ちんぜんをつくし。
酒をすゝめて其後そのゝち申けるは。それかし此間不思儀ふしぎの事を。きゝ
いたし申候。その委細いさい相良遠江守さからとを/\のかみ武任たけとふ義隆よしたかざん
けるは。をの/\と。隆房一して。反逆ほんぎやくをくはだつるよ
し。たゞしくつけ申。義隆まことにうけ給ひて。にくき
やつばらが所存しよぞんかな。其義ならば近日に。誅罰ちうばつすべし

(26)

とて。安藝あき備後びんご備中ひつちうの者どもをめされて。不日ふじつ□つ
せらるべきよし聞えあり。さるによつてみや三𠮷みよしすぎ
平賀天野あまの古志こし木梨等きなしとう一万の人しゆをそつし。ちう
をうつ立石州たちせきしうに付しかば。三角福すみふく屋のつはものども。
三千余騎よきにてひとつになり。近日山口へ着陣ちやくちんと申。
然ればをの/\それかし同心どうしんして。せいのつかぬうちに。山口へ
をしよせ。義隆をうち申。大とも舎弟しやてい義長よしなかをば
申うけ
て。主君にそなへたてまつり。にくき相良さからかうべをはね。うつふん
をさんずべしとぞさゝやきける。人々是をきゝて。扨も

[挿絵]

(27)

のざんげんかな。おもひもうけぬ事なれば。あやまりなき四底しんていを。一
たんは申さばやとおもへども。さほどもよほしきうならば如何いか
いふともかなふまじと。一わう沙汰さたにもをよばす。同
心せり。陶は大きによろこびて。さらば一ぞく他家たけの人々
へ。廻文くわいふんをしたゝめよとて。国々へぞつかはしける。筑前ちくぜん
の国には。加珍かちん源物同与次大夫。肥後ひご国には。安蘓あそ珍五
太宰少貮たさいのせうに。千寿しゆあき種實たねさねさきとして。こと/\
せり。扨又防長はうちやうの其なかには。内藤隆世ないとうたかよ。三さきけん
もの弘中ひろなか參河守みかはのかみをはむねとして。雲霞うんかのごとく付した

がふ。参らる所に陶が家子に。深野弾正康澄ふかのだんじやうやすすみみや
左衛門は。房勝ふさかつたかふさがまへて。かしこまつて
申けるは。うけたまはれば。隆房は主君へぎやく心をおこし給ふ
扨も口おし次第しだいかな。参らる御所存しよぞんのあるへきとは。
つゆも思ひよらざるなり。先四をしづめてきこしめ
せ。御養父やうふ道㐂たうき入道殿。たゞ一人の義清よしきよ殿をかい
給ふは。何ゆへぞや。主君に弓をひかふず者なりと
思召て。うしなひ給ふは。君歴然れきぜんしろしめす。ごとくなり。たゝ
ぎやく心の名をとり給はゞ。天命いかでかつきざるべき

(28)

主君のばつ亡父はうふはち世間せけんのあざけり。かた/\もつて
しやうがひは候はしと。なみだをながしいさめにけり。隆房きゝて
かほどに思ひ立うへは。からすかしらが白くなり。こまつのおほ
とも。思ひとゞまる事あらじと。座敷ざしきを立ておくへ入
あひのしやうじをおし立けり。両人は是を見て□干ひかん
むねをさき。伍子胥こししよけいを給はるも。かゝる事にこそ
はあれ。此上はまん人の人口じんこうにかゝらんより。いざや冥途めいど
おもむき。くさかげなる入道殿と共に。因果いんぐわをみはてなん
と座敷をさらすさしちかへて死にけるは。たぐひなき

忠臣ちうしんと聞人ことに。かんせぬはなかりけり。去程に隆房に
したがふ人々は江良えら丹後守たんごの信俊のふとし彼野かの弾正忠弘仲だんしやうのちうひろなか
かは守貞もりさた清景きよかげ刑部少ぎやうぶのせう戸井田正廣といたまさひろ鷲津わしつ
道をむねととして。都合つがうせい八千余騎。すでに山口へよ
するときこへしかば。義隆きゝ給ひ。なに隆房かむほんと
云か。相傳さうてん家僕かぼくとして。主君に弓をはなつとも。天
命いかでかのがるべき。それふせげ兵共との給て。やが
て大をぞしめ給ふ。冷泉れいせん民部少みんぶのせうあま野前内是を
見て。おもてをふせぎ候はゞ。三うら戸井田みき仁保にほ

(29)

よものども。手合仕候へばおくせめ入て。若君わかきみ御臺みだい
生捕いけどり奉らん事うたがひなし。唯瀧たゞたき法泉寺はうせんじへ落た
まひ。心よくあれにて一せんし。其後御自害じかい候てしか
るべう候はんといさめ申。義隆ちからなく。冷泉れいせん天野
を先として。相傳さうでんの兵を三百すぐつて。法泉寺へ
とぞおちたまふ。程なくつき給ひしかば。一時にほり
ほり。逆母木さかもぎをひかせ。しとみやり戸をたてとして。よ
するかたきをぞ。まち給ふ。時刻じこくうつれば。其日をのべじと
尾張守隆房。八千余の軍兵くんひやうをそつして。法泉寺へ

をしよせ。ときをどつとあげ。冷泉隆とよ大力にして。
□剛しいかうさふらいなれは。もえきおどしのよろひの。三人し
て持けるを。わたがみつかんで引立。草すりながにくだ
して。四尺八寸の赤銅しやくどうつくりの大身をはき。其人五寸の
の長刀ひつさげて。先にすゝみ給へば。天野前内
佐伯さえき若内くろ小幡等をばたとう。おもひ/\心/\に出立て。左
右につゝく敵には。三浦清景うらきよかげ鷲津わしつ等を先ぢんとし
雲霞うんかのごとくみだれ入を。冷泉民部少輔たせい
の中へ切て入。十もんじにわり立。なぎふする。いきほひ

(30)

樊噲ばんくわいがいかれる有様ありさま項王かうわうが山をぬく威勢いせいも。
かくやと思ひしられたり。末時節いまだじせつもうつらずして。手
おい人はさんをみだして見えにけり。よせて大き
おどろきたゞ一人に切立られ。むら/\ばつとぞ引たり
けり。日のうちに五のたゝかひに。味方みかたの三百も二十
人に成りにけり。義隆今はつみつくりに何かせん。はら
きらんとの給へば。冷泉隆とよ申されけるは。先一たび
は。豊後ふんごへ落□せたまひ。大ともを御頼あつて。筑前ちくせん
筑後ちくごせいをそつして陶をほろほし給ふへしと。人々し

きりにすゝめ申せば。さらばとてそれよりも法泉寺を夜
に入て主従し□じう騎落きおつ給て。長門ながどの国にきこえたる。せん
ざきさしてぞ落られける。ほどもなくつきたまへば。是
よりも小舟に取のりて。かいはるかおし出しけるに。とか
うんのつきける。義隆のしるしには。にはか悪風あくふうふき
て。もとのせんざきへ吹もどしけり。是ぞ源の義隆四
国へのらむとて。おし出せしに悪風吹て。もとの浦へ
吹もどしけるにことならず。かくて敵とも浦々せき
をかためけれは。雑兵さうひやうの手にかゝらんよりは。是よりも

(31)

挿絵

(32)

當国たうこくぬの川の大寧寺ねいじへ行て。自害しがいを心しづかにせば
やとておはしけり。此寺は石屋禅師せきおくぜんし開基かいきとして
仏法流布るふ霊地れいちなり。かの寺におちつき給へは。
雪和尚せつおしやうなみだをながし。たまひて。盛者必衰しやうじやひつすい
ことはりとはいひながら。かゝる御ありさまを見たて
まつるに。爰の様にこそは存づれとて。たがひになみだ
にむせひ給ひける。其後のたまひけるは。おさあひも
のともの事は是非せひなし。嫡子ちやくししやうをはたてまつるたのみ。い
かにもとりかへし給ひて。豊後ふんごの大ともを。たのませ給

ひて。隆房を追罰ついばつし。それかし追善ついぜんにほどこし候様に。
ひとへに和尚をたのみたてまつるよし。遠頃おんころ契諾けいだくまし
/\ける。扨佛果ふつくわ種因しゆいん一ヶの吹毛すいもう提撕ていきして。にん
げん是非ぜひのあいだを。截断せつだんしたまひてのち。はら十文
に切て。天野いかにとにらみ給へば。前内なみだと
ともに。御介錯かいしやくつかまつりける。大内共八代天文十二の
天。中あき下旬けしゆんつゆきへさせ給ふぞあわれなる。かくて
時刻じこくうつりければ。陶隆房は又あら手一万余をそつ
して。大寧寺ねいじ押寄おしよする。冷泉民部少輔最後さいごのいく

(33)

さを心よくして。敵に目をさまさせんとて。今度こんどは三
尺貮寸の太刀。五帝入道正宗まさむねがうつたるみだれやきの。
ぬげば玉ちるばかりなるを。かろ/\と引さげて。多
せいなかへうつて入。活人くわつにん剣殺けんせつとうかう極意ごくい妙剣みやうけん
字手裏釼じしゆりけんくつばう身などいふ。兵法ひやうはうしゆつをつくし。
きつてまはり給へば。手先にむかふ兵なかりけり。七人の
人々も今を最後さいごの合戦なれば。戦場せんじやうまくらにせん
と。太刀のかねのつゞくほど。十文字に切ちらせり。隆
とよも今ははや。さるべき敵もなし雑兵原さうひやうばらを太刀

よこしに。ころしてもなにかせんとて。立かへつて佛前にて
よろひをぬぎ短尺たんじやくまいとり出て辞世じせい
みよや立けふりも雲もなか雲に
さそひし風のあとものこらず
黄門くわうもん定家卿ていかきやう未流はつりうといひながら。かゝる折節おりふしうた
よむべうもおほらず。されども哥道かどうに。入魂しゆつこんし給へ
ば。かく口ずさみたまふ。心のうちこそやさしけれ。かくて
をしはだぬき給ひて。腹十字に切て。かへす太刀
にて心もとへつき立。夕部ゆふべつゆきへ給ふを。おしま

(34)

ぬ人はなかりけり。のこる人々も。思ひ/\に最後さいごとく
だうし給ひて。自害じがいしてうせにけり。扨嫡子ちやくし
しやう父祖ふそ忍軒にんけん。ある山寺にしのび入。かくれさせ給ひ
けるを。陶阿波守あはのかみ是を聞付て。三百余騎よきにてはせ
かひ。とく/\御生害しやうがいあるべしと。すゝめたてまつれば。せんかた
なく二人ともに。御生害しやうがいおはしける。扨きたのかたは二人の
公達きんたちをめのと二人かいだきて。ある山にしのび給
ひけるを。御父の一忍軒にんけん中将殿義隆公は。不申こと
/\く御生害しやうがいおはしけるよし。相傳さうてん友若ともわかきたり

つけければ。氣もたましゐもなき心地こゝちして。今まで
はさりともとこそ思ひしに。こはなさけなき事ども
かな。なかにも父一忍軒は。十年ばかり相みぬことをなつ
かしく思しめして。すぎにし春のころくだらせ給ひ。
なつのなかはに京へのほりなんと。しきりにおほせられし
を。今一日/\ととめたてまつあきになり。かゝるうきめに
あふて。自害じがいまし/\田舎いなかつゆとうせたまふこと
かなしさよと。天にあふき地にふして。なげき給ふが。
今はなにゝいのちのおしかるべき。はやくめいどにおもむき

(35)

人々とひとつ。はちすにて。御目にかゝらんとの給ひて。
あるふちゆきて。へきたんのそこへぞしづみ給ふ。め
のとは五さいの姫君を。いだきて是もつゞいてしづ
みにけり。あはれと云もつねの事言葉ことばにのぶべき
やうもなし。これをきくともがらなみだにむせぬはなかり
けり。人々是を聞給ひて。隆房が悪逆無道あくぎやくぶたう。と
かう申にをよばすと。にくまぬ人はなかりけり
毛利元就もりもとなり陶隆房すへたかふさらるゝはつせ
去程にすへ隆房は。大内義隆の貴族きぞく相傳さうてん郎従らうじう

。こと/\くにほろほし四ヶ国をさまたげなく押領おうれう
さて山口嶋嶺かうのみね築山つきやまのしよ。金銀しゆぎよくをちり
はめたるに。わか身はうつりかはり。冨田とみたわか山の
じやうをば。嫡子ちやくし五郎隆豊たかとよにゆづりけり。かくして町
人百姓等しやうら仕置しおきあらため。今ははや心にのこる所なく。上
みぬわしとぞ見えにける。あるとき山口さう門の前
あとなしものゝ所為しわさとみえて
をほりておほちの枝葉えたはからすとも
むくはんすゑがはてぞおそろし

(36)

栄花ゑいくわなにはに。つけて不足ふそくなく。あかしくらしけるほど
に。よく年の仲秋なかあきに。郎従等らうじうらをちかづけて。隆房申
けるやうは。亡君ばうくん四ヶ国をはれうし給ふとは申せども。をの/\
所領の分限ぶんげんをばしらず。うちくらし給へり。しかれは来春らいしゆん
かならず一けんし。それかし要害ようがいのやうをも。見んと思ふは。いかに
と云ければ。諸士しよしもつとも然りなんとぞ同しけり。こと
毛利陸奥守むつのかみ元就もとなり。そのころ藝州けいしうかふと立といふ所に。わづ
か千貫ばかりを。身帯しんだいしておはしけり。自然しせん弓馬きうば
の家に化生けしやうして。武勇ふゆうみちにさかしく。文にちやうして

智畧ちりやく謀計ぼうけいそなはれり。敵をおとし。国をしたかへる事
りやうの水をうるがごとし。然るに此隆房が悪逆無道あくぎやくぶたうをあ
んずるに。かみは天ていにそむき。下は地神のにくみを
さて人口じんかうあざけなくよんところとをくは五年。ちかくは三年かう
ちに。天のせめつゞまつて。不慮ふりよほろひん事。うたかひ
なし。さあらんに付ては。如何にもして。此隆房をほろほし。
當家武運たうけのぶうん厚薄かうはくを。ためさばやと思しけれ共。隆房
身帯しんだいをくらぶれば。九きうが一もうなり。如何すべき
とあけくれきもをくだかれける所に。隆房れう国をうちま

(37)

はるべきよし聞へければ。やがて陶に朝夕てうせき出仕しゆつしのもの
ども。二三人近付。おり/\の御はなしにきけば。隆房年越
さば。はうちやうちく。のこらず一けんあるべきよし。風聞ふうぶん候左
もあらばよきさいはひ厳嶋いつくしまへまうでたまひ。すぐに
藝州げいしうをも有増あらまし。見給ふ事もや有なん。おなじくは御さん
けいなきやうにとこそそんづれなど。いひきかせ給へは。この
人々何為にかきらず。珍説ちんせつをきかせて。陶か気色きしよく
いらんと思ふおりなれば。やがてかくとぞつけたりける。
隆房聞てあやしく思ひ。さもあらば是非せひとも。まふづ

べしとぞ申されける。元就悦㐂ゑつきかぎりなく。一家のしん
ぞく累代るいたいしんをはあつめて。軍の評議ひやうぎ相定あいさだめて。領分りやうぶん
姓等しやうら。こと/\くかり立。焼草やきくさを用意させ。如何にもし
づまりかへつて。隆房をそしとまちうけらるゝ。去程さるほど
陶は。かゝる智畧りやくありとは。ゆめにもしらず。究竟くつきやうの兵を
は。五百余人すぐつて。さま/\のさゝげものをしたゝ
め。厳嶋いつくしまへとうちこへける。ほどもなくつきしかば。現世げんせあん
ほんのためとて。かずのたから奉納ほうなうせり。社僧神官しやそうしんくわんおの/\
まかり出て。珍重拜舞ちんてうはいぶす。かくて日も夕陽せきやうにかたふき

(38)

たまへば。下向けかうの道におもむき。さるべき宿やど休息きうそくして。
諸勢もつかれをはらしける所へ。元就三方よりをし
まき。ときをどつとあぐる。隆房大きにおどろき。こは
何事ぞたれなるらんといへば。毛利元就謀叛むほんにて候
と申。陶きゝてなにほどの事かあるべき。兵ともへ□を
うちやふつて。かけとをれとて下知しける。□かる所に四方
より放火はうくわしければ。一同にもえあがる。をりふしはま
風はげしく吹て。狼烟らうゑん天をかすめ。ほのを地に吹
付たり。兵ともまよひて。東西とうさいうつてかゝれば。矢

(39)

さきをそろへて。やりふす刃をつくつて。一人ものがさじと。
ときこゑを。つくりかけ/\。天地もさくるばかりにせめ付た
り。ほこ先をのがれんとすれば猛火みやうくわにこがるほのををよ
けんとすれば。矢さきをのがれず。あみにかゝれる魚の
心地して。もるべきやうこそなかりけり。隆房むねんにお
もひて。身にしたがふ兵。七八人左右に立て。多勢の
真中まんなかへわつて入。さん/\にたゝかひけるが。いた手をおふ
引しりぞき。今は是までと思ひて。腹十文字にかき
切て。ほのをなかへぞ入にける。是を見て兵とも。我も/\

自害しがいしてけふりをかつきてふしにけり。元就おもひの
まゝに討おほせて。かちどきを三上て。帰陣きぢんし給ひ。
一日休て。防州ばうしう冨田とみたの。わか山の城へぞをしよせ給ふ。ふた
三重に取まきせめたまへば。五郎隆重たかしげしばらくたて
こもりて。領国の勢のつくを相まち。一せん雌雄しゆうけつ
せんとしける。元就やがて五郎が家老からうをたばかり給
へば。子細しさいなく隆重がくひをはねてぞ出しける。此外陶が
ぞく従類しうるいたづねもとめ。どくろを切てごく門にかけ。義隆
追善ついせんゑかうし給ひけり。.深野ふかのみや川が謀言ぼうげん

(40)

ゆもたかはざる所。因果ゐんくわ歴然れきせんのことわり。兎角とかう申に
およばれず。三年が内の栄花ゑいぐわは。たゞかんたんのまくらに
ふして。一すいゆめさめたるがことし。あわれにはかなき
事ともなり
よつてらくちうそしやうに洛中訴訟おこなは徳政とくせいを
諸国つゐてそうけき忩劇分国に朝せきを立。往還わうくわんりよ人やすからず。
さりによつて都鄙とひていおのつから途絶みちせつしけり。是に付て
京方の工商こうしやう家職かしよくをむなしくせり。日をおつかてつき
ければ。家財をたくはへたる者は。しち物に入て。しはらく妻子さいし

を□□くむ。財寶さいほうなきものは。行衛ゆくえなく逐電ちくてんしけるもの
おほかりけり。かくおとろふるによつて。公方役くはうやく地子役ちしやくかつ
てすゝむるにあたはず。催促さいそくきひしといへども。大かた質物しちもつ
に。拂底ふつていしければ栓方せんかたなくて。上下京一同に。検断けんたん
しよ訴訟そしやうあく
近事京都之諸商賣しやうはい。一ゑんに不得其さばきを。内しやう
迷惑めいわく仕候。去に付て家財かざい質物しつもつに入。又は沽布こきやく
を□ゝる。年をるといへども。猶心かてつきすて
かつに及申候。是に依て不あたは御候儀やくつとむるに

(41)

此度の儀に御座候条被くわへじひを慈悲徳政とくせい
赦免しやめん下され候は有難ありかたく存聞言上す
即老中披見有て被上聞ける。公方つく/\御
覧じて。よく日人/\を召て仰られけるは。在地さいぢ
等。近年家業かげうの利をうしなひ。飢渇きかつに及ふのよし。
尤不便ひんなり。其士農工商しのうこうしやうは。昼夜ちうやこつきさみて。
上をはこくみ。上は又下のゆたかならん事を。日々にあらため
安全をまもる然といへとも。當世は哀乱せしかば。
せい道も又なきかことし。それに付て徳政を望む

事もとより米銭にとみたるものは□はいの為に
質物をとる。取程のやからはたとひ財寶さいほこと/\くとら
るゝといふとも。飢渇きかつにおよぶほどの事はあらじ。
徳の者は百人にひとりふたりならん。しかれば
小をころして大をすくふは是法なり。其上にせん
もなきにしもあらず。常徳じやうとく□□ぢう院のれい
にまかせて。いそき徳政をおこな貧窮ひんくうあまりせ
と仰付られければ。人と承はつて。即評定ひやうでう
所にてあん文をかゝれける。新規しんきにもあらず。大かた

(42)

先比のことし
徳政 城別
一借銭借米之事
一於武具之類者 廿四ヶ月
一絹布之類者 十二ヶ月
一佛具繪質之物家器之類者 十二ヶ月
一家質たとへ沽券こけんに仕り證文正敷言之於
弁者可借銭同前
右五箇条本銀之十分一ヲ以白昼はくちうにとり可申候

違犯いぼんやから之者くせ事たるべきの□
仰出仍下知如件
天文九年三月日 光俊
 貞長
 長高 在判
去程に質物しちもつを入たるともから。九年の旱魃かんはつに。大雨
をえたる思ひをなして。悦ふ事大方ならず。質屋の
内外に。人の出入はかきりなし。かゝる処に洛外らくくわい蟄居ちつきよ
しける。一けうかんの者共。よきさいわひと悦ひて。五人十

(43)

つゝ押込おしこみ。質物に事よせ財寶さいほうをうばひ取□□りい
儀におよべば狼藉らうせき仕るに依て。質屋かた迷惑めいわく
此旨を訴訟そせうす諸奉行聞給ひて。重々高札をあけ
られける

一今度被めんぢよ免除とくせいを徳政之慶に在々所々に隠住かくもちう
せしむる牢輩等らうはいら質屋方へ押込おしこみを仕り資財しさい
をうはひとるのよし其聞候向後きやうこう其近辺のともから
兼て被手合召時に出合随分すいふんとめ可申候生捕いけどり

におゐては大切之儀候之条さちらひにおゐては。
何にても□を叶へ平人に至ては當座のほう
として料足りやうそく二百文可被遣候御下知如件
月日 在判如前
右之高札洛中を物在々所々如残被立ける也

繪本武将勲功記巻之一