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AcNo. CoGNo. tkjSG439  AlGNo. tkjSG439
絵師: 藤井耕達,室野琢磨 (Fujii koutatsu, Murono takuma) 落款印章: 絵師検索 
判型: 続方向: 作品位置: 001 枚組の 001 番目  01 枚続の 01 枚目
Col重複: 1 All重複: 1
板元文字:  文武堂発 板元備考: 文武堂発行の『尋常小学四年生』の新年号
出版年月: 昭和04 (1929)・1月1日 出版地:  東京  同時作品
作品名:  世界發明發見双六 
      せかいはつめいはっけんすごろく 
      sekai hatsumei hakken sugoroku 
個別解説:解説は、下記「解説」ボタンより、commentary_tkjSG439を参照のこと。■世界發明發見双六の解説 本双六は、昭和4年 (1929 )、文武堂発行の『尋常小学四年生』の新年号の付録である。 編集兼発行人は山添平作(※1) 画は藤井耕達(※2)、室野琢磨である。 双六の構成を見てみよう(表①参照)。 全15マスの振出しは、種痘法の発見者のエドワード・ジェンナーだ。以降、サイコロ出目の指示に従って進む飛び回り双六が展開する。高山幸・鈴木徳(人力車発明)、ライト(飛行機発明)、北里柴三郎博士血清療法の発見)、ツェッペリン(飛行船の発明)、エヂソン(蓄音機の発明、フック(顕微鏡の発明)、パリッシー(焼き物の発明)、井上でん(久留米がすりの発明)、高峰譲吉(タカジアスターゼの発明)、スチブンソン(汽車の発明)、野口英世博士の幼年時代(病菌の世界的発見)。 人力車発明、久留米がすりの発明、焼き物の発明については、恥ずかしながら筆者は不知だった。。。幾つかのマスについては、補足の解説を行った(下記参照)。そして、上りは天孫降臨である。豊葦原の瑞穂の国(日本)を創生したことに因んでいるのであろう。 昭和4年当時、尋常小学4年生(1920か1921年生まれ・9歳か10歳)であった少年は、この双六を見て大志をいだいたかもしれない。 例えば、以下の方々である。 ・盛田昭夫:ソニーグループ株式会社創業者の一人 ・竹内均:地球物理学者 ・川喜田二郎:文化人類学者 ・梅棹 忠夫:民族学者 双六は、優れた教育・啓発機能を有しているのである。 ※1山添平作(やまぞえへいさく):大正時代から昭和初期にかけて、東京堂の仕入部主任や文武堂書店の発行者として活動した人物。東京堂の仕入部主任として、1914年(大正3年」)に『講談倶楽部』の売れ行き好調を受けて、出版社を訪問し、取引条件の交渉を行ったことが記録されている。文武堂書店の社長時代に、雑誌『尋常小学〇年生』シリーズ、長與善郎『平野』などを発行し、後に京文社書店の社長として室生犀星『新らしい詩とその作り方』などを出版した。 ※2藤井耕達(ふじい こうたつ)、1893年4月25日生まれ、秋田市出身の日本の挿絵画家。尾竹國觀に師事した。大正11年に金の鳥社から刊行された巌谷小波の『お釈迦様の話』の挿絵を手掛けたのを皮切りに、1925年には博文館の『講談雑誌』で白井喬二の『傀儡大難脈』などの挿絵を担当した。新聞連載小説や少年雑誌の挿絵も数多く手掛けた。 ※3井上伝(いのうえでん):天明8~明治2年(1788‐1869)久留米絣(くるめがすり)の創始者。筑後久留米の女性。絣織りを創案し、製品は「御伝加寿利」と呼ばれた。 3人の子をかかえながら井上の織物の美しさは評判になり、最初は二十人前後だった弟子は、井上が40歳のころには3400人を超えた。 ※4ベルナール・パリッシー:1510年頃 - 1590年。16世紀フランスのルネサンス期に活躍した陶工。15年もの歳月をかけて独自の釉薬の技法を完成させて生み出されたのが、 「田園風土器」と呼ばれる作品群である。自然科学者、著述家としても名を残した。パリで地質学、鉱物学、博物学などに関する講演会を開催し、1580年と1583年には農学など 自然科学に関する論文集を出版している。プロテスタント(新教徒)であったため、改宗か国外亡命を迫られたが、これを拒否し、バスティーユ牢獄で獄死した。 ※5高峰譲吉:安政元~大正11年(1854‐1922)応用化学者。加賀藩典医高峰元陸の長子として越中高岡に生まれる。工部大学校応用化学科卒業後、イギリスに留学。麹(こうじ)からのタカジアスターゼの創製および副腎からのアドレナリンの分離に成功した。帝国学士院賞受賞。米国で巨万の財を成した。日本人による開発型ベンチャー企業・スタートアップの先駆者とされる。 ※6高山幸・鈴木徳(高山幸助、鈴木徳次郎):記録されている人力車の発明としては、日本の和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎の3名が発明者として明治政府から認定されている。  東京で見た馬車から着想を得て1869年(明治2年)に人力車を完成させ、翌年1869年(明治3年)に日本橋で開業したとされる。人力車の発明については、世界中に諸説ある。 ※7ロバート・フック:1635年- 1703年。イギリスの自然哲学者、建築家、博物学者、生物学者。弾性に関する法則(フックの法則)、生体の最小単位  "cell"(細胞)と名付けたことで知られている。顕微鏡の発明者は諸説あり、確定されていないが、彼の著作『顕微鏡図譜』の中の図版で、ガラス糸の端を溶かした小さなガラス球から小さなレンズを作っていたことで、世の中に大きな影響を引き起こした。 ※8北里 柴三郎:嘉永5年(1853年)〉- 昭和6年(1931年)。日本の微生物学者、教育者。貴族院議員、私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、私立北里研究所、北里研究所病院(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長・北里大学学祖、慶應義塾大学部医学科学長(1920年から慶應義塾大学医学部初代学部長)、慶應医学会初代会長、慶應義塾大学病院初代院長。「近代日本医学の父」として知られる。1889年(明治22年)に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年(明治23年)に血清療法を開発、さらに、1894年(明治27年)にペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる。第1回ノーベル生理学・医学賞では、最終候補者(15名のうちの1人)まで選ばれた。 ※9天孫降臨:日本神話において天照大御神の孫であるニニギノミコトが、高天原から地上に降り立ち、地上世界を統治するための出来事。これは、天照大御神の命を受けてニニギノミコトが地上世界(葦原中国)を平定し、豊葦原の瑞穂の国(日本)を治めるために行われた。天孫降臨は、 日本の歴代天皇 の起源を示す重要な神話であり、農耕文化の発展や日本国家の基盤を築くきっかけとなったといわれている。
系統分類:     画題:  俗・暮らし  衛生・健康  庭訓・学習・善悪・教育・啓発  武者・武勇・合戦・戦争・歴史 

所蔵:築地双六館 HP  資料部門: 浮世絵
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