Group Description:忠臣蔵事件が、恩赦による浅野家再興により一通りの決着をみたのが宝永7年(1710)9月であった。その前後で演劇や文芸の世界では、こぞってこの事件を取り上げたが、お膝元の江戸では、討入り直後の芝居が差し止められたこともあり、メディアが取り上げることに慎重であった。本作品は、上方での動向を睨みつつ、「信田」という集団敵討の物語の役者絵に「討入事件」を仮託して、宝永8年の正月頃に出版されたものであろう。江戸時代では、政治的な事件を直接表現できなかったため、他の世界に見立てて表現するのが常套手段であった。役者たちは、当時の江戸劇団に所属する大物ばかりである。なかでも吉良上野介を実悪の第一人者山中平九郎に見立てており、吉良を大悪人とする感覚が庶民の間で定着してしまっていたことが伺われる。なお、本作品は役者の構成メンバーからみて元禄16年正月頃、討入り後すぐに出版された可能性も残るが、画風からみて、宝永8年とした。