絵本武将勲功記

(1)

繪本武将勲功記 一

(2)

楢村長教著速水春暁齋画 繪本武将勲功記 全部十二冊

物のかくれ顕はるゝは時かも凡
もゝたらぬ家/\の移り行さまを
見侍るに嘉吉應仁の比はみつ
のみあらかまてもつはものみち/\て
ちゝの神わささへよろつむかしの

(4)

あとなくそなりにたる此絵本武将
勲功記ちふふみはゝそも武将義輝
織田の英王に強きかの豊臣氏の
御元のたくひなきまてのことを
のせぬ事実のほゝ漏たるは其比の

日記をなせにかいつけたるよしと
是心□さは此取ふる人のよすかとて
久かたのひかりのとけく大八しまの
外まてもさはりなき 君のみいさほし
をかしこみとりのあとたへせす

(5)

まさ木のかつらなかくつたはりね
とおもふのみ
享和元年辛酉三月
□□散人□

繪本武将勲功記惣目録ゑほんぶしやうくんこうきそうもくろく
第一之巻
大内義隆おほちよしたか九州しう發向はつかう之事
大内義隆おほちよしたか全盛ぜんせい之事
尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさ於二藝州青野鼻一げいしうあをのがはなにおゐて義隆よしたかと合戦かつせんの事
陶尾張守隆房すへをはりのかみたかふさ逆心ぎやくしん之事
毛利元就もうりもとなり陶隆房すへたかふさを罰ばつせらるゝ事
依二洛中訴訟一らくちうのそせうによつて被レ行二徳政一とくせいをおこなはる事
第二之巻

(6)

義輝公よしてるこう被レ任二征夷将軍一せいゐしやう□んににんぜらるゝ事
義晴公よしはるこう御逝去ごせいきよ之事
御領分ごれうぶん徳政とくせい之事
三好筑前守義長みよしちくぜんのかみよしなが訴訟そせう之事
三好筑前守みよしちくぜんのかみ加持田甚かぢたぢん兵衛を追佛おひはらふ事
義長公方よしながくぼう領れうをおさゆる事
畠山はたけやま帰洛きらく之事
一色伊駒いつしきいこま重かさねて中嶋なかじまえ發向はつかう之事
第三之巻

日向守ひうがのかみ盗賊とうぞくをとらゆる事
野田安のだやす兵衛敵討かたきうち之事
藤岡ふぢをか平次郎女を方便たばかりとる事
岩崎角弥いはさきかくやが事
第四之巻
佐々木貞頼ささきさだよりえ御使者ししやつかはさる事
安見直政やすみなをまさえ上使じやうし被レ遣つかはさるゝ事
安見直政やすみなをまさ與力方よりきかたえ状遣じやうつかはす事
江口えくちの要害ようがい夜討ようち之事

(7)

義長よしなが京都きやうとえ横目よこめをつかふ事
 付義輝公よしてるこう御最後ごさいご之事
依二義長反逆一よしながほんぎやくによつて公卿くげう騒動さうどう之事
第五之巻
鹿苑院殿ろくをんゐんどのえ討手うつてを遣つかはす事
 付平田和泉ひらたいづみ被レ討うたるゝ事
恵林院義昭公ゑりんゐんよしあきこう南都なんとを落おち給ふ事
大森傳おほもりでん七郎切死きりじに之事
龜松かめまつ三十郎濃州じやうしうえ退しりぞく事

義輝公よしてるこう御追善ごついぜん之事
仁木右京亮につきうきやうのすけ今里城いまさとのしろを退去たいきよ之事
仁木右京亮につきうきやうのすけ與力よりきの者もの退城たいじやう之事
第六之巻
義昭公よしあきこう御評議へうぎ之事
信長公のぶなかこう御請うけ之事
義昭公よしあきこう帰洛きらく之事
筑前守ちくぜんのかみ評議へうぎ之事
本國寺ほんこくじにて義長よしなが一戦せん之事

(8)

義昭公よしあきこう参内さんだい之事
信長のぶなが摂政殿せつしやうどのえ参まいり給ふ事
従二洛中一らくちうより公方くぼうえ御礼れいに上る事
義長よしなが塩津入道しほつにふどうを攻せむる事
従二諸大名一しよだいみやうより御礼使者れいのししや上る事
織田上総介おだかづさのすけえ使札しさつ之事
和州四手井わしうしでゐ御音信ゐんしん之事
従二藝州一げいしうより年始ねんし御使者ししや之事
公方くぼうえ織田上総介おだかづさのすけ使札しさつ之事

公方くぼう御謀叛むほん之事
公方遠流被レ宥くぼうのをんるをなだめらるゝ事
信長のぶなが御夢ゆめ之事
第七之巻
織田信長公おだのぶながこう座興ざけう深ふかき事
信長公のぶながこう秀吉ひでよし噂うはさ之事
秀吉公ひでよしこう治世ちせい之事
秀吉公ひでよしこう柴田しばたと合戦かつせん之事
室町殿むろまちどの中國ちうごく御下向げかう之事

(9)

秀吉公ひでよしこう北條氏政ほうてううぢまさ征伐せいばつ之事
諸國しよこく百姓等しやうら御仕置しおき之事
第八之巻
秀吉公ひでよしこう京都きやうと之開基かいき御尋たづね之事
秀吉公ひでよしこう北野きたの大茶湯おほちやのゆ之事
秀吉公ひでよしこう京都きやうと之様子やうす御尋たづね之事
義昭公よしあきこう御逝去せいきよ之事
第九之巻
茨組盗賊いばらくみとうぞく之事

平川源ひらかはげん左衛門岩佐権いはさこん六郎盗賊討手とうぞくうつて之事
秀吉公ひでよしこう髙野かうや御参詣さんけい之事
第十之巻
變化者へんげのもの之事
天狗變来てんぐへんらい之事
第十一之巻
扇繪あふぎゑ之事
狂哥物語きやうかものがたり之事
紹巴じやうはに狂哥所望きやうかしよもう之事

(10)

梅木むめのきにて沙汰さたある事
第十二之巻
光範みつのり捕物手柄とりものてがら之事
兵法奇妙ひやうほふきみやう之事
秀次公ひでつぐこう相撲すもふ御上覧しやうらん之事
惣目録終

繪本武将勲功記えほんぶしやうくんこうき第だい一之巻のまき
目録もくろく
大内義隆おほうちよしたか九州しう發向はつかう之事
大内義隆おほうちよしたか全盛ぜんせい之事
尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさ於二藝州青野鼻一げいしうあをのがはなにおゐて義隆よしたかと合戦かつせんの事
陶尾張守隆房すへおはりのかみたかふさ逆心ぎやくしん之事

(11)

毛利元就もうりもとなり陶隆房すへたかふさを被レ罰ばつせらるゝ事
依二洛中訴訟一被レ行二徳政一らくちうのそせうによつてとくせいをおこなはるゝ事

將軍足利義輝公之像

(12)

傳曰でんにいはく
其先そのさき清和天皇せいわてんわうより出いでて足利将軍尊氏あしかゞしやうぐんたかうち十二代
義晴公よしはるこうの一男なんにして業げうを續つぎ征夷大将軍せいいだいしやうぐんに
任にんじ足利殿あしかゞどのと称せうす此時このとき東南西北とうなんせいほく蜂はちのこどく乱みだれ
武威権勢ぶゐけんせい衰おとろへ官領細川晴元くはんれいほそかははるもとが臣しん三好修理太夫みよししゆりのたいふ
長義なかよし其臣そのしん松永弾正久秀まつながだんじやうひさひでが為ために弑しひせらる

小田上總介信長之像

(13)

傳曰でんにいはく
其先そのさき桓武天皇くはんむてんわうより出いでて平相國清盛へいしやうこくきよもりの裔ゑいなり
父ちゝを織田備後守信秀おだびんごのかみのぶひでといふ初名吉法師はじめのなきちほふし後のちに
上総介かづさのすけと改あらたむ寛仁大度武くはんじんたいどぶを天下てんかに輝かゝやかし位従くらゐじゆ
二位右大臣にゐうたいじんに任にんず天正てんしやう十年其臣そのしん明智日向守あけちひうがのかみ
光秀みつひでが為ために本能寺ほんのうしにて薨かうず

羽柴筑前守秀吉之像

(14)

傳曰でんにいはく
尾州愛智郡びしうあいちこほりの産さんにして其祖先そのそせんを知しらず或云あるひはいはく持萩中納言もちはぎちうなごん
の裔ゑいと父ちゝは木下弥きのしたや右衛門と号ごうす其妻そのさい日輪にちりん懐ふところに入いると見て秀ひで
吉よしを産うむ幼名ようめい日吉丸ひよしまる八才にして光明寺くはうみやうじに登のぼるといへども
剃度ていどを嫌きらふて松下加まつしたか兵衛に仕つかへ藤吉とうきち郎と改あらたむ後のち織田信長おだのぶなが
に奉仕ほうじし戰功衆せんこうしゆに超こへて登庸とうよう朝日あさひのごとく羽柴筑前守はしばちくぜんのかみと改あらたむ

繪本武将勲功記巻之一
大内義隆おほちよしたか九州しう發向はつかう之事
荘子曰そうじにいはく大聲不レ入二里耳一たいせいはりじにいらず折揚皇荂せつやうくはうくは則嗑然而笑けうぜんとしてわらふとは。
世よ乱みだれて礼楽れいがく壊くづれ。賞罰しやうばつたゞしからざるを傷いためる
格言かくげん。むべなるを。爰こゝに本朝ほんてう百七代の帝みかど正親町院おほきまちのゐん
の御宇ぎよう。武将足利義輝公ぶしやうあしかゞよしてるこうの時にいたつて。国家こくか
の徳政とくせい破やぶれ。闔國かつこく大に争乱そうらんせり。抑そも/\足利家あしかゞけの
創業さうげうを按あんずるに。往いんじ元弘けんこう建武けんむの朝政ていせい明あきらかならず。忠ちう
臣しんは匿かくれ侫人ねいじんはあらはれ。奢侈しやし淫佚いんいつに超過てうくはせしかば。

(15)

群雄各国ぐんやうかくこくに。割據かつきよし。つひに新田足利両虎爪牙につたあしかゞりやうこそうげを
逞たくましふす。すでに南北に分わかつて。北朝ほくてうの武威ぶゐ大にふるひ。足あし
利尊氏かゞたかうぢ海内かいだいを統一とういつし。累代長るいたいとこしなへに仁政じんせい周あまねかりしかば。
家門かもん弥栄いよ/\さかへて。楠氏なんしも兵機へいきを挙あぐるにちからなく。新田につた
の一族ぞくも北越ほくゑつの雪に埋うづもれて回復くはいふくの春をしらず。
しかはあれど子孫しそんにいたり。武名ぶめいやう/\おとろへ。明めい
徳とくに山名やまな。嘉吉かきつに赤松あかまつ。應任おうにんに義政公よしまさこう世よを乱みだし給ひ。
連年兵革れんねんへいかく。やむときなし。かゝりしかば諸民しよみん業げうを安ん
ぜす。農業のうきうの煩費はんひたとふるにものなし。これや漢楚かんその

戦たゝかひに。海陸かいりくを尽つくして覆くつがへしけん天下億兆をくてうの愁うれへも。かくやと
覚おぼえて浅間あさましかりし世中なり。時に天文てんぶん五年。筑紫つくし
鎮西ちんせいの国くに人等ら綸命りんめいをもおそれず。武命ふめいをもはからず
私欲しよくのために弓箭きうせんを業わざとし。萬民ばんみんを悩乱のうらんせしかば。帝逆みかとげき
鱗安りんやすからず。公卿くきやう區々まち/\に 僉儀せんき有所。普ふ天の下に生しやうを
受うけ。いづくか王地おうちにあらざるや。御調みつき物をも献けんせず。叡慮ゑいりよをも
おそれず。恣ほしいまゝに弓箭を起おこし。国土を動乱どうらんせしむるの条
其罪つみはなはたかるからす。所詮しよせん誅罰ちうばつをくわへられずは。有
べからざるよし奏そうし給へば。やかて武将ぶしやうへ宣旨せんじをそ下くだされ

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ける。義晴よしはる即すはなち。九州しう誅罰ちうばつの御教書みげうしよを。大内おほちたゝ良ら義よし
隆たかへぞ下されける。義隆勅命ちよくめいを帯たいし。彼是かれこれ三万の軍ぐん
勢を率ひきいて。筑紫つくしへ發向はつかうし。筑前ちくぜん国博多はかたの湊みなとに諸
勢を押おしあけ。先秋月居城きよしやうに押懸おしかけ。稲麻とうまのごとく取圍かこん
で。息いきをもつがせず攻せめ給ふ。城しろにも爰こゝをせんと防戦ふせぎたゝかふと
いへども。多た勢に手痛いたく責せめられ。たまるべきやうあらざ
れば。甲かぶとをぬぎて降がう人となる。やがて人質じちを出しけれ
は。夫それより菊池きくち原田はらだが両城へ取詰つめ。息いきをもつかせず責せめ
ければ。是も降かう人と成て軍くん門にかしこまる。彼等かれらを初はしめ

として。筑後ちくご肥後ひご九州の軍ともがら。悉こと/\く降参かうさんしければ。義
隆何も。人質しちをばとりかため。国の制法せいほうたゞしくして。
防州ほうしうに帰陣きぢんし給ひ。各おの/\休息きうそく有て賞しやうす不レこへ超レ時ときをとて。
今度こんど戦功せんこうの輩ともからに。それ/\に勧賞けんじやうおこなはれける。角
て上洛まし/\。公方へ参給ひて九州の首尾しゆび。委細いさいに
申上給へば。相国しやうこく御感限かんかきりなく。直すぐに帝みかとへ参内さんたいし給ふ叡ゑい
感かん浅あさからずして。今度の忠賞ちうしやうに。太宰だざい大貮帥にそつに任にん
ぜられ。防ほう。長ちやう。豊ぶ。筑ちく。四ケ国の安堵あんどを給はり。其上中国
筑紫つくしの成敗せいばいを。一圓ゑんに下さるゝとの宣旨せんじなり。義隆

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時に當あたつて。弓箭せんの面目めんほく有難ありがたき勅定ちよくぢやうとて。悦よろこびいさみて
御前せんを立給ひける。角かくて義隆に。いまだ北方きたのかたもおはし
まさゞれば。やがて持明院ぢみやういん入道殿一忍軒にんけんの姫君十五
にならせ給ひけるを。迎むかへさせ給ひて。御暇いとま申て帰国きこく
したまひにける
義隆全盛せんせい之事
去程さるほどに大内おほち多々良の義隆は。防州ほうしう山口。鴻こうの嶺みねの御館みたち
を普請ふしんし。并に新造しんざうに屋形かたを。かゝやくばかりにみがき
立て。北方を移うつし参らせ。築つき山の御前ぜんと号なづけてかしつ

き給ひける。されども姫君ひめきみ都みやこを恋こいしく思召おほしめして。事の折おり
にふれては。いひ出させ給へば義隆よしたかさもあらば。南北
に都を移うつさんとて。一条より九条までの条里でうりをわり。
四ケ国の大身しん小身の屋形かた。いらかを並ならべて造つくり給へり。
京堺さかい博多はかたの商あき人。軒のきをあらそひ建續たてつゞけり。領れう国の
諸侍しよさふらい。朝暮てうぼに出仕しゆつしをとげ。いねうかつがうしるすにす不レ遑いとまあら
しかのみならず。諸門跡せきを初はしめ。公卿殿くきやうてん上人。又は五山の惟高これたか
和尚達たちを請待しやうたいし。或時あるときは和歌管弦わかくわんげんの遊あそび。又或ある時は
侍聯句しれんくの会くわいを旦暮たんほの業わざとし。其外京都南都よりも

(18)

[挿絵]

(19)

申楽さるかくの名めい人を呼下よびくだし。能藝のうげいを尽つくさせ。扨は茶湯ちやのゆ
を興行かうぎやうし。和漢わかんの珍器ちんきを集あつめて。弄もてあそび給ふ程に国々
よりも諸商あき人。山口へ到来たうらいして。日毎ことに市町立にけ
り。されば防州ぼうしうには時ならぬ春の来きて。花の都と唱となへ
けり。此東は中/\にすたれはてゝ。及ふべくもなかりけり。
されば山口一条の辻つじに如何いかなる人かしたりけん。九重の
天こゝにありとして
大内とは目出度名字今知れり衷ちうの字じ略りやくせし人内裏とは
尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさ藝州青野けいしうあをのが鼻はなにおゐて

義隆よしたかと合戦の事
雲州うんしうの大守たいしゆ。尼子下野守晴久あまこしもつけのかみはるひさは。中国十余よヶ国の
権けんを取とつて。威いを高たかく振ふるふ。寔まことに武道ぶだうにさかしく。諸侯しよこう
をなでしかは。此家門にしたしまぬ人はなかりけり。或ある
時とき諸臣しよしんをまねきて申されけるは。防州ぼうしう大内義隆おほちよしたかは。今こん
度と鎮西ちんぜい退治たいぢの勧賞けんしやうに。中国九州きうしうの成敗せいはいを給はる。去さる
に依よつて。西国は義隆か命に随したがはすと云事なし。
されども晴久はるひさにおゐては。大内おほちが下知を用ゆまし。時に
義隆いきどをりをいだきて。終つゐには家の敵てきとならん

(20)

所詮しよせん近日押寄きんじつおしよせて。四ヶ国を押領おうれうし。某それかし。西国の成敗せいはい
を給はらんとおもふなり。急いそき領国れうごくへ相觸あいふれ。軍勢くんせいを催もよほす
べしとぞ申されける。懸谷かけや丹後守たんごのかみ。浮澤将監うきざはしやうげん。御下知
をうけて。軍勢の着到ちやくたうをぞ付にける。都合三万七千
五百の。士卒しそつを打随したがへ。晴久はるひさ雲州うんしうを立れける。先陣は南なん
条修理太夫でうしゆりのたゆふ。手勢五千を卒そつして。一陣に進すゝむ。既すてに
藝州げいしう青野あをのが鼻はなに着つきしかば。しばらく爰に陣取けり。
去程さるほとに義隆。諸家老を呼よびての給ひけるは。誠まことや尼子あまこ
晴久はるひさ當家退治たいぢの為に大軍を卒そつして向むかふと聞きく。某それかし

西国の成敗せいはいを司つかさどる事。全私まつたくわたくしにあらす。勅宣ちよくせんを蒙かうふりて。
政まつりことをたゞせり。然を加様に。逆心ぎやくしんを企くはだつる事。一には朝敵てうてき
二には家の敵彼てきかれと雌雄しゆうを決けつせんと憚はゞかる所有べからず。
はやく勢揃せいぞろへして。打立べしとぞ。下知せられける。陶すへ山
口承うけたまはつて。四ヶ国へ触状ふれしやうをなし。三万一千の着到ちやくたうを御目
にかくる。義隆のたまひけるは。山口阿波守あはのかみ。五千にて
先陣すべし。陶すへ尾張守おはりのかみは。壱万にて二陣にうて。三陣
は冷泉寺れいせんじ民部みんぶ少輔。残のこる壱万は旗本はたもとに卒そつして。二日
路ぢ跡あとに。出陣しゆつぢんすべしとぞ下知し給ひける。各おの/\承て次

(21)

第/\に打ほどに。先陣既すでに青野が鼻はなに着つきしかば。
敵の備そなへと。其間あいた十五町隔へだて。陣をぞ取にける。一日
人馬の足を休やすめて。翌日よくにち辰たつの一天に。山口一戦せんをぞ進すゝ
めける。南条なんでう是を見て。兵へいを下知して。暫しはらく時ときを移うつして
責戦せめたゝかふ。角かくして其日三度の合戦に。互たかひに勝負しやうぶはな
かりけり。二日は陶尾張守すへおはりのかみ一万騎をすゝめて。一時に
雌雄しゆうを決けつせんとまふだりける。尼子方あまこかたには岡田弾正おおかただんじやうの
忠ちう諸勢の機きをはげまし。少すこしもたゆます攻せめ戦ふ。此日も
三度の合戦に。手負ておい死し人の有様は。算さんを乱みだせることく

なり日も夕陽せきやうに傾かたふき給へは。南陣たかひに引にける。
三日は冷泉れうぜん民部みんぶ少輔尼子あまこ方には。和多利わたり淡路守あはちのかみ
懸合かけあはせ。荒あら手を入替かへ/\。無二無三に死を一時にぞあら
そひける。此日四度の合戦に。何も勝負しやうぶなかりけり。角かく
て翌日よくじつ明方あけがたより。雨降あめふりいでゝ。晴間はれまもあらされば。
双方そうはう互たかひに陣取けり。かゝるうちに下野守つけのかみ例れいの持病ぢびやう起おこつ
て。甲かふとをまくらとし伏ふし給ふが。次第に胸先むなさき痛増いたみまされは。
気色きしよく弱よはりて見え給ふ。諸家老是をみて申けるは。抑そも/\
此程の軍いくさの防戦はうせんを積つもるるに一往わう二往にて。中/\雌雄しゆう

(22)

[挿絵]

(23)

は決けつし難がたく存る也。後日の勝負しやうぶ待まち給て。先御帰陣きちん有
て然しかるべしとすゝめ申せば。晴久力ちからなく左とも右かうもはか
らひ候と宣のたまへば。さらばとて鳥にもかなはせ給はねは。とある
山寺より。乗のり物を取寄よせて打のせ雲州へとぞ急ける。
諸勢も次第/\に帰陣したりけり去程に義隆は本
国を出給ひ。途中とちうにて。是を聞給ひて。残多のこりおほくおほし
めせども。後日の一戦たるへしとて。防州□□しうへ打入た
まひにけり
陶尾張守隆房すへおはりのかみたかふさ逆心ぎやくしんの事

大内義隆おほちよしたかの家中かちうより。山本玄蕃けんば之照せうといふ士さふらひ。京都
へのぼつて。上野民部少みんぶのしやう輔に。對面たいめんして申けるは。某それかし主しゆ
君くん義隆の御為に。高野かうや山へ罷上まかりのほり。夫それより言ごん上申さん
ために。是まで参り候とて。義隆滅亡めつほうの始終しじうを。委い
細さいにぞ語りける。抑そも/\大内の臣下しんかに。陶尾張守隆房すへをわりのかみたかふさと
申者ものは。昔時むかし義隆の先祖せんぞ。震旦しんだん国のあるじ。淋昌りんしやう太子。
本朝に渡わたりたまひ。はじめて筑前ちくせん国。多々良らの濱はまに
あがり給ひしにより。則すなはち多々良氏うぢと号がうす。陶すへも山口も
同名とうみやうなり。此とき具ぐせられける南臣なり。されば君臣の

(24)

礼儀れいぎ代々つゞかなく相傳あいつたへて。今此義隆まで既すでに
廿八代にをよべり。この義房が養父やうふに。陶道㐂どうきと云
者あり。陶五郎とて唯たゝ一人の子をもてり。器量きりやうこ
つがら人にこへ。文武ふんぶに長ちやうじ。藝才けいさいいみじかりけれは。父
道㐂義隆へ参らせ。をのれは同国。冨田とみたの城しやうへ隠居いんきよ
しけり。さるほどに陶五郎。萬事はんしにさかしかりければ。
義隆なへてならずおぼしめして。恩賞をんしやう父に越こへたり
領れう国の諸侍しよさふらひも大内のきりものとて。おもくのみかしづき
にける。あるとき五郎。冨とみ田の城にきたつて。道㐂に

對面たいめんし。萬よろづのものがたりをしける次つゐでに。義隆の御行跡かうせき
又は国のまつり事。一向かうみだりなるよしをかたつて。嘲あざけり
ければ。父入道つく/\と聞て。心に思ひけるは。きやつは
安やすからぬ事を云いふものかな。入道なからむ跡あとには。一定ぢやう主しゆ
君くんへ謀叛むほんをすべきものなり。さもあらば先祖せんぞにをよ
びて。瑕きずたるべし。所詮しよせんかれを害がいして。入道がよみぢの
さはりを。のがれんと思ひ切て。ひそかに家老からうに云いひ付
て。なさけなくも討うつて捨すてたりけり。他国の人と傳聞つたへきゝ
て。悪逆無通目あくぎやくぶたうめに見えても。我子といへばまなこくれ

(25)

ゆるすは親おやのならひぞかし。いはんや見えたる科とがも
なきものを。ゆく末すへを鑑かんかみて。唯たゝ一人の遺跡ゆいせきを。討うつて
すてたる道㐂は。唐もろこしにもなき忠臣ちうしんと。ほめぬ人はなか
りけり。かくて入道傍輩ほうはいの子を養子やうしにして。義隆へ
参らせ。今陶尾張守と名乗なのりて。恣ほしいまゝに権けんをとつて。
重恩ちうほん身にあまりて。何なにの不足ふそくかあるべきに。いかなる天
魔まの入かはりけむ。義隆公をほろぼして。一日なり
ともあの栄花ゑいくわ心のまゝにたのしみて。未来みらいの思ひ
でにぜんとおもふ心ぞ付にける。さるによつて虚病きよひやう

をかまへ。義隆へは暫しばらく療治りやうぢをくはへ候はんとて。冨とみ田の
若わか山へ引籠こもりて。むほんの計策けいさくをぞめくらしける。去さる程に
隆房杦隼人佐すきはやとのすけ右みき田将監青景しやうげんきよかげ。鷲津等わしつらをさきと
して。さもある人々をはひそかに招まねいて。珍膳ちんぜんをつくし。
酒をすゝめて其後そのゝち申けるは。某それかし此間不思儀ふしぎの事を。聞きゝ
出いたし申候。その委細いさいは相良遠江守さからとを/\のかみ武任たけとふ。義隆よしたかへ讒ざんし
けるは。をの/\と。隆房一味みして。反逆ほんぎやくをくはだつるよ
し。たゞしく告つけ申。義隆實まことにうけ給ひて。にくき
やつばらが所存しよぞんかな。其義ならば近日に。誅罰ちうばつすべし

(26)

とて。安藝あき備後びんご備中ひつちうの者どもをめされて。不日ふじつに罰□つ
せらるべきよし聞えあり。さるによつて宮みや三𠮷みよし杦すぎ原
平賀天野あまの古志こし木梨等きなしとう一万の人数しゆをそつし。住ちう国
をうつ立石州たちせきしうに付しかば。三角福すみふく屋のつはものども。
三千余騎よきにてひとつになり。近日山口へ着陣ちやくちんと申。
然ればをの/\某それかし同心どうしんして。勢せいのつかぬうちに。山口へ
をしよせ。義隆を討うち申。大友とも御舎弟しやてい義長よしなかをば
申うけ
て。主君にそなへ奉たてまつり。にくき相良さからが頭かうべをはね。うつふん
をさんずべしとぞ咡さゝやきける。人々是を聞きゝて。扨も寄き代

[挿絵]

(27)

のざんげんかな。おもひ設もうけぬ事なれば。誤あやまりなき四底しんていを。一
旦たんは申さばやとおもへども。さほどもよほし急きうならば如何いか
に云いふともかなふまじと。一往わうの沙汰さたにもをよばす。同
心せり。陶は大きによろこびて。さらば一族ぞく他家たけの人々
へ。廻文くわいふんをしたゝめよとて。国々へぞつかはしける。筑前ちくぜん
の国には。加珍かちん源物同与次大夫。肥後ひご国には。安蘓あそ珍五
郎太宰少貮たさいのせうに。千寿しゆ丸秌あき月種實たねさねを先さきとして。悉こと/\く
同意いせり。扨又防長はうちやうの其中なかには。内藤隆世ないとうたかよ。三崎さき監けん
物もの弘中ひろなか參河守みかはのかみをは宗むねとして。雲霞うんかのごとく付した

がふ。参らる所に陶が家子に。深野弾正康澄ふかのだんじやうやすすみ宮みや川
左衛門は。房勝ふさかつたかふさが前まへに来きて。かしこまつて
申けるは。承うけたまはれば。隆房は主君へ逆ぎやく心をおこし給ふ
扨も口惜おしき次第しだいかな。参らる御所存しよぞんのあるへきとは。
露つゆも思ひよらざるなり。先四をしづめてきこしめ
せ。御養父やうふ道㐂たうき入道殿。唯たゞ一人の義清よしきよ殿を害かいし
給ふは。何ゆへぞや。主君に弓をひかふず者なりと
思召て。うしなひ給ふは。君歴然れきぜんしろしめす。ごとくなり。たゝ
今逆ぎやく心の名をとり給はゞ。天命いかでかつきざるべき

(28)

主君の罰ばつ。亡父はうふの罰はち。世間せけんのあざけり。かた/\もつて
生しやうがひは候はしと。涙なみだをながしいさめにけり。隆房きゝて
かほどに思ひ立うへは。烏からすの頭かしらが白くなり。駒こまに角つのが生おほる
とも。思ひとゞまる事あらじと。座敷ざしきを立て奥おくへ入
あひのしやうじを押おし立けり。両人は是を見て□干ひかんは
胸むねをさき。伍子胥こししよは刑けいを給はるも。かゝる事にこそ
はあれ。此上は萬まん人の人口じんこうにかゝらんより。いざや冥途めいどに
赴おもむき。草くさの影かげなる入道殿と共に。因果いんぐわをみはてなん
と座敷をさらすさしちかへて死にけるは。たぐひなき

忠臣ちうしんと聞人毎ことに。感かんせぬはなかりけり。去程に隆房に
相随したがふ人々は江良えら丹後守たんごの信俊のふとし彼野かの弾正忠弘仲だんしやうのちうひろなか
三河かは守守貞もりさた清景きよかげ刑部少ぎやうぶのせう輔戸井田正廣といたまさひろ鷲津わしつ入
道を宗むねととして。都合つがう其勢せい八千余騎。すでに山口へよ
するときこへしかば。義隆きゝ給ひ。何なに隆房かむほんと
云か。相傳さうてんの家僕かぼくとして。主君に弓をはなつとも。天
命いかでかのがるべき。それふせげ兵共との給て。やが
て大具くをぞしめ給ふ。冷泉れいせん民部少みんぶのせう輔天あま野前内是を
見て。おもてをふせぎ候はゞ。三浦うら戸井田右みき田仁保にほの

(29)

よものども。手合仕候へば奥おくへ責せめ入て。若君わかきみ御臺みだいを
生捕いけどり奉らん事うたがひなし。唯瀧たゞたきの法泉寺はうせんじへ落た
まひ。心よくあれにて一戦せんし。其後御自害じかい候てしか
るべう候はんといさめ申。義隆ちからなく。冷泉れいせん天野
を先として。相傳さうでんの兵を三百すぐつて。法泉寺へ
とぞ落おちたまふ。程なく着つき給ひしかば。一時に堀ほりを
ほり。逆母木さかもぎをひかせ。しとみやり戸をたてとして。よ
する敵かたきをぞ。待まち給ふ。時刻じこくうつれば。其日をのべじと
尾張守隆房。八千余の軍兵くんひやうをそつして。法泉寺へ

をしよせ。ときをどつとあげ。冷泉隆豊とよ大力にして。
□剛しいかうの士さふらいなれは。もえきおどしのよろひの。三人し
て持けるを。わたがみつかんで引立。草摺すりながに着きくだ
して。四尺八寸の赤銅しやくどう作つくりの大身をはき。其人五寸の
白柄えの長刀ひつさげて。先にすゝみ給へば。天野前内
佐伯さえき若内黒くろ川小幡等をばたとう。おもひ/\心/\に出立て。左
右につゝく敵には。三浦清景うらきよかげ鷲津わしつ等を先陣ぢんとし
て雲霞うんかのごとくみだれ入を。冷泉民部少輔たせい
の中へ切て入。十もんじにわり立。なぎふする。いきほひ

(30)

は樊噲ばんくわいがいかれる有様ありさま項王かうわうが山をぬく威勢いせいも。
かくやと思ひしられたり。末時節いまだじせつもうつらずして。手
負おい死し人は算さんをみだして見えにけり。よせて大き
に驚おどろき。唯たゞ一人に切立られ。むら/\ばつとぞ引たり
けり。日の中うちに五度とのたゝかひに。味方みかたの三百も二十
余よ人に成りにけり。義隆今はつみ作つくりに何かせん。腹はらを
きらんとの給へば。冷泉隆豊とよ申されけるは。先一度たび
は。豊後ふんごへ落□せたまひ。大友ともを御頼あつて。筑前ちくせん
筑後ちくごの勢せいをそつして陶を亡ほろほし給ふへしと。人々し

きりに進すゝめ申せば。さらばとて夫それよりも法泉寺を夜
に入て主従し□じうと騎落きおつ給て。長門ながどの国にきこえたる。せん
ざきさしてぞ落られける。ほどもなく着つきたまへば。是
よりも小舟に取乗のりて。海かい上遥はるかに押おし出しけるに。とか
く運うんのつきける。義隆のしるしには。俄にはかに悪風あくふう吹ふき出
て。本もとのせんざきへ吹もどしけり。是ぞ源の義隆四
国へのらむとて。押おし出せしに悪風吹て。もとの浦へ
吹もどしけるにことならず。かくて敵とも浦々関せき々
をかためけれは。雑兵さうひやうの手にかゝらんよりは。是よりも

(31)

挿絵

(32)

當国たうこく布ぬの川の大寧寺ねいじへ行て。自害しがいを心静しづかにせば
やとておはしけり。此寺は石屋禅師せきおくぜんしの開基かいきとして
仏法流布るふの霊地れいちなり。かの寺におちつき給へは。□い
雪和尚せつおしやうなみだをながし。たまひて。盛者必衰しやうじやひつすいの
ことはりとはいひながら。かゝる御ありさまを見たて
まつるに。爰の様にこそは存づれとて。互たがひになみだ
にむせひ給ひける。其後のたまひけるは。おさあひも
のともの事は是非せひなし。嫡子ちやくし三位み中将しやうをはたてまつる奉レ頼たのみ。い
かにもとりかへし給ひて。豊後ふんごの大友ともを。たのませ給

ひて。隆房を追罰ついばつし。某それかしが追善ついぜんにほどこし候様に。
偏ひとへに和尚をたのみたてまつるよし。遠頃おんころに契諾けいだくまし
/\ける。扨佛果ふつくわの種因しゆいん一ヶの吹毛すいもうを提撕ていきして。人にん
間げん是非ぜひのあいだを。截断せつだんしたまひてのち。腹はら十文字じ
に切て。天野いかにとにらみ給へば。前内なみだと
ともに。御介錯かいしやくつかまつりける。大内共八代天文十二の
天。中秋あき下旬けしゆんの露つゆと消きへさせ給ふぞあわれなる。かくて
時刻じこくうつりければ。陶隆房は又あら手一万余を率そつ
して。大寧寺ねいじへ押寄おしよする。冷泉民部少輔最後さいごのいく

(33)

さを心よくして。敵に目をさまさせんとて。今度こんどは三
尺貮寸の太刀。五帝入道正宗まさむねがうつたるみだれ刃やきの。
ぬげば玉ちるばかりなるを。かろ/\と引さげて。多
勢せいの中なかへうつて入。活人くわつにん剣殺けんせつ人刀とう。向かう上極意ごくいの妙剣みやうけん。
十字手裏釼じしゆりけん。沓くつばう身などいふ。兵法ひやうはうの術しゆつをつくし。
きつて廻まはり給へば。手先に向むかふ兵なかりけり。七人の
人々も今を最後さいごの合戦なれば。戦場せんじやうを枕まくらにせん
と。太刀のかねのつゞくほど。十文字に切ちらせり。隆
豊とよも今ははや。さるべき敵もなし雑兵原さうひやうばらを太刀

よこしに。殺ころしても何なにかせんとて。立かへつて佛前にて
鎧よろひをぬぎ短尺たんじやく一枚まいとり出て辞世じせい
みよや立けふりも雲もなか雲に
さそひし風のあとも残のこらず
黄門くわうもん定家卿ていかきやうの未流はつりうといひながら。かゝる折節おりふし哥うた
よむべうもおほらず。されども哥道かどうに。入魂しゆつこんし給へ
ば。かく口ずさみたまふ。心のうちこそやさしけれ。かくて
をしはだぬき給ひて。腹十字に切て。かへす太刀
にて心もとへつき立。夕部ゆふべの露つゆと消きへ給ふを。おしま

(34)

ぬ人はなかりけり。残のこる人々も。思ひ/\に最後さいごの得とく
道だうし給ひて。自害じがいしてうせにけり。扨嫡子ちやくし三位み中
将しやう御父祖ふそ一忍軒にんけん。ある山寺にしのび入。かくれさせ給ひ
けるを。陶阿波守あはのかみ是を聞付て。三百余騎よきにて馳はせむ
かひ。とく/\御生害しやうがいあるべしと。すゝめ奉たてまつれば。せんかた
なく二人ともに。御生害しやうがいおはしける。扨北きたのかたは二人の
御公達きんたちをめのと二人かいだきて。ある山家かにしのび給
ひけるを。御父の一忍軒にんけん中将殿義隆公は。不レ及レ申こと
/\く御生害しやうがいおはしけるよし。相傳さうてんの友若ともわか丸来きたりて

告つけければ。氣もたましゐもなき心地こゝちして。今まで
はさりともとこそ思ひしに。こは情なさけなき事ども
かな。中なかにも父一忍軒は。十年ばかり相みぬことをなつ
かしく思しめして。過すぎにし春のころくだらせ給ひ。
夏なつのなかはに京へのほりなんと。しきりに仰おほせられし
を。今一日/\ととめ奉たてまつり秌あきになり。かゝるうきめに
あふて。自害じがいまし/\田舎いなかの露つゆとうせたまふこと
の悲かなしさよと。天にあふき地にふして。歎なげき給ふが。
今はなにゝ命いのちのおしかるべき。はやくめいどに赴おもむきて

(35)

人々とひとつ。蓮はちすにて。御目にかゝらんとの給ひて。
ある渕ふちに行ゆきて。へきたんの底そこへぞしづみ給ふ。め
のとは五歳さいの姫君を。いだきて是もつゞいてしづ
みにけり。あはれと云も常つねの事言葉ことばにのぶべき
やうもなし。これをきくともがら涙なみだにむせぬはなかり
けり。人々是を聞給ひて。隆房が悪逆無道あくぎやくぶたう。と
かう申にをよばすと。にくまぬ人はなかりけり
毛利元就もりもとなり陶隆房すへたかふさをらるゝ被レ罰はつせ事
去程に陶すへ隆房は。大内義隆の貴族きぞく。相傳さうてんの郎従らうじう

等ら。こと/\くに亡ほろほし四ヶ国をさまたげなく押領おうれうし
さて山口嶋嶺かうのみね築山つきやまの御所しよ。金銀しゆぎよくをちり
はめたるに。わか身はうつりかはり。冨田とみたの若わか山の
城じやうをば。嫡子ちやくし五郎隆豊たかとよにゆづりけり。かくして町
人百姓等しやうらの仕置しおきを改あらため。今ははや心に残のこる所なく。上
みぬ鷲わしとぞ見えにける。あるとき山口惣さう門の前
に跡あとなしものゝ所為しわさとみえて
根ねをほりておほちの枝葉えたはからすとも
むくはんすゑが果はてぞおそろし

(36)

據栄花ゑいくわなにはに。つけて不足ふそくなく。あかし暮くらしけるほど
に。翌よく年の仲秋なかあきに。郎従等らうじうらをちかづけて。隆房申
けるやうは。亡君ばうくん四ヶ国をは領れうし給ふとは申せども。をの/\
所領の分限ぶんげんをばしらず。うちくらし給へり。しかれは来春らいしゆん
かならず一見けんし。某それかし要害ようがいのやうをも。見んと思ふは。いかに
と云ければ。諸士しよしもつとも然りなんとぞ同しけり。に干レ茲こと
毛利陸奥守むつのかみ元就もとなり。その比ころ藝州けいしう甲かふと立といふ所に。わづ
か千貫ばかりを。身帯しんだいしておはしけり。自然しせんと弓馬きうば
の家に化生けしやうして。武勇ふゆうの道みちにさかしく。文にちやうして

智畧ちりやく謀計ぼうけいそなはれり。敵をおとし。国をしたかへる事
龍りやうの水をうるがごとし。然るに此隆房が悪逆無道あくぎやくぶたうをあ
んずるに。上かみは天帝ていにそむき。下は地神のにくみを得え。
さて人口じんかうの嘲あざけりなく無レ據よんところとをくは五年。ちかくは三年かう
ちに。天の責せめつゞまつて。不慮ふりよに亡ほろひん事。うたかひ
なし。さあらんに付ては。如何にもして。此隆房を亡ほろほし。
當家武運たうけのぶうんの厚薄かうはくを。ためさばやと思しけれ共。隆房
が身帯しんだいに予よをくらぶれば。九牛きうが一毛もうなり。如何すべき
とあけ暮くれ肝きもをくだかれける所に。隆房領れう国をうちま

(37)

はるべきよし聞へければ。やがて陶に朝夕てうせき出仕しゆつしのもの
ども。二三人近付。おり/\の御咄はなしにきけば。隆房年越
さば。防はう。長ちやう。豊ふ。筑ちく。のこらず一見けんあるべきよし。風聞ふうぶん候左
もあらばよき幸さいはひと厳嶋いつくしまへまうでたまひ。すぐに
藝州げいしうをも有増あらまし。見給ふ事もや有なん。おなじくは御参さん
詣けいなきやうにとこそ存そんづれなど。いひきかせ給へは。この
人々何為にかきらず。珍説ちんせつをきかせて。陶か気色きしよくに
いらんと思ふおりなれば。やがてかくとぞ告つけたりける。
隆房聞てあやしく思ひ。さもあらば是非せひとも。まふづ

べしとぞ申されける。元就悦㐂ゑつきかぎりなく。一家の親しん
族ぞく累代るいたいの臣しんをは集あつめて。軍の評議ひやうぎ相定あいさだめて。領分りやうぶんの
百姓等しやうら。こと/\くかり立。焼草やきくさを用意させ。如何にもし
づまりかへつて。隆房をそしと待まちうけらるゝ。去程さるほどに
陶は。かゝる智畧りやくありとは。夢ゆめにもしらず。究竟くつきやうの兵を
は。五百余人すぐつて。さま/\のさゝげものをしたゝ
め。厳嶋いつくしまへとうち越こへける。ほどもなくつきしかば。現世げんせ安あん
穏ほんのためとて。かずの寶たからを奉納ほうなうせり。社僧神官しやそうしんくわん各おの/\
まかり出て。珍重拜舞ちんてうはいぶす。かくて日も夕陽せきやうにかたふき

(38)

たまへば。下向けかうの道に赴おもむき。さるべき宿やどに休息きうそくして。
諸勢もつかれをはらしける所へ。元就三方よりをし
まき。鬨ときをどつと上あぐる。隆房大きにおどろき。こは
何事ぞ誰たれなるらんといへば。毛利元就謀叛むほんにて候
と申。陶きゝて何なにほどの事かあるべき。兵ともへ□を
うち破やふつて。かけとをれとて下知しける。□かる所に四方
より放火はうくわしければ。一同にもえあがる。をりふし濱はま
風はげしく吹て。狼烟らうゑん天をかすめ。ほのを地に吹
付たり。兵とも途とに迷まよひて。東西とうさいへ討うつてかゝれば。矢

(39)

先さきをそろへて。鑓やりふす刃を造つくつて。一人ものがさじと。
鬨ときの声こゑを。作つくりかけ/\。天地もさくるばかりに攻せめ付た
り。鉾ほこ先をのがれんとすれば猛火みやうくわにこがる熖ほのををよ
けんとすれば。矢さきをのがれず。網あみにかゝれる魚の
心地して。もるべきやうこそなかりけり。隆房むねんにお
もひて。身にしたがふ兵。七八人左右に立て。多勢の
真中まんなかへわつて入。さん/\にたゝかひけるが。痛いた手を負おふて
引しりぞき。今は是までと思ひて。腹十文字にかき
切て。熖ほのをの中なかへぞ入にける。是を見て兵とも。我も/\

と自害しがいして煙けふりをかつきて伏ふしにけり。元就おもひの
まゝに討おほせて。勝かちどきを三度ど上て。帰陣きぢんし給ひ。
一日休て。防州ばうしう冨田とみたの。若わか山の城へぞをし寄よせ給ふ。二ふた
重え三重に取まき責せめたまへば。五郎隆重たかしげ暫しばらくたて
籠こもりて。領国の勢のつくを相まち。一戦せんに雌雄しゆうを決けつ
せんとしける。元就やがて五郎が家老からうをたばかり給
へば。子細しさいなく隆重が首くひをはねてぞ出しける。此外陶が
親族ぞく従類しうるいたづねもとめ。髑どくろを切て獄ごく門にかけ。義隆
の追善ついせんとゑかうし給ひけり。.深野ふかの宮みや川が謀言ぼうげんつ

(40)

ゆもたかはざる所。因果ゐんくわ歴然れきせんのことわり。兎角とかう申に
及およばれず。三年が内の栄花ゑいぐわは。唯たゞかんたんのまくらに
ふして。一炊すいの夢ゆめの覚さめたるがことし。哀あわれにはかなき
事ともなり
よつて依レらくちうそしやうに洛中訴訟一るレおこなは行レ徳政とくせいを事
諸国つゐて就二そうけき忩劇一分国に朝関せきを立。往還わうくわんの旅りよ人やすからず。
去さりによつて都鄙とひの帝てい人自おのつから途絶みちせつしけり。是に付て
京方の工商こうしやう家職かしよくをむなしくせり。日を追おつて糧かてつき
ければ。家財を蓄たくはへたる者は。質しち物に入て。暫しはらく妻子さいし

を□□くむ。財寶さいほうなきものは。行衛ゆくえなく逐電ちくてんしける者もの
多おほかりけり。角かくおとろふるによつて。公方役くはうやく地子役ちしやくかつ
てすゝむるにあたはず。催促さいそくきひしといへども。大方かた質物しちもつ
に。拂底ふつていしければ栓方せんかたなくて。上下京一同に。検断けんたん
所しよへ訴訟そしやうを上あくる
近事京都之諸商賣しやうはい。一圓ゑんに不レ得其捌さばきを。内證しやう
迷惑めいわく仕候。去に付て家財かざいを質物しつもつに入。又は沽布こきやく
を□ゝる。年を経ふるといへども。猶心糧かて盡つき。既すてに飢き
渇かつに及申候。是に依て不レあたは克二御候儀役やくつとむ勤一るに

(41)

此度の儀に御座候条被レくわへ加二御じひを慈悲一徳政とくせい被レ成二
御赦免一しやめん下され候は有難ありかたく可―奉レ存聞言上す
即老中披見有て被レ達二上聞一ける。公方つく/\御
覧じて。翌よく日人/\を召て仰られけるは。在地さいぢ人
等。近年家業かげうの利を失うしなひ。飢渇きかつに及ふのよし。
尤不便ひんなり。其士農工商しのうこうしやうは。昼夜ちうや心骨こつを刻きさみて。
上を育はこくみ。上は又下の豊ゆたかならん事を。日々に改あらためて
安全をまもる然リといへとも。當世は哀乱せしかば。
政せい道も又なきかことし。それに付て徳政を望む

事もとより米銭に冨とみたるものは□倍はいの為に
質物をとる。取程のやからは縦たとひ其財寶さいほを悉こと/\くとら
るゝといふとも。飢渇きかつにおよぶほどの事はあらじ。有う
徳の者は百人にひとりふたりならん。しかれば
小をころして大をすくふは是法なり。其上に先せん
規きもなきにしもあらず。常徳じやうとく□□住ぢう院の例れい
にまかせて。急いそき徳政を行おこなひ貧窮ひんくうを余あまりせよ
と仰付られければ。人と承はつて。即評定ひやうでう
所にて案あん文をかゝれける。新規しんきにもあらず。大方かた

(42)

先比のことし
徳政 城別
一借銭借米之事
一於武具之類者 廿四ヶ月
一絹布之類者 十二ヶ月
一佛具繪質之物家器之類者 十二ヶ月
一家質縦たとへ沽券こけんに仕り證文正敷言ハ有レ之於レ加二利
弁者可レ存二借銭同前一事
右五箇条本銀之十分一ヲ以白昼はくちうにとり可申候

若違犯いぼんの族やから出レ有レ之者曲くせ事たるべきの□
被二仰出一仍下知如件
天文九年三月日 光俊
 貞長
 長高 在判
去程に質物しちもつを入たるともから。九年の旱魃かんはつに。大雨
をえたる思ひをなして。悦ふ事大方ならず。質屋の
内外に。人の出入は限かきりなし。かゝる処に洛外らくくわいに蟄居ちつきよ
しける。一業けう所感かんの者共。よき幸さいわひと悦ひて。五人十

(43)

人宛つゝ押込おしこみ。質物に事寄よせて財寶さいほうをうばひ取□□りい
儀におよべば狼藉らうせき仕るに依て。質屋かた迷惑めいわくし
此旨を訴訟そせうす諸奉行聞給ひて。重々高札を挙あけ
られける
掟
一今度被レめんぢよ免除二とくせいを徳政一之慶に在々所々に隠住かくもちう
せしむる牢輩等らうはいら質屋方へ押込おしこみを仕り資財しさい
をうはひとるのよし其聞候向後きやうこう其近辺の輩ともから
兼て被二手合一召時に出合随分すいふん打留とめ可申候生捕いけどり

におゐては大切之儀候之条侍さちらひにおゐては。
何にても□を叶へ平人に至ては當座の褒ほう
美びとして料足りやうそく二百文可被遣候御下知如件
月日 在判如前
右之高札洛中を物在々所々如残被立ける也

繪本武将勲功記巻之一