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作品No. arcUP7440 CoGNo. arcUP7440 Co重複: 1 出版年: 明治10 (1877) 月日 11・ 地: 大阪 出版備考: 順No.:( )
絵師略称 貞信〈2〉 絵師Roma 落款印章 応需 貞信画(★)、画工 大坂北堀江上通二丁目廿二バンチ平民 長谷川徳太郎 彫師摺師 彫工九市 画中文字人名 改印 御届明治十年十一月二十一日 判型 続方向 作品位置 001:001/01;01 異版
作品名1 「旧陸軍少将正五位 桐野利秋像」 ( きゅうりくぐんしょうしょうしょうごい きりのとしあきぞう ) 1印No. 1板元No. 1板元名 安田 与三郎 板元文字 編輯出版人 同(大坂)島之内八マン丁十五バンチ平民 安田与三郎
作品名2 「略伝」 ( りゃくでん ) 2印No. 2板元No. 2板元名 板元備考
分類 武者絵  戦争絵  肖像画  上方絵  画題 桐野利秋  西南戦争  シリーズNo. 資料部門 浮世絵
作品No. arcUP7440 配役  
興行名 よみ 場立
外題 よみ 場名
所作題 よみ 音曲種
細目種 よみ 上演年 場所 劇場
作品No. arcUP7440  
画中文字 「利秋は元中村半治郎といひて鹿児島城の上吉野村実方といふ所に住せり 維新の前に薩藩の兵士にて京師に在番し勤王の志厚く頻りに攘夷の説を主張しそのころ水戸の耕雲斎が幕府に敵☆(手偏+元)して筑波山にこもり終に囲を突きて上京せんとせし時桐野は単身にて敦賀に赴き危険を冒して事情を探偵し無事に京師にかへりたり 其後長州征伐のとき大に異議を起し其伐べからざるの理を切論し亦西郷とは兎角不和なる故始終独立して琴を事をなせり 慶応丁卯の年事起りし時も御所の宮門を守衛し会津の護衛兵を追はらひ翌四年戊辰正月慶喜上洛の折柄伏見に戦端を開きしときも真先にすゝみて敵中へ切入り大に戦功ありしが僅に今の軍曹之如きなれば差たる名もあらわれず 夫より征討総督東下の時には先鋒隊となり本隊よりは一二宿づゝも進み江戸に着し芝増上寺の学連舎を陣営とし西郷と共に江戸城を降し後神田橋内なる酒井の上屋敷へうつり或日河野四郎と共に他行せし帰路神田にて旧幕臣の彰義隊の者に出逢ひ無法に彼方より切り掛たるを桐野は心得たりと抜き合はせて切結ぶ内右の手の指を切落されしが少しも恐れす終に其場に賊を切殺し無難に本営に戻りたり その後奥州に出陣せし時会津を陥しいるまで度々戦功ありて軍監に命ぜられ平定の後賞典禄百余石を賜り藩にかへり中村を改め桐野利秋となのりつゞひて大隊の長となり東京に上り間もなく陸軍少将に転任し熊本鎮台の司令長官となる 該台に駐在せること一年にして陸軍才判所長に転じ明治五年征韓の論起りてより西郷と共に職を辞して終に無二の党となり明治十年二月頃より西郷の謀叛に与し四陣の長となり大兵を募り鹿児島を出て肥後路に押入り所々に軍略そ指揮せしが九月廿四日鹿児島城山にて銃丸数ヶ所を貫き終に城山のけむりと共に果しとぞ」
組解説 個別解説
組備考 個別備考
作品No. arcUP7440 所蔵者名 立命館ARC 所蔵者資料No. 蔵印
所蔵者URL http://www.arc.ritsumei.ac.jp/
所蔵者著作権表示 Copyright © 立命館ARC. All Rights Reserved.
所蔵者利用規定URL http://www.arc.ritsumei.ac.jp/guide.html
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